第95話 真実の神殿ー2
「結局身につけたのか。」
ネクロスは自分の提供した装備を身につけた風間次郎を眺める。
ある日の早朝、二人は探索者統率機構本部の奥で静かに作戦の準備を始めていた。
窓のない、重厚な鉛に囲まれたような執務室には、サーバーの冷却ファンが回る低い唸りだけが澱んでいる。
壁一面に投影されたホログラムには、天野悠人の生い立ちから、生成スキルの変遷、そして現在のパーティメンバーの弱点に至るまで、執拗なまでに集積されたデータが青白く浮かび上がっていた。
「あぁ!
調べた結果、お前の装備は善意100%の代物であることが分かった。
疑って済まなかった!」
風間次郎は一ミリも申し訳なさを感じていない調子で謝る。
ただ言葉を発するだけで、表情はいつもと変わらない。
その軽薄な声は、冷徹な理屈が支配するこの空間では異質なほど浮き立っていた。
手渡された特注の胸当てを叩き、関節の可動域を確認する動作には、プロの探索者としての鋭さが微かに混じる。
表面上の陽気さの裏側に、触れれば指が切れるような殺意を隠し持っていることは、ネクロスにも分かっていた。
「……とにかく、仕事だけしてくれればそれでいい。」
「それで、本当にその”ラーニング・ゼロ”とかいうのを使うのか?
俺だけで十分だろ。」
風間次郎の不満げな問いかけに、ネクロスは感情を排した眼差しを向ける。
「念には念を入れる。
成功確率は100%だ。
今回で確実に終わらせるぞ。」
ネクロスの視線は、モニターの端に表示された「真実の神殿」の攻略状況に固定されている。
悠人たちの進行速度、魔力の消費効率、そして生成スキルの練度。
それらすべてが、ネクロスの手のひらの上で転がされていることに気づかぬまま、獲物たちは着実に奥へと誘い込まれていた。
執務室の巨大な計算機が叩き出すシミュレーション結果は、常に悠人の敗北を示している。
理屈を至高の真理とするネクロスにとって、予定調和を乱すイレギュラーは、この場所で完全に抹消されなければならなかった。
ネクロスは再び携帯を手に取ると通話を開始する。
指先が画面をなぞる動きは、死刑執行のボタンを押すかのような、静謐で残酷な確信に満ちていた。
冷たい呼び出し音が数回響き、接続が確認される。
その瞬間のネクロスの口角は、目的の完遂を確信した蛇のように歪んでいた。
◇
順調すぎる進行、静かすぎる空間、そして──
見えない何かに監視されているような感覚。
悠人は、胸騒ぎを抑えきれずにいた。
白亜の回廊を進む四人の足音だけが、天井の高い広間に空虚に響き渡る。
壁面の彫刻はどれも無機質で、神殿という名前が持つ慈愛の欠片も感じられない。
むしろ、この空間自体が巨大な眼球となって、侵入者の魂を値踏みしているような気配があった。
生成した装備の重みが、今はなぜか鉛のように重く、肩に食い込む。
(気を抜くな。
ここからだ)
自分に言い聞せるように、悠人はそう告げる。
まだ何も起きていない。
だが確実に、“何か”が近づいている。
それは、皮膚の表面を逆なでするような不吉な魔力の揺らぎだった。
ラーニングスキルの知覚域を最大まで広げているが、捉えられるのはあまりに「清浄すぎる」空間のデータのみ。
それが逆に、何者かによって徹底的に「清掃」された後の風景であることを物語っていた。
神殿の白壁に反射する自身の影さえ、何者かの手によって歪められているのではないかという疑念が、悠人の思考の端を侵食していく。
「マスター、分析したところ、やはり何者かが先にこのダンジョン内で戦闘を繰り広げたようです。」
リリスの報告に、悠人の足が止まった。
リリスが指し示した白い石柱の根元には、微かな、だが決定的な違和感がある。
高熱によって一瞬で蒸発した魔獣の残滓。
戦闘の痕跡を消し去るための隠蔽工作すら間に合わないほど、圧倒的な力で道が切り開かれた形跡。
