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14 イメージの具現化とは、とかく困難を要する物なのである。

 その後、僕に気づいた倉澤副部長たちと合流して美術室に行った。

もう十人前後の部員が集まっていて、雑談しながら昼食を取っている。

僕もまずは昼食を取ろうとして。

…取ろうとして、その前にちょっと考えた。

…バターかあ…バター、ねえ…

文ちゃん先輩の心遣いには頭が下がる。ホントーに平伏する。

でも…おにぎりに…バター、ねえ…

もしかして、カンペキ超人の文ちゃん先輩は、実はお料理だけはセンスないとか…?

いわゆる「(たま)(きず)」という奴か?

それはそれで可愛げがあるというか、「あの人もやはり人間だったか」という一方的決めつけな安堵感があるというか…

さらに考えた。今度は食べる順番だ。

たとえ安いだけで美味しくなかろうとも、まだ「商品」としての価値を持つあんドーナツ。

未知の領域、僕の知らないセカイ、異次元のテイスト、文ちゃん先輩のバターおにぎり。

…さあ。最初に口にすべきはさあ、どっちだ?

最初にあんドーナツを食べて、その風味が残っている間におにぎりを一気に食べてしまうべきか?

はたまた最初におにぎりを食べてしまい、その後味をあんドーナツの風味で散らせてしま

うのがよろしいのか。

そんな問題に葛藤していると、蒼木部長が温かいお茶を淹れて持ってきてくれた。

部長、やっぱ貴方はいい人です。

結局、僕は後者を選択した。後は行動のみ、なのだけど。

僕はデフォルメされた可愛い(?)達磨のキャラがプリントされたハンカチを恐る恐るめくった。

その中には、アルミホイルで包まれたおにぎりがひとつ。

僕は、あたかも包帯で厳重に覆われたミイラの開封作業に没頭する考古学者の様な心境で、丁寧にアルミホイルを開いていった。

中身が顕わになるにつれて、ほのかに漂ってくるバターの香り。…あれ?

わりといい匂い?

お米の色は、ほのかに琥珀色。

何だか、僕の想像したのと違う…?

僕が想像していたのは、バターのでっかいブロックが「具」として混入されている様なシロモノだったのだけれど…

手にしたまま、そのおにぎりをじっと見つめている僕に、横でサンドウィッチを食べていた倉澤副部長が、

「あれ?志賀君。バターライスのおにぎりなんて凝ってるじゃない?」

と、声をかけてきた。

「へ?バターライスって言うんですか?コレ」

「知らないの?」

「生憎と」

途端に周囲からの笑い声。声の主は主に…というか圧倒的に女子たちだった。

「バターライス、知らない?」

「はあ」

倉澤副部長は、僕のおにぎりを覗きこんで、

「ふーん…ただ交ぜたんじゃなくて、ちゃんとバターで先に炒めた後で炊いたみたいね…これはなかなか手の込んだ技よね」と感心していた。

「そんなの分かるんですか?」

「うん。だってそうしないと、おにぎりにした時に油でべとべとになっちゃうし、第一、ぽろぽろと崩れて食べづらくなっちゃうでしょ?」

あ、そうか。いくら料理という物に無知な僕でも、それくらいは容易に想像できた。

「作ったのお母さん?凝ってるなあ」

「いえ、これはあや…生徒会長がくれたんです」

「へ?鬼橋さんが?さすがだなー」

そういう倉澤副部長の表情には、何の思惑も感じられなかった。どう見ても、素直に感心してくれている様に見えるだけだ。

少なくとも、彼女が文ちゃん先輩に含む所はなさそうだった。

「さすがって、あ…会長はお料理も得意なんですか?」

「うん。ウチのクラスでも有名だよ?あたしだってさ、時々彼女お手製のお弁当を分けてもらったことあるけど、絶品だったなー。特に唐揚げ。お店出せるレベルだよアレは」

そういえば、副部長は文ちゃん先輩と同じクラスだったっけか。

「…副部長」

「ん?」

「まさかあや…会長のお弁当をくすねたり、つまみ食いしたりしてません…よね?」

…まさかとは思うけど、それで文ちゃん先輩が怒ってる…とか?

まさかなあ。

案の定、倉澤副部長は何それ?と笑い出した。まあ、そりゃそうだよな。

「ちゃあんとそれが欲しいって言って、あたしのお弁当のおかずと交換したわよぉ。もちろん、鬼橋さんの了解も貰ったし」

「あ…会長はその時、嫌な顔とかしてませんでしたか?」

「へ?してないよ?むしろあたしがあげたアスパラ巻きのレシピに関心がわいたって、熱心に聞いてきてたけど。それがどうしたの?」

「あ、いえ。何でもないです」

以前の文ちゃん先輩は、副部長とも普通に親しくしていたらしい。

それだけに、最近の文ちゃん先輩の不自然な態度が気になる。

「…最近、副部長は会長と話してますか?」

僕の唐突な質問に倉澤副部長は、

「あー…言われてみれば、前より話す機会も減ったかな?」

「…いつ頃からです?」

副部長はちょっと考えて、「…そうねえ…鬼橋さんが生徒会長に当選した頃、かなあ…?」と答えてくれた。

生徒会の選挙の頃、かあ…

……。あれ?

