13 夜の、森の、酒場
酒場。
ただし、
帝国国境線よりも東に位置する酒場。
つまり帝都ではない、帝都よりも東の森の中。
夜の酒場。
森の酒場。
別れの酒場。
商人たちにとって、酒場と市場はなくてはならないものだ。
場末のよくどこの町や村にもある、誰が来ても、誰が訪れたのかもわからない、誰もが想像する酒場に限らない。
一部の者しか入れず。誰だとは名乗らずともどういう者か分かる。一般的でない酒を供する場もこれに含まれる。
壁があるとかないとか、天井があるとかないとか、主人がいるとかいないとか、そういうものは条件ではなく。
例えば、次のような場所も、酒場といえるだろう。
篝火を囲み、歌を歌うでもなく、闇夜に揺らめき、ボソボソと話す。
思い思いの場所で、自分たちで持ち寄って、誰とは分からないが、仲間であるとは知っている。
帝国国境線よりも東に位置する不定期の酒場。
森の酒場。野ざらしの酒場。夜の酒場。
商人に欠かせない市場が、今日で、閉じられた。
次に市場が開かれるのは三ヶ月後。ここではない場所。
部族同盟の勢力圏内の森の中で、今季の市場は開催されていた。
概ね成功だと言えるだろう。
250の部族が参加する軍事同盟、部族同盟が管理下に置いた市場といえど、そこに参加していたのは様々な種だった。
人以外にも、文化的な知識を有する亞人や獣人も当たり前に商人として参加している(ただし、これらの呼称は蔑称であることを忘れてはならない)。
人族にしても、いわゆる帝都以東の異民族と呼ばれる者たちだけでなく、異大陸の商人や冒険者の姿も見られる。それどころか敵性国家である帝国の商人でさえこの場所にはいる。
このことが、帝国の人間が異民族と一括りにそう呼ぶ人たちにも様々な文化があり、国家の如きものが存在していることの査証だ。つまり、帝国は確かに敵国だが、他部族や他種の存在も同じく敵になりうる存在だということだ。ならば、他部族や他種と同じく、帝国の人間とも少なくとも商いくらいはできる。
異民族は帝国の高い技術力による品を、亞人や獣人の技術や魔術による人では作れない品を。
亞人や獣人は自分たちでは生成できない薬や芸術品を人から求め。
帝国の商人は、見たこともない鉱物や、珍味珍品を未開の住民から手に入れる。
ここはそういった交易を行う市場の一つだった。
そして市場がある限り、酒場はあるものだ。
市場と酒場は切っても切れない。
商人たちは市場に赴く前に酒場に行く。市場が閉じれば酒場に行く。
酒場は社交場であるからだ。縁と種を探す場所だからだ。アタリと情報と言ってもいいけれど。
だから商人たちは市場が開く前に酒場に行く。
誰かわからない相手に勝負に出るのは勝ち負けで考えても愚か者。礼儀作法で言えば辻斬りの類。それは騎士も商人も同じというわけだ。職業的な業であればあるほど、専門家であればあるほど、いきなり戦場に飛び込んでいったりはしない。
そして市場が閉じた後にも、急ぎではない場合を除き、商人たちはまた酒場に足を運ぶ。
戦闘が終わった後に、戦士が酒場に行くのも概ね同じ理由だ。
ただし、商人の場合は、本当にただ単に慰労の意味合いしか持たない人間も多い。
市場での商いが上手くいった者も、空振りに終わった者も、ご苦労様でしたと、誰に言うかは個別の違いとしても、そういった感謝の儀式として、酒を軽く引っ掛けていく者も多い。
もちろん、この段階に至ってもまだ諦めない、この段階から次の商機に目を爛々とさせている者もいないではないだろうが、場の雰囲気としてはそんな者を疎ましく思う空気が満ちていた。
商人たちの戦いの、鎮魂の宴。
盛大に焚かれているとは言え、単体の篝火では、どこにどんな人物が酒を飲んでいるのかまではよくわからなかった。
だから、この人物が、『市場』では浮いた人物だったとしても、他の参加者たちは気にもとめていなかった。静かに酒を飲んでいる限り、自分たちの関知するところではないという暗黙の了解からだった。
背は低い。だが体を鉄の筋肉で覆われた、初老の男。
がっちりとした肉体には、がっちりと四角張った骨格の顔が乗っている。
左目には、その上から下に刃傷が醜く引きつって走っていた。
服装はどこかしらの氏族。それなりの身分のものだとは分かる。そしてその体と傷跡を見れば商人ではないとわかっただろう。
そうと気がついても、この場にはそれをわざわざ声を出してまで指摘する者はいない。
男は一人で酒を飲んでいる。わけではなかった。
目の前には酒がおいてはあるが、一口も飲んではいない。
その対面には一人の男が酒を飲んでいた。
その男は、刀傷の男に比べてまだ年若い男だった。
その男は、異民族の男と見比べれば、帝国の冒険者だと分かった。
がっちりと鍛えられた体つき。だが、濃霧のような白の短髪の元に好奇心に瞳を輝かせる様子は、対面する眼帯の男とは相反するものだ。厳しさと柔軟。真面目と不真面目。老人と若者。酒を酌み交わす相手としてはかなり珍しい組み合わせだった。
刀傷の、異民族の男は酒は飲んでいなかったし、厳しい面構えだった。
帝国の、白い短髪の男は、酒を飲んではいたが、どこかニヤつきながら、待っていた。
刀傷の男が、口を開くのを待っていた。
酒も飲まず、言葉も話さず、刀傷の男はじっと対面する男を観察して、いや睨んでいたが、やがて口を開いた。