13. 僕と親方、時々元カノ
目を覚ましたら、見知らぬベッドの上だった。
ひどく身体が重い。それでも、自分が置かれている状況への好奇心が勝って、身体を無理矢理起こして周囲を見渡し、街の病院と気づいてがっかり。再びベッドに倒れこんだ。
隣のベッドでは、痩せこけたおっさんが大いびきをかいて眠っている。
……このおっさん、たぶん街の皆が言っていたよそ者だ。僕を助けたかと思えば、偉そうに説教してきて、かと思えば、いきなり倒れた変な奴。あ、思い出してきた。僕、こいつを担いで、無我夢中で病院を目指して歩いて、入り口に辿り着いた途端に力尽きたんだ。魔法を失敗した反動で、背中がめちゃくちゃ痛かったのに、我ながらよく頑張ったと思う。
開けはなたれた病室の窓から、爽やかな風が入りこんできていた。風が窓枠を揺らす音に合わせて、覚醒したばかりの僕には眩しすぎる昼の光が、カーテンみたいに翻る。
ふと、光のカーテンを小さな影が横切った。窓から入ってきて、隣のベッドの枕元に音もなく着陸したそれは、紙ヒコーキの形をしていた。
紙ヒコーキ便だ、と分かった。受取人の魔紋を住所代わりに設定することで、相手が世界のどこにいようが空を飛んで届く魔法の手紙。馬車や商人たちに託す通常の郵便よりもうんと速くて正確で、ただし特殊な魔紋が刷り込まれた便箋はとても高価なんだとか。僕も街のギルド長が受け取っているのを一度見たことがあるだけだ。
そっと隣のベッドに手を伸ばした。羽と羽の間に垂らされた封蝋を剥がして紙を開き、便箋を埋め尽くす細かな文字を眺める。
まっ、読めないんだけどさ。
「おい」
「読む」のに夢中になっていた僕の背中に、螻蛄みたいな低い声が忍び寄ってきた。
「何勝手に読んでやがる、クソガキ。お前スパイか?」
それが僕と親方が初めてまともに口をきいた瞬間だった。
「アスター、お前のそういうところ、俺は少しどうかと思う」
「だから、尾行についてはごめんって!」
二粒の葡萄にじとっと非難され、僕は身を縮めた。イブニの僕への印象、尾行が尾を引きまくっている。軽率な行動をした過去の自分を、顔に傷が残らない強さで張り倒したい。
「そこからどうやって今のように仲良くなったんだ?」
「仲良くはないからね」
それは……その。
「交渉したっていうか……咄嗟に文字が読めるふりして、スパイじゃないけど、手紙の中身を街の人たちに言いふらしてやる、嫌なら僕に魔法を教えてって言ったというか……。まあ、文字読めないことはすぐバレたんだけど……」
ああ、話せば話すほど葡萄の皮が張りつめていく。僕の声はだんだん尻すぼみになった。
だから話したくなかったんだ。罪状に「脅迫」が追加されて、僕の印象が顔のいい危険人物に逆戻り。ネリネのおまけに甘んじる屈辱に耐えて、好感度を上げている最中なのに。
脅迫まがいのやり方で魔法を教えてくれとせがんでから、僕は親方のもとに入り浸るようになった。技術士兼魔法学者である親方は、僕に期待以上の知識と、想像以上の迷惑を与えてくれた。
「あーでね、親方がさ、昔言っていたことなんだけど……」
イブニの視線が痛すぎるので、彼の意識を(悔しいことに)逸らせそうな親方の話を、思い出のクローゼットの中から次々引っぱり出す。話し出したら止まらない。しみったれた彼との思い出は、たまには白日の下に晒して虫干ししないと、カビが生えそうだしね。
リアクションは薄いが、イブニは興味深そうに僕の話を聞いてくれる。聞き手がいい反応をしてくれると、話し甲斐があるというものだ。ソニアとは大違いだ、と同じ話をした時の元カノの顔が何故か思い浮かんだ。
「何なんだよ、あいつ」
あくる日、僕は恋人のソニア相手に愚痴っていた。
「アスター君が愚痴るなんて珍しいね」
上目遣いのソニアが、困ったように笑う。しまった、と僕は慌てて謝った。
「ごめん。せっかく一緒にいるのに、愚痴ばかりは嫌だよね」
「そうね。楽しいお話をしてほしいな」
これはまだ、僕らが互いに猫をかぶっていた頃の記憶だ。
空が青く降り注いでくる。公園の木陰にシートを広げておしゃべり。理想的なデートの真っ最中。夏の光の下にはみ出した、ソニアの白い肌が眩しい。
「楽しい、か。う〜ん」
僕は頭を捻る。排他的なギークの街は娯楽が少ない。
「難しいな。ソニアといる時が一番楽しいからな……」
彼女がしてくれる街の外の話はいつも面白かったから、それは当時の僕の偽りのない本音だった。
僕の言葉に、ソニアはちょっと目を見開いた後、「ありがと」と笑った。いつもどこか影のある彼女の、屈託のない笑みは珍しかった。
何だか少し照れ臭くて、話題を変えたくなった。でも、楽しい話をという恋人のリクエストも忘れちゃいけない。他に楽しいことは、と考え、思い出す。
「そういえば、アームストロング号が完成したんだよ。それを見せてもらったんだけどさ、親方が珍しく良いこと言うの。アームストロング号があれば、一歩だけでここじゃない場所に行けるってさ。あの髭ヅラからは想像できないような、ロマンがある言……」
「また親方さんの話になってる。そんなに面白いの?」
ソニアがくすくすと笑い声を立てた。
「アスター君さ、親方さんに弟子入りしてから楽しそうだよね」
「そう? 文句しかないよ」
「ふーん……」
ソニアがそれ以上追及してくることはなかった。
デートの数か月後、ソニアに振られる形で僕らは別れた。別れてから発覚した、僕とギークの街が大嫌いな陰湿毒舌女の本性には、大いに衝撃を受けたものである。だけど、付き合っていた頃のかわいげを戻してほしいとも思わない。今更猫をかぶられても薄ら寒いだけだ。それに、彼女のギークの街に対する容赦ない物言いには頷ける点も多く、僕は彼女に付き合っていた頃とは別種の親しみを覚えていた。
ピイイイイイイイイイイ!
僕の話に聞き入っていたイブニが、夢から覚めたみたいに目を瞬かせた。つらつら話している内に、ガンバラに近づいたようだ。
「話していたらあっという間だったな」
「そーね。じゃ、荷下ろし頑張りますか……」
貨物車に載せられた大量の積み荷を思い返し、げんなりする。マリルーネの観光は楽しみだが、そこに至るまでに立ちはだかる障壁は高く険しい。




