72.炎の捕食者
炎竜人が旧リオン帝国で恐れられたのは、その炎のブレスや強大な力、だけではない。
リオン皇帝が召喚した“竜女王の子供たち”に共通する特性である不死性が最も恐れられた。
厳密に言えば、おそらくそれは不死ではない。
ゾンビやスケルトンといった動く死体とは違うのだ。
半竜であることとその性質が精霊に寄っているために、彼らの肉体は仮初めのものである。
その肉体が滅ぼされても、精霊の力を寄せ集め、また復活する。
それが炎竜人らの不死性だった。
これは、もしかしたら暗黒騎士であったギアや知識の豊富なユグドーラスがいれば伝えることもできたであろう。
しかし、ポーザもデルタリオスもそのことを知らなかった。
あるいは死んだ発掘隊のリーダーなら何らかの情報を持っていたかもしれない。
まあ、それは言っても仕方のないことだ。
夜半。
死した炎竜人の黒くなった亡骸が、炭から火がおこるようにうっすらと赤く染まる。
それは仮初めの体を捨て去り、鈍く輝く発光体となって飛び去った。
東へ。
リオニアスの方へ。
夜空を飛翔する炎竜人の魂は、いまだ完全な回復をしていない。
そのため、飛んでいる最中に、ポロポロと欠片が落ちていく。
それは、近くの可燃物に接触し燃え上がる。
リオニアス目掛けて、炎が侵食するようにあちらこちらで火の手が上がっていく。
リオニアス火付盗賊改に雇用された冒険者たちは、リオニアス周囲で発生した火災の鎮火へ向かっていた。
火に強い耐性を持つもの、炎属性魔法を使える者、水属性魔法を使える者らが集められ、各地で発生した火災を消火していく。
その中に、リヴィとナギもいた。
学園入学に関して、いろいろ思い悩んでいるリヴィだがとりあえず冒険者として依頼をこなしつつ、生活費も稼がねばならない。
それに、火球のみとはいえ、魔法の契約にまで至った魔法使いである。
この依頼に応える力量は充分にあるはずだ。
ナギ自身は火の使い手でも水魔法が得意なわけでもないが、父から得た鉄魔法、母から得た雷魔法、そして三年の間にいつの間にか契約していた錆魔法という三系統の魔法を使いこなせる技術と、錆の記憶によって呼び出せる高位半魚人が水そのものであることから、依頼を受けることになった。
「行きなさい、ガルギアノ」
ナギの命令で発生した錆の塊が半魚人の形をとり、炎に突っ込む。
しゅうしゅうと体躯を蒸発させながら、半魚人は農場に起こった火を消し止めていく。
リヴィも発火している箇所を爆破して、燃えるもの自体を無くしていく。
農場の主人は、ひきつった笑顔で了承してくれたので遠慮はない。
彼女らの活躍もあって、その農場の火は比較的被害が軽く消火できた。
「ふぇー。なんとかなりましたね、ナギさん」
「ええ、延焼するものも無かったのが良かったですわ」
農場の主人が冒険者に、と出してくれた冷たい井戸水は火のそばで活動して、乾いた喉に心地よかった。
「それにしても、わたしたち慣れてきたのか、消火活動早くなりましたよね」
依頼の初期は、火災の発生とともに動いても全焼することもあった。
しかし、今は冒険者と役人の連携もとれてきて、今回のように軽い被害ですむことも多くなってきた。
まあ、それだけ火災が多いということでもある。
「それもありますけども、火災の起こる場所がどんどんリオニアスに近づいている気がしますわ」
「え?」
リヴィは盲点をつかれたように思った。
確かに、最初はリオニアスから半日はかかる森での火災だった。
それから、この数日間で発生場所はどんどんリオニアスに近づいて来ていた。
今回の農場は、城壁が見えるほど近く、城外の商店街からも程近い。
「でしょう?」
