第3話:暴風と太陽と諭吉さん
「誤解ですっ、嘘ですっ、妹じゃないからっ!!」
「なんだつれないじゃないか。お兄ちゃんに向かって。」
「誰がお兄ちゃんよっ、私は一人っ子です!」
「なら今からでも兄妹になれば良いだろう。」
「なるかっ、この変態っ!!」
「「「……………。」」」
週始まりの教室内には、朝から一人の涙目の少女の悲鳴にも似た怒号が響いていた。
現在それ以外の人間は、ただ一人、鬼囲才馬を除いて沈黙している。朝なのにやたら声が良く通る日であった。
(その少女の名は依望燈子。そう、これから俺の愛する妹になる女子である。)
「ひっ……!?」
ぞわぞわぞわっ!?
「どうした自分を抱き締めて。寒いのか? ならお兄ちゃんの上着を貸してやろう。」
「い、いらないからっ! ただちょっと寒気がしただけだからっ!」
「そうか。季節の変わり目だからな、風邪を引かないように気を付けろよ。」
「あ、う、うん……って、いやいやいや、そうじゃなくてっ!!」
次からは妹用のカーディガンくらいは常備しておくべきだろうか。いや、しかし妹に自分の上着を貸すのは兄の権利であり、同時に義務である筈だ。
才馬の脳内で瞬時に行われる『お兄ちゃん会議』は意思決定の速さがウリである。何と言っても出席者が才馬一人だ。止める者が居ない。
「そ、そもそも、何で私が鬼囲くんの妹にならなくちゃいけないのっ!? なんで私は学校で朝からこんなに辱しめられてるのっ!?」
「何っ、誤解だ! 俺はただ純粋に、依望に俺の妹になって欲しいだけだ。依望に『お兄ちゃん』と呼んで貰い、一緒にお風呂に入って体を洗いっこしたり、ちょっぴりおませなオママゴトに付き合ってあげたいだけだ!」
「ひっ、へ、変態ぃ…っ!」
「何を言う、兄妹ならば当然の事だ。」
その程度はそれこそスキンシップの一環というものだろうと才馬は思考した。一般人と兄妹の視点を混同するのは凡人の発想である。グローバルに活躍する巨大企業のCEO、自他共に認める天才である才馬には、その常識は通用しない。
「……ハッ!! えっと、トーコ……あんた王子の妹……。」
「洗脳されないで麻帆っ! 私は一人っ子だよ!」
「えぇ……ちょ、ちょっと意味分からないんだけど……燈子、なんでそんな話になってるの?」
「私だって分からないよぅ……静香、引いてない? 引いてないよね?」
「確かに今の時点で依望はまだ俺の妹ではない。だが確実に言える事は、依望は俺の妹になる運命だと言う事だ。」
「ひぇぇっ、怖いよぅ。眼がその事を微塵も疑ってない真っ直ぐ過ぎる眼をしてるよぅ……。」
ふっ、流石は依望……我が妹になる女子だ。兄である俺の事は良く理解している。
しかし、そんな風に満足気に微笑む才馬の前に、先程から燈子と親しげに話していた女生徒二人が立ちはだかった。視点を変えれば、燈子を守る姫騎士にも見える事だろう。
「な、なるほどね、事情は分かったわ。ちょっと王子っ! 前々から変な奴だとは思ってたけど、ロリコンの上に、妹プレイを強要する変態男だったなんてね!」
「麻帆……ロリコンは余計だよっ、同い年だよっ……!」
「ふふっ、まあイケメンといえど、そんな変態にこの子は渡せないわね。燈子の貞操は私達が守るわ。」
「静香っ! うぅっ、私、二人の親友で良かったっ!!」
「……ふむ。」
シュッシュッと、全く腰の入っていないシャドーボクシングをしている短髪の茶髪女子と、雑誌を丸めて構えているやる気があるのかないのか分からない黒髪ロング女子。名前は確か、麻帆と静香だったか。
(確か、依望の友人だったな……ふむ。)
「仕方がないな。」
「な、なによ、女の子相手にやろうっての!?」
「何を言っているんだ。来い、マイ!」
パチンッ !
ガコンッ!(天井)
「お呼びですかー、ご主人様っ♪」
「えっ、ええっ!? 天井から可愛いメイドさんがっ!!」
「ご主人様のあるところ、姿は見えねどマイが舞う! ご主人様の専属メイドマイ、只今参上です!!」
シャキーンッ!!
