第1話:天才(へんたい)とメイドさん
「…………ふっ。」
カチカチッ
『にいたん、ゲームを終了するの?』
『うん、分かった! またね、にいたん!』
………
…………
………………
「……ふぅっ。やはり、『プリシス』は良い……。」
最近日課の精神統一を終え、才馬は自室で香り高い紅茶のティーカップを優雅に傾けた。それが鬼囲才馬のいつも通りの日常のヒトコマである。今日は休日、雑事に追われる事もない。
鬼囲 才馬は17歳の高校生でありながら、グローバルに活躍する鬼囲グループの総帥を務めている若き天才経営者である。日夜、ITやら貿易やらと多岐に渡るグループ事業の指揮を取りながら、父から押し付けられた会社を日々拡大させている、自他共に認める才能があった。
とは言え、普段は学業や仕事に多忙な才馬も今日ばかりは、PCをシャットダウンして自室でクラシックを流しつつ、時間がゆっくりと流れていくのを感じながら、片手で髪を掻き上げたポーズで物思いに耽る時間があった。
そして、その端正な口元から呟く様に言葉が漏れる。
「昨日の『ラブラブお兄ちゃん大作戦』は失敗に終わってしまった。」
「……………。」
優秀な人間は、失敗に対する反省を欠かさない。才馬はこの自由な時間を即座に自己研鑽に使用する事を決定していた。つまり、反省会だ。
先程から部屋の中で調度品の手入れをしつつも無言を貫いている一人のメイドに視線を向け、才馬は続けた。
「ただ金を積むのでは成功率が低いと判断し、依望燈子を分析し、好みやシチュエーションを厳選してシミュレーションを重ねた筈だったのに……。何故だ、何故失敗したんだっ? ネネ、分かるか?」
「坊っちゃんが気持ち悪いからでは?」
「はははっ、今日は冗談がキツいな、ネネ。」
「いや、冗談じゃないんですけど。色々と。」
才馬の独白に対し、今まで紅茶を入れたり部屋の中の調度品(壺)を磨いていたメイドのネネは、辛辣にも程がある言葉を吐き捨てるように返した。
清楚な正統派メイド服に身を包んだネネは、黒髪を肩上で切り揃え、カチューシャを付けたミドルボブカットで、ほどほどに長身である綺麗系の美人だ。スタイルも良いので、エプロンドレスを押し上げる胸元からは豊かな母性を感じるものの、あまり不躾にじっと見ていると段々と体が芯から冷えるような眼差しを向けてくるのが難点である。今もその表情は笑みを形作ってはいるが……何故か眼がちっとも笑っていない。
視線も絶対零度を保った状態だ。総合的に評価するとどうやら不機嫌な様だったが、才馬にはその理由がさっぱり分からなかった。
「ふぅっ……ネネ、お前は俺が幼い頃から仕えてくれている専属メイドだ。三歳年上のお前にオムツの世話までして貰った事を今でも覚えている。一番付き合いも長いし、仕事でもプライベートでも最も信頼している。」
「はい。存じておりますし、嬉しく思っております。」
「その上で聞こう。この度の失「坊っちゃんが気持ち悪いからでは?」」
「食い気味に言う程なのか? ふむ……気持ち悪い……か。やはりもう少し香水の選別を考えるべきだったか。イチゴが好きと聞いてストロベリーは安直すぎたな。甘い香りは人によっては吐き気を感じる事もあるだろう。失策だった。」
「はぁっ……やっぱりやめる気はないんですね。あの気持ち悪い作戦。」
「当然だ。」
ネネは大袈裟に溜め息をつきながら、先程から発している冷視線を才馬に向けて強めた。
今はネネの豊かな胸は見ていない筈なのに、何故そんなに冷たい視線を向けられなければならないのかと、才馬は抗議の視線を返したい所ではあったが、敢えてそれはせずに、取り敢えず昨日の状況を反省する事にした。
「そもそも、一度の失敗で諦めてどうする。寧ろ、次に活かさず諦める事こそが本当の失敗だ。……さて、作戦を一から練り直さなければならないな。依望燈子の好みを再調査して、シチュエーションにも更に拘らなければ。ネネ、何か意見はあるか?」
