27 『…ぶちょウ…ワタシ…帰っテキチゃいまシたヨ…』
何事もなく数日が過ぎた。
相変わらず、副部長の姿が目撃されることはなかった。
文ちゃん先輩は、「そもそも今回の事態を招いたきっかけは、私の油断です。今度こそ気を抜く様な無様な油断はいたしません!」と気合十分だった。
とはいえ、本来通学路の違う部長と同じバスに堂々と乗ってゆくのはあまりにも不審に過ぎるので、彼女はその機敏な動作で、毎日バスを追尾していたのだった。これではさすがに疲労も溜まってくるという物だろう。
一度、文ちゃん先輩に聞いたことがある。「いざという時、戦えるんですか?」と。
すると彼女は、「これがあります」と、あの槍もどきを見せてくれた。
長さは50センチくらいの小さな棒きれだけど、先端には何やら複雑な文字がびっしりと刻まれた鋭い刃が付いている。もう片方の端、握りの部分は紫色の紐が巻かれてあって、握りやすくなっていた。こちら側の先端は小さな髑髏の意匠が三つ彫られている。あの時はよく見えなかったけれど、この骸骨の目の部分には、エメラルドか何かの宝石が埋め込まれていた。
「これは『フェッチ棒』という魔力を秘めた道具です…本当はもっと悍ましい方法で作られるのですが…これは私なりにアレンジして作った偽物ですけれど」
フェッチ棒…って、たしか木でできた、犬用のおもちゃの事だよなあ。ペットの犬が、がじがじ齧ってる骨みたいな奴。
「よくご存知ですね。名前はそこから取りました。なかなか壊れないのが長所です」
そういう文ちゃん先輩は、何だか嬉しそうだった。ご自慢の逸品らしい。
「投げてよし、突いてよし。手頃な大きさで使い勝手がいいですし壊れにくい。それに」
「…それに?」
「これは本来、亡者用の武具なのです。彼らには絶大な威力があるのですよ?…人間相手には、ただの刃物程度の威力しかありませんけれど」
「対ゾンビ兵器」って事か。今回の副部長の様なケースには最適なのかもしれない。つい先日、これで命を狙われた身としては少々複雑な心境でもあるけれど。
「…それよりも志賀君。心配なのはキミの方です。もし倉澤さん…泥口がキミの方に現れたら…」
「あ、その時は大声で鮎子先生呼びますって」
「…本当に、ひとりで無茶はしないでくださいね?」
文ちゃん先輩は、僕の手を握りしめた。
気がつけばもうすぐ終業式だ。色々とあったけれど、来月の部展は開催される事になった。副部長の遺した作品も「遺作」として展示される予定だそうだ。
僕も、また新たなイラストを描かなくてはならなくなり、部長の密かな警護を兼ねて部室に籠る日々が続いた。
部長も毎日部室に来てはいるけれど、創作の方はまるで進んではいないみたいだった。
僕は僕で、ギターが弾けないのは正直辛い所だけれど、目の前の諸問題をクリアーせねば、練習にも実が入らない。それになあ…
「…はぁ…」
落ち込むに十分な理由がもうひとつできてしまった。ため息のひとつも出る。
「しがん。元気ない」
塚村さんが僕の顔を覗きこむ。
「…そう見えた?」
「見えた。ひと晩経った夜店の綿菓子みたいにしょぼい顔」
「…うるさいな」
「あれはあれでまた独特の食感があっていいけど、今のしがんはただのヘタレ」
「やかましい。こっちはこっちで色々と事情があるんだ」
「試験結果」
「う…」
塚村さんの言う通りだった。先日、期末試験の結果が出たのだけれど、いつもの様に文系科目はまあそこそこの成績だったものの、文ちゃん先輩があれだけ精魂込めてご教授くださった理系科目が、見るも無様な結果となってしまったのである。…どんだけ理系に嫌われてるんだ僕ぁ。…きっと前世で理系の教科書でも殺したに違いない。
そのうち、背負った理系の教科書が「…こんな月の夜でしたなあ」なんて言ってくるかもしれない。
文ちゃん先輩に何て謝ろうかと落ち込む僕だったけど、むしろ彼女の方が恐縮していた。
「すみません志賀君。私の努力が足らなかったせいで、キミをこの様な無残な結果に…」
「いえ、文ちゃん先輩はとってもよく教えてくださいました。僕が悪いんです。気にしないでください」
「む?そうはゆきません。学年末試験がキミの汚名返上の場になるべく、私が責任を取ります。責任を持ってキミを男にします。一人前の男にしてみせます」
