第98話 真実の神殿ー5
「がはッ──!?」
しかし、”圧”のようなものが周囲に発生する。
攻撃が悉くいなされ、相殺され、弾き飛ばされていった。
装備の効果をなんとか無効化しても、風間次郎自身の魔力によって、攻撃が阻まれたようだ。
彼の肉体に攻撃が届く頃には、彼が片手で対処できる程度に威力が減衰している。
火力不足。
風間次郎は後ろへと飛び、悠人たちの攻撃が届くことはなかった。
押し切れない。
悠人たちを絶望させたのは、先ほどの自分たちの攻撃を防いだのが、スキルでも何でもなかったということだ。
ただ彼の膨大な魔力の”圧”によって、攻撃が捻じ曲げられ、捌き切られてしまっていた。
「うん!
君たちの動きは悪くないが、悪くないだけだな!
B級程度か!」
「このっ──」
その男は楽しそうに笑いながら、続け様に放たれる一撃一撃を受け流していく。
彼の身のこなしは、まるで重力から解き放たれているかのようだった。
悠人の生成した概念武装が空を切るたび、風間は踊るような足取りで死線を掻い潜る。
神殿の静謐を切り裂く金属音だけが、絶望的な実力差を証明していた。
(──俺が、守らなきゃいけない。
俺がみんなをっ……!)
悠人は前に出る。
焦燥が胸を焼いていた。
リリスの放つ精密な射撃も、茜が練り上げた高密度の魔力も、風間次郎という圧倒的な個体の前では、文字通り子供の火遊びに等しい。
当たり前だ。
皆、A級探索者以下の戦力。
普通なら叶わないだろう。
それでも皆が戦おうとしているのには理由があった。
悠人のスキルの存在だ。
悠人は自身の脳細胞をフル稼働させ、リアル生成AIへのアクセスを限界まで強めていく。
この未知のスキルが鍵だ。
皆の戦う希望となっている。
悠人は、防具の強度、剣の鋭利さ、それらすべてを「勝利」という一点に収束させるべく、概念を編み上げていった。
剣を構え、さらなる攻撃の体制を整える。
直後、背後から鋭い衝撃が走った。
「──え?」
視界が揺れ、肺の空気が一気に吐き出される。
悠人の身体は、前のめりに崩れ落ちた。
背中に刃を突き立てられたようだ。
(なん──だ……?)
防具のおかげか、防具の性能を見越した上で手加減していたのか。
防具を貫通して、出血することはなかった。
だが、衝撃そのものは防具を透過し、脊椎を伝って全身の神経を麻痺させる。
悠人は視線を動かし、犯人を見た。
風間次郎も、ネクロスも、確かにまだ前方にいる。
突き立てられた刃、それを握っていたのは──
「……神崎──?」
信じられない光景だった。
彼女は、感情を押し殺した表情で、倒れた悠人を見下ろしている。
広間の白亜の床が、視界の端で歪んで見えた。
耳の奥では、高い金属音のようなものが鳴り響き、自分の鼓動だけが異常に大きく聞こえている。
なぜ、という言葉が喉の奥でつかえて出てこない。
共に死線を潜り抜け、互いの背中を預けてきたはずの信頼が、音を立てて崩れ去っていく。
その手に握る剣が、自分に振るわれたという事実を脳が拒絶している。
彼女の瞳の奥にあるのは、かつての信頼でも、現在の敵意でもなかった。
それは、外部からの強制的なコマンドに従う機械のような、冷たく空虚な色彩。
「どう、して……」
悠人は力無く地面へと崩れ落ちる。
全身の力が指先から抜けていった。
生成したばかりの剣が、持ち主の手を離れて乾いた音を立てて転がる。
ネクロスが仕組んだ「理屈」でも、風間次郎の圧倒的な「暴力」でもない。
最もあり得ないはずの「裏切り」が、悠人の心を物理的な傷以上に深く抉っていた。
ネクロスの冷笑が神殿の天井に響く。
「ハハ、滑稽だね。
情緒という脆い鎖に縋った結果がこれだ。
天野悠人くん、君は少し、信じてはいけないものを人間を信じすぎた。」
零華の瞳には、以前のような鋭い光は宿っていない。
代わりにそこにあるのは、底の見えない虚無と、何かに強制されているかのような不自然な静寂だった。
彼女の構える刀の先が、冷たく、無機質に悠人の喉元を狙っている。
その震えることのない刃先が、彼女の決意、あるいは、彼女を縛る呪縛の深さを物語っているかのように見えた。
「下がれ」
零華は唖然とするリリスと茜に短くそう告げると、悠人に向かって手をかざす。
「がっ──!?」
次の瞬間、悠人は未知の衝撃に襲われた。
概念でも、物質でもない。
理解の外側から殴りつけられるような衝撃。
それは悠人が、ラーニング機能で今まで見てきた彼女の攻撃と、全く異なる波動だった。
熱いとも冷たいとも形容し難い、ただ「存在を拒絶する」ための力が脳髄を直接揺さぶる。
それは既存の彼女の魔力体系からも逸脱した、未知の「攻撃」だった。
脳内を走るリアル生成AIのログがノイズで塗りつぶされ、論理回路が次々とショートしていく。
悠人の視界が白濁していった。
ネクロスがほくそ笑んでいるのが、彼のぼやけた意識の向こうで見えている。
(──すべてはコイツの筋書き通りだったのか……?)