「言ってる事は立派なんですけどね……。作戦への意見の前に、そもそも何で妹なんですか? 血の繋がらない赤の他人の妹を作ってどうする気ですか?」
「ふっ、ネネにしては愚問だな。俺の事なら何でも分かる物だと思っていたが。」
「坊っちゃんがこんなトチ狂った事を言い出すまでは、私もそう思っていました。」
何だか今日のネネは言葉がやたらと刺々しい。嫌な事でもあったのだろうか? しかし普段のネネは、仕事に私事を持ち込まない超有能完璧メイドだった筈である。
しかし取り敢えず訳を聞いてみようかとも思った才馬は寸前でそれを止めた。何故だか分からないが言おうとしたその瞬間、ネネの視線が人を殺せそうな程に鋭くなったのだ。
「……ふっ、まぁいい。妹を作る理由だったな。そんなの当然、妹を作って、お兄ちゃんになる為に決まっているだろう。お兄ちゃんと呼んで貰って、朝起こしに来て貰ったり、手作りのお弁当を作って貰ったり。」
「そんなの、呼び方以外は私達メイドに任せておけば……。」
「後は、一緒に風呂に入ったり、添い寝をしたり、毎日あらゆる発育の成長日記をつけたいな。」
ポパピプペッ♪ トゥルルルルッ♪
「あ、もしもし警備部ですか? 変質者が性犯罪を犯そうとしているのでさっさと捕まえて下さい。あっ、早いもう来た。」
「はっはっはっ! 今日のネネは冗談が好きだな。おい警備部、変質者は明後日の方向に逃げたぞ。此処には居ない。さっさと追うが良い。」
「チッ……。」
なんだ舌打ちしたぞ、この専属メイド。取り敢えず呼んでから三秒で私室に現れた優秀な私設警備隊を評価しつつ、明後日の方向に追い払っておく。騒々しいのは好きではないのだ。
「冗談はこのくらいにして、ネネ、昨日の作戦で改善すべき点は見付かったか?」
「坊っちゃんの頭の中かと存じますが。」
「そう言うのはいい。」
「えぇ……う、うーん、そうですねぇ……。」
凄く嫌そうな顔をしながらも、ネネは口元に手を当てて、うーんとひとしきり唸った後、口を開いた。
「相手……では?」
「相手……だと!?」
瞬間、ネネの瞳がキラリと光った。ネネは才馬の専属メイドであると同時に、側近として幼い頃から世界を共に駆け巡った優秀なビジネスパートナーでもある。
公私を問わず、ネネを引き抜こうとする輩はゴマンと居たが、ネネはそれに見向きもせずに、ただ才馬だけを支え続けてくれている。そして、その一途で才気溢れる手腕は、プライベートでも遺憾無く発揮されるのだ。
「坊っちゃん、今回の被害し……御相手は『依望 燈子』さん、同級生のクラスメイトでしたね?」
「ああ。クラスでの愛称はトーコ。母子家庭の一人っ子ながら、我が校に特待生で入学した中々の学力の持ち主だ。保険医に金を握らせて得た直近の身体測定のデータでは、身長144.7cm、体重35.6kg、バスト80、ウェスト51、ヒップ76。身長は小学生の様だが、高校生で間違いないな。」
「うっわ、スリーサイズまで調べてるのドン引き……。ああ、まあそんな彼女な訳ですが、坊っちゃんはロクに話した事もありませんよね?」
「ああ、挨拶は欠かさずしているが、大した事を話した記憶はないな。」
何故かいつの間にか半歩分くらいネネとの距離が開いていたものの、才馬は気にした様子もなく記憶を探った。
挨拶以外の接点と言えば、図書室で届かない本に四苦八苦していた際に手伝った事と、花壇で水やりをしていたのを手伝った事があるくらいだ。
「それで、それがどうかしたのか?」
「どうかしたも何も、逆にどうもしてないのが問題なんですよ。」
「ほう、詳しく聞かせろ。」
「つまりですね。いきなり何も知らないような相手から妹になってくれなんて、普通は即座に通報……良くてドン引きでしょう。」
「なるほどな。つまり、妹にしようとする相手とのコミュニケーション不足が原因、と?」