文ちゃん先輩とまた一緒に机を並べて勉強できるのは嬉しいけれど、その分プレッシャーも大きくなってしまったのも事実である。
幸いな事に、例のクリスマスの約束はチャラにはならなかった。
…その名義が僕を励ます会になった事を除けば。あーあ。
皮肉な事に出展作品のアイディアの方は、今度はすぐに浮かんだ。構図もすっかり頭の中にあるし、前みたいに「描いたらまるでイメージが違った」なんて事にはならないと思う。
それだけ、今度のモチーフには確固たる物があったんだ。
でも、今は成績とか僕の作品の事はどうでもいい。
…泥口と化した副部長が、いつ姿を現すか。
それだけが気がかりだった。
…ある部分においてだけは、現実逃避の様な気がしないでもないけれど。
そんな日々が続いた後。
現代に蘇った泥口、倉澤由美子は、何の予告もなく、ぶらりと帰ってきたのだ。
終業式の前日のその日は、朝から雪が降っていた。
けっこう積もりそうな勢いで、この時期のうちの地域では珍しい事だ。
わが上州群馬の高崎に雪が降るのは、むしろ年も開けて2月になってからの方が多い。
それまでは、ただひたすら乾いた空っ風が吹き荒れる日々が続くのが恒例だった。
これでなかなか縁のない「ホワイト・クリスマス」を体験できると、一部のカップルたちは浮かれていたみたいだった。
「今年はお前もそのひとりじゃねーかこんちくしょー」などと、我が愛しき悪友森竹などはやっかんできたけれど、生憎と今はそんな心境ではいられないや。
ほとんどの部員はすでに作品を仕上げていて、部室にはこなくなっていた。部室にいるのは遅々として筆の進まない蒼木部長と、そんな部長が気になって作品に手がつかないこの僕の二人きりとなっていた。
お互い、ただぼーっと時間を過ごしているだけだ。時折、部長が淹れてくれたお茶を飲みながら他愛のない雑談をして、そのうちに話題もなくなると、それぞれ制作中の作品を、ただぼーっと眺めている…特にこの2、3日はその傾向が強くなっていた。
今日も何度目かの雑談の後、また無口になってからしばらく経っていた。
僕は、自分の両腕にはめた金属製のブレスレットを見た。
これは文ちゃん先輩から貰った物だった。同じ物を文ちゃん先輩と鮎子先生もはめている。
「…そのブレスレット、綺麗だね」
いつの間にか部長がそばにやってきていて、そのブレスレットを見つめていた。
「ああ、これですか?貰い物なんですよ」
「…へえ。いいなあ。会長さんからかい?」
「あ…はい。いつも持っていろって言われちゃいまして」
「君たちはお付き合いしているんだってね?」
「はい」
「彼女は大切にしてあげなければね…僕にはできなかった事だけど」
「あ…すみません部長。無神経でした」
「はは。気にしないでいいよ。…倉澤君…もう一度会いたいなあ…」
蒼木部長は遠い目をしていた。窓の外を見ているけれど、その目に雪は映ってはいないのだろう。
その時、左腕のブレスレットが急に熱くなった。…合図だ!
お互いの分担を決めたあの日、僕たち三人は同じブレスレットをそれぞれ二組ずつはめる事にした。これは文ちゃん先輩が作ってくれた物で、誰かがこれを引きちぎると、それに連動したブレスレットが急激に発熱する様な魔力が込められているのだという。
僕たちはそれぞれ、右腕が文ちゃん先輩、左腕は鮎子先生のブレスレットに反応する様にしていた。僕の場合は両腕のブレスレットを引きちぎる事になっている。
左手という事は…校内にいる鮎子先生が、副部長の気配を察したか、あるいは遭遇したという事になる。
…もし鮎子先生に倒されていないとすれば、副部長がやってくるのは…おそらくこの美術室だろう。
「…志賀君?どうしたんだい?」
急に顔色を変えた僕を、部長が怪訝な顔で見ていた。
「あ…部長、この部屋から絶対に出ないでください!」
「どういう事なんだ?いったい何が…」
「しっ…!静かに!」
僕は部長を制すると、耳を澄ませて神経を集中させた。
どんな些細な音も聞き逃すまい…と身構えたものの、緊張で高鳴る自分の鼓動が邪魔になってよく分からない。
じきに鮎子先生と文ちゃん先輩もここに駆けつけてきてくれるだろう。それまでは…
視線を四方にむけてみた。…どこからくる?
