二十六話 恵子の誕生日
九月十四日の朝、いつものように恵子と登校していると、
「明日はうちに来てね」
と言われた。
「ケイちゃんの誕生日だね。何時頃家に行けばいい?」
「お昼ご飯をご馳走するから、お昼前に来て。お礼を兼ねて、お母さんが張り切っているの」
「お礼?」
俺がそう聞くと、恵子はあたりを見回してから小声でささやいた。
「お見合いについて来てくれた件よ」
「あのことなら、あの後いっぱいお礼を言ってもらえたよ」
「でも、ちゃんとしたお礼をしたいからって」
美知子が小学生のころ、自分の誕生日に自宅にたくさんの友達を招いて誕生パーティーをすることなどなかった。家がそんなに広くなかったし、ケーキなどもそうそう買えなかったし、もともとそんな習慣は広まっていなかった。
中学、高校になればなおさらである。
もっとも美知子と恵子は小さいころからお互いの家に行ったり来たりしていて、ご飯を食べさせてもらうこともよくあった。だから今さらお昼ご飯に誘われても、何の抵抗もない。
「わかった。じゃあ、明日お昼前に行くから」
そう約束しておいた。
その日、帰宅して夕食のとき、母親に言った。
「明日のお休みは、お昼前にケイちゃんちに行く約束をしているから。お昼ご飯も食べさせてくれるって」
「そう、おばさんによろしくね」
「そうだー!」武が突然叫んだ。
「何よ、やかましい」
「明日は休みだったー!」
武は明日が敬老の日ということを忘れていたようだ。確かに今年から祝日になったらしいが、黙っていれば武は勘違いして学校に行こうとしたのかもしれない。家を出る直前に笑って指摘できたのに、ちょっと残念だ。
夕食後、部屋に戻った俺は、千代紙で作った紙袋に、リリアン編みで作った赤いブレスレットを入れた。これを願いが叶うミサンガだと言って渡そう。
本来のミサンガはいろいろな色の糸を使って模様が編み込まれていたと思うが、恵子にあげるのは、恵子が好きと言っていた赤単色の編み紐だ。
明日の準備を終えたので、安心して寝た。
翌朝、また浴衣が乱れていた。
浴衣を少し直してから洗面所に行き、部屋に戻って普段着に着替え、布団を押し入れにしまってから、武を起こす。
「武、学校よ、起きなさい」
「ふぇ?」武が寝ぼけ顔で起きた。
「え?今日は休みじゃなかった?」
「何寝ぼけてんのよ。お休みは昨日だったでしょ」真顔で言う。
「え?え?」きょろきょろあたりを見回す武。
立ち上がると部屋を駆け出して行った。「お母さーん」
しばらくすると顔を真っ赤にした武が部屋に駆け戻ってきた。
「姉ちゃんの嘘つき!」
俺はけたけたと笑うと、たたこうとする武をかわしてお茶の間に行った。
怒っている武をなだめながら朝食を食べると、少し宿題をしてから恵子の家に向かった。
「おはようございまーす、美知子です」
俺が恵子の家の玄関で声をかけると、すぐに恵子が顔を現した。
「いらっしゃーい、みーちゃん」
「おじゃましまーす」そう言って俺は恵子の家にあがった。
「いらっしゃい、みーちゃん」「ようこそ、美知子さん」
恵子の家のお茶の間に入ると、恵子の両親が歓迎してくれた。
「さあさあ座って」
俺は誘われるままにちゃぶ台の前に座った。ちゃぶ台の上にはすでに料理が並べられている。
その料理は、お手製のハンバーグ、マカロニサラダなどで、小さめのホールケーキもあった。
「すごい豪勢じゃない!」俺は感嘆した。
「この間のお見合いに無理に付き添ってもらったお礼をちゃんとしてなかったしね」
恵子の母親が言う。
「遠慮しないで食べてね」
「誕生日パーティーって年じゃないけどね」と恵子。「みーちゃんにお礼する機会がなかったから」
「そんなに気にしなくてもいいのに」と俺は言った。「誕生日、おめでとう、ケイちゃん」
俺はそう言って千代紙の袋を手渡した。
「え?なに?」
「あけてみて」
恵子は袋をあけ、中から俺の自作のブレスレットを取り出した。
「あ、かわいい」
「それは左手首に巻いて。願いが叶うミサンガよ」
「ミサンガ?」
「そう。願いを込めて腕に巻くの。自然に切れたときに、願いが叶うと言われているの」
「ありがとう」
恵子が自分で左手に巻くのは難しいので、俺が巻いてちょうちょう結びをした。
「あ、体を洗うときなどに適当に外してかまわないから」
本来、ミサンガは腕から外してはいけないだろうが、肌身離さず付けていても、願いが叶う保証はできないからね。
「何を願おうかな」恵子は腕に結んだリリアン編みのミサンガをしばらく見つめていた。
「良かったわね、恵子。・・・さあ、乾杯しましょう」
恵子の母親が俺たちのコップにサイダーをついだ。