ちょっと引っかかった。

前に文ちゃん先輩はこう言ってたっけ。

『過日、私は取り返しのつかない過ちを犯してしまったのです。その過ちを少しでも償うために、私はこの学校の生徒みなの為に、礎となってこの身を捧げる決意をしたのです』

それに、こうも言ってた。

『今の私は、贖罪の為に、自らに職務を負わせているだけなのです』

そうだ。たしかにそう言ってたんだ。

過ち…過ちかあ。

文ちゃん先輩のしてしまったという「過ち」。

もしかして、それと倉澤副部長に対する不自然な態度の間には、何らかの関係あるのだろうか…?

僕は文ちゃん先輩という一学年先輩のことは尊敬している。

非の打ち所のない凄い人だと思っている。

ウチの生徒の誰もが、彼女に対してそういったイメージを持っていることだろう。

でも、僕は知っている。

あの文ちゃん先輩だって色々と悩みもするし、愛らしい笑顔だって見せてくれるんだ。

規律に厳しい「鉄血宰相」だけでは、断じてない。

文ちゃん先輩だって、一人の女の子なんだ。

今までの僕は、文ちゃん先輩が彼女を避けているのは、倉澤副部長の方に何か問題があるのではないかと思っていた。

でも。

もし仮に、それがまったく逆だったとしたら…?

あまり考えたくはないが、文ちゃん先輩が、倉澤副部長に対して何らかの「過ち」を犯してしまった?…とか。

だけど、倉澤副部長自身は、まるで覚えがないという。

本人も気づかない様な些細な事にも負い目を感じているとしたら、それはそれで文ちゃん先輩らしいとは言えよう。

…だとしても、やはり不自然だ。

文ちゃん先輩の性格からいって、もしそんな負い目があるのならば、本人に対して、まずきっちりと事情を説明して謝罪するだろう。

本人からこそこそ逃げ回るなんて、あのフェア精神の権化の様な文ちゃん先輩らしからぬ所業だとしか思えない。

僕は文ちゃん先輩の作ってくれたおにぎりを頬張った。

塩とコショウの風味の中に、嫌みにならない程度にほのかなバターの香り。

…ちくしょう。美味しいじゃないか。あとできちんとお礼しなくちゃな。

まだ何も分からない。分かったのは、このおにぎりに込められた文ちゃん先輩の思いやりだけだった。

 昼食を終えた部員たちは、おのおの自分の作品に取りかかっていた。

もうすでに、イーゼルに掛けられたキャンバスに筆を振るっている男子もいれば、木炭でデッサンを取っている女子もいる。

…ほー、室崎くん、今回は得意の静物画じゃなくて風景画かあ。こっちも上手いなあ。

ちょっと離れた席では、同じく1年の塚村さんが水彩でポップな感じのイラストを描いている所だった。

彼女はけっこうな少女マンガファンで、実の所おんなじシュミを持つ僕とは、それなりに話が合った。共通の愛読書の中では麻原(まはら)いつみさんの「愛の歌になりたい」について熱いトークを交わしたこともある。何せあの作品ってば、あるバンドのキーボードの女の子の物語で、第1話の冒頭でビートルズ来日の事なんかもちょこっと出てきてたりして、僕のツボに思いっきり合致していたしね。

他にも佐々木淳子さんとか柴田昌弘さんの描く壮大なSF路線の方でも話が合った。

彼女に言わせると、僕は「得難い知己」なのだそうだ。女子の間でも、塚村さんのディープな少女マンガトークに付いてこれるレベルの者はそうはいないらしい。

僕にとっても、話題の合う数少ない友人のひとりでもある。

余談だけど、彼女は卒業後に上京して、案の定少女マンガ家になったみたいだ。

親しい間柄のよしみで、僕は彼女の作業を見学させてもらうことにした。

塚村さんは、分厚い黒縁のメガネの奥から僕に視線を向けると、

「しがん。何?」

「しがん」とは彼女が付けた僕の徒名だった。「しがん」なんて呼ばれると、志願兵みたいにも聞こえてしまうけどね。

お返しに彼女の事を「つかむー」って呼ぼうとしたら「それはだめ」と言われた。

「参考にしたいんだけど、その絵、見せてよ」

「んー、いいよー」

そう言って塚村さんは、まだ絵具の乾いていないケント紙を無造作に差し出した。

見様によってはぶっきらぼうにも受け取れる彼女の態度だけど、塚村さんはいつもこんな感じだ。自分の関心のない事にはまるで無頓着だけど、好きな少女マンガの話題になると、その瞳を比喩でなく大きくして熱く語りはじめるのだ。しかも一度語り出したが最後、話題はやたらと長いし広範囲に及ぶ。

