第七十三話 立ちはだかる者
第七十三話 立ちはだかる者
『ガァァァァ!!』
『グルルル……!』
まるでゾンビ映画の様にうめき声をあげながら西洋の屋敷の中を行進するグール達。その姿はメイド服や軍服の上から装飾の無い胸甲と兜をつけたもので、些か滑稽にさえ見える。
更には手にピストルまで持って散発的に発砲しながら歩いているのだから、違和感甚だしい。
だが纏う死臭は本物であり、放たれる弾丸は命を奪う。人肉を喰らわんとする歯こそ兜に覆われていても、ガチガチという異常な食欲が溢れた音は隠せない。
獰猛なる怪物。かつては人であった化け物。死者の尊厳を辱められた、哀れな動く死体。アンデッド。
そんな彼ら彼女らに、『ジジジ』と音をたてて投げられた物が一つ。
可愛らしいデザインの、女性物の靴下。それは不自然に膨らみ、本来は足が入れられる穴を紐で縛られていた。それも、導火線を一本入れられて。
爆音。黒色火薬のやや間延びした音が響き、同時に白煙と爆風。そして鉛玉がばら撒かれた。
「ふーっはっはっは!ご機嫌な爆音じゃないか、兄弟!」
「兄弟になった覚えはありません」
爆弾片手に肩を組むのはやめてほしい。危険物を持っている事へのドキドキと二の腕に当たる乳の感触で思考がバグる。
「まったく、爆弾を手に馬鹿笑いするとか危ない人だなぁ」
それを貴女が言うんですか……?
ツッコミ待ちなのか、いいやアレは素だな。憮然とした様子でそんな事をのたまうアリサさんには普段の己が言動を振り返ってみてほしいと思ったが、今は指摘しない事にした。
だって面倒だし。
「弾けろぉ!散らばれぇ!密集したのが運の尽きだぁ!」
やたらテンション高く爆弾に火をつけては放り投げ、密集したグールを迎撃するクリスさん。
爆弾の出来はいいらしく、屋敷の窓ガラスや調度品は派手に破壊するも天井や壁に大穴を開ける程ではない。倒壊の心配はしなくて良さそうだ。
グールの方も鎧に幾つもの傷をつけるも貫通はしなかったが、手足は弾け飛び腰に巻いていた拳銃もいくつか爆裂していた。あれでは戦闘不能だろう。
唯一心配なのは火事だが……割れた窓から雨風が入った事もありカーテン等は湿って燃えにくくなっていた。
「雨で爆弾を濡らさない様にお願いしますね」
「任せたまえよ兄弟!」
「兄弟ではありません」
C……いや、CよりのDか……?実際に触れる機会はアリサさんに押し付けられた時しかなかったのでわからない。ただの勘である。
いけない。思考が良くない方向にいっている。今は仕事中であり、相手の性自認を考えればとんでもなく失礼な考えだ。何よりここは命を懸けた鉄火場。集中しなければ死ぬ。
肩に回された手を振りほどき、若干の名残惜しさを覚えながらも美乳から離れる。
「相棒……」
「誤解です」
誤解ではない気もするが、誤解という事にしてほしい。だからそんな生温かい目をやめてくださいお願いします。
───そんな緩んだ思考も、そこまでだった。
爆音と雨音、それに狂った様な高笑いとお世辞にも聴覚に優しいとは言えない状況だったが、自分の耳は確かにとある音を拾い上げる。
杖……いいや、銃を杖代わりにしながら、誰かが階段を降りていく音を。
人数は不明。流石にそこまではわからなかった。だが、周囲を警戒する理性は残っていた事でおおよその位置はわかる。
「クリスさん、ここから見て一階の反対側には何がありますか?」
動けなくなってうめき声をあげるグールの群れから一応壁で体を隠しながら、クリスさんに問いかける。
あちらも手帳を開いて確認し、眉をしかめた。
「地下へ続く階段がある。地下一階はメイドさん達の仕事場兼倉庫だけど、二階以降はわからない。オレの知らない一割がそこさ」
「なるほど」
やはり肝心な部分が詳細不明の位置となったか。しかし、逆にそれなら分かり易い。
この状況で銃を持った人間が向かうメイドさん達も知らない場所。恐らく子爵本人か、その子飼いが行くのだ。重要な物があるに違いない。
その分警備もあるだろうが、それさえ突破すれば……っ!?
「全員警戒を!何かが来ます!」
地下から何かが駆け上がってくる音。それを聞き取る事ができたのは自分だけだったが、しかし次に聞こえてきたものはこの場にいた全員の耳に届く。
硬く、大きな物を力任せに破壊した音だ。それが何度も響きながら、こちらに向かってきている。
まさか───壁を壊しながら進んでいるのか!?
