13 兵站部は何をしちょるか。
今日は土曜日だから授業は午前中でおしまい。午後はまるごと部活の時間になるのだけど、今までの僕にとって、その時間は屋上でのギター・トレーニングのためにある様な物だった。平日、特にこの季節になってからは陽の落ちるのも早くなったし、それに寒くもなってきて、十分な練習時間が取れなくなってきたのだけど、土曜日は北側校舎の屋上で、ざっと4時間以上もギターを弾いていられるから、毎週、週末が待ち遠しかったんだ。
でも今日は屋上にゆけない。
その、ひとつ下の階にある美術室にゆかなければならないのだ。
まあ、試験が終わってから毎日、放課後はここに通う様になっているのだから、すでに慣れつつある日常の延長線上だと思うことにした。
…その新たな日常以上に、これまで親しんでいた場所への未練はあるが。
午前中最後の授業が終わると、僕は一度南側校舎の2階、生徒通用口の方に向かった。
昼食を買うためだ。
ウチは新設校で設備などは新しいけど、反面、色々と不便な所もある。
その最たる点は、購買部とか学生食堂がないことだった。
だから文具の不足などはけっこう深刻で、持ち前のシャープペンの芯が切れた時などは苦労させられた。平身低頭してクラスの誰かから分けてもらったりすることもよくあったし、特に、いつも用意のいいクラスの女子にはずいぶんとお世話になったものだ。ウチの学校にはそれほどワルはいなかったので、いじめ問題なんてのは耳にしたこともなかったけど、こういった面での立場の上下関係も生まれてくる。
そういった関係って、後々にもけっこう尾を引くものらしい。実際、この頃に世話になって以来、今でも頭の上がらない女子が、僕にも三人はいる。
まあ、文ちゃん先輩だってそのひとり…というかダントツの存在だったのだけど。
購買部以上に深刻だったのが、学生食堂がない事だった。
これは僕に限らず、ウチの生徒の大半が悩まされた大問題だった。
僕は、週3回は母の作ってくれたお弁当を持参してたけど、そうでない日は、大抵、昼休みにやってくるパン屋さんの売店で、安っぽくてあまり美味しくもないパンを買って済ませていた。
他に手段がないのだから仕方がない。あの頃はまだ、コンビニなんてオアシスは都会にしかなかったしね。
独占企業の強みなのか、あそこのパンは手を抜いたのが見え見えで、しかも値段も無駄に高く、お世辞にもその評判は、決してよろしい物ではなかった。
たとえばカレーパンはコロモがやたらと分厚くて、具なんてのはほんのちょっぴり。その具の中に、僕は3年間一度もお肉という物を発見できなかった。
他にも厚さ3ミリ強のハンバーグを挟んだとってもリッチなハンバーガーとか、紅ショウガと麺の比率が1:1という、赤色がとっても鮮やかな焼きそばパンとか、3個セットの全てがレタスのみのヘルシーなサンドイッチとか…今思い出しても中指立てながら涙が出る様な、とっても思い出深いメニューばかりだったんだ。
そんな物でも飛ぶ様に売れていた。仕方ない。それしか手段がなかったのだから。
余談になるけど、僕が卒業したずっと後になって、遅まきながら学校の近くにコンビニができた途端、あそこのパン屋が潰れたそうな。ざまみろ。
僕は、そのすぺっしゃるなメニューが並んでいるはずの番重を覗いてみた。
ところが、買いにくるタイミングがちょっと遅れたために、こんな安っぽいメニューでも、もう最後の一個しか残っていなかった。…こんなメニューなのに。
大事な事なので、もう一回言うぞ。…こんなメニューなのに。
僕は、やたらとコロモの分厚いあんドーナツを買った。こんなのが1個150円なり。
暴利である。
暴利ではあるが、背に腹は代えられない。
ましてやその腹が、さっきから燃料切れの警報を鳴らし続けているし。
