三十(エピローグ) 未来へ
建物から出ると、松明を持つ人々が逃げ惑っていた。
我先にと逃げようとする人々が、城門へと互いを押しやっている。
「どいて……っ!」
このままじゃ、この人達も爆発に巻き込まれる。早く爆発を止めなきゃ!
でも、この小さな体じゃ大人の足元で揉みくちゃされて、前に進めない。
「──【飛翔】ッ!」
申し訳ないけど、ガタイの良い兵士の背中を駆け上がり、人々の肩に飛び乗って駆けていく。
目指すのは、敷地内にある礼拝堂に付随する塔。鐘が吊るされた時計塔の最上階だ。
時計の文字盤を見上げると、あと八分で、夜十二時に短針と長針が重なる。
ディオラルドさんは夜の夜十二時に爆発するように、キリが良く設定したのかもしれない。
ギリッと歯を食いしばる。
あっという間に時計塔にたどり着くと、私は塔の内部に入った。誰もいない礼拝堂を進み、階段を五階分、【飛翔】で駆け上がっていく。
ルルが先導して飛び、辺りを照らしてくれた。
息が切れる。
鼓動が激しく鳴っていた。こんなに必死に走ったことはないかもしれない。
頭の中で数を数えていた。
最上階までたどり着いた時には、残り七分になっていた。
大きな鐘が中央にある、空に抜けた空間だ。スカートが風ではためく。
明るい月が辺りを照らしている。
どこかで歯車が鳴るギシギシした音が響いていた。
「どこにあるの……!?」
紙面を見ても、詳しい設置場所までは書いていない。
その時、ルルがピィと奥の柱の方に向かって飛んだ。私も急いでそちらに向かう。
柱の下の方に、青白く光る両手くらいの大きさの魔法陣があった。これに違いない。
「解読しなきゃ……っ」
私はその場に膝をつき、必死に読み解いていく。
魔法を無効化するには、それにあわせた無効化呪文をいくつも組み合わせなければいけない。
ひとつでも無効化の呪文が足りなければ、魔法は発動してしまう。
──あと五分。
カチカチと、時計の秒針の音が心臓の鼓動と重なって、手足が冷えていく。
ようやく、魔法陣に書かれている呪文が解読できた。
「※※※※※、──※※※」
私は無効化呪文を唱える。
だが一瞬、魔法陣が明滅しただけで、それ以上の反応はない。
「うそ……失敗……?」
ちゃんとやったのに……っ!
私は呆然として、その場にへたり込む。
あと三分間ほどしかない。
すでに頭が真っ白になっていた。
──怖い。
もし、私にできなかったら?
私は死ぬ。
たくさんの人々も巻き添えにして。
「お父さん……っ」
ぎゅっと目を閉じて、恐怖で凍りついた。
──自分もやると意気込んでおいて、この程度なのか。
その時、優しい羽の感触が頬をかすめた。
「ルル……」
彼はキリッとした目で「ピィ」と鳴いた。まるで、私を励ますみたいに。
──そうだ。ルルのためにも、皆のためにも、私は死ねない。
私は頭が冷えていくのを感じた。
こういう時、お父さんは『とにかく冷静になれ』と言ってた。
深呼吸した後、もう一度じっくりと魔法陣を読み解いていく。
そうすると、ひとつ単語が抜けていたことに気づいた。
残り数十秒。
「※※※※※、──※※※、※※」
私は必死に無効化呪文を唱えた。
すると、魔法陣の青白い光が消え失せる。今は何の跡もない、ただの柱に変わっていた。
「お、おわった……?」
放心していると、ルルが嬉しそうに上を飛びまわる。
──そうか。無効化できたんだ。
込み上げできた喜びを噛み締める。
その直後、大鐘が身を震わせて、十二時を知らせる音を鳴り響かせた。
──お父さんとクラウスは大丈夫かな?
