異世界の姫様祭り
3月。北海道、まだまだ雪に囲まれたサイコーマートに、柔らかな春の気配が訪れる。
この月といえば、僕の実家では毎年恒例の行事が繰り広げられているはずだ。そう、ひな祭り。あの、見上げるばかりの十段ひな人形が、今年もきっと、広間に鎮座していることだろう。
昔は、爺ちゃんと父さんが、毎年「ヒイ、ヒイ」と情けない声を上げながら、あの膨大な人形と小道具を組み立てていたっけ。今はきっと、その役目は父さんと、顔では嫌がりながらもなんだかんだと手伝う兄ちゃんが、あの怖い妹のために、同じように「ヒイ、ヒイ」言いながら組み立てているに違いない。想像するだけで、ちょっと気の毒になる。
僕といえば、そんな実家の様子を遠く思いながら、コンビニの棚に小さなお雛様の飾り付けを施していた。このサイコーマートがある地域は、ジジババ(おじいちゃんおばあちゃん)が多い。だから、可愛い孫のためにと、ひな祭り関連の商品も結構売れていく。商売としては、なかなか良い季節だ。
僕がひな祭りの飾り付けがされた商品を棚に並べていると、サイコーマートのイートインスペースから、深いため息が聞こえてきた。見ると、グウィンドールがまたしても、両手で頭を抱えている。
「どうしたんですか、グウィン?」
僕が声をかけると、彼は顔を上げた。
「実は……今度、姫様の誕生日パーティーを執り行うことになってしまいましてね……」
その言葉に、隣にいたライリーがギョッとしたように目を見開いた。ライリーがそこまで動揺するのだから、よほど手ごわい姫なのだろう。
「マジか……ワガママ姫はほんと厄介だからな……」
ライリーの呟きに、グウィンドールは力なく頷いた。
「ええ。しかも、『今年は、今までにない誕生パーティーにするように』と、直々に命を受けてしまったのです。どうしたものか……」
いるよな、そういう無茶振りをする上司とか先輩。僕もその光景を想像しただけで、背筋に冷たいものが走った。無茶振り、絶対に良くないぜ。
「このピンク色の華やかなものはなんだ?」
ブロンコが、弁当の陳列棚に並べられた花ちらし寿司を指差し、興味津々といった顔で言った。彼の視線の先には、色とりどりの具材がちりばめられた、見るからにお祝いムード満点の弁当がある。
「これは、ちらし寿司って言って、ハレの日、つまりお祝いの日に食べる特別なものなんです」
僕は、そう説明した。
「へぇ〜。確かに可愛らしくて、お祝いっぽいな!」
ブロンコは、素直に感心した様子だ。彼の言葉を聞きつけたグウィンドールが、その会話に耳をそばだてていた。
「ほう、お祝いですか。それは、どのようなお祝いの時に食されるものなのですか?」
やはり、その知的好奇心がうずくのだろう。グウィンドールの目が、鋭く僕を捉えた。
「これはですね、僕の国の文化で、女の子の幸福を祈るお祭りで食べるものなんです。綺麗な人形を飾って、美味しいお酒やお菓子を供えながら、女児の健やかな成長を願ってお祝いする……あれ?」
僕は、説明しながら、ふとあることに気が付いた。グウィンドールの顔が、見る見るうちに輝きを増していく。
「ほほう、それは、面白そうですね!」
グウィンドールの目が、まるで新しい知識を見つけた魔法使いのように、キラリと光った。彼の表情は、先ほどまで抱えていた「今までにない誕生日パーティー」の悩みなど、どこへやらという感じだ。
「本当ですね……なんか、運命を感じますね。お姫様のお祝いに、まさにこのお雛様の文化、いけそうですね!」
僕の提案に、グウィンドールは興奮した面持ちで頷いた。彼の脳内では、すでに壮大なパーティーの構想が練られているのだろう。
かくして、ワガママ姫の誕生日を巡るお雛様大作戦が、今、サイコーマートの一角で静かに幕を開けたのだった。それは、異世界の姫の心を射止めるため、日本の伝統文化が海を越える、壮大な冒険の予感に満ちていた。
僕は、グウィンドールたちにひな祭りを説明できるように、ウェブで情報を調べ始めた。
日本でのひな祭りは、平安時代あたりから始まった文化らしい。女の子の健やかな成長を願って雛人形を飾る習慣が定着したのは、意外にも江戸時代からだった。そんな昔から、この文化は脈々と受け継がれてきたのかと思うと、なんだか感慨深い。菱餅が菱の生命力にあやかり、厄除けや子孫繁栄を願ってあの形になった、という話も初めて知った。僕の知らない長い歴史が、そこにはあったのだ。
ざっくりとだが、彼らにひな祭りの文化を説明した。
「ほう、なるほど。それはなんと伝統的な文化なのでしょう」
グウィンドールは、深く感心した様子で聞き入っている。
「面白いな。おままごとの延長なのに、結構いい年まで飾るんだな」
