夜の中で交わす真実
「あり得ない」
「和…御前、待って」
肩を怒らせて典祓庁の廊下を歩く姉を小走りで追いかける。
「落ち着いて、御前。確かに切原さんの対応には違和感があったけど、何か他の場所で動きがあったのかもしれないし…」
「本気で言ってる?それ」
ぴたっと立ち止まり、真っ直ぐにこちらを射抜く目に思わず口を噤む。
「どう考えてもあの施設には何かあるっていうのに、一度情報を上に投げて精査するからもうあそこには行くなだなんて。こんなの、隠蔽と同じだわ。最初の挨拶の時から思っていたけど、切原静真…あいつ、何か隠してるわよ」
「それは…」
地下で見つけた光景を思い出す。トラの力で無理やり開いた扉の奥には、何か生物を使った実験の痕跡が残されていた。大きなカプセル状の装置が立ち並び、部屋の中央に描かれていたのは術式を展開する為の陣。その術式の痕を見た和梧が先日捕らえた男が持っていた呪符と同じものだと気づき、その旨を切原に報告したのだが、何故かこの事は口外しないよう指示を受けたのだ。
「とにかく、父上から命を受けている以上この件は絶対に解決しなきゃいけないの。大いなる災厄について研究する常闇と"廿五"という数字が刻まれた謎の扉がある廃施設。"二十五番目の存在"の事を思うと、この二つの間には必ず何か関連がある筈よ」
がり、と爪を噛む和梧の意見には正直なところ仁梧も同意だった。しかし、特別チームの一員として動くよう指示されている以上、上の意思に反する行動を取る事は危険なようにも思えた。
(それに…)
─…っ、ぐ…
苦しそうな表情が脳裏に蘇る。
─ちょっと昔の事を思い出しただけだ
頭に残る感触にそっと手を当てれば、心に経験した事のない揺らぎを感じた。
*
冷たい風がビルの縁を撫でる。庁舎の屋上から見る下の景色は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っている。雲間から覗く月明かりが、一人立つ透の横顔を仄かに照らしていた。
「こんな所にいたんですね」
かけられた声に振り返ると、そこには仁梧の姿が。その表情に混じる心配の色に、透は手摺りに凭れて片手を上げた。
「よお。帰ったんじゃなかったのか?」
「どうしても気になってしまって。その…昼間の事…」
「大丈夫だって言ったろ?澱んだ気の中で影渡りをしたせいで、邪気をもろに食らっちまったんだよ。俺みたいな一般階級が無理するもんじゃねぇな、やっぱり」
明るく言っているが、俯き加減の為その表情は月の光の陰に隠れて見えない。
仁梧はほんの少し目を泳がせ、やがて覚悟を決めたように口を開いた。
「本当ですか?」
「ん?」
「あの時の界野さんの霊気、とても苦しそうに揺れていました。まるで辛い事を思い出すみたいに」
「!」
ぴくりと肩が反応するのを見た仁梧は、慌てたように言葉を重ねる。
「ご、ごめんなさい。界野さんの心に土足で踏み入るような事をしたいわけじゃないんです。ただ、その…」
ぎゅっと胸元の装束を握り締める。
「…初めて、だったから。私にあんな事を言ってくれた人は…」
─君に足りないのはとにかく自信だ。環境がそうさせた事には同情をせざるを得ないけど、異能者としてこれからを生きていくつもりがあるならもっと自己肯定感上げねぇと妖に付け込まれるぜ
「界野さんにああ言ってもらえたお陰で、あの時の任務をやり遂げる事ができたんです。御前には怒られてしまったけれど、私はあなたが危険な人だとはどうしても思えない。だから、その…」
「何だ。そういう言葉は効くんだな」
「え?」
言っている意味がわからず首を傾げる仁梧に、透は手摺りに預けていた背中を起こす。そのまま近づいてくる彼を仁梧はじっと見つめる。
そして彼女のすぐ目の前に立った透は、軽く首を傾けて笑った。
「御前には内緒だぜ?」
「え?あの…」
「"頭が痛い。割れそうだ"」
「⁉」
