16. フィッシュ&チップスの名残
イブニの問いに、カラルクはジョッキを口に運ぶ手をぴたりと止めた。
「ほらよ、熱いうちに食え」
絶妙なタイミングで、注文した料理が運ばれてきた。マリルーネの流行りの料理だというフィッシュ&チップス。ほっくりした香りが鼻孔をくすぐるけれど、手をつける気にはなれなかった。
親方とカラルクの過去。気にはなっていたけれど、聞けば面倒なことになるのが分かりきっていたから、親方には聞けなかった。
「…………」
僕らが固唾を飲んで様子を窺っていると、カラルクが動いた。水差しに手を伸ばし、おもむろに頭から中身を被る。目を剥く僕らに、「わり、こういう話はなるだけフェアに語るべきだろ。だからちょっと冷静になった」と悪戯っ子のように笑う。
「ん―――。何があったかって言われるほどの話じゃないんだよな。嫁さんと婚約したらブチ切れられたってだけでさ。あいつが実家嫌いなのは知ってたけど、まさか縁切られるとな」
イブニがあんぐりと口を開ける。
「実家って、じゃあ親方は……」
「そ、あの人ボンボンなんだよ。本名はジルベール・S・メルポメネ。本家の三男とか言ってたっけ」
僕が口を挟んで補足すると、イブニは今度こそ絶句した。
フィッシュ&チップスがローストビーフから派生した料理だと言われるくらい信じ難い話だけれど、聞かされた時、不思議と納得したのを覚えている。親方が時折見せる教養の深さ、所作の優雅さは、幼い頃から仕込まれた「本物」の風格があったからだ。
当然ながら、親方の出自は、メルポメネ家を忌み嫌うギークの街の連中には秘密だ。バレたら袋叩き一直線だろう。
他でもない親方自身も実家が大嫌いで、本名を始めとする実家との繋がりを徹底して隠したがる。親方の出自を知っているのは、僕と駅員の一部の先輩たちくらいだ。
そんな親方の出自を知っているということは、かつてのカラルクは親方と相当深い仲だったに違いない。
僕の推測を裏づけるように、カラルクは「恩人で、親友だった」と漏らした。
「路頭に迷いかけていた俺を騎士団講習会に入れてくれて、面倒見てくれたんだ。俺、座学超苦手だったんだけど、ジルベールは頭良かったから、課題は随分助けられたな……」
僕とイブニは顔を見合わせた。普段の横暴さからは想像もつかない面倒見の良さ……とも言えないか。口ではぎゃいぎゃい喚きながらも、僕に魔法を教え、イブニを家に住まわせているのが、ジルベール親方という人だ。
「俺、昔は貴族が嫌いだったんだけど、ジルベールと会って、貴族も悪い奴らばかりじゃねーなって思った。だから、侯爵家から婚約話を持ちかけられた時、会うだけ会ってみっかってなったんだ。そしたら嫁さんがマジでいい女、いや少女?だったから、惚れこんじまって」
十歳下の婚約者を持つ騎士は、でれでれと笑みくずれた。その後しばらく嫁がいかに可愛いかという惚気が展開されたので、その間僕はすっかり冷めた魚のフライを味わうことに集中した。初めて食べるフィッシュ&チップスは、肌に塩が浮いてきそうな濃い味つけだった。
一通り惚気終わったカラルクは、「結婚式のことだけど」と言いながら、追加で運ばれてきたミートパイにナイフを差しこんだ。
「ジルベールが怒るのは予想してたよ。だけど、侯爵家の結婚式をやったとなれば、アームストロング・ラインの派手な宣伝になるし、侯爵家から招待状を出せば、駅反対派も断りにくい」
切り分けられたミートパイが各々の皿に配られる。マジで街中に招待状配ってやったぜ、とカラルクは胸を張った。
「実際に見て乗れば、俺の親友が作ったものがすげーってこと、認めるしかないだろ?」
そう話すカラルクは、心底誇らしげな顔をしていた。
「……はい! すごくいい考えだと思います!」
イブニが目を輝かせ、大きく頷いた。
「俺、親方にカラルクさんと仲直りして結婚式に来るよう言ってみます」
ここがギークの街だったら、イブニはすぐにでも親方のもとに走っていっただろう。すっかり前のめりになっている。
とはいえ、僕も協力してやってもいいかな、という気分になっていた。僕らギークの街の駅員は、アームストロング号への賛辞にとにかく弱い。
「ありがとな。でもいいよ」
が、カラルクはあっさりとイブニの申し出を断った。
「そんなこと言ったら、お前があいつに八つ当たりされるだろ? 俺も結婚式の前日までは粘るつもりだけど、それで無理なら諦めるさ」
「「…………」」
「良いんだよ。強がってなんかない」
僕らの疑いの視線を、カラルクは笑い飛ばした。フィッシュ&チップスの皿に残ったソースを、ポテトで丹念に拭う。
「俺、結婚するんだぜ? あいつがいないならいないで、楽しくやれるってことだよ。仲直りしたいと思ってはいるけど、今回の件は俺なりのあいつへの恩返しとお節介なんだ。結婚式をきっかけに街の人たちにアームストロング号の良さを分かってもらって、ついでに家族と少しでも話せたらなっていう」
「ええ……」
本当に未練のなさそうなカラルクの口ぶりに、僕らは絶句した。友情に厚いかと思えば、あっさり割り切る切り替えの早さに理解が追いつかない。
「そうかもしれないが!」
イブニがもどかしげに言い募る。カラルクは眩しいものでも見るような顔をして、苦笑した。
「イブニ。人はずっと一緒にはいられない。だから、楽しいに種類があるんだ。今が楽しくて楽しくて楽しくても、過去にいたそいつも忘れないように。そして、楽しいが過去だけのものにならないように」
イブニがはっと瞳を揺らした。並んで座る僕らを見比べ、カラルクは赤い瞳を細めた。
「俺は恵まれているよ。あいつとの思い出を『あの頃は良かった』じゃなくて、『あの頃も良かった』って振り返れるんだ。それができるのは、嫁さんと、嫁さんに出会う道を作ってくれたあいつのおかげだ」
良い意味で、カラルクにとっての親方は過去の人なのだろう。親方が未来にいようがいまいが、彼との楽しかった記憶が揺らがないことを知っている。
これが大人の距離感なのだろうか。隣のイブニをちらりと見る。イブニも僕を見ていた。僕らにはまだ分かりそうにないし、分かりたくない感覚である。
「……それでも、諦めないでほしい」
店の中を飛び回る蠅の羽音にかき消されそうな声で、イブニは言った。
「そうだな。せっかくの機会だし、ぎりぎりまで粘ってみるさ。話聞いてくれてありがとうな」
ジョッキに残ったエールを、カラルクは喉を鳴らして飲み干した。