糖分は空腹感を誤魔化してくれるという。…もっとも、この安っぽいあんドーナツに、どれほどの糖分があるかは、かなーり疑問でもあるけれど。
僕がパンを手に取ってお金を払うと、愛想の良くない店員の兄ちゃんはさっさと店じまいに取りかかった。…「ありがとう」とか「毎度あり」も聞いてないよ?おい。
…それにしても困った。成長期の健全な高校1年生男子に、こんなチャチいあんドーナツ1個で夕方まで戦えというのか。兵站部は何をしちょるか。だからあれほど酒保を設置せよと何度も提言したのに。…本当はしてないけど。
前線の兵士を一度も飢えさせなかったという、漢の丞相蕭何を見習えってんだ。
そんな不平不満を口にしつつ、僕は手にしたあんドーナツをぽーんぽーんと上に投げてはキャッチ、上に投げてはキャッチを繰り返しながら廊下を歩いていた。すると後ろから、
「こら!志賀君!」
と、聞き慣れた声がした。もはや確認するまでもない。文ちゃん先輩である。
「…ふぁーい。何でしょーか文ちゃん先輩」
僕は振り向きもせずに答えた。
「週末で気が抜けましたか?」
「抜けるだけの気力もありませんよ」と僕。
すると文ちゃん先輩は僕の前に回ってきて、
「…なるほど。たしかに気力が不足している顔をしています」
と、下から僕を見上げて言った。
「でも、食べ物を粗末にするのは感心しませんよ?」
そこに目をつけるとは。さすがです会長。
「…文ちゃん先輩は、いつも気力十分ですよね。羨ましい」
「十分な睡眠時間と、一日三度、しっかりと食事を取ってますから。規則正しい生活の基本ですよ」と、小さな胸を張る文ちゃん先輩。…どことなく自慢げに見えますが?
「基本ですか?」
「基本です…って、む?」
文ちゃん先輩は、改めて僕が手にしているあんドーナツを見た。
「…育ち盛りの男の子が、たったそれだけでは足りないでしょう?」
「だって、もうこれしか売ってなかったんですよぉ」
僕は、さっき考えていた様な不平不満を口にしてみた。
「…む。それはいけませんね。キミの様な経験をした生徒も多いと耳にしていますが」
文ちゃん先輩は腕を組みながら言った。
「学生食堂設置については、生徒会からも何度か提言しているのですが、学校側からはいまだに明確な回答を得られていません。自分の非力を痛感します。申し訳ない」
おお、さすが文ちゃん先輩。すでに動いておられましたか。
「この問題は、まだまだ解決の糸口が見えていないのが現状です…それよりも」
「それよりも?」
「今は、今日のキミの昼食が問題ですね。どうするのですか?」
「うーん…どうするかって言われても、これしか無いですし、これ一個で何とか夕方まで持たせるしかないですよね」
「それはいけない!」
なぜか文ちゃん先輩は、妙に真剣な表情で言った。
「育ち盛りのキミが、たったそれだけで持つはずかない。危険すぎる」
いえ危険すぎるって、別にこれだけ持って山に籠ったりするわけじゃないんですが。
「キミが空腹のあまりに貧血でも起こして倒れてしまった時、私がそばにいてあげられる保証もない」
…何だか話が大きくなってきたな。気持ちは嬉しいけど。
「大げさですよ」
苦笑した。
「大げさなものか。キミは低血糖と言う物を軽く考えている」
文ちゃん先輩は、そう言いながら僕のネクタイをまた引っ張った。これが彼女の癖なのだろうか?…いやまて違うな。本当は胸ぐらを掴みたいのだろうが、彼女の身長では届かないのか。なるほど。
文ちゃん先輩はしばらく考えて、うん、と頷いた。
「私の昼食をお分けしましょう。幸い、私は今日、おにぎりを三個用意してありますから」
「え?そんなのいいんですか?悪いですよ」
「遠慮などしなくてよろしいのです。元々、私はあまり食べない方ですし」
「…あまり食べない人が、何で3個も用意したのですか?」
「それはキミに…あ、いえ、何でもありません」
ちょっと赤くなった。…誰が?