才馬が指を鳴らすと教室の天井が開き、マイがシュバッと舞い降りた。登場口上から察するに、時代劇でも見ながら暇を潰していたのだろうが、ポーズを見るに特撮も混じっていそうだと才馬は分析した。
まあ聴衆の方は『うわー、本物のメイドさんだ!』とか、『滅茶苦茶可愛いー!』とか、『やっほーいっ! 金髪だ、金髪メイドさんだっ!』とか言う歓声ばかりで、口上の内容など気にもしていない様子だったが。
「くっ、メイドさんを呼んで二対二って訳ね。でも王子、私達には人質が居るのよっ!」
「えっ、ひ、人質? 麻帆、もしかして私の事を!?」
「ふふんっ、どうする王子。貴女のお姫様……じゃなかった、妹様は私達の手中にあるわよ?」
「だから妹じゃないって言ってるよね!? 静香、本当はただ遊びたいだけでしょ!?」
「ふんっ、人質か。……マイ、例の物を。」
「はーい! 人質と言えばこれですよねー。」
ポンッ♪
「「こ、これはっ!?!?」」
流石はマイだ、良く分かっている。ノータイムで何処からか取り出したるは、束になった百人の福◯諭吉(旧札)。現代において魔王だろうが何だろうが屈服させる伝説の勇者である。ペラペラだが。
マイはそれをそのままシャドーボクシングをしている麻帆と静香の手を取って握らせた。
「ミッションコンプリートです、ご主人様!」
「良くやった。クックックッ、人質と言えば身代金だろう?」
「な、なんて悪い顔を……。そ、そんな物じゃ私達の友情はっ……!!」
スススッ
「王子、どうぞ好きにしてやって下さい! 邪魔者は全てこの私が排除しますっ!!」
「あ、王子。このゴム使って下さい。この前保健の授業で配られました。」
「友情はあああぁぁっ!?!? って言うか生々しい事言わないでよぉっ! 冗談でも普通に怖いよぅ!!」
「トーコ、来週末は三人で夢の国に行こうねっ!」
「うわああああんっ!? 親友に人身売買されたああぁぁっ!! 諭吉さんで即落ちしやがったああぁぁっ!!」
何せ百人でネネを一笑させる事が出来るからな。一般人には効果は絶大だろう。札束で即落ちした姫騎士二人にスススッと返還された人質に、才馬は満足げにニヤリと笑った。
一方の人質(燈子)は、もう何も信じられないと言う絶望の表情で涙眼になっている。
「わ、私はそんな紙切れで言う事聞いたりしないんだからっ! そんな簡単にお金に屈服する様な軽い女じゃないからねっ!?」
「ああ、俺も最初はそう思っていたんだが、依望の友人達には効果があった様だな。見ろ、あの蕩けきった表情を。」
「「お金しゃまぁ……アヘェ……♪」」
「ううぅっ、信じないっ、ズッ友なんてもう信じないっ!!」
「ふっ。まあ先日の第一プランが失敗した以上、試してみるのも悪くはないな。マイ、やれ。」
「あいあいさー♪」
ドサドサドサッ! ドスドスドスッ!
「「「「おおおおおおおおおおおぉぉっ!!!!」」」」
悲嘆にくれる燈子を余所に、合図一つで積み上がる諭吉タワー、響く歓声、揺れる教室。凡人の心もグラグラ揺れる!!
そう、才馬は天才にして常に学習する秀才でもある。前回の失敗から素直に学び、今回の成功からも突破口を開く。効果がありそうなら取り敢えず試し、そして出し惜しみはしないのだ。
「いちおーく、におーく、さんおーく……一桁足りなーいっ!?」
「そんな欲望にまみれた番町皿屋敷は嫌だよっ!! お菊さんに熱い風評被害だよぅ!!」
「流石に30億円を全て持ち込むと重いからな、足りない分は俺の屋敷の依望の部屋に用意してある。」
「私の部屋っ!? なんで鬼囲くんの家に私の部屋がっ!?」
「俺の屋敷に妹の部屋がない方がおかしいだろう?」
「それもそ……って、いやいやいやっ! だから私は妹じゃないよっ、認めてないからねっ!?」
「ちっ。」
危うく乗せられそうになるも、寸での所で燈子は正気に戻った。マイが『惜しい』と言うように指をパチンと鳴らすのが、燈子には酷く恐ろしかった。
(ダメだ、冷静にならなくちゃ、相手のペースに呑まれたら麻帆達の二の舞……。)
「ふむ、流石は我が妹だ。30億程度では動かんか。だがそれでこそ、俺の妹に相応しい淑女だとも言える。」
「私は鬼囲君の妹じゃなくて依望燈子だよう……。いくら大金でもそんな身売りみたいな事したくないに決まってるでしょう……。」
「成る程な。金額ではないと。」
その高潔さ、そのプライド、それでこそ我が妹だと、才馬は目の前の燈子の兄になる姿を想像して誇らしくなる。そんな妹にお兄ちゃんと慕われ、夜寂しくなって布団に潜り込まれる瞬間があまりにも待ち遠しい。
(いや、寧ろ此所はお兄ちゃんである俺の方から行ってやるのが優しさか? 一人寂しい夜、気付くと隣にいるお兄ちゃん……ふむ。)
ぞくぞくっ
「ひんっ!? ま、また悪寒が。凄く身の危険を感じるんだけど……。」
「クックックッ、だが依望が金で動かないのは想定済みだ。だからこそ、今日はもう一つの策を用意してきたのだ!」
「うえぇっ、まだあるのぉ?」
「当然だ、依望の事は更に調べて来たからな。マイ、プランS始動だっ!」
「了解です、ご主人様! こちら専属マイから設備班。プランS始動です、突入してください!」
「えっ、えっ? い、一体何を……。」
ガラガラガラガラッ!
