第26話 下僕生成
「お呼びですか、ネクロス様」
ネクロスが指示を出してから数十分後、戦闘スーツに身を包んだ二人の男たちが現れた。
重厚な金属音を響かせ、寸分の狂いもない足並みで室内へと入室する。
彼らはヘッドギアを装着しており、鼻から上の素顔を窺い知ることはできない。
表情を奪われたその姿は、人間というよりも精巧な装置に近く、感情の揺らぎを一切感じさせなかった。
個性という概念を意図的に消去された、文字通り“統率”された人間たちである。
彼らはネクロスの前で同時に静止し、背筋を伸ばしたまま微動だにしない。
その様子を、ネクロスは玉座のような椅子に深く腰掛け、値踏みするように冷たく見下ろしていた。
「ラーニング・ワン、ツー。
君たちにはこれから、ある少年の捕獲に向かってもらう」
低く、しかし鼓膜によく通る声だった。
その一言には、拒否という選択肢など最初から存在しない。
「ほ、捕獲ですか」
わずかな戸惑いが混じった声が、ラーニング・ツーのヘッドギアの奥から漏れ出た。
言葉にした瞬間、自身の失言を悟ったのか、彼の身体が目に見えてわずかに強張る。
「……おい」
ネクロスの視線が、二人を鋭く射抜く。
「──な、何でしょうか」
張り詰めた沈黙が室内に落ちる。
次の瞬間、場違いな音とともに、鼻を突く不快な臭気があたりに漂い始めた。
重苦しい沈黙と、形容しがたい臭気。
「こ、こいつです!
私ではありません!
ラーニング・ワンの仕業です!!」
数秒後、ネクロスから見て左側に立つ、やや小太りの“ラーニング・ツー”が沈黙を破った。
半ば悲鳴のような声を上げ、隣のラーニング・ワンを指差しながら必死に訴えかける。
その声の裏返りには、生への執着と必死さが滲んでいた。
「お、お前、俺を売るのか!?
俺たち同期で、これまで一緒に頑張ってきた仲じゃないか!」
ラーニング・ワンは反射的に一歩前に出ようとしたが、途中で踏みとどまった。
ヘッドギアの奥で、怒りと動揺が激しく渦巻いているのが手に取るように分かった。
「うるせぇっ!
お前のことなんか知ったことか!
この“ファーティング・ワン(屁こき)”がよぉ!!」
その瞬間、室内の空気が一段と冷え込んだ。
ネクロスの口元が、わずかに歪む。
「……ふむ。
“統率”の取れていない部下はいらないな」
淡々としたその一言は、即ち冷酷な“裁定”であった。
「お、お待ちくださいネクロス様っ──
私はっ──
あっ」
「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”
底なしの絶叫が室内に反響し、激しく痙攣する身体が床に崩れ落ちる。
ラーニング・ワンの装着していたヘッドギアが赤黒く発光したかと思うと、内蔵された制裁装置が起動し、高電圧の電流が彼の全身を駆け巡ったのだ。
数秒間の後、ラーニング・ワンは物言わぬ肉塊となり、息絶えた。
あたりから屁の臭いは消え去り、代わりに鼻を突く焦げ臭い匂いだけが漂っている。
「よし。
新たなラーニング・ワン、早く入れ」
ネクロスは何事もなかったかのように、軽く手を叩いた。
その乾いた音を合図にするかのように、部屋の扉が静かにスライドして開く。
直後、新たにヘッドギアを装着した戦闘スーツの男が一人、規則正しい足取りで入室してきた。
先ほどまでの惨状を一切意に介さぬ、機械的な無表情さであった。
扉が完全に開くと、その向こう側には、同じ規格のヘッドギア、同じ体格、同じ装備の男たちが無言で整列しているのが見える。
誰かが欠ければ即座に補充される──
代わりはいくらでもいるという冷酷な事実が、言葉を介さずとも明確に示されていた。
「あの、私はラーニング・スリーなのですが──」
新しく入ってきた男は、一瞬だけ扉の向こうを気にするような素振りを見せた。困惑を隠しきれない様子ながらも、できる限り平静を装ってネクロスへと問いかける。
声に震えはないが、慎重に言葉を選んでいるのが見て取れた。
「何を言っている。
私が呼んだのは、ラーニング・ワンと、ラーニング・ツーだ。
それともお前は、ラーニング・ワンでもないのに、命令を破って入ってきたというのか?」
ネクロスの声はどこまでも淡々としており、問いかけというよりは事実の確認に近い。
その絶対的な冷やかさが、男の背中に冷たい汗を走らせる。
「い、いえ。
私はラーニング・ワンであります」
一拍の間を置いて、男はそう言い切った。
自己申告に迷いはなく、それが真実であるかのように振る舞う以外に道はなかった。
「ふむ。
それでは、お前」
ネクロスは視線だけを動かし、生存している方のラーニング・ツーを向いた。
鋭い視線が彼を捉え、逃げ場を与えない。
「お前、なぜラーニング・ツーでもないのにこの部屋に入ってきた?」
「……え?
わ、私は、まごうことなきラーニング・ツーであります!」
一瞬の間を置き、慌てたように返答する。
声量がわずかに上がり、その必死さがかえって違和感を際立たせた。
「私の“設計”したラーニング・ツーは、ギャーギャーと喚かず、淡々と仕事をこなす者だ」
ネクロスはそう言いながら、指先で操作パネルに触れる。
その動作はあまりにも自然で、一切のためらいを感じさせない。
「お、お待ちを!
