第八十八話 残された者の声
第八十八話 残された者の声
「この辺りがそうですね」
「なるほど……」
最初はどうなるかと思ったゲレルさんの案内だったが、彼女の浮ついた気配の一切ない態度のおかげで自分も仕事と割り切る事ができた。
まあ、亜竜退治については本当の所ただの私情なのだが。上司の名前を勝手に使っているだけで命令など受けていない独断行動だし。
冷静になると後が怖いが、それは今忘れるとしよう。地図と見比べ、作戦で通る予定のルートを確認していく。
「……そろそろ、お昼にしましょうか」
「そうですね。えっと……」
そう言えば自分一人で回るつもりだったから、乾パンと水しか持ってきていない思い出す。
普段なら栄養バランスを考える所を、こんな状況だしと妥協したのだ。
困った。相手は牛獣人のお姫様。そんな人物に『貴女もどうですか?』と乾パンを勧めるのも気が引ける。
「あそこの丘で休みましょう。あの位置なら食べながらでも周囲を見渡せます」
「あ、はい」
「それと、簡単な物ですが食事を作っておきました。王国の方に合わせた味にしたつもりですが、慣れていない食材でしたので味は保証できませんが……」
「すみません、色々と気を遣わせてしまい」
「いいえ。出発時にも言いましたが、シュミット様は我らにとっての救世主の様なお方。この程度は当然です」
キッパリと言い切る彼女に、少し申し訳なく思う。
口には出さないが、本音を言うと牛獣人の存亡にそこまでの興味はない。ある程度関わってしまったから死なれたら寝覚めが悪いが、それだけだ。
自分の目的は亜竜の心臓を持ち帰る事。それなのにこういう対応をされると、正直困る。
そう思い悩みながら、丘の上にあるポツンと生えた木の根元に向かった。丁度枝についた葉が日よけになってくれる。
「どうぞ。サンドイッチ……でしたか。王国の方はこういった物を出先で食べると聞きました」
「ありがとうございます。頂きます」
ゲレルさんが渡してくれたバスケットを受け取り、蓋を開けてみる。
中には綺麗に詰められたサンドイッチが入っていた。
失礼ながら少し安心する。チートもあって胃腸は頑丈なつもりだが、慣れない食事で作戦前に体調を崩すのは避けたかったから。
「ん……美味しいですね、これ」
「恐縮です」
具材はピクルスとハムを挟んだ物や、輪にして焼いたソーセージと野菜を挟んだ物など。味付けも特別変わった所はないが、素朴な感じがして美味しかった。
隣でもう一個バスケットを出し彼女も食事を始め、数分ほどお互い無言になる。
……これは、自分の方から話題を振った方が良いのだろうか。
水筒から水を飲みながら、少し考える。どうにかこれまでの異性との会話から何か話題を……。
よく考えたら仕事の話以外をする異性、前世を含めてもアリサさんしかいなかった。
我ながら交友関係の狭さに頭が痛くなってくる。一応リリーシャ様とは王都やそこまでの道のりで色々話したが、基本的にアリサさんとセットだった。ハンナさんに関しては、それこそ仕事の話メインで顔をあわせていたし。
困った。本気で話題がない。こういう時は、相手に何か質問でもしてみるか。
「その、ゲレルさん」
「はい、何でしょうか」
「ご、ご趣味は?」
……お見合いかな?
言ってから若干後悔するも、彼女は特に気にした様子もなく答えてくれた。
「そうですね……星を見る事が好きです」
「星ですか?」
「ええ。一見ただ広がっている様にしか見えない平原ですが、だからこそ空が良く見えます。星の見え方で現在地を知る為に始めた事ですが、気がつけば夜空を眺めるのが好きになっていました」
「そ、そうですか。良いご趣味ですね」
そこまで言ってから、また言葉に詰まってしまう。
ええっと。こういう時はそこから話題を広げればいいのだったか?
