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剣聖の称号を持つ料理人  作者: 天那
第一章
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第09話 魚でとっただし汁


 タマモがいなくなった調理場で、ざわめきが収まらぬままに春樹は目の前の品を見つめていた。


 旬の野菜がいくつかと、森の茸。そしてメインとなるソラウオという魚。

 指先で確認して、春樹は真剣な眼差しでそれらを定める。


――常備されている基本的な調味料や素材は自由に使っていいと言われたが……やっぱ問題はこのソラウオだな。


 目が合った。瞳の色から見るに、新鮮な品だ。領主に献上されたものだから当然といえば当然だが、なにせ初めてお目にかかる。


 ひれ先は細長く、まるでトビウオのように広がっている。まさか本当に飛ぶわけもないと思うが、ここは異世界。なにがあっても不思議ではない。


「おい、ハルキとかいったか。焼き上がったぞ」


 声に振り返れば、セリアがタマモに作ったのと同じ皿をこちらに向かって差し出していた。

 審査のためとかいって先ほどのソラウオはタマモが平らげて帰ったから、これは春樹のためにわざわざ用意された分だ。


「すみません、わざわざ」

「ふん、勘違いするな。元の味がわからなかったなどと勝負の後に言いがかりをつけられてはたまらんからな。せいぜいよく味わって、自分の無謀さを悔いるといい」


 この場にいて、セリアは威風堂々と言ってのけた。よほど自分の皿に自信があるのか、春樹としても大いに気になるところではある。

 考えてみれば、この世界に来て自分以外の者が作った料理を食べるのはリン以外では初めてだ。


 どれどれと思いながらひとくち摘み、口に入れた途端に春樹の腕がセリアの目の前で止まる。


――こりゃあ、比べるとリンさんが可哀想だな。


 文句のない焼き上がりだ。完璧と言ってのけるだけのことはあると春樹はほぐした身を見つめる。

 フォルムも細長く美しいその魚は、領主に捧げるに相応しい一品として皿の上に横たわっていた。


 繊細な魚だ。ガツンとくるインパクトこそ少ないものの、その上品で繊細な風味は最高級といって差し支えない。淡泊ながら、豊かな魚の旨味を感じる一品だ。


――地球でいうと、カマスに近いか。ここまで繊細となると、ますます難しいな。


 手を加えるといっても、元の素材の良さを潰してはいけない。旨味を足すだけならばソースをかけるなり方法はいくらでもあるが、この繊細さをキープしつつ全く新しい皿に仕上げるのは骨が折れそうだ。


――ただ、無理ってわけでもない。


 いいお題だ。こうなったのは偶然だろうが、こうも難しいと腕が疼く。


「どうした? 素直に白旗を上げるなら、わたしの下で働かせるのも吝かではないぞ」


 腕を組み、セリアが春樹へと話しかけた。皮肉ではなく、彼女は本気でそう思っている。

 あの領主様はときおりこうして、誰かに無理難題をふっかけては遊んでいるのだ。セリアとて、このお題を自分がクリアできるとはとても思えない。


「いえ、大丈夫ですよ」

「なに?」


 しかし、にこりと笑った春樹の顔を見て、セリアは片眉を上げた。そこまで言うならやってみるといいと、春樹の姿を立ったままに見つめる。


「あそこにあるアラ、ソラウオのですよね? 使わせてもらいますよ」

「ん? あ、ああ」


 調理場を見回すと、捌かれた後のソラウオが積み上げられていた。こちらは別のメニューに使う用だろうか。綺麗に捌かれた後のソラウオを春樹は摘む。


「それと、燻製用のチップってありますかね?」


 そして再びの春樹の質問に、セリアはいよいよ首をひねった。台所の隅を指さすと、春樹は上機嫌でそちらに向かう。


(なんだ? ……アラなんか使ってなにをする気だ。燻製? わたしが作ったのは焼き魚だぞ)


 春樹の挙動にセリアは困惑した。お題からいって、元の料理の形を変えすぎるのはよくない。

 どんな料理にするにしろ、「焼き魚」の枠組みから外れてはお題をクリアしたことにはならないのだ。


 焼き魚をそのまま燻製にするというのはまぁ考えられるが、それだとアラの説明がつかない。


(まさか、本当につみれにでもするつもりじゃ……)


