未奈美の改心
電車に数十分揺られ、待ち合わせの水族館へ。まりなちゃん、かんなちゃん、めぐちゃんは既に到着していた。引率役を引き受けてくれたまりなちゃんのママの運転で、水族館まで行くと言っていた。
「お待たせー!」
学校ではない場所で会うのって、なんだか新鮮!
「わー、本当に年上のカレシだ!」
青空が綺麗な中、暑いくらいの日差しと、海沿いの強い風。友達とのきゃっきゃした声と、年上の彼氏。
「あー、デートだからって可愛くしてる!」
早速、編み込みに気が付いためぐちゃん。女の子は見つけるのが早い。
ちらり、と大志くんを見ると、口角を上げてくれた。気が付いていたかどうかわからないけど、今気が付いてくれたらいい。
ああ、すごく、幸せだ。
剛志くんが結婚することになって、地獄の底のさらに底に落とされた気分だった。それなのに、どうしてこんな気持ちになれるんだろう。
「今日は、よろしくお願いします」
大志くんはぺこりと軽く頭をさげて、まりなちゃんのママに挨拶している。
「娘から聞いています。こちらこそ、騒がしい女の子達をよろしくね」
大人の会話。大志くんも、そっち側の人なんだな。
「さ、チケットは買ってあるから入りましょう」
「あ、お金」
「いいの、訳あって安く手に入るから」
カブヌシユータイだって、とまりなちゃんが教えてくれる。私より先に、大志くんが「ありがとうございます」と頭を下げた。慌てて私も続く。
「礼儀正しいのね」
まりなちゃんのママが、微笑みながらチケットをくれた。まりなちゃんが「わたしだってできるもん!」って張り合い始めたけれど。
歩き始めると、自然と私と大志くんをみんなが囲む。
「ねーどこで出会ったの?」
「どこが好きなの?」
答えにくいけれど、出会いはお隣さんで、好きなところは「結構頼りになるとこ」と正直に答えた。
「どこまでいったの?」
「デートなら……遠出は今日が初めてだよ」
その答えに、みんなが笑う。こら、とまりなちゃんのママがたしなめる。
「場所じゃなくてー、ねぇー?」
なんでそういうリアクションなんだろう? と大志くんを見ると、苦いものを食べたみたいな顔をした。
「大志さん、ウブな未奈美ちゃんをいじめちゃだめだよ」
ウブって何? まりなちゃんの言葉にも、ハテナばっかり。
もぉー。わかんない!
「ペンギンのエサやり、始まるって!」
私は話を変えるように、看板を指さして先頭を歩いた。まりなちゃんが下調べした通り。
わかんない。でも、あんまり悪い気分でもない。
ペンギンに夢中になり、みんなからの質問攻めは一旦おわり。
大人のペンギンの食欲がすごくてちょっと引いてしまったり、小さな子供のペンギンが、飼育員さんからエサを貰おうと懐いていたり。
やっぱり、写真と実際見るのとは違うな。
可愛いけど、私はペンギンよりも大志くんのリアクションが気になってしまった。
こういったショーを見る時、大志くんはどんな風に見るんだろう? 暑くないかな? 喉乾いてないかな? つい世話を焼いてしまいそうになる。
「大志くん、疲れたら言ってね」
「大志くん、飲み物買ってこようか?」
ずっと大志くん、大志くんって呼んでいたら、みんなに「ラブラブ」ってからかわれてしまったけれど。
「ありがと。未奈美も大人になったな」
褒められているのかけなされているのかわからないけど、大志くんからお礼を言われるのは嬉しかった。
お昼ご飯を食べ始めたらまた質問攻めに合う。
直接海の生き物と触れ合えるツアーの行列中にも、また始まる。
それの繰り返しに、私はだんだん疲れてくる。
答えにくい時は、大志くんがそれとなく話をはぐらかしてくれた。あんまり会話が上手ではないかもしれないけれど、でも、私を守ってくれた。
目の前にある、大志くんの腕。この腕にしがみついてみたい。そう思う自分に気が付いて、頭を振った。
なんでよ、これもわけわかんない!