あっ──」
ネクロスが先ほどとは別のスイッチを押す。
バチリと重い音が響いたかと思うと、ラーニング・ツーは絶叫する暇もなく、糸の切れた人形のように床に倒れ、絶命した。
再びあたりに焦げ臭い匂いが漂い、ネクロスは煙たそうに手で鼻の周りを払う。
「さぁ、次なるラーニング・ツー。
入ってこい。
ラーニング・ワンと共に換気を行い、この侵入者二人の死体を処分しろ」
「了解いたしました」
扉が開くと同時に、ラーニング・ツーを自称する新たな男が入室してくる。
直後、彼は床に転がる
「ラーニング・ツーであったもの」
の足を掴むと、ずるずると引きずりながら部屋の外へと消えていった。
ラーニング・ワンもそれに続き、
「ラーニング・ワンであったもの」
の足を掴み、同様に引きずり出していく。
焦げ臭い匂いは、その後もしばらく消えることはなかった。
◇
「天野悠人を『最重要研究対象』としてマークする。
優先度は、S級ダンジョンの発生予測と同等……
いや、それ以上だ」
ネクロスはその後、即座にラーニング・ワン、ツーとは別の、直属の研究員と情報分析官を招集し、極秘プロジェクトを始動させた。
目的はただ一つ。
天野悠人のデータ収集と、その身柄の捕獲。
彼の能力の全貌を解明し、完全に制御下へ置くための計画である。
まずネクロスは、天野悠人の行動パターンを徹底的に洗い出させた。
天野悠人が探索者登録を行ってからのダンジョン潜入頻度、滞在時間、潜入先のランクと種類。
生成物の詳細な内容、それに要したコスト、成功率、そして失敗作の傾向。
特に、神崎零華の剣技をラーニングして以降の成長曲線は重点的に解析された。
示されたグラフは、通常の探索者の成長率を遥かに超え、恐るべき指数関数的な上昇を描いている。
「確認しろ。
この成長速度は、もはや努力や才能といった既存の言葉では説明がつかない。
これは知識が知識を生む、いわば『知識の複利効果』だ。
一つの理解が次の生成の触媒となり、能力が雪だるま式に増幅している。
私が今、お前たちを招集して分析を行っているこの行為そのものが、奴一人の頭の中で完結している可能性が高い」
次いで、生成範囲と限界の特定が行われた。
これまでに生成された中で最も複雑なアイテムや高度な概念──
ゴーレムの弱点解析プログラムを含め、それらに消費された物理的リソース、知識コスト、精神コストの内訳を現状のデータから分析する。
中でも注目されたのは、知識不足によって失敗した初期の記録であった。
自宅付近のゴミ捨て場で確認された暴発する銃のような残骸、飛行用と思われる崩壊した翼の成れの果て。生成が現実の物理法則に耐えきれず破綻した事例である。
データが不完全な場合、生成物は現実の法則に引き戻され、必ず崩壊する。
すなわち、彼の「知識の限界」がそのまま「スキルの限界」となっていた。
この上限を正確に把握できれば、捕獲時の最適な戦術が立てられる。
最後に、パーソナルデータの監視を改めて強化する。
天野悠人の学籍情報(現在は休学中)、居住地、交友関係。
とりわけ重要視されたのは、幼馴染である早乙女茜の存在だった。
彼女は治癒魔法の才能を持つD級探索者であり、学校にダンジョンが出現した際、彼が彼女を助けたという証言が入院先の病院で入手されている。
零華が回収してきた短刀も、その時に生成されたものと見て間違いない。
「利用できそうか?」
「……いえ。
現在は休学していることもあり、以前ほど深くは関わっていないようです。
恋人関係ではないと推測されます」
集積されたデータをもとに、ネクロスは具体的な捕獲計画を立案した。
幸い、彼の人間関係は希薄であるため、工作は容易だ。
様々な作戦ルートでの捕獲が想定できた。
ただし、目的は排除ではない。
生きたまま、最も成長した状態で確保し、その能力を極限まで引き出すこと。
すなわち、実験体としての利用である。
「現在、彼の成長率は神崎零華との訓練によって急激に加速している。
このまま放置すれば我々の制御を超え、“北の統治者”の完全再現に至りかねない。
手遅れになる前に捕獲し、我々が“統率”するのだ」
捕獲の最適タイミングは即座に算出された。
戦略は明確。
後は特殊エージェントを投入し、彼らに捕獲を完遂させるだけだ。
ラーニング・ワンとツーである。
ネクロスは、新たな発見に心躍らせる研究者のような歪んだ笑みを浮かべる。
彼にとって天野悠人は、もはや一人の少年ではない。
古代の謎を解き明かすための最高のサンプルであり、組織の暗部にとって都合の良い実験台に過ぎなかった。
捕獲部隊の編成と出撃命令書が次々と作成されていく。
その書類には、天野悠人のコードネームとして、こう記されていた。
『実験体:ラーニング・ドッグ(ワンワン)』
すべては冷徹な計算と、世界を統制下に置くという組織の絶対意志のもと、静かに進行していく。
まずは計画の最初の駒として、ネクロスは剣の女王・神崎零華に、極秘の監視および行動命令を下すことを決定した。
「さて、彼女に電話しなくてはな。
ほら、端末を持ってこい」
ネクロスはそう指示を飛ばすと、右腕を静かに光らせ、計画に必要な“道具”を生成し始めるのであった。