 そこまで馬鹿ではなさそうだがと、セリアは春樹を見やる。横顔はどこかのんびりとした印象で、とてもタマモのお目にかかるようには見えない。


 戻ってきた春樹はというと、まな板の上に本当にアラを並べだした。


(そもそも、賭に勝ったと言っていたがどんな勝負で――)


 そのときだ。タマモとの会話に思いを巡らせた瞬間、春樹が開けたケースの中身にセリアは息を呑んだ。

 大小さまざま揃えた愛刀の中から魚包丁を抜き出す春樹に、セリアは先ほどの印象を撤回する。


(こいつ――ッ)


 春樹が包丁を構える。その立ち姿に、セリアの背筋が凍りついた。


――ちょっと卑怯だが、使わせてもらうぜ!


 剣聖のスキルが発動する。魚包丁の切っ先まで行き届いた意識が、初めて対面するはずのソラウオの仕組みを教えてくれた。

 骨の付きかたから身の外れ具合、当然ながら、玄武の鎧に比べれば切り裂くことは容易いその柔肌に、春樹の包丁が振り下ろされる。


「――ッ!?」


 一瞬だった。横で見ていたはずのセリアが視認できないほどの速度。瞬きの間にソラウオの頭部が切り落とされ、そこから余分な血肉が取り除かれる。


――まずは余計な雑味を取り除く。いい子だ、ここまでいい魚はそうそうねぇ。


 頭を二つに割って、血合いやエラを切り外す。胴骨に付いた血もすべてそぎ落とし、一切の臭みのもとを春樹は切り除いた。

 それを5匹分。セリアには、一瞬にしてソラウオが解体されたようにしか見えない。


 次は野菜だ。用意されていたものの中から、香りや旨味の補助となる香味野菜と茸。香りがより出るように、すべて薄くスライスする。

 それらにかかる時間も、まさに一瞬。瞬く間に包丁での下処理を終えた春樹に、セリアは思わず声をかけた。


「お前……いったい」


 タマモにも聞かれた問いかけに、けれど春樹は照れくさそうに苦笑する。

 驚かれているところ悪いが、残念ながらここまでは貰い物のスキルを披露しただけだ。


「いやぁ、恥ずかしい話なんですけどね。俺の腕を見せるのはこれからなんですよ」


 そう言って笑う春樹の声を聞いて、セリアは目の前の男が強者であることを確信した。



 ◆  ◆  ◆



「燻香付き、ソラウオのフュメ・ド・ポワソンです」


 目の前の料理を見つめ、タマモは思わず口を開いた。


「ほう、面白い」


 にやりと笑い、眼前で座る二人を見つめる。

 緊張した面もちで皿を見つめるセリアと、自然体で座る春樹。両者を愉快げに見比べて、タマモはもう一度皿に目を落とした。


 長皿の上に、セリアが焼いた見事なソラウオ。それに、得体の知れないスープがかかっている。


「くく、ソースを加えたということか。無難といえば無難じゃが……」


 タマモのナイフがソラウオに伸びる。ほろりと崩れる白い身は見事だが、この焼き上がりはセリアの手柄だ。

 やはり食ってみなければ始まらないと、タマモはその身を口に運び入れた。


「――ッ!?」


 途端、タマモは驚いて春樹を見つめる。

 確かめるように二口目を放り入れ、噛みしめるように味を確認した。


(よもや、ここまでとは)