ネクロスの指先が指揮者のように動き、戦場という名の舞台を残酷に彩っていた。
風間次郎は戦うのをやめ、退屈そうに頭の後ろで腕を組んでいる。
彼にとっては、この劇的な幕切れすらも予定調和に過ぎないのだろう。
悠人の思考が、途切れる。
身体が自由を失い、重力に従って床へと沈み込んでいった。
感覚が麻痺し、周囲の喧騒が水の中に潜った時のように籠もって聞こえる。
冷たい床の感触さえも、次第に遠のいていった。
脳が生存を維持するためのエネルギーを遮断し始めているのか、視覚情報の処理が追いつかなくなっていく。
自分が誰であるか、なぜここで戦っていたのか。
そうした根源的な記憶さえもが、砂の城が崩れるように曖昧になっていった。
「──悠人っ!!」
「マスター!」
茜とリリスの叫びが、遠くで響いた気がした。
彼女たちの声には、これまで聞いたこともないような恐怖と絶望が混じっている。
リリスが矢を放ち、茜が暴走気味の魔力を展開するのが、薄れゆく光の中で断片的に見えた。
二人は必死にこちらへ駆け寄ろうとしているが、風間の影が、そしてネクロスの障壁がそれを許さない。
仲間たちが絶望に染まる姿を直視することも、今の悠人にはできなかった。
その悲鳴にも似た呼び声に応えようと、悠人は必死に手を動かそうとする。
しかし、指一本動かすことさえ叶わない。
生成スキルも、魔力の循環も、すべてがその「未知の衝撃」によって凍りついたかのように停止していた。
心臓の鼓動が、一つ打つごとに重くなっていく。
呼吸がままらななくなり、酸素を求める肺の動きも、ついには最小限の反射へと落ち込んでいった。
茜の放つ魔法の輝きが、リリスの叫び声が、急激に遠ざかっていく。
戦場の喧騒は徐々に形を失い、ただの単調なノイズへと変わっていった。
仲間の流す涙も、敵の嘲笑も、すべてが他人事のように感じられるほど、意識の解離が進んでいく。
零華の冷徹な横顔が最後に視界に焼き付き、そして悠人は思い出していた。
彼女と出会い、共に歩んできた日々を。
それはすべて偽りだったのか。
それとも、この裏切りの裏側に、彼女なりの絶望があるのか。
答えを求める思考さえも、今はただの贅沢だった。
ただ一つ言えるのは、出会った時から、思えば彼女のスキルと言えるようなものを見ていないということ。
神崎零華はずっと何かを隠していた。
ただ悠人は、それを触れてはいけないものだと察して、放っていた。
間違っていない。
間違っていない選択だったはずだ。
重厚な虚無が、己のすべてを塗りつぶしていく。
希望も、悔恨も、生成すべき未来のイメージさえも、一滴の雫となって闇の海へと消えていった。
抗いようのない脱力感が全身を支配し、意識の縁が急速に削り取られていく。
天野悠人の意識は、完全な闇へと沈んでいった。




