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山根家の前に着いたのは、午前十時を少し過ぎた頃だった。門の前で車を停め、久瀬は腕時計を確認する。
これまでの調査では、敷地内に十分以上滞在した者にのみ、記憶への干渉が確認されている。今日は初めて建物内部へ入るが、一度の滞在時間は五分。異常がなくても必ず外へ出て、状態を確認する。それを繰り返す予定だった。
「三井、まだ怒ってるのか?」
隣で凝った肩を回していた浜松が、ふいに尋ねた。久瀬はちらりと浜松を見る。
「知りません」
「帰ったら、ちゃんと話してるのか?」
「必要な話はしてます」
「それで?」
「よけいに機嫌が悪くなりました」
浜松は呆れたように笑った。
「お前なぁ。……そもそも、足手まといなんて言うからだぞ」
久瀬は答えず、門の内側へ視線を向けた。伸び放題の庭木。その向こうに、古びた二階建ての家がある。
赤茶色の玄関扉は、昨日と変わらず閉じたままだ。
「おーい、聞いてるか?」
「聞いてます」
「じゃあ答えろ」
「調査に関係ない話です」
リュックから靴カバーを取り出しながら言うと、浜松がため息をついた。
「本当は三井のこと認めてるんだろ。……日頃の態度を見てりゃ分かる」
久瀬は眉間に皺を寄せた。
宙は感応者と見て、まず間違いないだろう。異失物に宿った記憶を追体験できるというのは、稀有な能力で、異管にいれば重宝されるはずだ。篠原がどうにか囲い込もうとしているのも分かる。
能力を差し引いたとしても――勘は悪くない。人の話も、以前よりは聞くようになった。
無茶をするし、余計なことばかり言う。その割に肝心なことは黙っていたりもするが――それでも。ひたむきに働くあの姿を見て、普通の感覚を持つ人間なら、足手まといとは思わないだろう。
「……認めてるかどうかと、危険な現場へ連れて行けるかどうかは別です」
それだけ答えると、浜松が少し目を細めた。
「なるほどな」
「……何ですか」
顔をしかめた久瀬に、浜松は「いや」と軽く手を振る。妙に納得した顔が気に食わなかったが、問い詰める気にはならなかった。
久瀬はもう一度、腕時計を確認する。
「入ります。五分で一度出ましょう」
「ああ」
二人で門を潜る。玄関前まで進み、久瀬は昨日、不動産会社から預かった鍵を差し込んだ。――がちゃり、と音がして鍵が開く。
扉を開けると、むっとした空気が流れ出してきた。埃と湿気の混じった臭いが鼻につく。
「お邪魔します」
久瀬が玄関へ足を踏み入れると、後ろから浜松の声がした。怪訝な顔で振り返った久瀬に、浜松は肩をすくめてみせる。
「人様の家に上がるんだから、一応言っといた方がいいだろ」
「誰もいませんが」
「お前はほんと情緒がないな〜」
やれやれ、と浜松が大げさにため息をつく。久瀬は靴カバーを着けると、無視して玄関を上り込んだ。外は快晴だが、雨戸が閉められているため、中は夜中のように暗い。二人は懐中電灯を取り出し、ゆっくりと家の中を歩き出した。
狭い廊下の左手に和室。右手に洗面所。まっすぐ進んだ先にリビングがある。
「思ったより綺麗だな」
リビングの中に入ると、浜松が周囲を見回して呟いた。
部屋の中央に古いソファとローテーブルが置かれ、窓際のテレビ台には薄く埃を被ったテレビが残されていた。壁には三年前のカレンダーが飾られたまま。テレビ台の横に置かれた戸棚には、写真立てがいくつも並んでいる。久瀬はライトを向けた。
家族写真だ。三十代後半くらいの山根勤と、その妻と思われる女性。小学生くらいの少年。別の写真では、制服姿の少年が照れくさそうに顔を背けている。
「息子さんか」
「おそらく」
浜松が写真を覗き込む。久瀬は視線を外し、写真立ての置かれた戸棚を開けた。
「おい。気をつけろよ」
背後から声が飛んでくる。
「分かってます。浜松さんは部屋の物には触れず、異変がないか周囲を見ていてください」
浜松のため息を背中で聞き流し、中を確認する。
取扱説明書の入ったジッパーバッグ、卒業証書、そして――小型の金庫。金庫は工具か何かで無理やりこじ開けたように扉がひしゃげている。中は空だった。
山根勤が亡くなった後に、空き巣でも入ったのだろうか。だが、それにしては家の中が綺麗だ。荒らされたような形跡はない。
「二分経過」
「分かってます」
今度はテレビ台の引き出しを漁る。奥の方にアルバムがあった。ちょうど二十年ほど前、山根の妻と息子が亡くなった頃だろうか。そのときを境に、写真は途切れている。
「久瀬」
浜松の声で我に返る。
「もう四分だ。出るぞ」
久瀬は腕時計を一瞥する。四分十二秒。
「分かりました」
急ぎ足で浜松と玄関へ戻る。
入ってきたときと同じ廊下。同じ靴箱。同じ赤茶色の扉――そのはずだった。
ドアノブに手を掛けた久瀬は、異変に気づき、動きを止めた。
「久瀬? どうかしたのか?」
「……見てください」
ドアノブから手を離し、一歩後ずさる。一般的な玄関扉ならサムターンがある位置に、今は――鍵穴がある。
ドアが反転しているのだ。外から鍵を差し込むはずの面が、こちらを向いてしまっている。
「これは……まいったな」
ドアを開けようと試みるが、押しても引いてもびくともしない。入ってくるときに使った鍵も、鍵穴に何か詰まっているかのように入らなかった。
久瀬は扉の蝶番を確認した。工具があれば破壊できない構造ではない。
「壊しますか」
「やめた方がいい」
即座に浜松が止めた。
「後ろ、見てみろ」
浜松の言葉に振り返る。そこには明かりのついた、埃一つない綺麗な玄関があった。
空き家になってから、ここは電気が通っていなかったはずだ。
廊下を戻り、他の部屋を確認したところ、どの部屋も雨戸が上がり、電気がついていた。リビングに飾られたカレンダーは、三年前の物から二十年前――二〇〇六年のカレンダーへ変わっている。
「領域形成型だな。スマホも圏外だった。扉を壊したら、出口そのものがなくなる可能性がある」
久瀬は眉間に皺を寄せた。
領域形成型は、その危険性ゆえに全てⅠ級以上に分類されることになっている。つまり、今回の異失物はⅡ級から自動的にⅠ級へ格上げされることになる。
「領域形成型――浜松さんは、経験ありますか?」
「過去に一度だけな。……久瀬は初めてだな」
「はい」
頷くと、浜松はため息をつき、ボリボリと後頭部を掻いた。
「……まあ、Ⅰ級だろうが異失物なことに変わりはない。異失物ってことは、この家には何らかの想いが宿っていて、この家なりのルールに基づいて俺たちは閉じ込められているはずだ」
「ルール……」
「だから、あまり悲観しなくていい。怖がらなくても――」
「そうですね。ひとまず時間制限もなくなりましたし、ゆっくり部屋を見て回りましょう」
久瀬は頷き、廊下へ向かった。しかし、浜松は動こうとしない。
「どうかしましたか?」
振り返って尋ねると、浜松は何故かげんなりしたような顔でこちらを見ている。
「お前……いや、何でもない。お前に後輩らしい初々しさを求めた俺が間違ってた」
「はぁ」