ブロンコは相変わらずデリカシーがないが、彼の素直な感想でもある。
「カツヤの世界の、あの人形たちの着ているドレスは何だかすごいな。文化の違いを強く感じるぜ」
ライリーは、雛人形の豪華な衣装に思いを馳せているようだ。
「食べ物や飲み物は何とかできそうですが、このひな人形というのは、なかなか準備に手間取りそうですね……」
グウィンドールが、一番の懸念を示した。確かに、この異世界で、あの精巧な人形をすぐに用意するのは困難だろう。ただ、僕には一つだけ、思い当たる節があった。
「ちょっと、明日また来てください。人形なら、解決できるかもしれません」
僕の言葉に、グウィンドールが目を輝かせた。
「本当ですか!?」
ライリーも、力強く頷いた。
「おお、さすが。最近、頼もしいぜ、カツヤ!」
二人の期待に満ちた眼差しを感じる。僕が考えていることが当たれば、彼らの「今までにない誕生日パーティー」の悩みを解決できるかもしれない。
翌日のバイト上がり。僕はオーナーと斎藤さんに頼み込み、ある場所まで来てもらった。それは、僕の爺ちゃんが眠る、古びたお寺だ。
実は以前、大量に行き場をなくしたお雛様たちが、供養としてこのお寺に引き取られていく光景を見たことがあったのだ。もしかしたら、ここに……。
「へぇ〜、カツヤくんの上客の外国人のためにねぇ」
斎藤さんが感心したように言った。
「いいね、こっちでは不要になってしまったものが、別のところで活躍するなんて」
オーナーもまた、豪快に笑いながら頷いた。
「うんうん、こっちも色々大量に買ってもらってるからね。これくらいならサービスサービスだよ!」
快く僕の頼みを受けてくれたオーナーは、店のハイエースを運転してくれた。
お寺に到着し、住職さんを訪ねる。住職は僕たちの話を聞くと、柔らかな笑みを浮かべたが、その瞳の奥には、どこか寂しげな色が宿っていた。
「ああ、お雛様ね。あるよ。蔵の方にたっくさん眠っているさ……」
住職は、遠い目をしながら続ける。
「これも、少子化のせいだねぇ……。孫が女の子じゃないとか、飾る場所がないとか、核家族化で手間がかけられないとか……。檀家さんも、泣く泣く手放してるんだ。大切にされたお雛様が、行き場を失うのは、つらいことだよ」
人形供養として、この蔵に引き取られたお雛様たちの多さに、住職の寂しさがにじみ出ていた。
「でもね、カツヤくん。行き場をなくしたお雛様も、このまま処分されるより、異国の女の子に可愛がられる方が、きっと幸せかもしれないねぇ」
住職の言葉に、僕の胸が温かくなった。
案内された蔵の中には、年季の入った桐の箱が山と積まれていた。その一つ一つに、精巧な雛人形が収められている。僕の期待を遥かに超える量だ。
「好きなだけ、持っていってくれて構わないよ。なぁに、ちゃんと私がお祓いはしてあるからさ」
「ありがとうございます!」
僕は頭を下げた。しかし、斎藤さんが、まじまじと桐の箱の数を数えながら、不安げに言った。
「だけど、カツヤくん。こんなに大量に持っていって、あっちの国で迷惑にならないか? 置き場所とか運搬費とか……」
僕たちは、ずっしりと重い桐の箱を運び出す。その中のお雛様たちは、どれも年季が入っていて、少しばかり意志を持っているかのように精巧だ。年季ゆえか、その人形たちの顔が、僕には少しだけ、無表情の中に秘めた恐怖を宿しているように見えた。
「多分、大丈夫だと思います。きっと、お人形たちの第二の人生が始まりますから」
僕は、人形たちに言い聞かせるようにそう言った。
「人生……人形なのに?」
斎藤さんの言葉に、僕たちは思わず顔を見合わせた。精巧な雛人形たちに、新しい場所で再び綺麗に飾られるんだと、まるで言い聞かせるように、僕たちはハイエースに積み込んでいった。
「おお〜……!」
サイコーマートのバックヤードに運び込まれた大量の桐の箱を見て、異世界トリオから感嘆の声が上がった。予想をはるかに上回る数と、箱から覗く人形たちの豪華さに、彼らはただただ驚いている。
「いいんですか、カツヤさん。こんなにたくさん。この装飾といい作りといい、さぞお高かったでしょう……」
グウィンドールが、心配そうに人形の顔を確認しながら尋ねた。彼の目は、その精巧さに感銘を受けているようだ。
「いえ、それが、これらはタダで手に入ったんです。手伝いはしてもらいましたけど」
僕がそう答えると、ブロンコが目を丸くして箱の個数を数え始めた。
「へぇ、こんな立派なモンがタダなのか……すげぇな、カツヤの国は!」
信じられないといった様子のブロンコに、僕は少し複雑な気持ちで、日本の現状を説明した。
