『 ラ・ルミエリエ 』
【 ウィルキス3の月30日 : サーラ 】
アルトの食欲も落ち着き、アルトにつられるように
食べていた子供達が、胃を押さえて青い顔をしているのを
セツナ君が見つけ、胃腸薬を一人一人に渡していた。
薬を渡す時に、アルトの食べる量は大人よりも多いから
程々にしたほうがいいと注意していたけれど
その忠告は、ちょっと遅かったと思う。
まぁ、美味しそうに食べている子供達に
水を差すようなことは、誰もできなかったのだけど。
冒険者には見えないセツナ君に、子供達は少し
緊張していたけれど、どこか嬉しそうに受け答えをして
薬を貰って飲んでいた。
もちろん、アルトには薬など必要ない。
子供達に胃腸薬を渡しているのを見て
酒肴の子達も数人、手を伸ばしていたけれど
これもいつものことだった。
小さい子供達は、一足先に舞踏会場へ出発している。
着飾った大人たちが多いこの場所は
落ち着かなかったようだ。
アルトの友人やその家族は、黒のチームの為に
用意された席で観ることになっている。
転移魔法で移動する為に、ギリギリまで
ここでくつろいでいても大丈夫な事から
子供達は、セツナ君から薬をもらって飲んだ後は
アルトが鞄から出したトランプで遊んでいる。
机を片付けた絨毯の上で、七並べをしているらしく
「誰だよ! ここで止めてるやつ!」とわーわーと
騒ぎながら遊んでいた。
止めているのは、多分……ミッシェルちゃんと
クロージャちゃんだと思う。にんまりと笑っているから。
セツナ君の知り合いのジゲルさんは
小さな子供達と一緒に移動してしまった。
子供達に懐かれて、一緒に行こうと誘われたようで
手を引かれて出ていった。
優しいその眼差しがとても印象的だった。
話し方は独特だけど、内面がにじみ出るような
温和な顔つきをしているから、安定を求める女性に
モテそうな気はする。
いい出会いがあればいいと思う。
彼を支えてくれるような、優しい女性が現れると
いいなって思った。
そんなゆったりした空気の中
ヤトちゃんが、セツナ君を呼ぶ。
「セツナ」
「はい」
「アインツ管弦楽団の団員達が
そろそろ、こちらへ来る」
「わかりました」
アインツ管弦楽団は、何代か前のリシアの守護者が
直々に指導して、設立された管弦楽団で
その時に新しい楽器が生まれ、リシアから他国へ広がった。
ハルの学院では、音楽学科も充実しており
他国からの留学生も多く、人気のある学科になっている。
他国では手に入らない楽器や、最新の楽器を手に入れるために
ハルを訪れる人達も多く、そのまま学院に入学して
学び直して帰国する人もそれなりにいるらしい。
転移魔法陣で、今日演奏する団員の人達がこの場に現れ
用意された椅子の横に立ち、ヤトちゃんとセツナ君に
礼をしてから席に着いた。
ヤトちゃんの話が終わり、セツナ君に主導権が移動する。
「打ち合わせのために、結界を張りました。
向こう側の声は、こちらへは届きません。
姿は双方に見えていますから、何かあれば
合図をしてください」
最初に、必要な事を話してから
一切雑談などをすることなく、本題に入っていく。
女の子達の押し殺した私語が囁かれているが
セツナ君は気にすることなく、話を進めていっていた。
それぞれが楽譜を開き、セツナ君の要望に応えるために
真剣にメモを取ったり、暗記したりしているなか……。
数人の女の子達の感情が高ぶったままなのか
私語に夢中になっているようだ。
周りの男の子達が、注意しているが
「嫉妬?」と言われて注意するのをやめた。
女の子達も、集中したほうがいいと
私語をやめるように告げているけれど
無視している。
女性としても、彼女達の年齢を考慮しても
その気持ちは痛いほど理解できる。
普段のセツナ君も、女性達の視線を独り占め
出来るほど男前だけれど……。
今のセツナ君は、もう、全てを超越している。
ずっと眺めていたいほど、かっこいいのだから
彼女達の盛り上がりようは、心の底から
理解できるのよ。理解できるが……。
今は、仕事としてこの場にいるのだから
その態度が、許容されることはない。
そして、セツナ君もまた
そんな彼女達を許さないだろうから。
あれだけ大切にしているアルトにさえ
訓練の時は……鬼になるのよ。鬼に……。
「よろしいですか?」
指揮者の男性が口を開きかけるのを遮って
セツナ君が穏やかに笑いながら
彼女達に声をかける。セツナ君を知る人ならば
その目が、全く笑っていないことに
気が付いているはず……。
アルトは背筋が伸びているし
耳と尻尾も、ピタリと止まっている。
セツナ君の穏やかに聞こえる声音に
彼女達は何かを期待したのか、目を輝かせて
セツナ君を見つめていた。
「申し訳ありませんが
今すぐここから立ち去ってもらっても
よろしいでしょうか?」