 二人が見守る中、タマモが深い息を吐く。予定通りだが予想が外れ、タマモは睨むように春樹を見つめた。

 扇を突き出し、目の前の男を指し示す。


「この勝負、ハルキの勝ちじゃ」

「なッ!?」


 声を出したのはセリアだ。到底納得できるわけもなく、けれどタマモの手前ぐっと奥歯を噛みしめる。

 そんなセリアに向かって、タマモは自分の皿を差し出した。


「食ってみるがいい」


 ずいと出された皿に、セリアが慌てて顔を上げた。


「い、いえ! わたしのような者が、タマモさまと同じ皿を食べるわけには!」

「いいから食え」


 言い掛けたセリアを、タマモの眼光が射抜いた。その有無を言わせぬ迫力に、隣に座っていた春樹までもが身を竦ませる。

 ここまで言われて、手をつけないわけにはいかない。セリアは一度頭を下げると、ゆっくりと皿の方へ歩み寄った。


「で、では。失礼して」


 セリアが春樹の品を口に運ぶ。

 そして、その瞬間にセリアはすべてを悟って目を瞑った。


「……ッ」


 悔しくないわけがない。唇を噛みしめて、けれどセリアはこれだけは自分が口にしなければならないと顔を上げた。

 春樹の方に向き直り、真っ直ぐに見据える。視線を受け、春樹も無言でセリアを見つめた。


「……わたしの負けだ」


 絞り出すような声を聞き、春樹はその姿を目に焼き付けた。

 扇の閉じる音が部屋に響き渡り、タマモが尾のひとつを春樹に向ける。


「説明せいハルキ。おぬし、なにを作った?」


 閉じた扇を皿に向けながら、タマモは春樹に問いかける。セリアも、聞いておかねばと耳を澄ました。


「風味が尋常ではない。それでいて、ソラウオのよさを壊してもいない。このスープはなんじゃ? 妙ちくりんな名を付けておったが」


 ソラウオの持つ旨味。それを塗りつぶすようなソースならば、タマモはそれまでと切って捨てるつもりだった。

 けれど春樹の出した品は、領主のタマモをして想像の埒外で、まさにお題そのものの出来映えだ。


「フュメ・ド・ポワソン……フュメとは、魚でとっただし汁のことです」

「だし汁じゃと?」


 春樹の説明にタマモは皿を見つめる。スープから漂ってくる風味は確かにソラウオのもので、けれどそれだけでは決してない。


「魚介はもちろん、骨などからとるだしには身とは異なる旨味があります。今回のお題であるソラウオは繊細な味わいが持ち味の魚のようでしたので、調和を壊さぬよう、同じソラウオからとった繊細なだしをソースに使いました」


 春樹の説明に、タマモだけでなくセリアも聞き入る。そして、横で見ていたセリアはそれだけではないことを十分に承知していた。けれど、実際に口にするのとしないのとではなんという違いか。


「ですが、皿の印象を強めることも必要だと思いました。そこでソラウオのアラは炒めずに、軽めの燻製をしてフュメに仕上げています」

「燻製?」


 春樹の言葉にタマモが鼻を鳴らす。九尾の鼻腔をくすぐる匂いの中には、言われてみれば確かに燻製の深みのある香りが漂っていた。


「臭みを完全に取り除いたアラを、ソラウオの風味を壊さない程度に燻し、燻香を付けました。それを香味野菜と共にじっくりと煮出し、フュメに香りを移したのがそのスープです」


 燻香は魚と相性がいい。けれど、ここまで繊細な品を作ろうと春樹が思えたのはセリアの焼きが素晴らしかったからだ。

 丁寧にアクを取り除いていった先に見える美味しさ。余すことなくソラウオの旨味を伝えた一皿に、タマモは愉快そうに笑みを浮かべる。


「くく……ははは! 焼き魚に汁をかけるためだけに、そこまでするか! まっこと、まっこと面白い男じゃのう!」


 ひとしきり笑った後、タマモは座る春樹を見やった。

 手間ひまをかけた旨味。澄んだ魚の旨みを深い燻製の香りとともに楽しむ一品に、タマモはかけねなしの賞賛を送る。


「フュメ・ド・ポワソン、見事なり。よかろう。剣士としてよりもむしろ、料理人としてのおぬしに興味がわいてきたわ」


 鋭く春樹を見つめながら、タマモは一件落着と扇を開く。

 異存ないなとの視線に、セリアもこくりと頷いた。


「ふふ、まことこの世は不思議よの。……セリア、おぬしも聞きたいことがあるなら今聞くがよい」


 タマモの言葉に、セリアは春樹を一度見つめる。まったく以て完敗だ。結果そのものに異論はないが、聞きたいことならばひとつある。


「でしたらその……差し支えなければ、賭の内容を」


 セリアの言葉に春樹とタマモは顔を見合わせた。言われてみれば、セリアからすれば勝手に賭けられていたのだ。気になるのは当然だろうと、タマモは愉快そうに尾を揺らした。


「おう、実はその男な……」


 出てきた騎士団長の名とその結果を聞いて、セリアは信じられないものを見るように隣の男を見つめるのだった。

  


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