いけない。本当に対人スキルが退化している。開拓村での生活がこんな所で響くとは。
「シュミット様は」
言葉を探しているうちに、彼女の方から話題を振ってくれた。
「どうして、今回の一件に?」
「……と、言いますと」
「アーサー・フォン・ラインバレル様の命で来た、というのは嘘なのではないかと思いまして」
するりと、自分の中のどこか浮ついていた物がなくなるのを自覚する。
「何故そう思われたのですか?」
「確証があるわけではありません。公爵家の意向からそれほど外れた行動ではないのでしょうが、それでも公爵令嬢と貴方様のたった二人で亜竜のいる場所に赴く。この事自体に、どうにも違和感を拭えないのです」
ゲレルさんの金色の瞳が、こちらを射貫く。
そこに敵意も害意もない。それどころか感情を読み取る事もできない視線が自分に向けられていた。
「我ら牛獣人を助ける為……それだけだとは思えません。亜竜に、何かあるのですか?」
油断していたかもしれない。
言葉にされれば疑われて当たり前の状況だ。これは自分の落ち度だと反省する。
「……これだけはわかって頂きたい。自分も、アリサさんも。そして公爵家も牛獣人の方々に害意の類など持っていません」
「はい。それは承知しております」
「とある理由で、亜竜の心臓が欲しいのです。僕も、公爵家も」
「心臓、ですか?」
不思議そうに首を傾げる彼女に、頷く。
「自分の独断では詳しくお話できませんが、何か悪用しようと言う話ではありません。とある魔物を討つために、それが必要なのです」
「……ドラゴンを討つために、ですか?」
今度こそ本気で驚いて、目を見開く。
ゲレルさんはそんな自分の様子など気にした様子はなく、しかしこちらをじっと見ながら淡々と言葉を続けた。
「神託を受けていた時、流れてくるものがあったのです。『龍を討て』。『世界の敵を仕留める為に助力せよ』と。それが、ドラゴンの事なのですね」
「……そんな事までわかるのですか」
「いいえ。普段ならわかりません。ですが、きっと貴方様がいたから」
ゲレルさんが一度目を伏せた後、こちらをまた見つめてくる。
「あの時、シュミット様は『聖女の技』と呼ぶ物を使用しました。それに呼応する様に私が発動した術も普段以上に力を発揮した。ですが、それはただ貴方様が手助けしてくださっただけとは思えないのです」
まるでこちらの心の内を全て見透かす様な黄金の瞳に、思わず視線を逸らす。
「まるで、世界そのものがシュミット様の背を押している様でした。……貴方様はもしや、本当に聖女様の後継者なのではないですか?あるいは、それこそ生まれ変わりなのでは」
「買い被りです。僕があの方ほど強ければ、この様な事になっていませんよ」
自分が女神様から貰ったチートに不満はない。幾度も助けられているし、これがなければとっくに死んでいた。
だが、それでも思ってしまう。この身に聖女の様な剛力と魔力があれば。あるいは、セルエルセス王の様な人を超える力を得る異能があればと。
もしもそうだったのなら、自信を持って龍を討てると相棒に言えたのではないか。あの無駄に陽気な癖に時折悟った様な目をするお馬鹿様の脳天に一発ぶちかまし、死にゆく覚悟を鼻で笑う事ができたかもしれない。
……所詮、たられば。無意味な思考である。
ただ、そう言う理由もあって自分が聖女の後継者などとは思えなかった。そもそも、聖職者を名乗れる様な暮らしはしていないし、する気もない。ついでに前世の記憶は『経験』に変えず大事にとってあるので、生まれ変わりでもない。赤の他人だ。
「僕は、ただの人間です。人より少し色々な事が出来るだけの」
「……失礼しました」
ゲレルさんがそう言って頭を下げた後、顔をあげる。
「ですが、私には貴方様が何か大きな事を成し遂げると思えてなりません」
「それも、神託ですか?」
「いいえ。ただの勘です」
そう言い切って、彼女は胸を張った。
「兄様ほど人を見る目に長けてはいませんが、不得手でもないつもりです。だから、これは言わなければなりません」
「何でしょうか」
「死なないでください」
ゲレルさんの言葉に、眼を瞬かせる。