正攻法で部室の入口…?それとも準備室側から…?
まさか天井を突き破って…?
聞こえてくるのはしんしんと降り続く雪の音と、時々窓を叩く風の音。自分の心臓の音がやけに耳に障る。荒い息遣いは部長の物だろうか。…それともこの僕自身の物か。
…こつん。
何かが窓を叩く音がした。
思わずそちらを見たけど、別に何事もなかった。
もう一度耳を澄ませてみる。
ひゅうぅぅぅぅぅ…
風の音すらはっきりと聞き取れた。
え…風?
冷たい風が頬を撫でていった。
風が入ってくる?…窓は全部締め切っているはずだ…
僕は風が吹き込んでくる方角の窓を、もう一度注意して見た。
一番左側の天窓が、いつの間にか僅かに開いている…開けられている…!?
その窓の外側に、一瞬、何か動く影が見えた。
…あそこか!?
僕は部室の中央付近にゆっくりと移動した。事態をよく呑み込めていない部長も僕の動きに倣った。
もちろん、視線は窓から離していない。
…くるのか…!?
…がしゃん!
ガラスの割れる音が沈黙を破る。
それは僕たちが睨んでいるのとは反対側の窓の方から聞こえた…え?
思わず反対側の窓を見た。
…いた!!
雪だらけになってもまだ分かる汚れた絵具塗れの顔が、天井から逆さまにこの部屋を覗きこんでいた。
髪の毛はほぼ抜け落ちていて、頭皮も傷だらけになっている。
しかしもっと悍ましい事に、そいつにはもう目が無くなっていた。
眼窩の痕跡らしいわずかな窪みはあるものの、ただそれだけ。
その代わりに…耳元まで大きく裂けた口が、顔の下半分のほとんどを占めていた。
その口が大きく開かれる度に、ニンゲンのままの形をした歯ががちがちと音を立てている。
そいつは割れた窓から手を伸ばして、中の鍵を外そうとしている。
「…な…何だあれは!?」
部長が悲鳴を挙げる。
そいつは何とか鍵を外して入ってこようとしていたけど、天窓が小さすぎて、身体を通す事ができないでいる。
北側校舎の3階にあるこの美術室は両側に窓がある。その上はもう立入禁止になっている屋上だ。あいつは一度窓を開けてから天井を駆け抜けて反対側に回ったのだ。
「さ…さあ部長!今のうちに逃げましょう!!」
「あ…ああ」
天窓からの侵入を断念した化物は、窓の外で大きく仰け反った。
すると…ええ!?
上体を大きくスイングすると、あいつの頭がぐにゃりと伸びた。およそ7~80センチくらいか。実に気味悪い姿だ。
まるで蛇の様にくねくねと蠢きはじめたその頭部を太い鞭の様にしならせると、化物はもう一度下の方の窓ガラスに叩きつけた。
がっしゃーん!
窓は一撃で割れてしまった。先程とは比べ物にならないくらい強い雪風が吹き込んでくる。
化物はゆっくりと窓の縁に手を掛けて、その手を軸にくるりと身体を回転させながら部室に飛び込んできた。
予想外に身軽で機敏な動きだったけれど、着地はうまくゆかなかった。
腹部を床に叩きつける様な無様な仕草で、化物は転落した。しかしすぐに態勢を立て直して、化物はゆっくりと立ち上がった。
身にまとっているのは絵具塗れのうちの制服。簡易ネクタイの二つ星もよく分かる。
…あの夜、僕たちが最後に目にした時の副部長の着ていたままの制服だった。
「あ…あ…あ…」
部長は恐怖のあまり声が出ない。
化物はゆっくりとこちらに向かって歩きはじめた。
『…ぶチョう…ブちょウ…大好キな蒼木せンパい…』
妙にくぐもった、トンネルの向こう側から聞こえてくる様な声。
『…ぶちょウ…ワタシ…帰っテキチゃいまシたヨ…』
…その声は聞き取りにくくはあったけれど、あの夜に転落死した倉澤由美子副部長の物に間違いなかった。