通常、ダンジョン内の死体は魔力へと還元されるが、あまりにも苛烈な力による破壊は、その過程を飛ばして無残な痕跡をその場に固定させてしまう。
「──そうみたいだな。
けど、まばらにモンスターや罠が、まるで無傷の状態で残っているのは何なんだ」
リリスが口にしたことで、悠人はその事実を認めざるを得なくなる。
先ほどからラーニングスキルで分析をしながら進んでいたが、やはり悠人も同じ結論にたどり着いた。
先行者がいる。
しかし、先のダンジョンとは異なる様子から、それは風間次郎とはまた異なる者であることも予測できた。
ギルドの予約システムを無視し、正式な認定ダンジョンを私物化できるほどの権力と実力を持つ別の人間がいる。
「予約しているのに、堂々とそれを無視してダンジョン攻略しやがる不届きものは、三種類しかいない。
一つはただのろくでなし───
一つはろくでなしのS級探索者──
もう一つは……」
「ネクロス。」
茜が代わりに口にする。
その名前が口にされた瞬間、回廊の空気が一段と冷え込んだように感じられた。
茜の頬を伝う汗が、暗い通路の光を反射して落ちる。
恐怖がないわけではない。
むしろ、かつて味わった絶望の記憶が、今も茜の心を震わせているはずだ。
ネクロスの名は、彼女たちにとって単なる敵の固有名詞ではない。
それは管理という名の暴力、自由を奪うシステムの象徴そのものだった。
「どうする、引き返すか?」
悠人はひと足先に進み、その後に後ろを向くと、皆に尋ねた。
ここで退くという選択肢を提示することは、リーダーとしての義務だ。
敵はS級とそれを雇っているネクロス。
待ち受けているのは、最悪の罠であることは明白だった。
悠人は仲間一人一人の瞳をじっと見つめる。
その瞳の中に、恐怖によって折れた光がないか。
自らの独りよがりな決意が仲間を死地に追いやろうとしていないかを確認するために。
「私は進むよ。
この装備と、皆がいれば、どんな敵だって怖くない。
……たとえそれが、S級探索者でも、ネクロスでも」
茜は強く杖を握り、瞳に強く意志を宿しながらそう答える。
その言葉は、弱さを克服しようとする少女の叫びではなく、自らの居場所を守ろうとする一人の探索者としての宣言だった。
杖の先に灯る微かな光が、茜の決意を証明するように強く輝く。
彼女はもう、ネクロスの理屈に怯えるだけの無力な存在ではなかった。
「そうですマスター。
それに、ダンジョン内にいるということは、逆にこちらが敵を殺害しても罪に問われないということを意味しています。
ここで敵を排除し、ネクロスへの明確な意思表示としましょう。
仮にこちらが相手を返り討ちにすれば、向こうも大人しくなるはずです」
リリスも冷静な口調で茜に同調する。
その言葉には、リリスという存在が本来持っている理屈で動く人外としての冷徹さと、悠人を守り抜くという偏執的なまでの忠誠心が混在していた。
リリスの手にある弓が、既に次の獲物を求めて微かな振動を上げている。
彼女の瞳には慈悲の欠片もなく、主を脅かす障害を排除することへの、恐ろしいまでの喜びが滲んでいた。
「──私はやることをやるだけだわ。」
零華もそう言いながら刀の柄を掴む。
彼女の放つ威圧感は、既にA級の枠を超え、かつて対峙したS級の背中にさえ届こうとしていた。
ただ、緊張しているのか、口数がいつもより少ない。
「……よし、じゃあ行こう。
──見せてやろうぜ、俺たちの力を。」
悠人の内側で、燻っていた不安が、仲間の言葉によって熱い炎へと変わっていた。
リアル生成AIスキルが、全身を流れる魔力が、仲間たちの意志と共鳴し、空間を震わせる。
罠があるなら、その罠ごと”生成”で塗り替えてしまえばいい。
自分たちの前に立ち塞がるのが、どれほど緻密な論理に基づいた絶望であろうとも、それを上回る圧倒的な希望をここに生成してみせる。
悠人は前を向き、再び歩き出した。
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