言った文ちゃん先輩はもちろん、言われた僕の双方が。
…察してしまった。
文ちゃん先輩は、僕のためにおにぎりを作ってきてくれたのだ…と思う。
よくあるマンガの鈍感主人公じゃあるまいし、それくらいの察しはつくつもりだ。
でも、何で…?という事だって、ある程度想像はつく。
今までとは違って、今日の午後は、僕が美術室で部展のための絵を描く事に没頭するのが分かっていたからだろう。きっと。
そういえば今朝会った時だって、彼女は僕の体調を気にかけてくれていたみたいだったし。
文ちゃん先輩という人の思いやりには頭が下がった。
同時に、「鉄血宰相」と呼ばれた彼女の知られざる一面を、またひとつ知る事ができたという感激も。
「ええっと…志賀君はお塩とタラコとバター、どれが好きですか?」
ちょっと顔を赤らめた文ちゃん先輩の小さな口から「好き」なんて単語が出てくる事に、恋愛経験皆無ヤローは逐一どきりとさせられてしまうのですよ、ホント。困ったもんだ。
それにしても、文ちゃん先輩お手製のおにぎりかあ…これはとってもレアなアイテムだ。どれも美味しそう…ってバター?!
よりによってバター、ですか?
何ですかその和洋折衷ロードを制限速度無視して突っ走っていった様な暴走メニューは。
脳裏に、真っ白いおにぎりををふたつに割ったら溶けかかったバターの塊が出てくる様が浮かんだ。
バターといえば、普通はパン、だよなあ…?
…おにぎり、ではなくて。
「志賀君はバターが好きなのですか」
これまたちょっと嬉しそうな文ちゃん先輩の笑顔。ああ、「NO」なんて言えねー。
「ではこれをどうぞ」と、文ちゃん先輩はハンカチで包んだおにぎりを下さった。
こ…これがくだんの…
文ちゃん先輩は満面の笑みになった。
“…ええい志賀義治、お前も男なら、この笑顔の為に戦え。死を恐れるな”
そんな天の声が聞こえた様な気がした。分かりました神様、僕も男になりますです。
「あ…ありがとうございます。死ぬ気でいただきます」
「くすくす。食事は死ぬためでなく、活きるために取る物で…あ」
突然、文ちゃん先輩の言葉が途切れた。
嫌な予感がして彼女の視線の向いている方を見ると、案の定。
廊下の向こう側から、美術部員の女子と談笑しながらやってくる倉澤副部長の姿が見えた。
まだ向こうはこちらに気づいていないみたいだ。
「じ…じゃあ部活、頑張ってください。私はこれで」
急に慌てはじめた文ちゃん先輩は、その場を去ろうとした。
…やはり彼女は、倉澤副部長の事を…明らかに避けている。間違いない。
せっかく近づいた彼女との距離が、また遠のいてしまう。
僕は何か言わなければいけない。それが何か彼女の力になれるのならば。
だから、咄嗟にこんな事を言ってしまった。
「あ…文ちゃん先輩!」
「何で…しょうか?」
「先日の試験の『ご褒美』の件」
文ちゃん先輩は一瞬、怪訝な表情になった。
僕は続けた。ここが踏ん張り所だ。
「『ご褒美』の件ですが、アレ」
「…あ、ああ、そんなお約束もしましたね」
「せっかくですから終業式の日、クリスマスにお願いします!何か御馳走してください!」
「…は?」
文ちゃん先輩の目が点になった。
「…は?」
口にした僕自身の目も点になってしまった。
…あれ?あれれれれ?まず言葉が先に口から出た後で、僕は己が発してしまった言葉の意味を理解した。
…あああああ。いくら何でも、僕ぁ何てはしたない事を言ってしまったんだ?
普通は逆だろう?あれだけお世話になって、しかも今だってこれだけ気遣ってもらったのだから、普通はこちらがお礼に何かするべきだよな、常識的に考えて。
咄嗟に彼女を引き留めようとした手段としては、およそ最低の悪手だぞ、コレ…
“何タカっとんのじゃワレ…?あぁ?”
今度の天の声は、なぜか広島弁っぽい口調だった。
…自分のアドリヴ能力の欠如には絶望する。これは致命的じゃないか。
一気にまくしたてた後でそこまで考えて、言った当の本人が固まってしまったのだから世話はない。
一方の文ちゃん先輩は、少しの間唖然としていたが、急にくすくすと笑って、
「いいですよ?じゃあその日に。私も楽しみにしています」
と言って去って行った。
よかったのか悪かったのか。
まあ少なくとも、彼女がまた笑顔になってくれたのだから、道化に徹した甲斐もあった…
と、そう思い込むことにしよう。うん、そうだ、僕はただ道化を演じただけ。
そうだそうだ。そうに違いないのデアル。
「道化」は英語で「A FOOL」だったっけ…と気づいたのはその直後だったけど。