「坊っちゃんのアレな頭を度外視するならば……恐らく。」
なるほど、流石はネネだ、一理ある。確かにいきなり依望と言うあまり話した事もない相手に、妹を要求するのは早計だったかも知れない。
「ふむ……ネネの発言からして、通報されなかった事を考えると、依望はやはり良い子である様だな。流石は俺の妹(暫定)だ。」
「えぇ、まったく。本当に良かったですよ。屋敷の者達が路頭に迷う事にならなくて。」
「その心配はない。お前達にそんな真似はさせん。お前達は、俺が必ず守ると決めている。」
「その台詞は、もっと感動的な場面で聞きたかったですね……。」
しかし、そうなると依望に直ぐに妹になれと言うのは早いと言う事になる。取り敢えずネネの言葉を参考にするなら、相手を選んで妹にしなければ……相手を、選んで……ふむ……。
「ふっ……なるほどな。つまりはそういう事か。」
「分かってくれましたか?」
「ああ……ならば、」
「ネネ、先ずはお前が俺の妹になってくれっ!!」
「はあああああぁぁっ!?!? 無理無理無理無理っ!! 何を言ってるんですかっ!!」
「そうと決まれば……マイ!! 居るか、マイ!!」
「はーいっ♪ ご主人様、お呼びですかー?」
(天井)ガコンッ シュバッ!!
ネネの絶叫に混じり、才馬が呼ぶ声に天井の一部がガコンと外れた。
それと同時に舞い降りる一人のエプロンドレス。金髪ツインテールをフワリと浮かせながら、重力を感じさせない程に小さな着地音が才馬の耳に届いた。小柄ながらも発育良好、年相応の愛らしい笑顔を振り撒く金髪碧眼の二歳年下専属メイドだ。
彼女の名はマイと言う。メイドは屋敷に多々居れど、才馬の専属メイドはネネとマイの二人だけ、彼女もまた才馬の特別な側近である。
「マイ、話は聞いたな?」
「委細承知ですっ♪ ネネ先輩。寿退社ではない方法でご主人様のご家族になられるとは想像していませんでしたが、おめでとう御座いますっ、ビシッ!」
「何に対する敬礼ですかっ!? と言うかマイ、真面目な表情が半笑いで台無しになっていますよ?」
「マイとしましては、ネネ先輩がメイドを辞めたら繰り上げナンバーワンにしてオンリーワン専属メイドになるので、真面目に祝福申し上げます!」
「……こ、この子! 相変わらず出世欲を隠す気すらない……っ!!」
「ぶっちゃけネネ先輩は私の目の上のタンコブですっ! さっさとそのメイド長の座をマイに明け渡して下さーい♪」
「ふっ、流石はマイだな。だが、残念ながらその案は却下だ。」
正直で素直なのは良い事だ。しかし、ネネにメイドを辞められるのは困る。俺一人でもグループは動かせるが、ネネ達が居ればより完璧に動かせるのだ。
「そ、そうです! 坊っちゃん、私が妹になってしまえばメイドが一人減りますよ!? 私は坊っちゃんの唯一無二の片腕である自負があります、マイだけでは困るはずです!!」
「むぅー、マイだってネネ先輩の代わりにくらい成れます。ご主人様の一番として、もっと上手くやれますよ♪」
「こ、このガキっ……!?」
「……何ですか、ご主人様の妹様? 今までお勤め御苦労様でした、元センパ……。」
「止めろ、お前達。」
ピタッ
しかし才馬の一言で、騒がしかった部屋が一瞬で静かになる。才馬が放つ空気が変わった事に、この長年の側近二人は敏感に反応した。だからこそ、才馬が二人を特別に側に置いているとも言える。
「マイ。ネネの代わりは居ない。俺はネネにメイドを辞めさせる気はないぞ。」
「そ、そんな事……そんな事ないですよう……。マイなら、ネネ先輩よりもご主人様のお役に……。」
「ならば、無理矢理マイがネネの代わりになったとして、誰がマイの代わりをするんだ。」
「そ、それは……や、屋敷の他のメイドから……。」
「馬鹿な事を言うな。俺の信頼しているお前の代わりなど、世界中の何処を探しても居る訳がないっ!!」
バンッ!!
