↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
自殺紳士  作者: かがりいずみ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
12/14

宵闇を歩く

『死んでほしい』


別に、大した言葉ではないと思っていた

そんな言葉に影響されるほど弱くはないつもりだった


妻が私に向けた言葉

  涙を浮かべて投げつけてきた言葉


その日以来

  私は夜、家にまっすぐ帰らない


ずっと宵闇の中を歩きながら

 ただただ、妻と子が寝るのを待って

 そして帰る


腹が立つのか

 辛いのか

  悲しいのか

苦しいのか


ひたすら歩きながら

  そして、気がついた


嗚呼

 俺は サビシイ のだと


帰る場所がないというのは

 こんなにも人の身体を冷やすものなのだろうか

誰ともつながらない心というのは

 こんなにも弱くなるものなのだろうか

人の悪意に晒され続けることが

 これほど命を弱らせるものだろうか


とうとう俺の生命が

耐えきれなくなった


だから、終わることにした

今日、終わることにした


電車で行けるところまで行った

 終着駅で降りて

 近くの暗い森に入る


ホウホウとフクロウが鳴き

 虫の声が秋を告げる


俺は用意した紐を取り出す

 ちょうどよい枝を持った樹に近づき

 輪にしたロープを掛けようとした


そうだ⋯

台になるものを探さなければいけない

 あの高さは届かない

 妙に冷静なのが自分でも可笑しくなる


こういうときには手先が冷たくなったりするものだろうか

 緊張して震えるものだろうか

でも、その両方ともなかった


そうだろうな

  わかっている

 なぜなら、俺はすでに死んでいるからだ


見回しても台になりそうなものはなかったので

 久しぶりに木登りをしてみることにした


ところが、樹に登ろうとしてもうまく登れない

 年を取って

昔のようにはいかなかった


死ぬことさえうまくできない

 その現実に、

 バカバカしくて

 悲しくて

 涙が出た


「あの⋯」

突然声がした

 驚いてあたりを見回す


俺が歩いてきた方の道から

 男性がひとり現れた


黒いスーツ

 かろうじて黒ではない濃紺のネクタイを締めた

20代そこそこの男性だった


俺は反射的に手に持っていた紐を隠した


「死ぬ⋯つもりでしたよね?」


男性はおずおずと尋ねる

 どうやら見られてしまったらしい


こんな人気のない森

男性の格好も相当不似合いだが

 こっちも会社帰りでほとんど同じような格好だ

不自然なことこの上なかった


男性は俺のことを見つめていた

 なんと答えていいかわからなかった

しばらく時間が立って

 やっと一言 言えた


「帰る、場所がないんだよ⋯」


久しぶりに、人に話した

 

そしたら、

堰を切ったように

 言葉が溢れて

 苦しさが溢れて

 黒々とした水を

吐き出すように


いつしか俺は嗚咽していた


 弱い⋯情けない

 辛い

 苦しい…


そして…


「もう…消えてしまいたい…」


誰かの前で涙を流したのは、一体何年

…何十年ぶりだろう


夢中で話してしまい、ふと我に返って

若干恥ずかしくなる


いくらなんでも、青年は引いているだろう

そう思って、顔を上げて驚いた


青年も

泣いていた


「あなたを傷つける人のそばに

 いる必要なんて、ないですよ…」


妻にも理由があったのだろう

 死ねと言わざるを得ない

 何らかの理由が

 それでも、それでも…


「あなたを大事にしてくれるところに

 いましょうよ」


ぼろぼろと泣きながら訴える青年の言うことは

至極真っ当なようで

 まるで遠い国の言葉を聞いてるようだった


「俺を…大事に?」


口に出してみて、違和感がある

 違和感があることに、軽くめまいがする


自分を大切にすることが

 おかしなことと感じるなんて

なんて、おかしな世界で

俺は生きていたんだろう…


「会社はお休みできないんですか?」

青年は言う


そもそも死のうとしたんだ、

 そう思えば何でもできる


 俺は、次の日会社に、

 可能な限りの長期休暇の申請を出した


そして、安く滞在できる湯治場を探して

 ただただ、ひたすらにぼんやりすごした


 お湯が流れて

 木が風にそよいで

 遠くで知らない人が

  ゆっくりおしゃべりしている


何も、無い時間

ただ、自分がいる時間


どこに行く必要もない

 どこに帰る必要もない

ここに、いればいい


こんな時間の過ごし方があることを

俺は、初めて知った


1ヶ月ほどたったころ

 俺は、自分がどうしたいのか

やっと、分かった


誰かに教えてもらったわけでもなんでもなく

ただ、分かった

そうして、俺はここを離れる決意をした


次の日俺は、湯治場の主人に挨拶をした

 ここを出ると言って、精算をする


 見ると、同じタイミングで一緒に湯治場を去る人がもう一人いた


黒いスーツに

 かろうじて黒ではない濃紺のネクタイという

およそ湯治客には見えない男だった


顔には特徴がなく、

 すぐに忘れてしまいそうな感じの青年だった


青年が俺に会釈をする

  俺も軽く会釈をした


少ない荷物を持って宿を出る

 空はきれいに晴れていた


俺はひとつ、伸びをして

 歩き出した

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。