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17. 職人の街

 結婚式の前日になっても、親方は協力を拒み続けていた。新月である今日は、本来ならば月に一度の休みなのだが、結婚式の準備に駆り出された挙句、肝心の駅長はカラルクと言い争って家に帰ったとくれば、駅員たちの間に漂う空気は最悪にもなる。


「あいつ、マジふざけんな」

 猛暑の中、列車を張りつくようにして列車を磨いていた先輩が、怨嗟の声を漏らした。他の先輩たちも泡だらけの手を振り上げて、そうだそうだと同調する。


 炎天下、僕ら駅員は総がかりで列車を磨いていた。

 格納庫から引っぱりだしてきた列車がぎらぎらと輝いている。列車の表面にぶつかるもあえなく弾き返された光が、僕らの目や肌を容赦なく貫いた。


 明日の結婚式の準備も、新郎新婦の晴れの舞台となる列車の洗車を残すのみとなった。だけど、一向に終わる気配がしない。普段は魔法で水に変身した親方が、手ずからならぬ身体から列車を丸洗いしているので、僕らでは勝手が分からないのだ。車体に刻まれた幾何学模様を損なうわけにはいかないので、慎重に行わざるを得ず、作業は遅々として進まなかった。


「親方じゃなくて、他の『水』の魔法使いに手伝ってもらうわけにはいかないんですか?」


 顔を黒くしつつも懸命に手を動かしていたイブニの言葉に、しんと沈黙が落ちた。

 イブニは間違ったことを言ったのか、と焦ったように周囲を見渡した。全員が奇妙なものを見るような目で彼を見ていたのだろう。イブニの顔が引き攣る。

 不意に誰かが、ふっと忍び笑いを漏らした。


「ここは『職人の街』だぜ? そんな大技が使える奴なんていねえよ。外から来たあの人が特殊なだけだ」

「まあまあ、イブニは来たばかりだからな、うん」

「え…………?」


 先輩たちの顔には、おしなべて薄ら笑いが貼りついていた。嫌な空気だ。先輩の一人が「あのな」と、気味が悪いほど優しい声を出した。


「貴族とか魔法学者とか魔獣飼育士とかのちやほやされる仕事は、どれも魔法を使うだろ。立派な仕事、難しい仕事っていうのは、強い魔法を持ってないと就けないんだよ」

「『職人の街』の俺らは工芸品とか織物とか作ってるけど、俺らの仕事は所詮手作業で、魔法の才能がなくてもできちまう。魔法の才能がない奴らが職にあぶれてできた街がギークなんだ」

「ま、ここも悪いとこじゃないぜ? 外に出てもエリート様たちに馬鹿にされるだけさ」

「ちょっと魔法が使えるだけで特別だと思いやがってよ。俺、才能がなくて良かったよ。あいつらと肩を並べて生活するなんてゾッとする。ヒトとして大切なものを失いそう」

「ギークの街は団結力だけは高いんだよ。弱い者どうし、助け合っているからな。数十年前にメルポメネ家とトラブった時も、街で一丸となって立ち向かってさあ、貴族様に譲歩させたんだぜ」


 メルポメネの名が出た途端、親方の出自を知る一部の先輩たちが、気まずそうに目を伏せたけれど、彼らは何も言わなかった。

 僕は手にしていた雑巾を強く握りしめた。黒い水が指の隙間をつたう。


 自己卑下を装った自己陶酔の何と醜いことだろう。


 エリートたちに魔法の才では負けても、人間性では勝っている。才能がないからこそ、自分たちは互いを思いやる心を持ち、高い団結力を得た。


 この街の人たちは、本気でそう信じているのだ。自分たちを見下していると思いこんでいる相手を見下し返すのは、最高に気持ちの良いことなのだろう。でも、これが自分の未来の姿かもしれない、と思うにつけ、僕は眩暈がするほどの絶望に襲われるのだ。