「っ……!!」
全く。マイも野心家なのは良いが、少々足下が見えていないのがたまにキズだ。それ以外は完璧なのだが、この辺りは若さだろう。人間誰しも、どこかしらに欠点はある……。
(そう、この天才……鬼囲 才馬以外は。)
「ご、御主人様……。」
「坊っちゃん……。」
「全く、お前達は優秀だが、揃ってまだまだだな。まあ、天才である俺と比べてしまっては仕方がないが。」
敢えて二人をその他大勢の凡人と比べる必要はあるまい、と言外に言いつつ、才馬は窓の方へと近付いた。良い天気だ、まるで俺達の新たなる門出を祝うようだと才馬は感じた。
そして、未だに静かに才馬の言葉を待つ二人の従者の方へ、才馬はゆっくりと振り向いた。その顔には、慈愛に満ちた笑みが浮かべられている。
「ネネ……メイドのまま妹になっても、良いじゃないか。」
「………は?」
天才とは柔軟な思考を持つものである。理解はあんまりされない。
「マイ、自分のするべき事が分かるな?」
「……はいっ! 家系図の修正ですねっ!!」
「いやいやいやっ!! ちょっと待ってくださいよ、誰が妹になるって言ったんですかっ!? こらマイ、何処に行くつもりですかっ!!」
「離してください妹のネネさん! 私は妹とは言え、ご主人様以外の命令を聞くつもりはありませんっ!!」
「何を半笑いで媚びた台詞抜かしてんだこのガキっ!! 無理です、妹とか坊っちゃまの異常性癖に付き合うのは無理無理の無理ですからっ!!」
ふむ。一体何が不満だと言うのか、言われた通りに相手を選んだと言うのに……。しかし才馬は僅かに悩み、直ぐ様こぶしで掌を叩いた。
ぽんっ
「金か。」
「ちーがーいーまーすーっ!!」
「濁さなくて良いぞ。待遇の変更には当然、給金の変更がある。メイドの給金に更に上乗せをしよう。更に一時金で一億だ。マイ。」
パチンッ
「あいあいさー♪」
ドサドサドサドサッ!!!!
現ナマで一億、何処から出したか分からないような大金が、合図と共にマイによってネネの眼前に積まれていく。百万円の束で百個だ。
「こ、こんなお金が何だって言うんですか! ちょっとマイ、百万円手渡さないで下さい、いりませんからっ!!」
「えー、マジですかネネ先輩。『百万円を笑うものは、百万円に泣く』って知りませんか?」
「誰がこの大金を笑いましたかっ!?」
「なんだ、百万円で笑えるのか? ならそこの一億で百回は笑えるな。安上がりだ。」
「日本語が通じないっ!?」
「失礼な、俺は日本人だぞ。通じない訳がないだろう。」
「あ、私は日本人じゃないですけど、漢検なら一級持ってますよ?」
ちなみに俺も持っている。少なくともマイに日本語や漢字を教えてやれる程度の力はあるのだ。まったく、ネネも知っている筈だが。
「……ふうっ、まあネネの給与水準ではこの程度では駄目か。マイ、三億程追加だ。」
「はい、只今金庫から御持ちしますねっ!!」
「ちょっ、行かないでマイっ! 」
バタンッ!
