第16話 戴冠前夜
王城は、奇妙なほど静かでした。
戴冠式を翌日に控え、本来なら祝宴の準備で賑わうはずの夜。
けれど空気は張り詰めている。
誰もが知っているのです。
――まだ終わっていない、と。
レティシアは回廊を歩きながら、窓越しに王都の灯りを見下ろした。
(ここまで来ましたのね)
婚約を告げられた日から、すべてが加速した。
偶然だと思っていた出来事は、今では一本の線になっている。
そしてその線は――十年前へ繋がっていた。
「来たか」
記録塔の最上階。
待っていたのは王弟だった。
かつて“悪役”と呼ばれた男。
だが今、その顔には奇妙な穏やかさがある。
「明日で終わる」
彼は窓の外を見たまま言った。
「……終わらせるために、最後の話をしておく」
レティシアは静かに頷いた。
「十年前の事件には、まだ欠けている人物がいる」
「……首謀者ではなく?」
「違う。止められたはずの人物だ」
王弟が机の上に一枚の書簡を置く。
見覚えのある紋章。
アルヴェイン公爵家。
母のものだった。
震える指で封を切る。
中にあったのは報告書ではない。
手紙。
宛名――王弟。
⸻
殿下。
私たちは失敗しました。
革命派を暴くことはできましたが、
首魁を捕らえれば内戦になります。
⸻
息が止まる。
⸻
だから私は、証拠を隠します。
王国を守るために。
⸻
「……隠した?」
レティシアが顔を上げる。
王弟が頷いた。
「お前の母は、真実より国家を選んだ」
革命派の中心人物。
それは――
「王族だった」
世界が止まった。
「王族の反乱が明るみに出れば、王権は崩壊する」
王弟の声は静かだった。
「だから罪は私に集められた」
「では……」
「私は処刑される予定だった」
淡々とした告白。
「だが兄上が止めた」
国王。
「代わりに私は“悪役”を演じ続けた」
十年間。
孤独の中で。
「なぜ今、話すのです」
レティシアが問う。
王弟は初めて彼女を正面から見た。
「王が変わるからだ」
一拍。
「秘密は王を守るためのものだ。だが王を縛る鎖にもなる」
静かに続ける。
「カイルに同じ嘘を背負わせたくない」
それは赦しだった。
そして――託すという意思。
その瞬間。
窓の外で閃光。
次いで爆音。
王城の一角から炎が上がった。
「――始まったか」
王弟が低く呟く。
鐘が鳴る。
警鐘。
兵の叫び声。
「革命派の残党ですわね」
「いや」
王弟は首を振った。
「本命だ」
振り返る。
「戴冠式を潰せば、王位そのものが不安定になる」
つまり。
明日ではない。
――今夜が決戦。
扉が開き、カイルが飛び込んできた。
「レティシア!」
「無事です」
安堵が一瞬だけ彼の顔に浮かぶ。
「城内に侵入者。内部協力者がいる」
予想通り。
十年前と同じ構図。
内側からの崩壊。
カイルが剣を取ろうとした瞬間。
レティシアが言った。
「殿下」
「?」
「これは戦ではありません」
彼を見る。
「戴冠前最後の政治です」
理解が走る。
「……敵は象徴を壊したい」
「ええ。ならば逆です」
一歩前へ。
「民に見せましょう」
王が逃げないことを。
カイルがゆっくり頷く。
「正面に出る」
王弟が笑った。
「本当に似てきたな」
「誰にです」
「王に、だ」
短い沈黙。
そして三人は同時に歩き出した。
逃げるためではなく。
迎え撃つために。
戴冠前夜。
王はまだ王ではない。
だが。
この夜を越えた者だけが、王になる。




