第07話 推して参る
「ははは! まさか噂の竜殺しと試合えるとはな! タマモ様に感謝せねば!」
甲冑の擦れる音を響かせながら、アイリッシュは嬉しそうに腕を振り上げた。
一閃。木剣が空を切り、宙を舞っていた木の葉を両断する。
紛い物の刃とは思えぬ鋭さに、春樹は思わず息を呑んだ。
――冗談じゃねぇぞ。こっちはスキルのこともよく分かってねぇんだ。
転生の際に白い巫女から与えられた【剣聖】のスキル。その威力は初見のドラゴンにて実証済みだが、その実詳細はいっさい分かっていない。
城の庭に設けられた立ち会い場にて、春樹は自分の右手を見つめていた。
――勝てば料理人として雇うって……そもそも雇われるのは確定かよ。
問題はそこだ。勝っても負けても、自分がタマモの下で働くのは決定事項らしい。さすがに抗議の声をあげた春樹だが、その意見はタマモのひとことで一蹴された。
縁側のような場所で優雅に座るタマモを見やって、春樹は先ほどの会話を思い出す。
『拒否権はないぞ。ハルキ、おぬしが関所を通った記録はない。そしてその剣技。……おぬしには、間者の疑いがかかっておる』
間者。つまりはスパイ容疑だ。関所だの言われても、この世界に来たときから領内にいるのだからどうしようもない。
けれど、春樹が間者ではないことなどタマモも分かっている。分かっていて、どうすると聞いてきているのだ。
『間者を匿ったとなれば……食堂の娘もただではすみまい。可哀想なことじゃ』
にっこり笑うタマモを春樹は睨みつけていた。それに気がつき、タマモがひらひらと手を振ってくる。
――俺だけならともかく、リンさんに迷惑はかけられない。
得体の知れない自分を雇ってくれた恩人だ。仮にこの場とその先の関所とやらを剣聖のスキルで切り抜けられたとして、そうなれば矛先はリンや彼女の店に及ぶだろう。
――やるしかねぇ。勝てばいいんだ。
もとより料理人としての働き口を探していたのだ。考えてみれば、これは大きなチャンスともいえる。領主お抱えの料理人となれば、将来的に店を持つことも不可能ではないかもしれない。
スキルがあろうと、兵隊として働くなどごめん被る。料理人の刃は人に向けて使うものではないのだ。
そう思い、春樹はぐっと拳を握りしめた。
「おっ、やる気になったようだな! いいぞ! 本気でなければ試合の意味がない!」
アイリッシュが軽々と木剣を振り回す。舞っていた木の葉が十文字に切り裂かれ、四つに散った葉を見て春樹は絶句する。
けれど、気を立て直すと春樹は自らに渇を入れた。
――信じろ。
目を閉じて、意識を呼吸に集中する。剣を持たずとも、春樹の意識が深く神域の世界へと沈んでいく。
そこに存在する奇跡。真理の世界へ記録された、剣聖たちの剣技を降臨させる。
――いける。仕込みと同じ感覚だ。
二度しか使っていないと思っていた。森の竜と、近衛兵と。
しかしそれは違う。何度も何度も振るってきた。
――本当に、リンさんに感謝だな。
だからこそ、負けるわけにはいかない。
目の前に突き立てられた木剣を、春樹はしっかりと握りしめた。
瞬間、流れ込む数多の世界の剣客の記憶。ある者は勇者として、ある者は英雄として、またある者は修道者として。
強さを求めた先に彼らが辿り着いた軌跡。それらを束ね、彼らの剣に敬意を表する。
「故に、剣聖」
少しだけ。ほんの少しだけ春樹にも理解できた。
――別に、強さなんて求めちゃいねぇけどよ。
振るい方は違えども、高みを目指すのは共に同じ。このスキルを引き当てたのは、きっと偶然ではないだろう。
ならばこの力で駆け上る。料理人としての刃を、この記録に加えることを春樹は誓った。
「タマモさん。勝ったらこの城の厨房は俺が貰います」
そのために、使えるものはなんでも使う。どさくさに紛れて掛け金をつり上げた春樹に、タマモはまん丸く目を開いた。
そして、心底愉快だと尾を叩く。
「ははは! 面白い! いいじゃろう、おぬしが勝ったら城の料理頭を任せてやる!」
扇を開き、タマモはアイリッシュへと突きつけた。
「アイリ、そういうことじゃ。料理人風情に負けたとあらば、近衛騎士団の名折れ。……分かっておるな?」
しかし、その声はもはや届いてはいなかった。
春樹が構えたのを見て、アイリッシュの表情がにわかに変わる。ただ者ではないその佇まいに、この世界の強者は確かに剣聖の息吹を感じ取った。
「お言葉ですがタマモ様、どうやら胸を借りるのはこちらのようです」
「なに?」
木剣を一度振り、地面を一度軽く蹴る。
銀狼の尾が上下に揺れ、その瞳が戦士のものへと変わっていく。
更に一度、更に一度。地面を蹴る度に銀色が揺れ、彼女は必殺の一歩を用意する。
「九尾近衛騎士団が団長、銀狼のアイリッシュ……推して参る!」
彼女の覇気が、庭の空気を張り動かした。
スキル越しでなくとも伝わってくるアイリッシュの気迫に、春樹は覚悟を決めて口を開く。
「ホテル・ニューテイコクが新入り、新堂春樹だ。来やがれ!」
二人の口上を聞き終わったタマモがにやりと笑う。
「いざ尋常に――!」
扇が上がり、春樹が手の内の木剣をわずかに下げた。
それを見たアイリッシュが身を屈め、その身を一本の弓矢に変える。
「――始めい!」
タマモの声を聞き終わると同時、アイリッシュの身体が突風のように飛び出した。
◆ ◆ ◆
勝負は一瞬だった。神速とも名高いアイリッシュの一閃は、常人ならば彼女が消えたようにしか見えなかっただろう。
銀狼のしなやかな筋肉のバネを極限まで圧縮した上での、銃弾をも越えた剣速。そこに込められた一撃は、木剣といえど手加減など一切ない。
「……見事だ」
そのアイリッシュの剣撃を、春樹のそれが凌駕した。
彼女の持つ木剣が根本から切断され、身を纏う甲冑が音もなく切り離される。
「馬鹿な。玄武甲で作られた鎧を、木剣で」
タマモの目が驚愕に見開かれる。絶滅したといわれる伝説の幻想種。その甲羅の強度は、鋼鉄をも遙かに凌ぐ。
地面に落ちた玄武の鎧が、高らかな音で勝者を告げた。
一筋の傷も負わずに無力化された騎士団長を見やって、タマモは扇を春樹に向ける。
「天晴れなり。望み通り、妾の厨房くれてやろうぞ」
その言葉に、春樹は安堵の表情で空を見上げた。
リンさんとはここでお別れですか?という声が多かったのですが、リンさん普通にまた出てくるのでご安心ください。