「……う、うぅっ……。」
そんな死地に赴く恋人にすがる映画のワンシーンみたいな格好をしなくても良いだろうに。お互いの事はこれ以上なく知っている間柄なら、何の問題もない筈ではないのか。
「ネネ。金でなければ何が不満だと言うんだ。妹になるのがそんなに嫌なのか?」
「嫌って言うか……まあ嫌ですけど。それ以前におかしいでしょう!? 私もう二十歳になったんですよ!?」
「そうだな、酒はあまり飲まないようだが。だが世界には百歳近い妹もいる筈だ。」
「そりゃあ居るでしょうけど! でも坊っちゃんの年齢考えて下さいよ、十七歳ですよ!?」
「それの何が行けないんだ。三歳の兄もいる筈だ。」
「違いますっ! 違わないけど違いますっ!」
「ふむ、謎かけか?」
「違いますっ!!」
ゼーゼーと息をしながら、才馬と長年の主従であるネネは一度落ち着いて考える事にした。
この才馬と言う人間は、ネネも認める天才だ。唯一認める天才だ。だがそれ故に、ハッキリ言って常人と思考回路がズレまくっている所がある。それを正さなければ話が進まない。
「坊っちゃん、まず自然な兄と妹とはどういう風に生まれるか分かりますか?」
「成り立ちか? 兄が産まれた後、女が産まれれば妹になるな。」
「その通りです。つまり妹は兄より年下になります。」
「当たり前だ。」
「ならば私はよしんば坊っちゃんの姉には成れても、妹には成れません。分かりますか?」
「分からんな。」
「な・ぜ・で・す・かっ!?」
ネネが関係性を説明しても、才馬はそう即答した。頭をかかえて壁に手を着くネネに、才馬はまた少し考えて、軽く鼻をならした。
「ふんっ、やはり分からんな。何故そんな凡人の常識に縛られる必要がある?」
「……はい?」
「ネネ。妹になってくれと、誰が言っているのかを良く考えろ。」
「は………えっ?」
ドンッ!!
「ひぅっ!?」
ツッコミ疲れて下を向いていたネネは、顔を上げた瞬間、自分の顔の真横で鳴った大きな音にビクリとその身を震わせた。
それを確認しようとしたネネの視線の先には、自分を壁際に押さえ付ける様につかれた腕がある。そして視線を正面に向けると、そこには真剣な眼差しでネネを見詰める才馬の顔が、触れそうな程の距離に存在した。
(うっ……か、壁ドンっ……。)
「ネネ。」
「は、はひっ!」
「俺の妹になってくれ。」
「うっ……で、でも……。」
「俺が妹だと思い、ネネがお兄ちゃんと呼べば、ネネは俺の妹だ。常識がどうとかはどうでも良い。この俺、鬼囲才馬が決めた事だ。この長い付き合いだ、分からないとは言わせない。」
「うぐぅ……。」
(しょ、正直分からないと言いたいけど……!!)
才馬の性格は、ネネも確かに良く分かっている。目的の為には手段は選んでも決して諦めない。才馬が『妹にする』と決めたのなら、不断の努力とその才能で、諦める事なく求め続けるだろう。試行錯誤し、推敲を重ね、必ずや勝利を掴むだろう。
鬼囲才馬に、失敗はあれど敗北はない。
「……わ、分かりました。そ、そんなに一緒にお風呂に入りたければ入ってあげますから。」
「妹になるか?」
「だから妹プレイは嫌あああっ!! 何が悲しくて三歳年下の坊っちゃんを『お兄ちゃん』って呼ばなきゃいけないんですかっ!!」
「『にーたん』とか『兄さま』も捨てがたいな。」
「捨ててください! その性癖を今すぐにっ!」
「それは出来ない、俺は妹を作ると決めたんだ。『お兄ちゃん』と呼ばれて甘えられたいんだ!」
平行線の問答。しかし双方譲れない物があった。互いを良く知る関係だからこそ、お互いの頑固さは分かっていても、譲れない一線がある。
「ネネ。先程マイが言っていたな、寿退社がどうこうと。」
「え? ええまあ、確かにそんな事を言っていましたね。」
「ふん。だが俺は、そんな物は永遠に認めるつもりはないぞ。」
「へっ?」
ドンッ!
