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「……分かりました。こちらからお話しします」
久瀬が静かに言って、会議室のドアに手を掛ける。ドアが開くと、中で待っていた女性――滝山の母が顔を上げた。憔悴しきった顔が、こちらを見た瞬間、ほっとしたように緩む。
その表情を見た瞬間、胸の奥が痛んだ。
「聞いてください! 昨日、突然俊樹は自殺だったと言われて……俊樹は違うって言ってたのに! お二人も聞いてましたよね!?」
縋るような目だった。
宙は咄嗟に何か答えそうになったが、久瀬に視線で制されて口を噤む。
「刑事さん達にも聞いてもらおうと思ったんですけど、何度掛けても俊樹と電話が繋がらなくて……! いつもなら、このくらいの時間には電話が繋がるのに」
滝山の母は、ぎゅっとスマートフォンを両手で握りしめていた。まるで、それが息子と繋がる唯一の手段だとでも言うように。
「ひとまず、座ってください」
久瀬は感情を挟まない声で言った。
「まずは、息子さんのスマートフォンについて説明します」
滝山の母は何か言いたげに唇を震わせたが、やがて小さく頷き、椅子に腰を下ろした。宙も久瀬に続いて席につく。テーブルを挟んだ向こう側で、滝山の母は祈るようにこちらを見つめていた。
「息子さんのスマートフォンのような物を、我々は特異遺失物――通称、異失物と呼んでいます」
「異失物……」
「異失物は持ち主の手を離れた際に、残っていた強い想いや執着によって怪異化します」
その言葉を聞いた瞬間、滝山の母の目に光が戻った。
「つまり、スマホに俊樹の想いが残っていたってことですよね!? やっぱり俊樹は自殺じゃなかったんですよ! きっと、それを私に伝えたかったのね……!」
期待に満ちた声だった。
その期待が、あまりにも痛々しく、宙はつい目を伏せる。
久瀬はすぐには否定せず、小さく息を吸って口を開いた。
「……二時間ほど前に、こちらから俊樹さんのスマホに電話を掛けました」
「あなたから電話を……?」
「昨日お話しした際、四、五時間おきに電話が繋がるとおっしゃっていましたよね。今、繋がらないのは、こちらから電話を掛けたせいかと」
滝山の母は息をのんだ。
「俊樹は……何と言っていましたか?」
震える声だった。
久瀬はまっすぐに彼女を見る。
「電話に出たのは、俊樹さんではありませんでした」
「……え?」
滝山の母の顔に、戸惑いの色が浮かぶ。
「三井」
「あっ、はい! ちょっと待ってください」
宙は慌ててスマホを取り出し、録画データを開いた。会議室の空気が、急に重くなったような気がした。
「俊樹さんのスマホと電話が繋がったときの録画データです。聞いてください」
再生ボタンを押す。
画面の中で、ノイズ音に混じって滝山俊樹とは違う声が流れる。続いて、久瀬の声。
久瀬の問いかけに対する短い相槌は、会話をしているようで、会話になっていない。
再生が終わるまで、滝山の母は一言も発しなかった。
「あなたが最初に電話したときも、今お聞きいただいたやり取りと同じような、会話とも呼べない会話だったのでは?」
滝山の母が、はっとしたように顔を上げる。
唇が動いた。けれど、言葉はすぐには出てこなかった。
「……最初は、確かに……でも、だんだん、ちゃんと話してくれるようになって」
「それは、学習したからです」
久瀬の声は冷静だった。
「あのスマートフォンは、死者と話せる異失物ではありません。電話を掛けた人が話したいと思っている相手の声で話し、その人の言葉を学習して、望む言葉を与えてくれる――そういう異失物です」
滝山の母は、久瀬の言葉を理解できないというように、ゆっくりと首を振った。
「そんな……」
「息子さんのスマートフォンの着信履歴を拝見しました」
久瀬は続ける。
「息子さんが亡くなる前、あなたからの不在着信が何件もありました」
滝山の母の肩が、小さく震えた。
「ずっと、息子さんに電話に出てほしいと……声を聞きたいと、そう思っていらっしゃったのでは?」
その問いに、滝山の母はしばらく答えなかった。
俯いたまま、机の上で握りしめた手を見つめている。
「――二ヶ月前に、俊樹と電話をしたんです」
やがて、絞り出すような声で彼女は言った。
「いつも明るい子なのに、そのときは声が暗くて、様子がおかしい気がして……。それ以来、電話にも出なくなって、ずっと不安で、気になっていて」
宙は何も言えなかった。
もし、自分が同じ立場だったら。大切な人が急に電話に出なくなって、そのまま二度と会えなくなったら。
もう一度だけでいいから声を聞きたいと願ってしまう気持ちは、痛いほど分かる気がした。
けれど、その願いに応えたのは、滝山俊樹本人ではなかった。
「スマートフォンに残っていたのは、息子さんの想いではありません」
久瀬は言った。
「『もう一度声を聞きたい』『話したい』と願った、あなたの想いです」
「そんな……そんなはずありません!」
滝山の母が顔を上げる。目には涙が滲んでいた。
「だって、俊樹は私に自殺じゃないって伝えてくれて――」
「あの声は、『自殺だったのか、事故だったのか』という問いに『うん』と答えただけです。自殺を否定してはいませんでした」
「でも――でも、あの声は確かに俊樹の声でした! 息子の声を母親が間違えるわけないでしょう!?」
必死で食い下がる滝山の母に、久瀬は黙ったまま視線を落とす。少し逡巡するように沈黙し、ゆっくりと顔を上げた。
「さっき、録画で聞いていただいた声は、私の父の声です」