バタバタバタバタッ!
「う、うわあっ! 何だこの黒服達!」
「ドアや窓から入ってきたぞ!」
呆然と見守る燈子やクラスメイト達の前で、教室の扉や窓を開け、次々に侵入してくる鬼囲家私設警備隊(設備班)の黒服達。
最高級の巨大スクリーンにブルーレイレコーダー、パソコンやオーディオ機器が次々に運び込まれ、『教室』は僅か数十秒で『視聴覚室』へと生まれ変わった。
「21秒。ご主人様を待たせ過ぎです、次は20秒切って下さいね?」
「「「仰せのままにっ! マイちゃん次期メイド長っ!!」」」
「よし、準備は整ったな。ではこれより、プランSを始動する!」
「「「イエッサーッ!!」」」
一糸乱れぬ優れた統率、迅速な対応こそが鬼囲家のSPたる由縁である。彼等に掛かればどんな困難なミッションでも不可能はない。そう、依望に兄妹の魅力を伝える事くらい訳はないのだ。
「あ、あのー、鬼囲くん、これは……。」
「依望、何をそんな所に立っている。早くそのソファーに座ると良い。特等席だ。」
「特等席って……うわっ! 何なの、このいきなり現れたフワフワなソファーは! 凄い凄いっ! もう動きたくないっ!!」
ガチャン!
「安心しろ、暫くは動けないぞ。」
「え、あれ? 何これ、ガチャンって……手錠っ!?」
ガチャン ガチャン ウィーン ガチャン
燈子がいつの間にか用意されていたフワフワなソファーの魔力に引かれて座ってみると、まるで体を包み込むかのような夢心地………の後に、膝や腰を固定する冷たい鉄の感触がやってきた。
ソファーから現れた枷により、既に燈子は手も足も身動きが出来なくなっていた。完全にトラップである。それがなくても動きたくなくなるくらいにソファーはフワフワだったが!
「ちょっ、ちょっと鬼囲くん、どういう事!? まさか私に無理矢理卑猥な事をっ!?」
「何を馬鹿な事を。俺が妹に酷い事をする訳がないだろう。」
「あ、そ、そうだよね……鬼囲くんは変態だけど、そんな人じゃないし……。」
「……あれ、トーコ顔赤いよ? もしかして本当は。」
「裏切り者は黙ってて!! 諭吉さんにアヘッてなさいっ!!」
「おかねしゅきぃ……♪」
なんて酷いビッチなんだろう。自分はこうはなるまいと、燈子はその憐れな友人の変わり果てた姿を目に焼き付ける。取り敢えず夢の国は麻帆と静香の奢りで決まりだ。
「じゃあ一体……何をする気で……。」
「決まっているだろう、映画鑑賞だ。」
「えっ、映画見れるの?」
「ああ、依望は映画を見るのが趣味だと情報が入っている。」
「どこ情報なのかは気になるけど……まあ、そうだね。」
そっか、こんなに大きいスクリーンで映画が見られるんだ。でもそれならわざわざこんな手錠を付けなくても……。
「ちなみに何見るの? 私結構、映画にはうるさ」
「リン◯だ。」
「嫌ああああっ! 離してえええぇっ! 和製ホラーは嫌ああああああぁぁっ!!」
ガチャガチャガチャ!!
