閑話 麗子十五歳
私は白沢麗子。白沢家のひとり娘だ。
私のお父さんは、お母さんによると、大手の商社で若い頃から頭角を現したらしい。
要するに、出世が早いということだ。
それが必ずしもいいことばかりではなく、私が小さい頃はしょっちゅう転勤して、全国を回っていた。
私も転校を繰り返し、なかなか親しい友だちができなかった。
私が高校生になる直前に、本社に腰を据えることになったとかで、郊外に近い閑静な町に白いきれいな家を建てた。
三月に引っ越し、四月から近所の松葉女子高校に通うことになった。
女子校と聞いて、最初は令嬢が集まるお嬢様学校かと期待したが、近所の普通の子が通う普通の学校だった。
でも、今度は三年間ここに通うので、親しい友だちができればいいなと思った。
その願いはすぐに叶った。
席が近くだった湯浅頼子さんや三笠良子さんとお話しすると、二人とも歌手や映画俳優が好きということで話が合い、学校ではいつも一緒にいるようになった。
これだけで満足、と思ったが、別に気になる人が現れた。
藤野美知子さん。ごく平凡な家の平凡な子だ。美人というわけでも、頭がいいわけでもなく、最初はまったく眼中になかった。
ところが、美知子さんのすぐ横を通る時、美知子さんの幼馴染という小柴恵子さんと、『みーちゃん』、『ケイちゃん』と呼び合いながら仲良くおしゃべりしていた。
高校生になってみーちゃん?ケイちゃん?
最初は眉をひそめ、「邪魔なんでどいてくださる?」とつい言ってしまったが、よく考えると、美知子さんは、私が長年憧れていた小さい頃からの友だちがいる、幸せな人だった。
それから美知子さんのことが気になり始めた(ちんちくりんの恵子さんは最初から気にならなかった)。
美知子さんはよく笑う人だった。しかし時々、ちょっとしたことに腹を立てて、ほっぺたを膨らましていた。表情がころころ変わり、見て飽きない人だった。
私は美知子さんとも友だちになりたかったが、友だちがいない時期が長かった私は、どう声をかけたらいいかわからなかった。
既に仲良くなっている頼子さんや良子さん、美知子さんの友だちの恵子さんにどう思われるかも気になった。
そこでつい、「そんなこともできないの」とか「お下品ね」とか、心にもないことを言ってしまった。でも、そう言うたびに美知子さんが私を見るので、胸がときめいた。後で必ず後悔したけれど。
五月十日が美知子さんの誕生日だということを知っていた。
頼子さんと良子さんとは芸能関係の話題で仲良くなった。そこで美知子さんの誕生日に、私が買っている芸能雑誌を見せて、一緒に話し合ったら仲良くなれるかも、と思ってしまった。
でも、芸能雑誌は頼子さんにすぐに見つかってしまい、聞きつけたクラス中の生徒が寄ってきた。美知子さんが登校する前に。
美知子さんも騒ぎを聞きつけて、近づいて来てくれたが、女子生徒の壁に阻まれて、私のそばまで来ないようだった。
少し興味を示してくれたようだが、よく見えないせいか、きびすを返して去って行きそうになったので、私はあわてて美知子さんに声をかけた。
声をかける?なんて?
その瞬間、私はあせった。美知子さんがどういう芸能人が好きか、知らなかったからだ。
ふと目に入った恵子さんが、てなもんや三度笠に出て来る珍念に似ていると思った。たまたま、てなもんや三度笠の藤田まことの記事も載っている。私は思い切って、
「藤野さん、あなたの好きな藤田まことも載ってるわよ」
と、声をかけてしまった。
しかしそれは裏目に出たようだ。私の周りにいた生徒たちも、私が美知子さんを馬鹿にしたと勘違いして、くすくすっと笑った。
美知子さんはあっけにとられていたようだ。
そこで芸能雑誌をわざわざ手渡して見せてあげた。
またしても裏目に出た。そのとき先生が教室に入ってきて、美知子さんが雑誌を手にしているのに気づいたからだ。
美知子さんが怒られそうになり、委員長が私の名前を出した。
私は先生が恐かったので、自分のではないとしらばっくれた。
そしてせっかく持ってきた雑誌は先生に没収された。
そこでいつもの悪い癖が出た。美知子さんに見つめてもらいたくて、つい美知子さんのことを悪く言ってしまった。
それが美知子さんに我慢の限界を超えさせてしまったらしい。
次の休み時間になると、美知子さんが私の方へ近づいてきた。
怒っているのはわかったけど、美知子さんが近づけば近づくほど私の胸の動悸が強くなった。
怖い、というより、美知子さんが私の方へ来ることに興奮してしまったからだ。
私は馬鹿。また、心にもないことを美知子さんに言ってしまった。
怒った美知子さんは右手を上げた。ぶたれると思った。いや、美知子さんに触ってもらえると思った。すると恐怖でなく、期待で胸がばくばくし出した。
・・・結局美知子さんは私をぶたなかった。でも、次の授業時間中、私の胸のドキドキは止まらなかった。
次の休み時間に私の様子を見て、頼子さんと良子さんが私を保健室に連れて行った。
確かに、美知子さんから離れなければ動悸がおさまらないと思った。
一時間ほど休んでいたが、いたたまれなくなって逃げるように早退した。
家に戻ると落ち着いてきた。そして自己嫌悪に陥った。
友だちになりたいからって、美知子さんがいやがることばかりしてきた。謝れるなら謝りたいと強く願った。