休憩で座った外のベンチ。大志くんはすっかりみんなの人気者だ。
大学生なんて、そりゃーかっこよく見えるよね。
鼻高々な気分。大志くんを連れてきてよかった。
水族館を満喫し、お土産を買い、私たちは解散することになった。日が暮れる前に、水族館は閉まる。都会では夜中までやっているらしいけれど、ここはさっさと閉館する
「今日はありがとうございました」
また、大志くんがまりなちゃんのママにぺこりと頭を下げる。私も一緒に。
「こちらこそ、楽しかったよねー」
ママより先に、まりなちゃんが答える。かんなちゃんとめぐちゃんも、楽しかったと言ってくれた。
行きと同じように、私たちと、まりなちゃんたちは別に帰宅。
「帰り道もデートだね」
なんて言われたけど。デートじゃないし、という反発した気持ちはあまり湧いてこなかった。
駐車場と、駅へ向かう二手に別れて、私は大志くんと二人きりになった。
行きは、色々しゃべった。学校で流行ってることとか。でも、もう話す事がない。なくはないけど、どう切り出したらいいかわからない。
でも居心地が悪いわけでもなく。
大志くんも、無言で歩く。改札を通るときの「ピッ」っていう音が、妙に耳に刺さる。
また数十分揺られて、地元の駅に。なんだかんだ、疲れたなぁ。でもとても良い疲れ!
ここから歩いて帰るのは、ちょっとしんどいんだけど。
改札を出て家の方向に足を踏み出すが、大志くんはついてこない。
「どうしたの?」
脚を止めて振り返る。夕日に染まった駅を背に、大志くんは親指をあげて、駅の後ろを指した。
「ちょっと、学校行きたくなった」
「学校? 小学校のこと?」
駅の反対側の出口の方には、今私が通っている小学校がある。もちろん、大志くんの母校だ。
「疲れたなら、先帰っていいよ」
「私もついていくよ」
急にどうしたんだろう。表情が読み取れない。夕日に照らされているから? それとも、なんだか違う人に見えるから?
大志くんの本当の心が見えないまま、私たちは小学校へ向けて歩き出した。
歩いている間もずっと無言。駅自体は最近できたものだから、周囲はちょっといびつな作りだ。マンション建設予定地は、何年たっても予定地のまま。急に街は栄えないんだなぁ。
五分と歩かず、小学校へ。休日だし、部活をしている子もいない。門扉は閉ざされていた。
「あー、校舎ってこんな小さいんだなぁ。俺も大きくなったな」
大志くんが閉ざされた門扉にも気にせずよじ登ろうとするので「警報が鳴るよ」と注意した。
「昔はなかったのに」
子供みたいにくちびるを尖らせる。こういう人がいるから付いたんだよ。
「裏門の入り口も? その脇のフェンスの穴は?」
裏門にも警報付きだし、フェンスの穴も直されている。それを知ると、大志くんはあからさまにがっかりした。
「何か用があったの?」
「んー、ない。ないけど、今日みんなと遊んで懐かしくなったんだ」
懐かしいんだ。そっか。それだけか。
夕日に照らされた校舎を見上げながら、大志くんはしばらく黙った。そして、私の方を向く。
「俺は、小学生の途中でここに転校したからさ。不安ばかりだったよ。友達もなかなか作れないし。でも。家に帰るとまだ幼稚園にも行ってない隣の女の子が懐いてくれてて。あれには癒された」
「それって、私?」
頷いて、校舎を見上げる。
「そんな子と、なんだか大人っぽいことしてんだなぁと思うと、感慨深いっていうか」
大人っぽいな。大人なんだな。急に、壁ができた気がした。
そっか、私はいつまでも「お隣の女の子」なんだな。
無言の私に、大志くんは気遣って「疲れたか?」と聞いてくれた。私は小さく首を振る。
「今日、楽しかったか?」
「うん、大志くんのおかげだよ!」
「仮の彼氏も終わりだな」
そういう約束だ。だから何も問題ない。
そう思っていたのに、今はそれで納得できる気はしない。
「最初、見せびらかすって言われた時はムカついたよ」
彼氏ができたら見せびらかすものではないのか。
そう思っていたけれど、今ならば大志くんの言いたいことは、少しわかる。