「リオニアスに何が近づいているんでしょうか?」
「私にはわかりません。こういうことは以前にもあったのですか?」
「……わたしの知る限り、初めてです」
「少し、まずい状況かも知れませんね」
「ま、まさか魔王軍の残党、でしょうか?」
「それはありえませんわ」
ずいぶんキッパリとナギは断定した。
「え、なんでです?」
「あの方がいらっしゃる限り、それはありえません」
「あ、確かに」
元、魔王軍の暗黒騎士たるリヴィの想い人がいれば、そういう動きは事前に潰しそうである。
それ以前に、魔王軍の本隊はとっくに魔界に撤収しており、残党の中でも最大の魔獣軍団はギアによって倒されている。
残党の残党とも呼ぶべき魔獣たちも、ギアによる森の調査やポーザによる捕獲によってほぼ壊滅していたのだった。
今、現在魔王軍による人間界への影響力はほぼゼロだったりする。
だからこそ、それ以外の何かがうごめき出しているとも言える。
いくつかの欠片をリオニア中に撒き散らしながら、炎竜人はリオニアスを目指す。
なぜかは、彼自身にもわからない。
その魂に刻まれたドラゴンの因子が、求めていることを。
魔王の継承者を。
『お前では力不足だ』
その街に着く直前、炎竜人の魂はその道筋を阻まれた。
言葉にならぬ咆哮で退けようとするが、妨害者は意に介さぬように揺るがない。
視覚によらぬ目で炎竜人はそれを見た。
人間、のように見える。
自分を呼び出し、戦わせ、闇の中に数百年も閉じ込め、そして仮初めの体を打ち倒した人間。
憎悪が炎竜人の魂を波立たせる。
バシュッ、バシュッ!
欠片を炎の矢と化して、射出する。
妨害者はそれを見もしないで払い落とす。
今、何で払った?
炎竜人は疑問を覚えた。
手も足も動かした様子はない。
火の精霊を使って、周囲の全てを感知している状態の彼は目で見るより、正確に物事を察知できる。
その精霊は、払ったものの正体を知らせる。
尾、だ。
人間に尾?
人間にそんな器官はない、ないはずだ。
『思わず払ったが、俺には炎は効かんよ。人間としても、竜としても、な』
竜!?
ドラゴン!?
それなら、同族のはずだ。
なぜ、邪魔をするのか。
『おいおい、勘弁してくれよ。俺と半竜人が同族だって?』
呆れたような笑い。
『それに、炎というのはこう使うんだ』
妨害者の手が振られた。
ことを感知した瞬間、魂に鋭い痛み。
何か、魂すら貫く何かが感知できない速さで、炎竜人を貫いていったのだ。
『おおっと、あまり傷つけるといけないな。お前は大事な大事なエサなんだから』
エサ?
餌?
喰われる?
はじめての感情が炎竜人の魂を激しくざわめかせた。
それは恐怖だ。
己を捕食しようとする存在への絶対的な恐怖。
今の今までしたことのない行動を炎竜人は選択した。
逃走、である。
一目散に逃げる。
捕食者の目が届かないところまで!
『逃げる、か。恐怖を覚えたのだな。素晴らしい、お前は感情を覚えたのだ。ドラゴンという種族が持ち得なかった恐怖……』
妨害者は、スッと空中を歩き出す。
逃げ続ける炎竜人は目の前に突然現れた妨害者に掴まれた。
『鬼ごっこは終わりだ』
掴まれたまま、ぶるぶると震える魂。
それを妨害者は楽しげに見つめる。
『お前の火の精霊を凝縮する特性、いただくぞ。俺が復活するためにな』
開いた口には鋭い牙が並んでいた。
そして、果物でも食べるかのように齧りつく。
炎の飛沫が、その肌を焦がすが妨害者は気にしない。
それどころか、焦げるはじから修復されていく。
やがて、炎竜人はその存在、全てを食らいつくされた。
そして、人であり竜であるそれはゆっくりとリオニアスへ降り立った。