戦いに行く者に対して言うには、ありきたりな言葉。しかしそれがこの流れで出てくるとは思っていなかった。
「上兄様は、仲間を庇って死にました」
続く彼女の言葉に、開こうとした口を閉じる。
「戦士としての誇りの為に無謀な突撃をしようとした仲間を止めようと、兄様に撤退指揮を任せてその方を助けに行ったのです」
「それは……」
「結果、その方はブレスに焼かれながらも生き残る事ができました。ですが、その際に上兄様は死んだのです」
ゲレルさんの目が、空に向けられる。
「牛獣人の戦士として、その方は正しい。人としては、上兄様が正しい。ですが、片や悲しみの中で生死を彷徨い、片や亜竜の炎で焼け死にました。だから、思うのです」
「………」
「時には正しさよりも、命を優先すべき時がある。生きていれば、次につなげられるのです。命を懸けて戦う行為を否定するわけではありません。戦士達の命で、私達が生きているのですから。ただ、それでも……どうか、最後まで生きる事を諦めないでください」
「……言われずとも」
一度だけ目をつぶる。
今生にて、何度死んだ方がマシだと思った事か。数えるのも馬鹿らしい。
だが、それでも未だに己は生きている。それは偏に、生きたかったから。
死にたくない。生きていたい。そして衣食住の揃った生活を手に入れて、当たり前の幸せが欲しかった。
ただそれだけの、何の深みもない凡庸な動機。その為だけに、他者を殺してでも生きてきた。
「僕は、泥水を啜ってでも生きますよ」
事実、そうしてきた。これからもそうするつもりである。
「ですが、出来るだけ美味しい物を食べて生きていきたいですね。このサンドイッチとか」
はむりと噛めば、ハムの塩気とピクルスの酸っぱさが丁度良い味が舌に広がる。
開拓村では絶対に食べられなかった物だ。それも牛獣人のお姫様が作ってくれた物となれば、夢にも思わなかった御馳走である。
自分は、前に進めている。間違いなく『成り上がっている』のだ。
こちらの言葉にキョトンとした顔をした後に、ゲレルさんが小さく笑う。
「そうですか。では私のこれは、大きなお世話でしたね」
「いいえ。誰かに心配してもらえるのは、悪くない事ですから」
特に、貴女の様な美人になら。
なんて、そう言えたのなら自分はモテていたのだろうか。前世で言っていたら、たぶん気持ち悪がられて終わっていただろうけど。
「……いえ。事実、これは小娘の戯言なのかもしれません」
「ゲレル殿?」
「これは、恥を晒す様な事なのですが」
彼女が自嘲する様に笑う。
「賢し気にあのような事を言っておいて、実際の所私は上兄様が死んだという実感がないのです」
「……それは」
「ええ。親しい者を亡くした人がよく、そうなる事は知識として知っていました。ですが、自分がそうなるとは思っていなかった。きっと、正しく受け入れられると根拠もなく思っていたのです」
いつの間にかサンドイッチを食べ終わりバスケットを閉じて、ゲレルさんは続ける。
「今も、ひょっこりと上兄様が顔を出すのではないか。兄様に怒る私に、苦笑を浮かべながら宥めに来るのではないか。そう、思えてならないのです」
「……仲の良い、ご兄弟だったのですね」
「はい。少なくとも、私はそう思っています」
この世界の兄弟は、前世よりもしがらみが多い様に思えた。
長男であれば家長としての未来が約束され、次男や三男は良くてスペア。悪ければ奴隷扱い。
女性に生まれれば、そもそも発言権すら与えられない家もある。そんな中で、彼ら兄弟は仲良く喧嘩できる程度の仲だったのだろう。
バトバヤルさんとゲレルさんを見ているだけでもわかる。
「だから、今は復讐心と呼べるものも抱けません。もしかしたら、今晩には亜竜に対して殺意を漲らせているかもしれない。このように、己の感情一つ制御できない小娘が私です」
「……僕には、それが悪い事だとは思えません」
未だ、牛獣人の文化を全て把握できたわけではない。むしろ知らない事の方が多いだろう。
彼女の言うように、彼らの文化でその考えは未熟で恥ずかしいものなのかもしれない。
だが、それでも。
「人は人である以上、感情を完璧に制御する事はできない。自分は、そう思います」
怒りも悲しみも、そして喜びも。