「実は、僕の国は、子供がどんどん減ってるんです。だから、この人形たちも、飾る場所や、可愛がってくれる子がいないまま、行き場を失っていたところなんです」
僕の言葉に、グウィンドールはすぐに何かを察したように、腕を組んで考え込んだ。
「ふむ、少子化ですか……。我が国は、まだ子供の方が多いですが、平和な文化が進むと、そういったことも起こり得るのかもしれませんね」
さすが、頭脳派のグウィンドール。僕の意図を汲み取り、異世界の状況と重ね合わせて理解してくれた。
「へぇ、子供なんてたくさんいてもいいのにな〜」
しかし、ブロンコは相変わらずデリカシーがない。彼の天然ぶりに、ライリーとグウィンドールは呆れた顔をしている。
「そういう俺たちも、まだ子供の一人どころか、嫁もいないんだけどな」
ライリーが、自分たちの境遇を含めて皮肉めいたことを呟いた。その言葉に、三人の間に一瞬、重い空気が流れる。
「「「はぁ〜……」」」
深い溜息が、三人の口から同時に漏れた。彼らもまた、色々と思うところがあるのだろう。
「ともかく、カツヤさん、これは本当に素晴らしい成果です。ありがとうございます。この御恩には、どう報いていいものか……」
グウィンドールが、真剣な眼差しで僕を見つめて言った。
「いえ、そんな。いつものように、買い物してくれるだけで全然構いませんよ。それに、この人形を持っていたお坊さんも、皆さんに使ってもらえるなら、って感謝していましたし」
僕は少し照れながら、素直な気持ちを伝えた。この雛人形たちが、異世界の姫の誕生日を彩り、新たな人生を歩むことができれば、それが何よりの喜びだ。
ブロンコは、あの斎藤さんが腰を痛めたほどの重い桐の箱を、まるで羽毛のように軽々と運び出していく。僕たち日本人とは、やはり体の作りが根本的に違うようだ。その怪力ぶりに、改めて驚かされる。
「本当にありがとうな、カツヤ。最近、ほんとしっかりしてきたな。俺が初めて会った頃なんて、お前、一瞬アンデッドかと思ったくらいだったぜ」
ライリーが、感心したような面持ちで僕の肩を叩き、労ってくれた。
「アンデッド……ゾンビとかですか。ハハ……確かに、僕は昔、無気力人間でしたからね……」
僕は苦笑しながら、当時の自分を思い返す。深夜のコンビニで、ただ淡々と仕事をこなすだけの、生気のない毎日。
「ああ、本当に、最近は見違えるぜ。まるで、あの人形の階段を駆け上がっていくようにな」
ライリーは、コンビニのひな祭りの飾り棚を見ながら、そう言った。彼の言葉は、僕がこの数ヶ月で経験してきた変化を、的確に表しているように感じられた。
「そのうち、お前はここから離れて、大なり小なり何かをやるだろうな。もし、何かやりたくて、悩むことがあったらいつでも相談してくれよ」
ライリーの言葉は、まるで未来を予言しているかのようだった。僕の胸の中に、温かいものが広がる。
「ハハ……やりたいこと、ですか……。そうですね、まだぼんやりとしてますけど、もし本当にそんな時が来たら、もちろん、その時は頼りにしてます」
僕はそう答えた。具体的な「やりたいこと」はまだ見えないけれど、この異世界との出会いが、僕の未来に新しい光を灯してくれたのは確かだ。その光の先には、きっと何か、僕にしかできないことが待っているのだろう。僕は、少しだけ未来に想いを馳せた。
姫の誕生日パーティーの日、アシュロの城はかつてない華やかさに包まれたという。サイコーマートから運ばれた、見たこともないような飾り付けの食事の数々。桃色のワインがグラスの中で煌めき、桃の甘い香りが漂う酒は、異世界の人々にとって珍しさも手伝って、皆が嬉々として堪能したそうだ。
そして、何よりも皆の目を引いたのは、僕が寺から譲り受けたあの大量の雛人形たちだった。城の壮麗な階段に、これでもかというほどに飾り付けられた人形たちは、一つ一つが精巧で、日本の伝統美を異世界にそのまま持ち込んだかのようだっただろう。一式一式、各貴族や高官たちの娘さんたちに向けて贈られた雛人形は、きっとそれぞれの家庭で大切に飾られることになったはずだ。
中でも、噂のワガママ姫が、その豪華な雛人形の数々に、目を輝かせて大満足だったと聞いた時は、本当に嬉しかった。普段は決して見せることのないような、純粋な笑顔を見せたそうだ。彼女が、その人形たちにどんな物語を見出したのか、想像するだけでも心が温かくなる。
異世界の城で繰り広げられた、日本の伝統文化が融合した誕生日パーティー。その様子を、一度でいいからこの目で見てみたいと、僕は強く願った。きっと、僕のようなコンビニ店員が足を踏み入れることなど許されない、華やかで、少しばかり不思議な光景がそこには広がっていたに違いない。




