第69話 アップデートー2
言葉にした瞬間、喉の奥がじわりと熱を帯びる。
声を出すことで何かが軽くなることを期待していたが、実際には逆だった。
吐き出した言葉は胸の内側を一周し、さらに重みを増して戻ってくる。
「……この世に絶対的なものなんてないんだ。
だから、”学習”し続ける必要があるって言うのに。」
それは過去の自分が語った理念の残骸だった。
「ようやく気づいたのね、このバカ。」
零華が悠人に蹴りを入れる。
背後から衝撃が襲い、悠人は間抜けな声を上げながら床へ倒れ込んだ。
付近のガラクタが、その衝撃で激しく揺れる。
棚から空き缶が落下し、悠人の頭上へ軽い音を立てて落っこちた。
床へ落ちたそれは、乾いた音を立てながら、静かにどこかへ転がっていく。
「……そうだよな。
お前たちがいながら、俺はリリスばかり見ていた。
本当、なんのためのパーティーだよ。」
悠人は力無く床の上で、ボソリとそう口にした。
その後、ゆっくりとその身を起こす。
零華と茜が悠人のことを見下ろす中、悠人は膝をついて彼女たちと向き合った。
学習とは何か。
向き合うとは何なのか。
問いは浮かぶが、答えに辿り着く前に、思考が強い痛みに遮られる。
理解する前に、受け止めるべき現実が重すぎた。
気づくべきだった兆しは、確かにあったはずだ。
「お前たちの言うことをもっと聞くべきだったよ。
……ごめん。
ほんと、リリスだけじゃないのに。
リリスの知らないことだってあって、お前たちからも学べることが、いっぱいあったのに。」
「……は?
違うでしょう?」
「ぅぐっ──!」
零華は悠人の胸ぐらを掴み、片腕で強引に持ち上げる。
分かってはいたが、凄まじい怪力だった。
ビリビリと彼女の怒りが、悠人に真正面から突き刺さる。
「この訳のわからないAIより、
私たちの言うことを聞いていればよかったのよ!
最初から!
ここにはA級探索者である私がいる。
治癒魔法の才能があって、早期に有名ギルドから内定をもらえるような早乙女茜がいる。
お前が教えを請い、助けを求める存在は、こっちなんだよ、天野悠人っ!
いい加減にしろ。
お前は自分でもう考えるな。」
「……神崎──」
「悠人。」
透き通るような声が響く。
茜だ。
その声が、今の悠人には随分と懐かしいものに感じられた。
「結局、あなたはどうしたいの。」
「処分すべきよ、このAIは。
さっさとね。」
零華は食い気味に茜の言葉を遮る。
「俺は──
俺はそれでもリリスを処分なんてしたくない。」
「はぁ?」
「俺はっ──
俺は……
向き合い方が間違っていたんだ。」
「おい、いい加減にしろ。
この期に及んでお前の屁理屈なんて聞きたくないっ。」
零華の、胸ぐらを掴む力がさらに強くなる。
「……俺は信じてたんだよ。
ほら、フィクションみたいに、ロボットにも──
AIとかにも、人と同じような心が宿っているんじゃないかって。」
「はぁ?」
「俺もスキルを手に入れる前なら鼻で笑っていただろうよ。
けど、データの奴隷になった後で、どうしようもなく人の心、感情というものが特別なものに見えて、
それがリリスにもきっと宿るって、信じてたんだ……」
「──けど、宿らなかった。」
茜は冷たく事実を突きつける。
「そうよ。
だから処分するの。
生成者として、その責任を取る義務があなたにはあるのよ。
土下座して懇願すれば、私が切ってあげても構わないけど。」
「違うっ──
それでもまだ、リリスには可能性がある。
間違ってたのは、“向き合い方“だったんだ。」
「……は?
もう時間の無駄だわ。」
零華の胸ぐらを掴む力が緩み、代わりにその湧き出ている怒りの視線が、リリスへと向けられた。
「待って神崎さん。
──悠人、それ、どういうこと。」
「……言葉の通りだよ。
お前らだって、ダンジョン攻略で、あいつが全く役に立たなかった訳じゃないこと、知っているだろう?