再びの壁ドン、今度は左側であった。しかし今度のネネは、何故か視線を才馬から外せなかった。
「ネネ、お前に絶対に結婚などさせん。お前を他の誰かに渡す気はない、男でも女でもな。一生俺の側に居て貰う。メイドでも、妹でも同じ事だ。何も変わらん。」
「ぁ……。」
「お前は俺のものだ。絶対に誰にも渡さん。諦めて、俺の妹になるんだ。」
「……っ! うっ……ううぅぅっ………。」
「っ、あああああぁぁっ、もうっ!! 分かりましたっ、分かりましたよっ!! せ、責任取って貰いますからねっ!?」
「ふっ、当然だ。妹を幸せにするのが、兄の義務であり権利だからな。」
「意味分かんないですよそれ、夫婦の奴じゃないですか。」
「夫婦よりも強い繋がりになる事は確かだ。」
何せ夫婦は離婚すれば他人だが、妹は永遠に妹だ。その時点で何よりも強い繋がりである。才馬はそう思っていた。
スッと腕をどかし、ネネを腕の間から解放すると、ネネはその場で大きく溜め息をついた。顔は、眼に見えて赤くなっている。
「はぁっ……お風呂でしたね。沸いてますよ。坊っちゃんの頭と同じです。」
「坊っちゃんではなく、お兄ちゃんと……いや、待てよ。やはり此所は……。」
「今は無理ですっ! 呼び方を変えるのは、その……き、来たるべき時だけにしてください……。」
「ん? いつだそれは。まあ良い、それまでに何が良いか考えておこう。取り敢えず風呂だ。俺は沸き立て一番風呂が好きなんだ。」
「……はぁっ、この性癖さえ無ければ……。」
ネネは再び大きく溜め息を付きつつ、もう言っても仕方がないと諦めた。まあプロポーズ染みたあの言葉は想像よりもずっと胸がキュンとしたので、今日の所は素直に従ってあげようと思い直す。
(呼び方も……まあ、お風呂で一度くらいなら良いか……。)
ガチャガチャ
「……坊っちゃん、何をされているのですか? 机の引き出しに何か?」
「ああ、確か此処に……おお、有ったぞネネ!」
「はい?」
「メジャーだ! これとノートを持って風呂場に行くぞ。安心しろ、発育は二十歳がピークなだけでまだ成長ごふぅっ!!!」
ゴッシャアッ!(拳音)
「無理無理無理無理無理無理無理無理それは無理いっ!!? やっぱり嫌あああああああああぁぁっ!!!」
ドサッ ガチャ バタンッ! ダダダダダダッ!!
左頬を抉る容赦のない右ストレートに、才馬の体は吹き飛びクローゼットの扉を粉砕した。
しかしそんな主の姿は既にネネの瞳には映っておらず、ただひたすら胸を庇いながら逃げるその姿だけが、才馬の最後の視界に映っていた。
「ネネ……なぜ、だ………ガクッ。」
ーーーーー
ーーーー
ーーその後、屋敷の談話室にて
「あ、ネネ先輩。やーっと終わりました? 凄い冷や汗ですけど、大丈夫ですかー?」
「マイ……逃げましたね?」
「なんのことやらー?」
鬼囲のお屋敷は、今日も今日とて平和でありました。