「だって、みんな見せびらかしてくるんだもん」
言い訳が口をつく。
「小学生の恋愛なんてそんなもんか」
呆れたような、微笑ましいような、怒られていないのに、身が縮こまる。
「大人の俺からアドバイス。彼氏は、手に入れたおもちゃでもぬいぐるみでもない。人に自慢したいから作るものじゃない。でないと、未奈美には一生彼氏ができないからな」
突き放した言葉だった。言われていることは、きっともっともなことだろう。
私の未来に、大志くんがいないかのようなセリフに感じた。
「ま、今日一緒にいて、そんなに見せびらかしてやろうって気持ちは感じなかったけどな」
「そりゃ、そうだよ」
大志くんを見せびらかしたくない。
一日一緒にいて、そう変わった。
「アドバイスしなくても、未奈美には素敵な彼氏ができるよ。多分な」
いつか、誰かが私の彼氏になる。
嫌だ、と思った。
彼氏が欲しいから、大志くんが惜しいわけじゃない。そうじゃない。
この気持ちに整理がつかなくて、私は黙り込んでしまう。
「どうした。へそ曲げたか?」
私の頭をぐりぐり撫でまわす。子供扱い。
違う、私がして欲しいのは、こういう愛され方じゃない。
お父さんやお母さんやお兄ちゃんにされるようなことを、大志くんにしてほしくない。
剛志くんになら、頭を撫でられても嬉しかった。
「大志くん!」
私の大きな声に、大志くんは手を引いた。私を覗き込み、首を小さく傾げた。前かがみになって、ひざを曲げて。
「どうした」
言いたい事はたくさんあった。うまくまとまらないし、感情が抑えられない。
私はしばらく奥歯を噛みしめた。勢いよく顔を上げると、大志くんと近距離で目が合う。
ひるんでしまいそうだけど、負けない。
「私が、この学校を卒業したら、言いたいことがある!」
言ってから、ちょっと後悔する。だって、卒業するまでまだ半年以上ある。それまでに私が心変わりするかもしれない。卒業したところで、まだ中学生。
大志くんに素敵な人ができて、子供との約束なんて忘れちゃうかもしれない。
でも、今の気持ちを伝えないと。感情が溢れて、私は爆発しちゃう。
「大志くんに負けない、素敵な大人になるから、それまで待ってて!」
大志くんは、すぐには理解できないようで眉をひそめていた。
はっきり言わなきゃわかんないかな。でも恥ずかしくて言えない。
私は無意識に、大志くんの頬に唇をつけた。勢いが良すぎて、ぶつかりに行くようなキスをしてしまう。
放出したら、気持ちの良い感情だった。
「ちょ! 何して……」
最後まで言い終わらず、大志くんは顔を赤らめ体を離した。
「私もわかんない! けど、こういう気持ちなの!」
恥ずかしさのあまり、顔を覆う。やらなきゃよかった、とすぐさま後悔。小六にして後悔ばかりが積み上がる。
「わかった」
私がわからない気持ちがなんでわかるの? 大人って魔法使いかエスパーなの?
「来年はさすがに早いけどな。俺はロリコンじゃねーし」
私の混乱を知らず、大志くんは大人の笑みを浮かべる。
「それに未奈美は、明日には忘れそうだもんなぁ」
そう言われて否定もできないのが悔しい。これが「子供」なんだろうな。学校を卒業したくらいじゃ大人になれない。その時間の差が悔しい。ぐっと奥歯を噛み締めてしまう。
「そうなったら、大志くんの魅力がなかったってことだね」
精一杯強気で嫌味を返すと、大志くんは顔をくしゃっとさせて怒りを表現させる。梅干しを食べたみたいで、怒っているというより、可愛いって感じだけど。
「ま、あんまり先のことは気にすんな。今の未奈美が、見せびらかしたいからって理由で俺をどうこうしたいわけじゃないって、わかるから」
「上から~」
笑って、小突き合って。
大志くんと、これから先もこうしていきたい。そのためには、私が大人にならないと。
少し、大人になることが楽しみになった。それだけでも、大志くんって、恋するって、意味があるんだって知れた。
いつか言うんだ。誰かの代わりじゃない。
「大志くん、私の彼氏になって!」
了