「え……?」
「……」
「……」
穏やかな声とは正反対の
彼女達を拒絶する言葉が紡がれ
彼女達はその意味を理解できずに
セツナ君を凝視している。
「ヤトさん」
「なんだ?」
「彼女達のかわりの人員の補充をお願いします」
「わかった」
ヤトちゃんは、指揮者の男性と相談してから
魔道具を起動して、指揮者の彼が選んだ人物を
呼び出すように連絡している。
「ま、待ってください!」
「なんでしょう?」
「どうして、私達が追い出されなければ
ならないのですか!?」
「わかりませんか?」
「はい」
「わからないのならば
やはり、貴方達はこの場には
ふさわしくありません。僕はそう思います」
「私達は、学生ですが
認められてここに居るんです!」
あぁ……なるほど。
彼女達は、周りの同僚を見下しているのか。
だから、注意されても聞く耳を持たなかったのね。
私の学院時代にもいたなぁ。
あまりいい思い出がないけど……。
これでも、音楽界では有名な家だから
他国の学生に、目の敵にされていたからなぁ。
納得できない表情で、目に涙を溜めながら
セツナ君を見ているが、セツナ君の意思は揺らがない。
セツナ君が、軽く溜息を吐き
そして、その笑みを消して彼女達を見た。
その冷たい表情に、皆が息を詰める。
「僕のダンスのお相手は、風の上位精霊様です」
この一言で、彼女達があっ、という表情をつくった。
知ってはいたが、忘れていたんだろう。
「そして、演奏して頂く曲目は "ラ・ルミエリエ"
説明しなくても、お分かりかと思いますが
四大女神に捧げる愛、という曲になります」
この曲は、風の上位精霊から指定されたみたい。
ダンスの曲としても有名な曲で、舞踏会などで
繰り返し演奏されることもある。
曲名に "ラ"がつくものは、神や精霊に捧げると
いう意味を持っていて、どの国でも好まれている。
だから、この仕事についている人達は
いつ求められてもいいように
練習を欠かすことはない。
今回も、演奏される曲目として入っていた為に
曲目が変更されるという事もなかった。
"ラ・ルミエリエ"は
五楽章で構成されており
全てを演奏すると、十分を超える曲になるが
ダンスは、その楽章ごとでお相手を変えたり
休息したりするので、通して踊る人はあまりいない。
だけど、今回は全てを通して踊りたいと
言われたようで、セツナ君が深く溜息を吐いていたのを
私達は見ていた。
まぁ……女神の眷属の精霊が
全てを踊りたいというのも納得できる。
セツナ君は大変だろうけど……。
でも、私はすっごく楽しみにしていた。
それは、エレノアちゃん達もそうだ。
「今回は、僕が魔法で演出を入れることになっています。
通常の演奏とは違う個所も出てくるために
こうして、打ち合わせをしています。
僕と風の上位精霊様の為に
一つの音を作り出す為に、皆さん集中されている。
申し訳ありませんが、僕達の邪魔になるので
出ていってください」
女の子達が、謝ろうとするが
それよりも早く、セツナ君が魔法を詠唱して
彼女達を結界の外に出した。
結界の外で、許してほしいと声をあげているが
セツナ君は、視線を向けもしなかった。
少し厳しい気もするが、何度も同僚たちが
注意をしていた。それを聞き入れずに私語に夢中に
なっていたのだから、仕方がないといえば仕方がない。
ヤトちゃんから呼ばれた、新しい子達が
彼女達の横を通り過ぎて、空いている席に着く。
彼女達の一人は、悔しそうにその背を見ていた。
誰も彼女達を振り返らない。
そして、セツナ君はもう彼女達の存在を
忘れているようだった。
苛立ちを隠していない女の子が一人。
途方に暮れたように、その場に佇んでいる子が
二人いるが彼女達に声をかける人はいない。
自分が蒔いた種は、自分で刈り取るしかない。
彼女達が乗り越えることができるのか
心を折るのかは、彼女たち自身の問題だから。
今までの彼女達の行いが、良かったのならば
手を差し伸べる人がいるだろうし
反対ならば、自力で上がるしかない。
セツナ君が、一通り説明し終わったあと
質問を受け、より詳しく説明をしていくが
言葉だけでは伝わりにくい個所があるようだ。
セツナ君は少し思案したあと、鞄から
ヴァイオリンを取り出して、調弦したあと
楽譜通りに弾き、そして自分が望んでいる
音を弾いて見せた。
その澄んだ音色と技術に、団員達が驚いている。
私達は、アルトがセツナ君に強請って
色々な楽器の演奏を聞いたことがあるために
驚くことはなかった。
余りにも多才な彼に、ジャックはどうやって
これだけの技術を教えることができたのかしら? と
言葉にしてしまった時に、セツナ君は少し考えたあと
『暇だったのでは?』と告げた……。
暇? と返しかけたのだけど
アルトが『次、次これ』と楽器を指さしていたので