透の一言を聞いた仁梧は、驚きに目を瞠った。
「"苦しい。助けてくれ"」
「大丈夫ですか⁉今、人を呼んで…」
「平気だよ」
背を向けた途端、肩を掴まれる。同時に頭の中で何かがふっと軽くなるのを感じ、きょとんと目を瞬く。
「え?あれ?」
「今のが俺のもう一つの異能、言霊だよ。言葉に霊気を含ませて、相手に暗示をかける事ができるんだ。俺が苦しんでるように見えたろ?」
「言霊…でも、界野さんの異能は影渡りの筈じゃ…」
「ああ、俺は二つの異能を持ってる複数能力者なんだよ」
透の言葉に仁梧は驚いた。通常、異能者が持っている異能は一つだけ。その異能から派生して同系統の異能を発現する事はそう珍しい事ではないが、全く異なる性質を持った異能を持つ者はかなり希少なのだ。
同時に納得もした。あの時、何故常に自信を持てないでいた自分があんな事を言ったのかがわかったからだ。
「界野さんの異能のお陰だったんですね。私が御前に作戦を提案しようと思えたのは」
「どうかな。俺としては、あの時の言葉にそこまで力を込めたつもりはなかったよ。むしろ、他の場面の方が本気だった」
「他の場面?」
そう言われて、ある事を思い出す。
─タイプは違うけど、二人とも俺の好みだな。どう?今度デートでも。楽しんでもらえる自信はあるぜ?
「もしかして、初めて会った時…」
「あ、バレた?」
「言われてみれば、あの時空気が揺らいだような気がしました。御前の様子もおかしかったですし」
「そうそう。あとはその後、正式に挨拶させてもらった時に二人だけで話したろ?あの時俺、ずっと言霊使ってたんだぜ?」
「えっ」
思わずひっくり返った声が出た。あの時は禍と黒幕を探すのに集中していたので、まさかこちら側だと思っていた透に異能を使われているとは夢にも思わなかったのだ。だから政府の人間なんて信用できないって言ったでしょ?という和梧の言葉が聞こえた気がして、何とも言えない気持ちになる。
そんな仁梧の心中を知ってか知らずか、透は可笑しそうに言った。
「屋敷で会った時もその後も、全然俺の言葉に惑わされてる様子がなかったからさ。結構この異能には自信持ってた俺としちゃ、プライドが傷ついたわけよ」
「ご、ごめんなさい?」
「ぷっ、何で疑問形?」
くく、と笑ってからそんなわけでと仁梧に目線を合わせるように背を屈める。
「だから言ったろ?君の力はそんなものなのかって。俺は言霊の助けがなくたって君がもっと伸びると思ってるよ」
「でも…」
「多分君は、誰かの為に動く事に必要以上に躊躇いがないんだ。それは君が育った環境が影響してるのもあるけど、君自身が生まれ持った性分なんだろうな。そう…君を見てると、あの人を思い出すよ」
「あの人?」
透の表情にふっと影が差す。仁梧にはそれがまるで泣いているように見えた。
彼女の気遣わしげな視線を感じた透は、苦笑しながらジャケットの裏ポケットに手を入れる。取り出したのは銀色の懐中時計。月に照らされて淡く光るそれには、何か鋭利なもので傷つけられた跡があった。
「それは?」
「俺を助けてくれた人の宝物だよ」
「助けた?」
「そう。俺の家族は、禍に殺された。いや、違うな」
俺が殺したんだ。
ひゅう、と冷たい風が吹き抜ける。
「生まれた時から言霊の異能を持ってた俺は、その使い勝手の良さに調子に乗って日常的に異能を使ってた。それがどういう事態を招くかも知らないで」
透はかちりと懐中時計を開き、中に挟まっていた小さく折り畳まれた紙を仁梧に見せる。家族写真と思われるその中には、透の面影がある少年が写っていた。
「力を持つっていうのがどういう事なのか、あの頃はガキ過ぎて何もわかってなかったんだ。今でも思うよ。あの時に戻れたら、って」
─父さん…かあ、さ…
蘇るのは感じた事のない恐怖。何もできなかった無力感は、未だに夢となって自分を苛む。
ある筈のない血の香りがした気がして、そっと振り払うように目を伏せた。