急に心配になって慌てて塔の縁から地上を見下ろすが、王宮には何の異変もないようだ。
「みんな……大丈夫だったって、ことかな……?」
心細くなって、そうつぶやく。
その時、大きな拍手が聞こえた。
背後を振り返ると、すぐそばにディオラルドさんがいた。
私は驚きのあまり、身をすくませる。
「やぁ、お疲れ様。見事だったよ。まさか、あんな短時間で爆破を阻止されるとは思わなかったな」
「ディオラルドさん……っ!」
そう叫んだ喉をつかまれた。
反射的に後ずさりしそうになったが、一歩下がれば五階から真っ逆さまになってしまう、
ディオラルドさんの赤銅色の髪が揺れて、七色の瞳が妖しく光っていた。
ルルが私の危機を察知して、ディオラルドさんに飛びかかろうとした──。
だが、ディオラルドさんがルルを睨みつけて言う。
首を握る指の力が強くなる。呼吸できるギリギリだ。
「おい、そこの不死鳥! もし俺を燃すつもりなら、その前にこの娘の首の骨を折るぞ! 子供の喉を折るくらい簡単なんだからな」
ディオラルドさんに勢いよくぶつかろうとしていたルルは、すんでのところでディオラルドさんを避けて行った。
ルルの悲しげな悲鳴が聞こえる。
私はどうにかディオラルドさんの手を離そうともがいたけれど、大人の男の人の力には敵わない。
「お前を殺したら、アガルトはどんな顔をするかな……?」
期待まじりの声で、ディオラルドさんは言う。
──お父さん。
父の悲しむ顔を思い浮かべて、私は胸が苦しくなった。
「ディッ……オ……ラ、ルド……さっんッ」
私が呼びかけると、なぜか一瞬、ディオラルドさんは苦しげな表情をした。
その苦悩の色が、父のある日の姿と重なって見える。──父とは似てない顔立ちのはずなのに。
──ああ。
まだ彼に、伝えていないことがあったんだ。
私は、もう死ぬけれど……。
せめて、一言だけでも。
「……ありが、とう」
「なんだって……?」
よほど、私の言葉が予想外だったのだろう。
ディオラルドさんは変な顔をして、私の首の力がゆるまる。
私はぜいぜいと咳き込み、喉に空気を取り込んだ。
そして一呼吸おいてから、私はディオラルドさんの目をまっすぐに見て言う。
「まだ言ってなかったから……ディオラルドさんがお父さんの日記を見ろって言ってくれたから……私はお父さんを誤解せずにいられた」
私は本来なら断頭台の露と消えるところだった。
──父の魔法で過去に戻れたけれど、ディオラルドさんの言葉がなければ私は家出していただろう。
今みたいに父と一緒に暮らしていなかったかもしれない。
少なくとも今は本当の家族がいて幸せだ。
父のことを誤解せずに、父を大好きなまま死ねる。
──それだけは救いに思えた。
「……なんだよ、それ」
ディオラルドさんは泣きじゃくる前の子供のように、表情を歪めた。
私は放り投げられ、石床に体を叩きつけられた。
「……ッ!」
ルルが私の肩に飛びおりてきて、ディオラルドさんに向かって羽を広げて威嚇した。
ディオラルドさんは血走った目で怒鳴る。
「そんなの、俺の望んだ答えじゃない! もっと俺を罵れよッ! 憎んで、憎悪しながら、死んでくれないと……俺が救われないじゃないか……っ!」
「ディオラルドさん……?」
「お前に分かるか!? 天才が身近にいる者の気持ちが! ああ、お前には分からないだろうな。お前も虹眼だからな! 何やったって俺は才能あるやつに追いつけない! だって、それは生まれながらの格差だ。そんなの不公平だろうっ! 俺はずっとあいつと比べられて生きてきた。あいつは虹眼なのに、俺は……って。不義の子と罵られて……不義はどっちだよ! あいつは父親がメイドに手をつけて産ませた子なのに……」
ディオラルドさんは唇を震わせて言う。
「いや、そこまでは良い。俺はあいつを憎んでいられたら、ただ楽だった。せめてアガルトの性格が悪ければ俺の心が救われたのに、あいつは性格も良かった。だから余計に惨めな気持ちにさせられるんだ……っ」
ディオラルドさんは両手で頭を押さえて、うめいた。
──脳裏に、これまでにディオラルドさんと過ごしてきた日々がよみがえる。