「あーあ。エリートのお遊びにこの列車が使われると思うとムカついてくる。やっぱ、テキトーで良いだろ」

「そーそー。カラルクは嫌いじゃないけど、俺たちの列車がエリートの引き立て役になるなんてやっぱヤダわ」


 先輩の一人がそう言って、手にしていた雑巾をバケツに投げこんだ。じゃぼん、と音を立てて、水飛沫が車輪に跳ねかかる。地面に流れた灰色の泡が萎んでいく。


「皆、カラルクさんはただ……!」

「あいつも権力に尻尾を振ったんだよ。侯爵家を監視するのが騎士の役割だってのに、情けない奴」

「列車が好きだと言っていた。列車の良さを伝えたいと」

「それ本心? 親方がやる気を出さないからお前を利用しようと思って言ったんじゃないの」

「侯爵家の奴らにそう言うよう指示されたんじゃね」


 やる気を失くした先輩たちを、イブニは懸命に説得しようとしたけれど、彼らはイブニに憐れみの目だけ向けて帰ってしまった。ショックを受けて立ち尽くすイブニの肩を、僕は黙って抱いた。


 メルポメネ侯爵家嫌いは、街で侯爵家の恩恵を最も受けているといっても過言ではない、この駅にも蔓延している。アームストロング号をエリートから解放する、と真顔で言い放つ先輩もいるくらいだ。もちろんそういった先輩たちは、親方の出自を知らない。

 

 結局、終業時間ギリギリまで列車を磨いたのは、僕とイブニ、数人の先輩たちだけだった。


 背中が灼けるように痛むのは、きっと夏の強い日差しだけのせいではないだろう。



 家に帰ると、とっくに夕飯の支度ができていた。「おかえり」とロッキングチェアから立ち上がった父親に促されて席に座る。


「今日はローストポークとスープとプディングよ」


 テーブルの上には手を付けられていない料理が三人前並んでいた。「待っていたのよ」と母親。僕は冷めきって脂が浮いた豚肉を、スープで流しこんだ。「美味しいよ」と言うと、母親は嬉しそうに口元をほころばせた。


 そうして空にした皿をキッチンに運ぼうとした時だった。くず入れに投げこまれた白い封筒が目に飛びこんできた。


 カラルクが配って回っている結婚式の招待状だ。


「先日持っていらしたのだけど、お父さんがその」


 僕の視線に気づいた母親が、言い訳するように言った。


「お前だって怖いと言っていただろう。連中が何を言ってきても相手にしなくていい。お父さんが家族を守るからね」


 父親が豚肉をナイフで切り分けながら、ウインクした。何てバカバカしい宣言! 二の腕に鳥肌が立った。だけど、母親は安心したように表情を緩める。


「カラルクさんには、アスターのことで世話になったけど……。いい方だから、メルポメネ侯爵に騙されてしまったんじゃないかねえ」

「連中は口だけは達者なんだよ。あの時だって街の職人に嘘っぱちを吹きこんで、職人ギルドを仲間割れさせて……」


 話しているうちに、父親はだんだんと興奮し始めた。僕が生まれる前に起きたという、ギークの街とメルポメネ侯爵家が対立した一件に触れるといつもこうだ。僕からしたら、過ぎたことを何かにつけて蒸し返す父親の方こそみっともないと思うけれど、父親はいつまで経ってもそのことに気づかない。


 侯爵家への悪感情を吐き出す父親の唇は、カマキリの尻から出てくるハリガネムシみたいな、背筋の凍る動きをしている。


「侯爵家肝いりだとかいうあの列車だって本当に安全なのやら。あの列車のせいで街はまた二分されたし、メルポメネ家が街を思い通りに操るために用意した罠なんじゃないか」


 腹の底が一気に熱くなった。気づけば、僕は皿を置き、拳を握りこんでいた。父親の言葉はアームストロング号に対する最低の侮辱で、到底許すことはできそうにない。


「アスター。何度も言うが、あの駅でのバイトはやめなさい。明日の結婚式だって……」


 我慢が限界に達した。僕は怒りに身を任せ、父親に近づいていった。

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