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はいきょ

 昔は結核患者を受け入れる療養所だということは聴かされていた。霊安室に入れられるお仕置きがあると噂されていたのもそのためでしょう。

 ネットで検索してみると廃墟マニアが探訪した記録が残されている。

 療養所内に学校が出来たのが昭和23年、療養所から独立したのが昭和26年、寄宿舎が出来たのが昭和35年。肥満、不登校児を受け入れ始めたのが昭和48年。

 私が入所した時には既に結核寮はなく、喘息児と腎・ネフローゼ児しかいませんでした。

 廃墟サイトでは喘息女子と腎・ネフローゼ寮の玄関の画像を見て色々と見える人がいるようです。もちろん私には見えませんし、そこは結核寮ではありません。霊安室も別の建物にあります。

 掲示板を見ていて一人心当たりがある。3学年下の宮本かな? 可愛い顔して、よく看護婦さんの観察が出来ているのには恐れ入りました。


   *


 その廃墟も取り壊されイタリアン料理店や乗馬施設になっているようです。

 心霊マニアによると、霊たちは学校の方へお引っ越ししたそうです。GoogleMap で見るとその廃墟がまだ残っていました。学校グラウンドは売りに出されていて、細かった道路も対向2車線になっておりました。


   *


 コロナ禍に石川宅へ電話した。元重永が出た。担任が逝去されたのと療養所跡地が転用されたこと、学校が廃墟になっていることを話しました。

また会えないもんかねぇ。とみに思います。

人物の名前は全て変えてあります。

養護学校、寄宿舎、木造校舎は当時に実在しておりました。

本当は「療養所」じゃなくて何と呼ばれていたか、関係者は知っていると存じます。

両腕を同時に折ったのは、ほらあの子ですよ。

このエッセイが関係者の元まで届けばいいなと存じます。

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