それ以上話すことができなかった。
暇という言葉の意味を考えてみて
ジャックが、長く生きていた事を思い出した。
ジャックの正確な年齢は、誰も知らないけれど
彼が何度か名前を変えていたことを
私達は知っている。
だとすると、長い人生の中で
暇な時間が生まれていても
不思議ではないと気が付いた。
エリアルちゃんもマリアちゃんも
気になる学科の授業を受講することがあると
話していたし……。
もしかすると、姿を変えて
こっそりと学院に通っていたのかもしれない。
セツナ君のヴァイオリンの音を聞いた瞬間から
団員たちの目の色が更に変わった。学んだことのない
私でも、セツナ君の腕が素晴らしいことがわかるのだから
それを仕事にしている人達が、わからないはずがない。
一音も聞き逃さないように、真剣に耳を澄ませている。
結界の外に出された女の子達も
拳を握りしめて、セツナ君が奏でる音を聞いている。
「このような感じで、お願いしたいのですが?」
「わかりました。
一度通してもよろしいでしょうか?」
「そうですね……。
でも、ここからは周りには聞こえないようにしましょう。
その方が、本番を楽しんでもらえそうです」
セツナ君はそう言って、あちらの音を消して
しまった……。ちょっと悲しい。
アルトの耳と尻尾もしょんぼりとしていた。
セツナ君は、時々演奏を止めて指揮者の男性と話しながら
団員の人達と音を作り上げていっている。
セツナ君の要望に応えるために、団員の人達は
必死にセツナ君に喰らい付いている。
少しでも引っ掛かりを感じたら
すぐに手をあげ、声を出して確認していた。
その気迫は、音が聞こえないこちら側にも
伝わってくるほどだった……。
そんな、団員たちの姿を見て
外に出された女の子達の二人が
静かに涙を落としていた。
一通り、伝えることは伝えたのか
向こう側の声が、こちらへと聞こえるようになった。
どうやら、終わったらしい。
団員の人達は、丁寧に楽器をしまい
練習場へ戻る準備をしている。
これから最後の調整に入るのだろう。
アルトが団員達を避けるように
大きく迂回して、セツナ君の側へと走っていき
ロイールちゃん達が、アルトの後を追いかけて
セツナ君の側へといく。
「師匠~」
「なにかな?」
「まだ時間ある?」
「僕の準備は終えているから
あるよ。まだ、上位精霊から
連絡がこないし……」
本当になにをしているんだろう、と
セツナ君が、ぼそりと呟いている。
「ヴァイオリン弾いて!」
アルトのこの一言に
団員の人達の動きが止まった。
セツナ君を注視するその瞳が
聴きたい! と物語っている。
「えー……」
「一曲、一曲だけでいいから!」
アルトだけでなく、子供達にもキラキラとした
視線を向けられており、セツナ君が困ったような
笑みを見せて「一曲だけね」と口にしたあと
真剣な表情で、ヴァイオリンを構えた。
彼の演奏に集中する為に、全ての音が止まる。
響き渡る澄んだ音色に
一瞬で意識が、音の世界へとのまれていく。
セツナ君の音はとても繊細で……。
呼吸を忘れるほどに、いつも心が震える。
今日は、正装とあいまって心がいつもより
騒がしい。多分、それはアルト達も同じだと思う。
三分ほどの曲を弾き終わったあと
アルトに「もう一曲」と強請られていたが
「また今度ね」と告げて、ヴァイオリンをしまった。
団員の人達から「どうして、冒険者?」と
小さなつぶやきが聞こえるが、確かに私もそう思う。
多才な彼ではあるが、彼の中では
料理も音楽も好きだが、魔法よりは下で
魔法の構築式の組み立てや研究は好きだが
薬草の研究と調合のほうが、もっと好き。
セツナ君と一緒に生活をしていて感じたことだ。
セツナ君は、料理や音楽、剣術を賛辞してもあまり
喜ぶことはない。丁寧に、ありがとうございます、と
笑ってくれるが、それだけだ。
だけど、サフィちゃんと新しい魔法の構築理論を
話している時は、楽しそうにしているし
薬に対するお礼などは、嬉しそうに笑ってくれる。
セツナ君の中で、何か違いがあるのかもしれないけれど
私達には、その違いが分からないでいた。
「もっと聞きたかったのに」
残念そうに、そう口にするアルトの頭を
セツナ君が優しく撫でて誤魔化している。
誤魔化されていることを知っていながら
アルトは、大人しく撫でられていた。
もしかしたら、甘えたいだけかもしれない。
「俺も、楽器を弾いてみたいなー」
アルトが見せた新しい興味に
セツナ君が、小さく笑った。
「教えてあげるよ?」
「うん。
今度、弾いてみる」
アルトのこの言葉通り、催しが終わってから
どの楽器にするか悩むアルトに
セツナ君が最初に触れさせたのはピアノだった。
アルトのお気に入りの曲は、セツナ君が教えた
ねこふんじゃった、という曲だ。