兄のように思っていた。家族のように。
彼の優しさがすべて偽りだったとは思えない。
私はゆっくりと立ち上がり、勇気を出して言った。
「お父さんが言ってたの……。自分が魔導具を作るのは、オーリンさんや魔力を持たない者達のためだって……色んな魔導具が普及すれば、人は魔法に頼らなくても生きていけるようになる……それは真に平等な社会なんだって……」
私の言葉に、ディオラルドさんは目を見開いた。
彼の口がわななく。
「……アガルトが、そんなことを……?」
私はうなずき、深く深呼吸してから言った。
「……ディオラルドさんは、本当に私達を殺すつもりだったの? 私には、どうしてもそうは思えない」
ディオラルドさんはうつむいて、押し黙っている。
「──だって、五年間もお父さんのそばにいて、信頼されて……殺すチャンスなんて、いくらでもあったはずなのに。私がやってきてからだって……そうでしょ?」
私はなおも言う。
「私はディオラルドさんのことを本当に家族みたいに思ってたの……だから、自分と血の繋がりがあるって知って嬉しかった……」
──犯罪者に対して、こんなふうに思ってはいけないと分かっている。
けれど、どんなに悪党だとしても、身内には生きていてほしいと自分本位に願ってしまう。
「……どうか、自首してください。ディオラルドさんを生かしてもらえるよう、殿下に嘆願をするから……これまで殺した人々の冥福を祈りながら、それでも……生きていてください」
私は泣かないように強く唇を噛み締めてから、言う。
「……そうして、いつか罪を償い終わった時に……また、一緒に……」
強い風が吹いて、私とディオラルドさんの衣装をはためかせた。
ディオラルドさんはまるで荒野にひとりでいることにようやく気づいた案山子のように、視線を床に落とした。
「今さら、そんなことはもう無理だ……できないんだよ。すべてが遅すぎる」
「そんなことない……っ」
私はそう叫んだ。
ディオラルドさんは苦笑いする。憑き物が落ちたような顔だった。
「……どんなに愚かだとしても、今さら俺は道を変えることはできない。これが俺の夢なんだ。夢って、どれほど荒唐無稽だと人から馬鹿にされても、簡単には捨てられないんだよ。──俺を止めたいなら、今ここで殺してくれ」
私は目を見開く。
その想像に震えた。
──そうだ。きっと、ディオラルドさんは、自分では止められない。
だったら、私がやらなきゃ。
罪のない人々を、これ以上殺させることはできないのだから……。
──せめて、自分が身内としての責任を。
そう思うのに、体がまったく動こうとしない。
ディオラルドさんは苦笑した。
「……フィーは優しいね。ホント、ただの『ディオラルド』として会いたかったよ」
「……まだ、間に合うよ……っ! これからだって、私達は……」
私のすがりつく声に、ディオラルドさんはかすかに笑う。
「俺は自分に嘘を吐いた。……本当は、お前達と一緒にいるのが楽しかったよ。だからこそ、その気持ちが怖くて……早く殺さなきゃと焦っていた。……結局、殺せなかったけど」
そしてディオラルドさんは塔のふちに立って、両腕を鳥のように広げた。
背後に満月が見える。
彼は呪文を唱えた。クラウスが口にしていたのと同じものを。
「──さよなら、フィー。……俺にこんなことを言う資格はないが、伯父として、お前達の幸せを願っているよ」
そのまま笑顔で、彼は背中から落下していった。
これが、色持ち魔法使いの変死事件の顛末だ。
五階分の高さから落ちたディオラルドさんは、地面に血を流して倒れていた。
私は慌てて時計塔の階段を駆け下りたが、私が一階に降りた時にはディオラルドさんは忽然と姿を消していた。
石畳におびただしい血が広がっており、引きずって逃げたような血の跡があった。
その後、ラインハルトが念入りに痕跡を調べさせたが、血の跡は王宮の外の川で途切れていたという。
──流されたのか、自分で落ちたのかも分からない。
普通の人間なら、放っておいても死んでしまうくらいの怪我だ、とラインハルトは言った。
──きっと生きてはいないだろう、とも。
はたして、そうなのだろうか?