「散らばれ!」
そう叫びながらハンナさんを脇に抱え、跳ぶ。
直後轟音が響き近くにあった壁が粉砕された。出来上がった大穴から、人影が一つぬっと現れる。
「おいおいおい。依頼主からは『黒髪の聖女』を殺せって言われたんだが、男じゃねぇか。どこに目ぇつけてんのかねぇ、あのオッサン」
低い男の声。百九十センチほどのそいつは、土煙の中から悠然とその姿を見せた。
筋骨隆々とした肉体に、一切の衣服はない。だが、肌色もない。
赤と黒だ。ただその二色だけがある。
昆虫や甲殻類を連想させる黒鉄を身に纏い……いいや。黒鉄を体に、剥き出しの筋繊維に皮膚の代わりだとでも言うのか張り付かせ固定しているのだ。
あえて例えるのならば鎧と融合した様な男。目も耳も鼻も唇もなく、剥き出しの歯を開き赤い舌を見せながら男は己の頭に親指を向ける。
「まあ、俺は見ての通り目がないんだがな!」
「……っ!」
この男、強い。
ふざけた言動のわりに、あまりにも隙が無いのだ。打ち込める気配はあるのだが、どうにもそこから反撃を食らうイメージしかわかない。
───ダァン!
そんな男の背後から銃声と、金属同士がぶつかった音が響く。
奴の脇から、反対側でアリサさんがライフルを無防備な背中へと発砲したのが見えた。
いくら鎧を着こもうがライフルの弾は防げない。それが常識だ。自分が今左腕に装着している厚さ六ミリの籠手でも、拳銃ならともかくそれ以上の銃は貫通する。
だと、言うのに。
「おお、おお。容赦がないねぇ、お嬢ちゃん」
男は小動もしない。口元に笑みを作ったまま、首だけ背後に振り返る。
その間に小声ながら身体強化の詠唱を終えた。素の肉体で戦うには、こいつは危険すぎる。
「……ハンナさん。近くの部屋に入ってください。壁なり窓なり壊して、アリサさん達と合流を」
「え、でも」
「この館で長期戦はできません。行ってください」
グール共の総数がわからない。だが少なくともアリサさんの持ってきた弾の数よりは多いだろう。
彼女が寿命を無視して魔力を垂れ流したとしても、たぶん途中でガス欠だ。であれば、本命に誰かが向かってもらわないと困る。自分とて都市一つ分のグールの群れなんぞと戦えば剣も身ももたないのだから。
「ようは、『ここは任せて先に行け』というやつです」
アリサさんにも聞こえるだろう声でそう告げる。
死亡フラグみたいで言いたくなかったのだが、どこぞのデカ尻さんがいる街だ。旗が自壊してくれる事を祈ろう。
「おいおい、敵の前で作戦会議かい?邪魔しちゃおうかなぁ」
「どうぞご自由に。貴方が僕でなく彼女らの方に行ったのなら、その大層な装甲の隙間に剣を刺し込むだけです」
「はっはっは!言うじゃねぇか、おい!お前知ってるぜ!噂の『剣爛』ってやつだ!ソードマン・キラーの!!」
男は豪快に笑いながら、ゆっくりと見せつける様に構えた。
強いて言うのならレスリングのそれに近い。だが踵まわりは床から少し浮いている気がする。ボクシングの様に半身となるのではなく、正面を向いたまま重心を落とした姿勢だ。
刃を相手に素手だと言うのに、被弾面積を上げるとは。余程あの装甲に自信があるらしい。
もっとも、ライフルを至近距離で防ぐのだから当然とも言える。はたして自分は、アレを斬れるだろうか。
「さっきはああ言ったが、気にすんな。オーダーは『聖女の抹殺』。聖女じゃなくって男の剣士だったが、どっちでもいい。俺の標的はあんただけさ。今はそれ以外どうでもいい」
「嬉しい事を言ってくれますね。これが美女から平時に言われたのなら、もっと良かったのですが」
「そうかい?俺はヤレルならどっちでも気にしないがねぇ。美女が好きなのは同意だがな」
後ろでハンナさんが部屋に入るのを音で確認し、一瞬だけ相棒へと視線を向ける。
『この後はそっちで上手くやってくれ。貴女なら、どうにかできるでしょう?』
そう思いを籠めれば、彼女は頷いてクリスさんの腕を掴んだ。
「よそ見とは酷いじゃないかぁ、剣爛のぉ!」
笑みを浮かべて吠えながら、男は突っ込んでくる。
重心は低いまま、腰か膝目掛けて組み付いて───違う!顔面!!
繰り出された鉄拳を剣でいなせば、消えかけの蝋燭が照らす薄暗い廊下に火花が散った。
硬いし、重い!だが凌げる!
受け流してすれ違いざまに、一閃。鎧の隙間を通そうと刃を振るった。
だが、防がれる。腕どころか体をずらされて装甲に当たったわけでもない。剥き出しの筋繊維が硬すぎたのだ。
見た目こそ赤いが、これは鉄線の束。比喩ではなく鉄線であり、それも鎧の作り手と同じ……ハンナさんの父親が打った物だ。感触でわかる。
通常の鉄線なら百本束ねられ様とも断ち切れるが、これは斬れない……!