お気に入りというか……それだけともいうけれど。
セツナ君と連弾しているアルトは
本当に楽しそうで、セツナ君はアルトが飽きるまで
付き合っていることが多かった。
けれど、アルトはそれで満足したようで
私が練習しようと誘っても、頷いてくれることはなく。
アルトが本格的に、セツナ君からピアノやヴァイオリンを
習うのは数年たってからになり
アルトのお願いに、暁の風のメンバーが
何かしらの楽器を弾けるようになるのは
また別の話になる。
アルトと一緒に、子供達も目を輝かせながら
セツナ君と会話をしている。セツナ君に対する恐怖は
完全に憧れに変換されてしまったようだ。
クロージャ達やミッシェルに宿ったモノは
きっと、黒達と同じものだと思う……。
果てのない……自分との戦いの世界に
足を踏み入れたのだと。
その目標に、セツナ君を定めたのだと
その目が雄弁に物語っていたから……。
指揮者の男性が、セツナ君へと挨拶をしてから
立ち去っていく。団員達も口々に感想を述べて
時間があれば、教えてほしいと望みを口にして
少し緊張しながら、挨拶して去っていく。
先ほどの女の子達が、指揮者の男性の傍に行き
演奏させてほしいと伝えるが、彼は怒りを宿した目を
静かに彼女達に向けた。
「守護者様に感謝することだ。
あの時、あの方が口を挟まなければ
私は君達を解雇していたから」
「な……」
「……」
「……」
「理由が分からないのか?」
「わかりません……」
気の強そうな女の子が一人
指揮者の彼を睨むように見ている。
「君は、私から注意を受けるのは
何度目だ?」
「……」
団員達は、彼女の態度に深い溜息を吐き
疲れたような表情を見せた。
多分、このようなやり取りは
初めてではないのだろう。
「我々は、ギルドから金銭を貰い
誇りをもってこの仕事を全うしている。
成人だとか、学生だとかは関係がない。
演奏に関して、我々はギルドの代表なのだ。
そのことを理解できない君達に
演奏させるつもりはない!」
彼はここで自分の中の怒りを逃がすように
一度ため息を吐く。
「それにだ」
「……」
「我が国に、守護者様が帰還され
お披露目となる場の演奏を、我々は任されたのだ。
それだけではなく、上位精霊様のお相手を
守護者様がなされることになった……。
今夜、リシアの住民と他国の貴族の注目が全て
守護者様と上位精霊様そして、ラ・ルミエリエを演奏する
我々に向くことになるのだ」
ここまで言われて、やっと彼女達は
理解できたような表情を見せた。
「それを……。
守護者様が、話されているさなかに
大切な音を作り上げるために、必要なこの場で
私語など! 許せるわけがないだろうが!」
押し殺した怒りが全て彼女達に向く。
今夜の彼等の重圧は、相当なものだろう。
こんなことに、心を割いている余裕はないはずだ。
それでも彼等は、その重圧をはねのけて
素敵な演奏をしてくれると思う。
「このまま辞めてもらっても構わない。
だが、守護者様が止めて下さったのだ
もう一度だけ機会を与える。
君達と交代した彼等の時間帯に
演奏するように」
「どうして、私が予備なんかに!」
アインツ管弦楽団とツヴァイ管弦楽団は
ギルドが抱える、管弦楽団となっている。
ツヴァイ管弦楽団は、予備というわけではないが
この世界も弱肉強食なので、アインツに上がるためには
誰かを蹴落とさなければならない。
「なら、辞めたまえ」
「わかりました。
辞めさせてもらいます。
ここには、他にも管弦楽団があるのだから!」
深く考えもせずに
彼女は感情のままに、やめると告げる。
「受理しよう」
彼が受理した瞬間
この場から、女の子が消えた。
皆が驚いているところへ
声を落としたのはセツナ君だった。
「この場所は、不用な人物の立ち入りを
認めていませんから。辞めると告げたのなら
彼女がここに居る理由がありません」
「申し訳ありませんでした」
「後ほど書類の提出をするように」
ヤトちゃんの言葉に、彼が頷き
丁寧に頭を下げて、指揮者の彼は残りの
女の子達を見た。
「君達はどうするのかね?」
「私は、このまま続けたいです」
「私も同じです」
申し訳ありませんでしたと
深く頭を下げて謝罪する彼女達を彼は受け入れ
セツナ君達とオウカちゃん達に一礼したあと
転移魔法陣へと歩き出した。
残された彼女達は、交代した団員の下へ行き
曲目の確認をしてから、彼等と一緒に歩き出す。
彼女達は、転移魔法陣に乗る前に
セツナ君に深く頭を下げ、この場を後にしたのだった。
「何処へ転移したんだい?」
アギトちゃんの疑問に、セツナ君は興味がなさそうに
「ギルド本部の前です」と答えた。
「……どうして転移を?」
「セリアさんが、さっさとこの場から
排除したほうがいいと、教えてくれたので」
悪意の欠片でも見えたのかしら?