俺と恵子はサイダーが入ったコップで乾杯して、ぐびりと飲んだ。甘い炭酸水がのどにしみる。
「ところで、ケーキにろうそくを立てて誕生日を祝わないの?」
「そこまでやらないよ。・・・年の数だけろうそくを立てるんでしょ?十六本も立てたら火事になるよ」
そう言われたので、ケーキはデザートに取っておいて、ハンバーグからいただくことにした。
ちなみにこの時代の年齢の数え方は二種類ある。一つは数え年で、正月が来ると自動的に一つ年を取る。もう一つは満年齢で、誕生日が来ると一つ年を取る。
だから昨日までの恵子の年齢は、数えの十六、満十五という表現になる。
もっとも、数え年の風習が残っているが、俺の時代と同じように、美知子たちは普段は満年齢を使っていた。
「さあさ、二人ともお食べなさい」恵子の母親が声をかける。
ハンバーグは恵子の母親が、ひき肉に食パンやタマネギを細かく刻んだものを混ぜて手でこね、フライパンで焼いたもので、表面がちょっと焦げていた。
ケチャップをかけて食べてみると、肉のうまみと歯ごたえが感じられるなかなかおいしいものだった。焦げ目も香ばしくてアクセントになっていた。
「おいしいわ、このハンバーグ」
正直、俺の時代に食べたレトルト・ハンバーグよりもうまいと思った。
「ありがとう、みーちゃん」と恵子の母親が礼を言った。
いつか自分で作ることを考え、恵子の母親に作り方を詳しく聞いた。
ハンバーグをいただいて、けっこうおなかがいっぱいになってきたが、まだケーキがある。ケーキは、特に美知子のような女の子にとっては別腹だ。
恵子のバースデーケーキは直径二十センチくらいのホールのバタークリームケーキで、生のイチゴなどは乗ってなく、赤や緑に毒々しく色付けされたチェリーの砂糖漬けが何個か乗っていた。もちろん自家製ではなく、洋菓子店で買ってきたものだ。
恵子の母親がケーキを四つに切り、小皿に移して俺に渡してくれた。
小さいフォークを使って切り、口に運ぶ。
「おいしーい!ケーキ食べるの、久しぶりー」俺は歓喜の声を上げた。
俺の時代の生クリームたっぷりのイチゴケーキや、チョコレートがとろけるガトーショコラと比べたら、甘さや生地のしっとりさで負けるだろうが、それでも久しぶりのケーキはおいしかった。
「おいしいね、みーちゃん」
今日は脂肪と糖をたっぷり摂取した。これがみんな胸に回ればいいが・・・。バストが全然成長しないことを気にしている俺はそう願った。俺もミサンガつけようかな。
恵子の母親が紅茶を出してくれた。恵子は角砂糖を入れるが、俺は甘くなった口の中をさっぱりと流したいので、砂糖を入れずそのままで口に含んだ。
「うん、おいしい」
俺がそう言うと、恵子が驚いた。いや、恵子だけじゃない、恵子の両親も目を丸くしていた。
「みーちゃん、紅茶にお砂糖入れないで飲めるの?」
「あっさりしておいしいよ」俺は三人の反応に驚きつつ、平静を装って答えた。
美知子自身は、そうしょっちゅう紅茶を飲む機会はなかったが、角砂糖を入れるのが当然と思っていたようだ。紅茶やコーヒーに砂糖を入れないのは、俺の嗜好だ。
「ほう、試してみるか」
まだ、砂糖を入れていなかった恵子の父親が、俺のまねをしてそのまま紅茶を口に含んだ。すぐに顔をしかめた。
「飲めんことはないが、番茶より濃くて渋いな」
「慣れですよ、慣れ」
俺の時代じゃ無糖の紅茶飲料が売られていた。ブラックコーヒーも普通にあった。
「コーヒーもお砂糖を入れなくて飲めますから」
俺の言葉を聞いて恵子一家がまた目を丸くした。・・・そこまで衝撃的な発言か?コーヒーや紅茶には砂糖を入れるという、固定観念に縛られているんじゃないだろうか。
「じゃあ、後でコーヒーを入れるから、飲んでみてくれ」
恵子の父親がまた言った。
恵子の家にはコーヒーがあるのか。美知子の家では見たことがない。うちより進歩的だな、と俺は感心した。
食後は恵子の部屋に入った。
左手首に巻いたミサンガを嬉しそうに見る恵子。
「学校にも着けていこうっと。袖に隠せばばれないよね」
「気に入ってもらえて良かったわ」正直、ここまで好評価とは思わなかった。
「それにしても紅茶やコーヒーにお砂糖を入れないなんて、なんかかっこいいね、みーちゃん。あたしにはできないけど」
ちょっと食いつきが良すぎるな。今後はこの話題は出さないようにしよう、と俺は思った。
三時頃に恵子の母親におやつに呼ばれた。お茶の間に行くと、ビスケットの横にインスタントコーヒーの瓶が置かれていた。
インスタントか。俺はドリップコーヒー派なんだけど・・・。