魔族ほど魔力のある彼ならば、もしかして……と思うけれど、真相は闇の中だ。
──だが、少なくともこうして、色持ち魔法使いの変死事件は幕を閉じた。
いくつかの爪痕を残したが、私達は少しずつ日常を取り戻しつつあった。
私はいつものように朝食の準備を進める。
最近父が開発したばかりの魔導窯が、台所で音を立てた。
私はミトンを手にはめて、魔導窯からケーキを取り出す。
ほかほかの湯気が立っており、その匂いに喜んでルルが嬉しそうに台所を飛びまわる。
「お父さん、紅茶どうぞ」
そう言って、私は父の前に紅茶を置く。
父は「あぁ……」と気の抜けた返事をして、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
父は近頃、物思いにふけることがよくある。そういう時は、多分ディオラルドさんのことを考えているんだろうと思って、そうっとしていた。
──父にとって、あの事件はどんな結末を迎えたのか分からない。立場次第で、出来事は悲劇にも喜劇にもなるのだから。
私にとっては……ディオラルドさんがいなくなってしまったのは寂しいけれど、最後に彼を苦しみから解放できたのなら、それだけは慰めになるように思えた。
その時、玄関の鈴が鳴ったので扉を開けに行くと、クラウスが立っていた。
「よう」
「クラウス! ちょうどケーキが焼けたの。食べるでしょう?」
「もちろん」
最近、クラウスは父の二番弟子になった。
クラウスが居間に入って父に「こんにちは、アガルト先生」と挨拶すると、父はクラウスを見て軽く「ああ」と、うなずく。
ディオラルドさんがいなくなったせいで、クラウスは急に師をなくしてしまった。
そんな彼を憐れんで……というか、自身の兄の不始末をなんとかしたいと父も思ったのかもしれない。
父は自分からクラウスに『俺の弟子になれ』と勧誘したのだ。
クラウスは最初驚いていたが、『大賢者の弟子になれるというなら、喜んで』と答えたという。
「また、すぐ領地に戻らないといけないんだけどね。社交シーズンになったら王都に長期間こられるけど……こんなんじゃ、姉弟子のフィーにどんどん遅れを取っちゃうよ」
クラウスはケーキを口に運びながら、不満そうな顔をしている。
「はやく王立学園に入りたいな。そしたら王都にずっといられるのに……」
そうぼやくクラウスに、父が尋ねた。
「なんで、そんなに王都にいたいんだ?」
「だってそりゃ、フィーが……いや、なんでもない!!」
父がすごい目つきでクラウスを睨んでいるのが気になるが……。
私はケーキを口に運んだ。わりと良い出来だ。ルルも嬉しそうに小皿からついばんでいる。
──そうだ。十二歳になれば、クラウスは学園に通うのだろう。
私もいつか行きたい。そのためには父を説得しなければ。
前みたいな寮生活じゃなくても良い。父が心配だから家からの通いで。
多分、ラインハルトも行くのだろう。
「楽しみだね」
私はクラウスにそう言って、笑った。
──そこではきっと、私の知る未来とはまったく違うものになるのだろう。
悪役令嬢はもういない。
未来はまだ何も、確定していないのだから。
 