セリアちゃんが呪わなければいいけど……。
しかし、彼女はもうリシアにある管弦楽団には
入れてもらえないだろうなぁ。
他国はどうか知らないけれど
リシアの管弦楽団の派閥は、好敵手であって
いがみ合っているわけではないから。
基本、どの派閥でもいがみ合い
潰しあうようなことをすれば
有害として、ギルドが潰しにかかるから
そんな愚かなことはしない。
ギルドの本気は恐ろしいのだ。
実力で蹴落とすことが推奨されているため
相手を蹴落とす為に、切磋琢磨している。
何処かの派閥に入った時に、もろもろの説明と
注意はされるのだが、時々彼女のように
理解できない人間もいる。
派閥が違ったとしても、飲みに行ったり
しているはずだから、情報は筒抜けに
なっているのよ……。
まぁ、ギルドの管弦楽団に入るだけの
腕があるなら、卒業はできるだろうから
自国に帰れば問題ないだろうけれど。
「僕を気にしていたようですから
近寄せたくはありませんでしたしね」
「あぁ……。
問答無用で遠ざけて正解なわけ」
「泥沼化するのも、面倒だしな」
そう結論付けて
この話は綺麗に忘れ去られたのだった。
時間が近づき、セツナ君以外の人間が
舞踏会場へ移動することになった。
この場所は、オウカちゃん達も利用するために
他の場所からは、見えないようにされている。
なので、視線が集まることもなくて
楽に過ごせるのが嬉しい。
ぐるっと、見渡してみるけれど
観客席がほとんど埋まっている。
この人数が、一気に殺到していたら
死人がでたかもしれない。まだ、増えているようだし。
「こんなに人が多いなんて……」と少し顔色を
悪くしながら、呟いているテレーザちゃんが可哀想だ。
その呟きに、バルタスちゃんが「大丈夫だ。
わしらに注目は集まらん」と言葉にすると
テレーザちゃんが、数度瞬きをしてから頷いて
少し緊張を解いていた。
そんなことはないと思うけど
それを口に出したりはしない。
今か今かと待っている、観客達の声がここまで届く。
その声に応えるかのように、舞踏会場の魔道具の明かりが
一斉に落ちた。
一瞬騒然とした雰囲気が漂うが
会場以外の周りは明るい為に、すぐに平静を取り戻している。
舞台の端に、淡い光の玉が一つ浮かび上がり
そこを始点として、次々に新しい光が生まれていき
舞台をぐるりと淡い光の玉が囲み、舞台が幻想的な
光で満たされる。
感嘆の溜息があちらこちらで落ちる中
セツナ君が正装姿で舞台の中央に姿を見せた。
その瞬間、湧き上がる歓声とセツナ君の正装姿を見ての
喜色の声や衣装の感想など、様々な声がこちらへと届く。
どうやら、ここには周りの声が届くような魔法が
かけられているようだ。近くにあるモニターには
色々な場所が映し出されていた。
もちろん、この舞踏会場にもモニターが
浮かび上がっているし、街のいたるところでも
セツナ君達の姿を見ることができるようになっている。
「師匠に見えない……」
アルトが小さく落とした声に、全員が頷いている。
酒肴の女の子達が、若き王様よ……と
夢見るような瞳で、セツナ君を見つめている。
男の子達は、あんなところに一人で立ちたくねぇ、と
真剣な顔で呟いていた。
男の子達は、セツナ君に対する嫉妬とかは
なさそうだ。強さに対する嫉妬や羨望は
あるみたいだけれど。
それが彼等の良い所でもあり
残念な所でもある。
彼女が欲しいと言いながら
女性にモテたいと愚痴りながら
自分達に向けられる好意より
食い気なのだから……。
彼等に、熱い視線を向けている
女の子達はそれなりにいる。
セツナ君は、夢を見るには近い存在だけど
現実を見るには、遠い存在だ。
それに、彼が伴侶に一筋な事は
今日の出来事で、知れ渡ると思う。
そうなれば、一部の女性達以外は
夢は夢、現実は現実と割り切って
自分だけを愛してくれる、伴侶を求めるのだから。
そのことに、彼等が気が付くのは
いつになるのかな、と少し楽しみにしている。
エリオちゃんはともかく、そろそろクリスちゃんに
お嫁さんが来てもいいと思うんだけどなぁ。
舞台の上にいるセツナ君は、視線を大雑把に
周囲へと向けながら、小さく詠唱しているようだ。
どんな魔法を刻んでいるのかはわからない。
普通は、舞台に上がると一礼するのだが
彼はこの先ずっと、頭を下げることはない。
本当は、ヤトちゃんに対しても呼び捨てにするのが
一番いいのだけれど、セツナ君は自分の我を通した。
セツナ君をじっと見つめる
アルトの視線を感じたのだろうか?