一度、僕がそれを指摘したら、

「しがんだってギターの話する時はおんなじだよ」

などと言われてしまった。…いやいやいや。そんなはずはない。ないと思うのだけど。

僕は乾いていない部分に触らない様に気を遣いながら、彼女の絵を受け取った。

彼女が描いているのは、背景の黄色がやたらと鮮やかなイラストだ。中央ではややデフォルメされた、少女マンガチックな女の子がきゃぴきゃぴと笑っている。

あの無表情な塚村さんが、よくもまあこれだけ豊かな表情の女の子を描けるものだと感心したりもする。…まだ未完成だけど…ううむ、やっぱ上手いなあ。

「…やっぱ好きこそ物の上手なれ、だよなあ」

彼女のイラストを見ると、そんなため息しか出てこない。

「しがんは何を描くか決めた?」

「うーん…大体は」

「どんなの?」

「…ちょっとホラーチックなのになるかもしれない」

「ホラー?ぐちゃーとかびちゃーとかでろでろでろでろーとかした奴?」

…なぜそこで目を輝かせてくるのだろうこの子は。

「うーん。まだ分かんね」

「できたら見たい」

「分かったよ」

そんな会話を交わしつつ、僕はいよいよ自作の絵を描きはじめた。

とはいっても、まだ下絵の段階だけど。

描こうと思っているのは、鮎子先生のアドバイスを思い出して、僕が最近一番強く感じた感情、心が震えて溢れ出してしまった感情の元となった「アレ」にした。

新幹線の側道の小さな橋の上で出くわした、あのコールタールもどきの大口の化物。

正直、あいつのおぞましい姿を思い出すと、今でも震えがくる。

心だけでなく、身体の方も。

…どうやらあれは夢の中の出来事ではなかったらしい。

…あんなのを間近に見て、よくもこうして平気でいられるよなあ、僕は。

あれ以来、自分の感情…というか感性に、何だか不自然な物を感じることがある。

あんなのに襲われたわりには、それを恐ろしいと思いながらも平然としている自分の精神状態が不思議でならない。

…それが何だか、とっても不自然に感じることがあるんだ。

あいつの姿、そしてがちがちと嫌な音を立てながら迫ってくるな歯の並んだ大きな口。

それを思い出すといても立ってもいられなくなるくせに、その一歩先に進むと、急にフィルターがかかった様に、恐怖心がすっ、と薄らいできてしまうんだ。

文ちゃん先輩と話した時には、それが抑えきれずに吹き出してしまったけど…あれこそが文ちゃん先輩や鮎子先生の言う「心の震え」って奴だったんだな。

でも、そんな状態になったのはあの時だけだった。

あの時以外は、あいつを思い出してみても、最後は霞がかかった様に記憶がぼんやり薄らいでしまうんだ。

…まるで記憶の通り道に「この先通行禁止」なんて看板が立っていて、そこから先に進めなくなっているかの様に。

そういった意味では、今回のモチーフに「あいつ」を選んだのは、僕なりにけっこう大きな賭けでもあった。

鮎子先生の言っていた様に、コントロールできない様な強い感情をぶつけるには、「あいつ」は相応しいと思う。

それに「あいつ」の姿を白い紙の中に閉じ込めてしまえば、もしかしたらこの恐怖心も克服できるかもしれない、とも思った。

白い紙をじっと眺めていると、次第に「あいつ」のおぞましい姿が浮かんで…浮かんで…こなかった。

ある程度はイメージできるのだけど、ある一線を越えると、どうしてもその姿がぼんやりとした曖昧な物になってしまう。

…今まで没にしてきた無数のモチーフの場合、こんなことなどなかった。

思いついたら、とりあえずは描き始めることはできた。

その後あーでもないこーでもないと描きなぐり続けて、最終的には没にしてしまったのだけど、それは単純に僕の技術力の不足による所が大きかった。

今回はちょっと違った。

まず、イメージがまとまりきっていない。

…最初からつまづいてしまった。

気がつけばもう午後4時。部活の生徒も下校時間になる頃合になっていた。

色々な事を考えながらも鉛筆は手にしていたけど、見れば、そこに描かれているのは細長い棒だか木の枝みたいな、にょろにょろくねくねした線の様な物だけだった。

こりゃ、今回も没かなぁ…と途方に暮れる僕の肩を、塚村さんがぽん、と叩いた。

「…しがん。頭冷やせ」

「…うん。そーする。家帰ってギター弾く」

「それがいい」

僕は迂回路の長い道のりを思い浮かべて、重い気分になってしまった。

本日の進捗度、まるでなし。皆無。あーあ。

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