すると神様が願いを聞き入れてくれたのか、その日、美知子さんが私の家にカバンを持ってきてくれた。
私は美知子さんの前に座ると、心から謝った。本当のことを話した。
すると、美知子さんは私を許してくれた。それどころか、友だちになってくれるとも言ってくれた。
美知子さんの隣に誰かいたようだったが、私の目には入らなかった。
美知子さんとついに友だちになれた。でも、私には頼子さんや良子さんという友だちもいるし、美知子さんと口論したところをクラス中に見られている。
これから美知子さんと仲良くしてるところを見られるなんて、とても照れくさい。
そこで表面上は今まで通り美知子さんにあまり近づかなかった。
でも、離れていることに耐えきれず、通りがかりにそっと美知子さんの手を握った。
まるで秘密の恋人だ。そう思うと、美知子さんのことがますます愛おしくなった。
そして夏休みになった。美知子さんと会えない日が続いた。
思い切ってお家に電話してみると、田舎へ行っているということだった。
帰ってくる予定を聞いて、その日にもう一度電話した。そして自宅に誘ったら、快く来てくれた。
私の縫った浴衣に興味を持ってくれたので、思い切って着てみせた。美知子さんにじっと観察されて、胸のドキドキが止まらなかった。
美知子さんにも着てほしい。そう思って思い切って言ってみたら、快く着てくれた。美知子さんが着替えるところを見て、失神しそうだった。
もうここまでくれば怖れるものはない。清水の舞台から飛び降りるつもりで、私は美知子さんにお泊まりに来ない?と誘った。
すぐにとはいかなかったが、浴衣を縫ってからという約束をしてくれたので、天に舞い上がるような心地だった。
私はすぐに両親に美知子さんのお泊りの許可をもらった。転校を繰り返した私に仲のいい友達がこれまでいなかったことを知っていた両親は、とても喜んでくれた。
美知子さんからの連絡を待つ間、どのような料理でどのようにもてなすか、お母さんに繰り返し相談した。それはそれは楽しい時間だった。もし美知子さんから来られないという連絡が入ったら、私はそのまま意識を失って、二度と目覚めなかっただろう。
そして、ついに美知子さんから連絡が来た。美知子さんのお母さんとの話し合いで、三日後に来てくれることになった。
あと三日待たなければならないのかというじらされる気持ちと、あと三日たてば必ず来てくれるという期待に満ちた気持ちにはさまれて、心が擦り減ってしまいそうだった。
美知子さんが来る直前に、頼子さんと出会った気がするけど、舞い上がっていて何を話したかあまり覚えていない。
そしてとうとう美知子さんが家に来た。両親も歓迎してくれた。美知子さんは楽しんでいるのだろうか、それだけが心配だった。
そして夜は、一緒のベッドに横たわった。そのまま、一晩中起きて美知子さんの寝顔を見ていたかったけど、いざ横になると、その日一日緊張していたためなのか、あっという間に寝入ってしまった。
翌朝、私は美知子さんより早く目が覚めた。念願の寝顔を見つめることができた。
卵形のぷるんとした顔、毛が全く整えられていない太く短めの眉毛、薄くて短いまつ毛、丸っこくて愛らしい鼻、薄くて意志の強さを表している唇。どれもかわいらしい。
触ってみたい。でも、寝ている人の顔を触ると、目を覚まして気づかれて、変に思われるわね。
肩なら触ってもいいかしら。目が覚めても、起こそうとしたと言い訳ができるから。
私は美知子さんの肩にそっと触れた。その瞬間、美知子さんがその愛らしい目を開けた。
「おはよう、美知子さん。もう朝よ」
とっさにごまかす。
まだ美知子さんの目の焦点が合っていない、気の抜けた顔も素敵だわ。
朝食後、美知子さんは帰っていった。名残惜しいけど、楽しい一日だった。
その日の午後、頼子さんと良子さんが突然訪れた。びっくりしたけど、緊張から解放されていた私は二人を歓迎した。
私の部屋で芸能人やレコードの話で盛り上がった。良子さんはお家からビートルズのレコードを持ってこられていて、私に貸してくれると言った。
私が、「英語の歌詞は難しいわね」と言うと、良子さんは「何度か聞いていると心に響いてくるから」と教えてくれた。ありがたく借りて聞いてみようと思う。
でも、不思議だわ。
この二人とは屈託なく話せてとても楽しい。
美知子さんといても楽しいけど、同時になぜか胸が苦しくなる。なぜなんだろう?
思わずため息をつく。頼子さんと良子さんがそれに気づいて、
「どうかなされたの?」
と聞いてくれた。私は思わず、
「好きな人ができたみたい」
とつぶやいてしまった。
「え?」「え?」「え?」
最後の「え?」は私の「え?」だ。
何を言ってしまったのだろう、私は?
素敵な男性と恋をして結婚したい、という願望は昔からあった。でも、そのような男性に今まで出会ったことはなかった。
私の心の中にあるのは・・・え?美知子さん?
「どなたがお好きなの」身を乗り出して聞いてくる良子さん。
「誰にも言わないから、教えて!」これは頼子さん。
二人とも目がきらきらしている。それほど私を心配してくれてるんだ。でも・・・
「それはまだ、言えないわ」と私は答えた。
私のこの秘密は、胸の奥にしまっておこう。