セツナ君が、アルトの方へと顔を向けて
穏やかな笑みを見せる。その笑みにまた
女性達が騒めいて、黄色い声をあげながら
「セツナ様ー!」と呼んでいた。
セツナ君は、観客の声に一切答えることなく
アルトから視線を外し、管弦楽団の方へと視線を向けて
何かを合図したあと、優雅な動きで右手をスッと前方へ
差し出す。
セツナ君が右手を差し出すのが、合図だったのか
風の上位精霊がこの場へと姿を見せた。
上位精霊が姿を見せると同時に、セツナ君以外の
全ての人が跪き、神に祈りを捧げた。
アルトも友達がしているからか
一緒に膝をついている。
フィーちゃんに、好きな神様に祈ればいいと
言われて、神様は好きじゃないと返答し
フィーちゃんは、少し困ったように笑ってから
アルトにだけ聞こえるように何かを話していた。
アルトは、フィーの言葉に何度か頷いて
目を閉じて、祈り始める。
「誰に祈っていたの?」という子供達の疑問に
アルトは「シルキエス様」と答えた。
シルキエス様? 私を含めて皆の疑問に答えたのは
サフィちゃんで、シルキスの女神様の本当のお名前らしい。
「どうしてシルキエス様?」
クロージャが首を傾げながらの問いに
アルトが口を開きかけるが、少し考えて言わない、と
口にした。クロージャは「そっか」とそれ以上
聞くことはしなかったけど、私はすごく気になった。
神に祈り終わった人から、膝の埃を払って
元の席へと座り直し、大体の人が落ち着いたところで
上位精霊が、柔らかい笑みを浮かべながら
セツナ君を見つめ、ゆっくりと細く繊細な指先を
乞うように伸ばされたセツナ君の指先にそっと重ねた。
上位精霊が、そっと指を重ねた瞬間……。
彼女の衣装が、可憐な桜色のドレスに変化し
それと同時に、舞台が新緑の草原へと変貌し
管弦楽団の第一楽章・シルキスの演奏が開始された。
上位精霊が、驚きに目を見張り
そのあと、満面の笑みを浮かべながら
セツナ君としっかり、手を組んだ。
曲の始まりに合わせ
セツナ君と上位精霊のダンスが始まる。
優しい風が、新緑の草原を揺らし
その上を、狂いのないステップで二人が
息をあわせて舞っている。
魔法で作り出したものだからか
足元の草が、二人の邪魔になることはないようだ。
一度も踊ったことがないはずなのに
どうしてここまで、息をあわせることができるのだろう。
爽やかな風が通りすぎるような曲とダンスに
私も含め、この場にいる全員が魅せられている。
「素敵……」
ミッシェルが零した言葉に、誰もが自然と頷いていた。
管弦楽団の演奏は、第一楽章から第二楽章へ
シルキスからサルキスへと曲が移った瞬間に
セツナ君と上位精霊の衣装が変わり
舞台も同時に、星空を映した湖面へと変化した。
シルキスからサルキスへと移り変わるその瞬間……。
一秒もずれることなく移り変わった季節に
全身に鳥肌が立った。
演奏される楽器は
シルキスからサルキスになることによって
楽器の種類が増え、爽やかな情景を表現している。
幻想的な光が、湖面を淡く照らし
湖面は、満天の星を湖に映している。
その上を、水縹色のドレスの上位精霊と
紺碧の衣装に、銀色で刺繍された正装姿のセツナ君が
第一楽章の風のような流れるダンスとは違い
飛び跳ねるような軽やかなステップを踏んでいく。
二人がステップを踏むたびに
澄に澄んだ湖に映る星空の上には
幾重にも重なる波紋が生まれては消えていく。
その美しさに、心が騒めいて騒めいて仕方がない……。
「……美しいな」とエレノアちゃんが
本当に小さな声で呟いた。
第二楽章から第三楽章へ
サルキスからマナキスへと移り変わり
先ほどと同様に、セツナ君達の衣装と舞台が変化する。
狂う事のないセツナ君の魔法と
管弦楽団の演奏に、心はずっと高揚したままだ。
この会場には、殆どの人が集まっているというのに
誰の声もこちらには響いてこない……。
上位精霊の衣装は、若緑色のドレス。
セツナ君の衣装は、白銅色の正装
舞台の景色は、紅葉で色づいた落ち葉の上で
二人は手を放し、セツナ君がその場で立ち止まり
自分の耳元の辺りまで、軽く腕をあげながら
演奏に合わせて、タンタンタンと軽く手を打っている。
セツナ君から少し離れた場所で、セツナ君の周りを
円を描くように、陽気なステップを踏みながら