ホラーだけはっ、ホラーだけは無理なのっ! 特に和製ホラーは夜に眠れなくなる事が確定するくらい苦手だ。過去何度も友人に騙され、その度に眠れない夜を過ごしたのだ。
「俺も昔、ネネやマイ達と良く映画鑑賞をしたものだ。」
「懐かしいですね、ご主人様。やっぱりホラーは怖がれるくらいが楽しめますし。」
「楽しめないよ、トラウマになるよ、これ完全に拷問だよっ!!」
「うむ。依望がホラーが苦手なのも調査済みだ。だが苦手を放置するのは良くないからな、敢えて選んだ。しかし安心しろ、対策は万全だ!」
「た、対策……?」
燈子はその言葉にまるで光明が射すような思いがした。気分は蜘蛛の糸だったが。
まあ流石の才馬もこんな大画面で、燈子が苦手なホラーをただただ垂れ流す様なトラウマ級の真似はしないだろう。寧ろ対策と聞いて少しだけ興味が沸いた。苦手が克服出来るなら悪くないかも知れない。
自信満々な才馬が、今の燈子にはとても頼もしく思えた。
「ま、まあ、その対策とやらは聴いてあげても良いけど……。」
「ほう、興味を持ったか我が妹よ。ホラー対策など簡単な事だ。何と言っても今の依望には、このお兄ちゃんが居るのだからな! つまり、兄妹の絆こそがホラーへの切り札だ!」
「……へっ?」
「今夜からお兄ちゃんである俺と一緒に寝れば、ホラーの恐怖など直ぐに消え去ってしまう事だろう。大丈夫だ、俺を信じろ。お兄ちゃんの温もりが依望を恐怖から護るだろう。」
「や、それ、恐怖が上書きされるだけなんじゃ……。」
燈子にしてみれば、オバケの恐怖と変質者と寝る恐怖を天秤に掛ける時点でこの世の終わりである。
そしてそんなガバガバな対策を示したまま、マイからブルーレイディスクを受け取る才馬。マイが持つ箱には確かに、リン◯の不穏なパッケージが描かれていた。
「いやいやいやいやっ、本当に無理っ!! 夜怖くてトイレに行けなくなったらどうしてくれるのよっ!!」
「そんなものは決まっている。夜トイレに行けなくなったら、手を繋いで一緒に付いて行くまでだ。安心しろ、個室の中まで一緒だぞ!」
「いやああああっ!? 変態変態変態っ!! そんなの無理に決まってるでしょっ、鬼囲くんのバカああああっ!!」
「許せ、未来の妹よ。これも兄妹の魅力を伝える為の、お兄ちゃんなりの愛じょぶぐはああぁっ!?」
「「「!?!?!?」」」
ドンガラガシャーンッ!!
「なっ、ご、ご主人様っ!?」
それは、才馬がディスクを入れる直前だった。
放たれたのは防ぐ事を許さぬ王者の拳。閃光のようなエプロンドレスが、突如として現れ才馬の顔面を鋭く抉った。
才馬の意識は一瞬で刈り取られ、その身は切りもみしながら巨大スクリーンを叩き割る。
そこに現れたのは、威風堂々と仁王立ちする美しき筆頭専属メイド長、ネネであった。
「ね、ネネ先輩っ、何故此所にっ!?」
「ふぅっ……嫌な予感がして来てみたんですよ。ですが、何とか間に合った様ですね。」
「ぐぬぬっ、よくもご主人様をゴミのように吹き飛ばしましたね! ネネ先輩、不敬ですよっ! 筆頭メイド格下げですっ!!」
「確かに私は父兄の代わりですが? それよりもマイ、鬼の首を獲ったように喜んでないで、さっさと坊っちゃんを回収して帰りますよ。貴女も一緒にオシオキです。」
「うっ……ぐぬぬぬぬっ。マ、マイは何も悪い事してないのに。」
「……な、何だか良く分からないけど。助かった……。」
突如現れた年上の美人メイドさんが、完全に沈黙した才馬をお米様抱っこで回収する姿を見て、燈子は全身の力が抜けていくのを感じた。どうやら寸での所で変態の野望は潰えたらしい。
「設備班、後は片付けておきなさい。」
「「「イェス、マム!!」」」
「うわーんっ! 設備班はマイの部下なのにーっ!!」
「勿論、依望様の手錠も早く外す事。」
「「「イェス、マムッ!!!」」」
「あ、ありがとうございます……。」
ガチャン ガチャン
一瞬でネネへ寝返った設備班の黒服達は、流れるような手際で燈子の手枷や足枷を外し、既に撤収モードに入っている。フワフワのソファーの感触はちょっと名残惜しかったが、手枷はもう結構である。
そんな頃、丁度始業のチャイムが鳴り始めた。
キーン コーン カーン コーン
「おっと、これ以上の長居は授業の邪魔ですね。それでは依望様、本当に御迷惑を御掛けしました。……それでは全員、撤収!」
「「「イェス、マムッ!!!」」」
「むーっ……マイが御主人様に貰った部隊なのに……ぶつぶつ。」
「マイ、早くしなさい。」
「……はーい………。」
ガラガラッ ピシャッ!
そしてその嵐のような光景は、現れた時と同じく台風のようにドアから去っていった。呆然と見送る、燈子達を残して……。
『ちょ、ちょっと、君達一体なんだね! 鬼囲君はこれから授ぎょ……!』
パシーンッ!
『アヒィ!? お金しゃまああぁっ!! 今日は全部自習にしましゅううううぅぅっ!!』
廊下で響く汚い大人の声を聞くに、立つ鳥はかなり跡を濁しながら去って行った。




