幕間 遠い夏の残香
「ね、ねぇなこ。ホントにいいの?かってにおやしきをでちゃって」
不安そうな妹に和梧は得意げな顔で答える。
「へいきよ。もうわたしはあやかしばらいもできるんだもの。ちちうえもいえのみんなもおおげさなのよ。たまにはいきぬきしたっていいじゃない」
「で、でも、わたしはまだどのほしもつかえないし…」
「だいじょうぶ!ほんのちょっとでかけるだけなんだから!」
いきましょ、と手を引かれ本当に大丈夫だろうかと仁梧は後ろにある屋敷を振り返る。
─いえのひとたちがはなしているのをきいたの。こんばん、ちかくでおまつりがあるんですって!
そう誘われて屋敷を抜け出す事にした二人。敷地内から出てはならないという言いつけを破ってしまった事への罪悪感はあるが、仁梧も内心では初めて見る外の世界に胸が高鳴っていた。これから見物に行く"おまつり"というのが一体どんなものなのか想像もつかないが、和梧が一緒なら何でも楽しくなりそうな気がした。
門を潜り抜けた先にある坂道を町の灯りがある方向へ向かって下りていくと、次第にどこからか太鼓や笛などのお囃子が聞こえてくる。その音楽につられるように、気づけば周りには浴衣を着た男女や家族連れが大勢いた。
「ついたわ!ここね!」
仁梧は目の前に広がる光景に見惚れた。提灯の灯りが幻想的に会場の神社の参道を照らしている。参道沿いに並ぶ夜店からは活気のある客引きの声が聞こえ、すれ違う人々の顔は楽しげな笑顔で溢れていた。
「にこ、にこ!あそこみて!」
和梧が興奮気味に指差している先にあったのは、赤く艶々したりんご飴。綺麗に並べられたそれらを見た仁梧は、和梧と同じように目を輝かせる。
「お嬢ちゃん達双子かい?」
とそこに店主に声をかけられ、二人はびくりと身を固くする。双子は忌み子、縁起の悪い自分達がこんな場所にいたら出ていけと怒鳴られるだろうかと恐れた。
しかし、予想に反して店主はにかっと笑った。
「色違いの浴衣なんか着ちゃって微笑ましいねぇ。ほら、そんな可愛い二人に特別サービスだ。持っていきな」
そう言って差し出された二本のりんご飴に仁梧達は戸惑う。
「あ、ありがとう」
「気にすんな!祭り、楽しんでいけよ!」
思ってもみない言葉に顔を見合わせ、込み上げた嬉しさに顔を綻ばせて答えた。
「「ええ/はい!」」
それから二人は存分に祭りを楽しんだ。金魚すくいに射的、たこ焼きに焼きそば。金は持っていなかったので見ている事しかできなかったが、初めて二人で触れる外の世界はきらきらと輝いて見えた。
*
「はー、とってもたのしい!こんなのはじめてだわ!」
一通り夜店を見て回った仁梧達は、神社の境内の裏にある杉の木の下で休憩をしていた。勿体なくて食べられずにいるりんご飴をくるくる回しながら満足げに笑う和梧を見て、仁梧も嬉しそうに微笑む。
そのまま二人は黙ったまま、夜の空を見上げる。祭りの中心から離れた場所で聞く祭囃子は、どことなく物悲しく感じた。二人ともわかっていた。この辺りが潮時だと。
「もっとおまつりをたのしみたいけど、そろそろかえらないとまずいわよね、やっぱり」
「そうね。かえりましょうか」
後ろ髪を引かれる思いで家路につこうとしたその時だった。
〈グルルルル〉
「「!」」
獣の唸り声のようなものが側の木の影から聞こえる。ぱっと見ると、狼のような姿をした魍が牙を剥いてこちらへ近づいてこようとしていた。
「どうしてこんなところにもうが…!」
「なこ、さがって!」
動揺する和梧を背に隠し、守るように前に出る仁梧。日頃から徹底的に教育されているお陰か、竦んだ足でも反射的に動く事ができた。
「ま、まってにこ!いま、じゅうにしを…」
〈グアアアア!〉
「あぶない!」