それらの感情を理性だけで出力する様になれば、それは獣でも人でもない。……かもしれない。生憎と、そういった人とは会った事がないので断言はできないが。
だが、自分には人が人であって何が悪いとも思える。
「ゲレルさんは間違っていない。そういう貴女で、いいと思いますよ?」
偽らざる本音である。我ながら毒にも薬にもならない内容だが。
そんな事を言う自分を彼女は数秒ほど見つめた後、小さくふき出した。
「すみません、気を遣わせてしまって。私は何を言っているのでしょうね。これから戦いに行く方に。それも客人に愚痴など言って」
「いいえ。この程度の受け答えしかできない事こそ、申し訳なく思います」
「そのような事はありません。悪いのは私です」
「いえいえ、自分の方こそもう少し気の利いた事を言えたのなら良かったのですが」
「ですから、そもそも貴方様は客人で」
そう言い合って、互いに苦笑を浮かべた。
「……では、お互い様という事で」
「……その厚意に、甘えさせて頂きます」
パタリと、こちらもバスケットを閉じる。
「ごちそうさまでした。サンドイッチ、美味しかったです」
「お粗末様でした」
彼女がバスケットを持って立ち上がる。
「久々に家族以外の誰かとこうしてお話した気がします。我ながら、滅茶苦茶な事を言っていたかもしれません」
「……もしかして、貴女も緊張していたのですか?」
「……少しだけ」
くすりと笑うゲレルさんが、照れくさそうにすぐさま顔をそむけた。
「行きましょう。貴方様に生きて帰ってもらう為にも、きちんとご案内しなくては」
「ええ。よろしくお願いします、ゲレルさん」
「はい。承りました」
馬の所へ戻れば、草を食べていたサリフがこちらの頬に鼻先を押し付けて来た。
「ちょ、なに……?」
『ブルル……!』
どこか笑っている様な声。それに疑問符を抱きながら、彼の背に飛び乗る。ゲレルさんも視界の端で白馬に跨っている。
……先の彼女の話。思う所がないわけではなかった。
殺された人の遺族。その人が思う殺した側への感情。
ソードマンの弟であるジョナサン神父は、自分を恨んでいないと言った。
父親を殺されたハンナさんは、ヨルゼン子爵への復讐を依頼してきた。
お兄様を失ったゲレルさんは、実感がわかないと言っていた。
……自分が斬ってきた相手にも、家族はいたはずだ。事実、ジョナサン神父がそうである。
戦ってきた相手は、どれも社会的常識で視れば向こう側こそ討たれて当然の『悪』ばかり。こちらに非があったとは思えない。
だが自分で言った様に、感情を理性で制御しきれる人などいないはずだ。
であれば───いずれ、現れるのだろうか。
親しい誰かを僕に殺され、恨みを持って武器を向ける人が。
* * *
夜。日が暮れ、闇が平原を覆う。
出来る事はやった。味方と策を練り、罠を仕掛け、敵を待ち構えている。
それなのに沸き立つこの不安は、いったい何だと言うのか。空に浮かぶ月の色が、こういう時に限って赤い事が原因なのだろうか。
どこか不気味さを覚える月光の中。自分は一騎、平原の真ん中で相手を待つ。
そして───『それ』が、世界を揺らした。
『ガァア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!』
大気や大地どころか、天高くを漂う雲さえも震わせる咆哮。本能的な恐怖が最大限の警鐘を鳴らし、声の主を両の瞳が全力で探す。
だがそんな事をせずとも、相手の姿はすぐに目視する事ができた。
一歩踏みしめるだけで土煙が舞い上がり、砲弾が降ってきた様な音をたてる。
深紅の鱗は血の様で、それでいて頑強な城塞を連想させる程に分厚い。
バトバヤルさん達から聞いた体躯よりも更に大きくなった怪物が、ゆっくりと四肢で地面を揺らしながらこちらを向く。
黒眼と白目が反転した様な瞳が、自分を捉えた。その刹那、
『■■■■■■■■■―――ッ!!!』
亜竜の放った先ほどよりも更に大きな咆哮が、響き渡る。
それが、開戦と合図となった。
読んで頂きありがとうございます。
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