使い方次第で、向き合い方次第で、あいつにはまだまだ、可能性があるんだ。」
零華の蔑むような視線が悠人へと戻る。
「同じ人間としてじゃない。
……リリスという、彼女の“存在そのもの”に、俺は向き合うべきだったんだ───」
重苦しい沈黙が広がる。
悠人は唇を強くかみしめた。
鈍い痛みが走り、鉄の味が口内に広がる。
「……リリスじゃない。
責任は、俺にあるんだよ。」
視線を向けると、そこには相変わらず冷たく横たわるリリスの姿がある。
リリスは、人間の姿をした、人間とは少し異なる別の存在。
人間ではなく、人工知能であり、意識を持つかのように振る舞う存在だ。
その事実を、頭では理解していたはずだった。
それでも、無意識のうちに人間と同じように平等に扱えばいいと思い込んでいた。
感情をぶつけ、関係性を築けば、同じ地平に立てると信じていた。
鏡に映る自分を見るように、彼女の瞳の中に「心」を探し続けていた。
だが、最初から「人間」として扱おうとしたこと自体が、致命的な誤りだったのだ。
違いを理解して接することと、同じものとして接することは、決して同義ではない。
その区別を曖昧にしたまま進んだ結果が、今ここにあるのだ。
呼びかけても返ってこない沈黙が、重く続いていた。
床に転がる空き缶が、空調の風に押されてカラカラと乾いた音を立てる。
その空虚な響きが、自らの浅はかさを嘲笑っているかのようだった。
心を持って接すれば、正解にたどり着けると思っていた。
しかし、現実は違う。
「……俺は、”心”に囚われて、リリスにも、お前たちにも、結局誰とも、正面から向き合えていなかったっ──
それで、今があるんだ──
殴るなら、俺を殴ってくれ。
リリスは、傷つけないでやってくれ……」
胸の奥で渦巻いていた感情が、一気に喉を通り抜け、外へ吐き出される。
痛みと後悔と自己嫌悪が混ざり合いながら、それでも偽りのない告白として空間に落ちていった。
「──言いたいことは、なんとなく分かったわ。」
掴んでいた胸ぐらを離す。
悠人は力無くその場に膝から崩れ落ちた。
零華はその姿を静かに見つめる。
その眼差しには、怒りも失望もない。
ただ、事実を事実として受け止める静けさだけがあった。
責めるでもなく、慰めるでもなく、そのままを見据える視線が、逆に悠人の胸には重く響く。
茜も視線を伏せたまま、言葉を挟まずにじっとリリスの方を見つめている。
祈るようにも、あるいは何かを値踏みするようにも見えるその横顔。
沈黙の中にある存在感が確かにそこにあり、これまで無視してきた重みを思い出させた。
「……それで、具体的にどうするつもりなの、悠人。」
茜は視線を、情けなく崩れ落ちている悠人の方へと移した。
悠人は顔をあげ、茜と目が合う。
その視界には、腕を組んで回答を待っている、零華の姿もあった。
二人の影が悠人の上に長く伸び、その境界線が今の自分の立ち位置を鮮明に浮き彫りにする。
揺れる感情の中に、かすかに見える道筋。
失われたものは大きい。
積み重ねてきた関係も、信頼も、簡単には元に戻らないだろう。
それでも、完全に閉ざされたわけではない。
そんな感覚が、胸の奥に残っていた。
焼けるような喉の渇きとともに、確かな熱が腹の底でくすぶっている。
(──まだ、間に合う。)
それは希望というよりも、覚悟に近い。
悠人は立ち上がった。
リリスの目の前に立ち、触れられる距離で見つめる。
呼吸が止まったように感じられるほど静かな姿だ。
その存在に正面から向き合うことで、何かを取り戻す可能性がわずかでも残されているのなら、もう逃げることはできない。
胸に湧き上がる衝動と痛み。
恐怖と後悔が絡み合い、全身を締め付ける。
それでも、その重さを受け入れることこそ、本当に向き合うということなのだと、ようやく理解できた。
「──待ってろリリス、俺がお前を起こしてやるからな。」
何をすればいいか、完全にはまだ見えていない。
それでも、目の前の現実から目を逸らさず、データを、感情を、失敗を学びとして吸収しようとする意志がそこにはあった。
どれだけ時間がかかろうとも、どれだけ失敗しても、進む道を探し続けるしかない。
リリスを切り捨てる以外の道を。
答えはまだ浮かんでこない。
それでも悠人は、自分が進むべき方向を、これまでの“学習“から、確かに感じ取っていた。