どんと突き飛ばされ、地面に倒れ込む和梧。擦りむいた肘の痛みに顔を歪める。だがすぐに片割れの事を案じ前を向くと、魍に肩を噛みつかれている仁梧の姿があった。
「にこ!」
「う…な、こ…にげ、て…」
「ばか!そんなことできるわけ…」
そんなやりとりをしている間にも、魍は更に深く牙を食い込ませる。
「うあっ…」
「っ、に…」
刹那、魍が何かに吹き飛ばされた。
「御前!ご無事ですか⁉」
「おい、いたぞ!」
「あ…」
見慣れた一族の人間が数人、こちらへ駆け寄ってきたのを見て助かったのだと理解する。内一人が魍を完全に祓う傍ら、他の者達はこぞって和梧を案じる声をかけた。
「お怪我はありませんか、御前」
「家の者総出で探したのですよ!」
「ああ、でもご無事で良かった」
「ちがうの…にこが…にこをたすけて…!」
血だらけで倒れている片割れを診てやってくれと縋るように繰り返す。草むらの上には、落ちた二つのりんご飴がまるで血のように砕け散っていた。
*
和梧は障子の前で立ち尽くしていた。何度も開けようと手を伸ばしてはやめるといった動きを繰り返し、悩みに悩んだ末に覚悟を決めるようにすうっと深呼吸をすると、震えそうな声を抑えて呼びかける。
「にこ、わたしよ。はいってもいい?」
一拍置いてどうぞという返事が聞こえたので、そっと障子を開ける。布団の中にいた仁梧は、体を起こして和梧にふわりと笑いかけた。
「どうしたの?はなれまでくるなんて、ちちうえがしったらしかられてしまうわ」
「いっそしかってほしいくらいよ。こんかいのことはぜんぶわたしがわるいんだから。なのにちちうえも、いえのひとたちも、にこのことばかりせめて」
ぎゅっと悔しげに眉を顰める。今回の騒動、屋敷を無断で抜け出した事について椋礼は全ての咎を仁梧に背負わせた。曰く、祓戸家の次期当主である和梧を魍と遭遇させ、命の危機に晒した責任は大きいとの事だ。体を張って露払いの務めを全うしたというのに、それについては至極当然の事だと誰も評価はしなかった。
「あの、にこ…わたし…」
側に正座し、言葉を探すように目を泳がせる。ふと枕元に置かれた蚊取り線香に目が留まる。鼻を擽る独特の香りが、やけに強く感じた。
そんな姉に、仁梧は眉を下げて言った。
「ごめんね、なこ」
「え?」
「わたし、やくたたずで…けっきょく、ひとりじゃなこをまもれなかった。わたしはなこのつゆばらいなのに」
「っ…」
「ごめんね。つぎはちゃんとまもれるようにがんばるから。だから、またいっしょにおまつり…」
「そんなこというな!」
鋭い声が木霊する。続いて訪れた静寂。仁梧は突然怒鳴られて固まっており、和梧は薄らと涙の滲んだ目で仁梧を睨みつけている。
「な、こ…」
「やくたたずとか、つゆばらいとか、そんなこというな!にこはじゅうにしんせいのちからをつかえないんだから、しかたなかったのよ!わたしがもうをはらうべきだったの!にこにまかせちゃいけなかったのよ!」
「っ、ごめんなさい。わたしがちからぶそくだから…」
「だからちがうっていってるでしょ⁉」
癇癪を起こしたように叫び続ける姉に、仁梧はどうしていいかわからず謝る事しかできない。だがそれが更に和梧の怒りを買ってしまい、二人の間には気まずい空気が漂う。
「…もういい」
「なこ?」
「もうにこにはきたいしない。ずっとわたしのうしろにいて」
「ま、まって。ごめんなさい…!わたしがんばるから…!」
「とうぜんでしょ。わたしたちは"ならびのみおやのさいらい"といわれているんだもの。ちゃんとやくめをはたせるように、たんれんはおこたらないで。でもそれいじょうのことはしなくていい」
これからは、わたしひとりでたたかう。
それは事実上の戦力外通告だった。呆然とする仁梧を一瞥する事なく、部屋を後にする和梧。残された室内には、蚊取り線香の香りが哀しげに揺れていた。