上位精霊がゆっくりと回る。
セツナ君は、移動する上位精霊が自分の体の
正面になるように、体を移動させていた。
セツナ君と上位精霊が、視線を合わせるたびに
柔らかく微笑むその表情に、胸が締め付けられるような
優しさや愛おしさが去来する……。
マナキスは豊穣の季節。
ここで初めて、全ての楽器が演奏に参加し
収穫の喜びを全力で表現していた。
「お姉さまが、すごく楽しそうなの」と
フィーちゃんが、少しだけ羨ましそうに言葉を落とした。
管弦楽団の演奏が、第三楽章から第四楽章へと
移り変わる少し前、セツナ君と上位精霊の前に
セツナ君の身長よりも、大きな丸い透明の鏡のようなものが
二人の前に現れた。
セツナ君と上位精霊は、曲が変わる数秒前に
その鏡のようなものへと足を踏みだし、曲が変わると
同時にその鏡のようなものを通り抜ける。
マナキスからウィルキスへ……。
セツナ君達が鏡のようなものを通り抜けた瞬間……。
二人の手が触れると同時に、変化する衣装と舞台。
一面の新雪の上……上位精霊が身に纏うのは
真紅と黒の衣装。今までと違うのは、ドレスの一部に
リシアでしか作ることができない "キモノ"を
取入れていた。ドレスとキモノ……。
セツナ君の衣装は、黒と一部にキモノの生地で
真紅を入れている。
全く質感の違う生地なのに、恐ろしく違和感がない。
エリアルちゃんとリオウちゃんが呟くように
「売れるわ……」と口にした。
マナキスとは違い、身を寄せるようにして
二人が踊る。ウィルキスは、家族や恋人たちの時間。
凍える時間を、大切な人と過ごすのだ。
ゆっくりと、二人の上に舞い散る雪が
淡い光に照らされて、キラキラと輝いている。
第四楽章は、弦楽器だけの演奏となり
静かで繊細な音の繋がりで、ウィルキスの情景を
表現していた。
「……」
言葉もなく、唯々圧倒されるような時間に
胸が苦しくなってく……。
第四楽章から第五楽章へ……。
管弦楽団の演奏は、シルキスへ近づくにつれ
演奏に参加する楽器が増えていく。
そして……。
シルキスへと……季節が廻るその瞬間
全ての楽器が一斉に音を鳴らし壮大な音を作り上げる。
胸の奥底からこみ上げる感情を抑えることができず
涙があふれて仕方がない。
舞台は、一面の雪が小さな光の粒になってとけていき
凄い速さで、舞台の上に生命に溢れる緑が育っていく。
小さな命が生まれ育まれ
女神の愛が満ちていく……。
広い舞台一面に、ミルフォーリアが花開き
真白の衣装を身に付けた、セツナ君と上位精霊が
シルキスの訪れを歓び、歌い上げるように
華やかに、クルクルと舞い……。
音楽もダンスも……終焉へと近づき
管弦楽団は、一音たりとも力を抜くことなく
死力を振り絞って、音を奏でていた。
セツナ君と上位精霊も
一度もステップを間違えることなく
ここまで踊り続けている。
上位精霊はともかく……。
セツナ君のその精神力がおかしい。
彼は、ずっと魔法を使いながらのダンスなのだから。
最後の一音が、ピタリと揃い終わりをつげ
それと同時に、セツナ君がそっと上位精霊から手を放し
胸に手をあて跪く。
「セツナ」
上位精霊のセツナ君を呼ぶ声に
セツナ君がゆっくりと顔を上げた。
「風を司る最古の精霊である私が命じます」
上位精霊の言葉に、皆が驚愕の表情を浮かべた。
風を司る……と彼女は口にした。
それが意味するところは……。
神に命を与えられた、始まりの精霊の一人。
風の精霊を纏める役割を担う者だ。
「貴方は、空を泳ぐ鳥でありなさい。
貴方の自由を奪う者。
貴方の意思を縛る者。
その全てを、私が司る風の敵とみなしましょう」
上位精霊の言葉に、会場がザワリと揺れた。
「私は、貴方が気に入ったから」
「……」
「セツナに私の加護を与えます」
上位精霊は
セツナ君の額に加護の口付けをそっと落とした。
それは、まるで……。
忠誠を誓う騎士に、女神が許しを与える物語のような情景。
余りにも美しいその情景に、瞬きも忘れてその光景を
脳裏に焼き付ける……。
ゆっくりと、とけるように舞台が元へと戻り
ハッと意識が覚醒した時には、セツナ君も上位精霊も
舞台の上には居なかった。
徐々に会場のざわめきが戻り
そして、一拍置いたあと爆発するような歓声が
舞踏会場……いや、ハル全体を揺らしている。