「そぉら!」
「くっ!」
あまりの硬さに鈍い反動が腕に来るも、止まる暇などない。そうこちらに告げる様に、男が振り返りざまに裏拳を放ってきた。
人の頭蓋どころか鉄塊だろうと砕きかねないそれを跳躍して回避し、壁を蹴って即座に斬り込む。落下の勢いを利用してうなじの辺りを斬りつけるも、効果はなかった。
だがこれで斬れないのは予測済みだ。着地と同時に距離を取る。そしてピックを引き抜きざまに奴の口腔内へと投げた。
強化された腕力から繰り出された鉄の杭はライフル弾に匹敵する。だが、ガギリと音をたてて歯に止められた。
音速直前のピックを、噛んで止めてみせたのだ。
「ここから離れたいか?いいぜぇ、さっきも言ったが俺の狙いはお前だけだぁ!」
ピックを吐き捨て、再度突っ込んでくる男。
今度はボクサーの様に腕を構え、左右のフェイントまでいれて向かってきた。
繰り出されるワンツー。それをステップで回避し、直後に繰り出された蹴りを剣で受ける。
装甲の隙間から覗く赤色が発光し、軌跡を残して放たれた豪脚。刀身を合わせながら後ろに跳ぶも、この身は軽々と吹き飛ばされた。
天井に叩きつけられそうになるも、左の籠手をぶつけ衝撃を軽減。続けて足から床に着地し、数メートルほど足裏で削りながら止まる。
なるほど、見掛け倒しだったら良かったのだが。残念な事にこいつは化け物だ。
砲弾なみの破壊力に、それが数度直撃しようが平然と耐えるだろう頑強な体。その上で、それらを使いこなす驚異的な技量。正確に繰り出される打撃。
「そういや、まだ名乗っていなかったな」
正に人の姿をした戦車。そんな存在が、己を親指で示す。
「俺の名前はルーデウス!『鉄血傭兵ルーデウス』だ!懸賞金百十セル!もっとも、人相がだいぶ変わっちまったから死体を持って行っても金は貰えないだろうがな!」
「……シュミット。『剣爛』と呼ばれていますが、特に自称した覚えはありません」
「羨ましいねぇ。俺らは政府が馬鹿みたいな名前をつけるから、頑張って自称してるんだがよぉ!ちなみに俺の元の二つ名は『まぬけなルーデウス』さ。ひでぇだろう?」
「さあ。貴方のこと、全然知らないので」
「違いない!」
軽口を言いながら、先の攻防について考える。
筋繊維に見えるアレはワイヤーの束。それもドワーフ製だけあって、容易に斬る事はできない。加えてあの装甲。
ライフル弾を防いだが……恐らく、あの下にもワイヤーが筋繊維代わりに詰まっているのだろうな。筋肉に合わせた様に張りつけられているから、動きを阻害している様子もない。
なら、崩せるのはどこか。眼球も耳の穴もなし。しかし、防御した箇所はある。
口の中……いや、違うな。
「一応聞きますが、その身体は望んでなったので?」
「いいや?裏の仲介人を通して呼ばれてみれば、魔法とやらを使われて気づいたらこの有り様さ」
「なら、子爵が憎くありませんか?」
「むかつきはしたぜ?だが依頼主だし、その分金は払うと約束された。何より」
───ゴォォン!!
鉄拳が打ち合わされる。
「あの『ソードマン』を殺した男が目の前にいる……!こんな機会をくれたんだ。全身の皮を引っぺがされてもお釣りがくるぜ!」
「彼のお知り合いでしたか」
「さあな。だが、奴は俺達にとって……『銃の時代』に馴染めなかった男達にとって、伝説なのさ」
男が、ルーデウスが構えをとる。
今度は左半身を前に出したボクサーの様なスタイル。だが左腕が低い……『フリッカー』、だったか?
剣の間合いから更に離れた位置で、彼はゆらゆらと脱力した様子で左の拳を揺らす。
「見せてくれ、その力を。本当にお前があの男に勝てたのなら、どんな体になろうとも俺なんぞに負けるはずがない」
黒鉄に覆われた顔の上半分。むしろ、唇すらなくなった剥き出しの口ぐらいしか見えている所はない頭。表情なんてわかるわけがない。
それなのに。
───左腕の揺れが止まる。完全に奴の腕が脱力した。
「さあ、楽しもう。太陽も月も隠れちまっているが、俺らだけが知っていればいいのさ。この戦いの、結末を!」
狂気にして、狂喜。武人でも罪人でもない。ただの獣ですらもない。一匹の、狂犬の笑み。
何が銃の時代に馴染めなかった、だ。
貴様は『人の世に馴染めなかった』類の人間だろうに。
「闘りますか」
「闘らいでかぁ!」
ゴングなどない。
雷鳴を合図として、黒鉄と白刃が走る。
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