上位精霊への感謝と敬愛。
セツナ君への感謝と祝辞。
そして、管弦楽団達への労いと賛辞の声で
会場が溢れている。
管弦楽団の団員たちは、暫くその場から
動くことができないでいるようだ。
ギルド職員の人達が、外から見えないように
魔道具を発動させて結界を張っていた。
多分、感情の制御が追い付かないのだと思う。
女の子達は固まって泣いていたから。
多分、今日彼等は一番女神様に近い場所にいた。
私達ですら、女神様の愛が満ちるのを感じたのだから
ラ・ルミエリエを最後まで演奏しきった彼等は
私達よりも感情が揺さぶられたのではないだろうか。
それを押さえて、最後まで演奏したのは
正直凄いと思う……。一音も崩れなかったのだから。
「最古の精霊の加護とか……。
どうなってるわけ?」
サフィちゃんが、疲れたように
声を出した。
祝福と加護では、全く意味が異なる。
祝福は、精霊が刻んでくれる魔法のようなもので
生涯その効果が消えることはないと言われている。
加護は、精霊が守り見守る者という意味になる。
精霊は、祝福を与えても加護を与えることは
殆どないと言われていた。
「……でもこれで、他国は完全にセツナに
手を出せなくなった」
精霊の契約者に精霊の加護持ち。
特に今回は、セツナ君の自由を阻害するものを
許すことはないと断言していることから
彼に手を出す国はほぼ皆無になると思う。
手を出せば、風の精霊全てを敵に回すのだから。
「確かにそうだけど
オウカもオウルも、注意するわけ」
「私達が、セツナを縛ることはあり得ない」
そう断言するオウカちゃん達に
サフィちゃんは胡散臭そうな目を向けるが
それは絶対にないのだと、本国籍を持つ者達は
知っていた。
「はぁ……疲れた」
私達の後ろから聞こえた、セツナ君の声に
この場にいる全員が一斉に振り返る。
「すごく、すごく楽しかったかなって!」
「よかったですね。
僕は二度と、踊りたくはないですが」
セツナ君の正直な感想に、上位精霊が苦笑している。
「どうしてか、魔力がすごい勢いで
搾取されているような感じがしましたが……。
何かしましたか?」
「んー。内緒かな」
「……」
どこか、諦めたような光を目に宿して
セツナ君は溜息を吐く。
「そういえば、どうして祝福ではなく
加護だったんですか?」
「んー。その方が、わかりやすいかなって」
「ありがとうございます。
でも、僕ではなく本当に大切な人に
与えてあげればいいと思いますが」
セツナ君は遠回しに、自分ではなく
ミッシェルちゃんに与えてやれと告げた。
「もうとっくに、与えているかなって」
「そうなんですか?」
「祝福は、その人が水辺へ行くと同時に
消えるけれど、加護は魂に刻むから
生まれ変わっても、消えることはないかな」
「なるほど」
セツナ君も上位精霊もそれ以上
加護に触れることはなく、会話が落ち着いた
セツナ君が、私達を見てすごく驚いた顔をした。
「なにかありましたか?」
「え?」
それぞれが、周りを見渡してみると
女性陣の殆どが、目元を赤くしていた。
「……感情が振り切れただけだ。
気にすることはない」
エレノアちゃんも、珍しく感情の箍が外れたのか
涙を止めることができないでいたから、少し赤い。
涙を落としたのは、女性だけではなかったけれど
それをセツナ君に伝える必要はない。
「師匠ー」
「うん?」
「すごくすごく感動した」
「そう?」
「うん。
舞台がキラキラ光っていたんだ」
「そっか」
アルトの目が赤いことに
セツナ君は気が付いていたけれど
優しくアルトの頭を撫でて気が付かない
振りをしていた。
あれやこれやと、目を輝かせて
感想を伝えているアルトの話に
セツナ君は、黙って相槌を打っていた。
時々、頬を染めながらアルトの友人達も
セツナ君に感想を伝えている。
風の上位精霊も、セツナ君達と一緒に居て
ミッシェルちゃん達に、すごく素敵だったと
言われて、目が潰れるかと思うほどの
綺麗な笑顔を見せていた……。
凄く眩しい……。
子供達も何度か目を瞬いている。
暫く経っても、歓声が鳴りやまない舞踏会場に
オウカちゃんの「踊るのをやめようとおもうのだが」と
いう言葉が、この場所に響く。
オウカちゃんの言葉に、同意するように
正装している全員が頷いていたのだった……。