第69話「二人は私が守ります」
五十嵐の家は知実さんの家から少し遠い。ただ、徒歩で行くのを躊躇うほどの距離ではない。
特に特別目立つ家でもない。住宅街の中から五十嵐の家がどれか一発で当てろ、と言われると難しいと思う。クリーム色の壁に青みのあるグレーの屋根。どこにでもありそうな一軒家だ。
入ろうとすると、後ろから「あら」と声がした。振り向けば、五十嵐と瓜二つの美人が微笑んでいる。
「あ、どうも」
「どうも、舞華がお世話になっています。ふふ、最近見かけないから舞華、振られちゃったのかしらと思っていたわ」
「母さん! 咲原とはそういう関係じゃ」
「はいはい。上がっていってくださいな」
反論しようとする五十嵐を軽くあしらって、五十嵐の母が玄関へと案内してくれる。友達の家に改まって訪れたことのない俺は少し緊張した。五十嵐の家に来るのは初めてではないが、五十嵐の家の中に入るのは初めてだ。
しかしまあ、五十嵐と五十嵐母はそっくりだ。容姿には父親の遺伝子が一ミリも感じられない。まあ、それがあったらあったで五十嵐は複雑な気持ちなんだろうな。
「あら、もう隼人は帰ってきているのね」
玄関に揃えられた靴を見て五十嵐の母がそう呟く。
「ええと、五十嵐の弟さん、ですか?」
「ええ。白樺中学に通っているの。バス通学でね」
以前にも聞いたことがある。白樺中学は名門校だ。ただ、ここからだと結構遠い。知実さんの家から五十嵐の家の三倍くらいは距離があるのではなかっただろうか。それはバス通学にもなろう。
となると、まあ早いバスで帰ってきたとみえる。
「隼人も友達ができればいいのだけれどねえ……」
「難しいよ、母さん」
五十嵐が首を横に振る。割って入っていいのかわからない。
ちょっと沈んだ空気になったところで、俺は同調能力に集中してみた。五十嵐の気配と、五十嵐の母の気配。二階にもう一つ、なんだか不安定な波長を感じる。怯えているような。
知実さんに聞いたことがある。超能力は老若男女、いつ開花してもおかしくない能力であるが、同調能力の特性故に、能力の開花前後は波長が不安定になり、能力者の心も不安定である、ということ。まあ、波長というのは心の揺らぎみたいなものなので、波長が不安定であることが精神が不安定な証明になるのは感覚的に俺でもわかる。
つまりは、五十嵐の勘は当たりの可能性が高い、ということだ。もっとも、こいつの勘が当たらなかったところなど、見たことがない。
少し接触して探りを入れてみようか。そう考えたが、躊躇われる部分もあった。
半田がいた研究所が超能力者の子どもばかりを集めて実験していたのには理由がある。能力の発露は老若男女いつでも起こりうるのは確かだが、感化されやすい──つまり、能力を開花しやすいのは子どもと呼ばれる時期にあたる。
能力が開花しやすいというだけでなく、二重能力者の実験でそうなった通り、周りの能力に影響を受けやすいということにもなる。感化と表現したのはそのためだ。
もし、五十嵐の弟の能力が危険なものだったら、それによって五十嵐の弟が危険に身を晒すことになったら。それらを考えると、超能力者である俺が接触し、刺激を与えるのは良くないんじゃないだろうか。
考え込んでいると、五十嵐の母に手を引かれた。
「舞華、ちょっと咲原くん借りるわね」
「え、あ、は!?」
そうして狼狽える五十嵐をよそに、俺は五十嵐の母に台所へ連れて行かれる。な、なんだろう。
「咲原くん、舞華たちの父のことは聞いているでしょう?」
「え、はい……」
返事がごもごもとしてしまったが、許してほしい。その奥さんを前に悪口を言うのは気が引けた。
DV野郎の不倫夫。最悪としか言い様がない。これを聞いた後だと俺の両親なんて可愛いものだ。
少し緊張していると、五十嵐の母は真剣な眼差しで告げた。
「私はあの人の妻であったことを後悔していないわ。でも、今はあの人はもういなくて、私は二人の子を持つ母。──二人は私が守ります」
俺はきょとんとしてしまった。意図がわからない。五十嵐の母が苦笑したのが見えた。
「いくら父親がろくでなしだと言われようと、あの人はもういませんから。私が[いい母]となってあの子たちを幸せへと導くんです。でも、私はあの子たちを幸せにすることはできない。あの子たちはそのうち、自分が生まれてきたことを恨んで、自分を生んだ私を恨むでしょうから」
「そんなこと」
「恨まざるを得ないくらい、あの人と結ばれ、生涯を共にしたことは罪深いことなのですよ。きっとそのことで、二人は呪われている」
俺の言葉を遮って、五十嵐の母は続ける。
「舞華は真っ直ぐな子なのに、歪な道を歩むことになってしまった。隼人は優しい子だから、人の何倍も傷ついてしまう。私にできるのは、痛みを和らげることだけ。
だからね、咲原くんにはお願いしたいんです」
「何を、ですか?」
「二人の友達になってください」
その懇願する姿は、慈愛に満ちていて、おそらくこれが母親の顔なのだろうと思えるような優しい表情をしていた。
俺に否はない。
「というか、五十嵐とはもう友達ですし。隼人くんについては、隼人くん次第ですけど」
「ありがとうございます」
いくつか引っかかることがあった。
[呪われている]って何だ?
暗喩かもしれない。けれど、五十嵐の母の言い方はどこか確信しているようだった。もしかして、なんとなく隼人くんが能力を開花し始めているのを感じているのだろうか。超能力を呪いと表現するのは、一般の感覚から逸脱しているのかもしれないが。
隼人くんのことはさておき、だ。
「五十嵐の……舞華さんのことは、俺が守ります」
「まあ」
華やいだ声はちょっと恋ばなをする女子のようなテンションを宿していたが……まあ、あながち間違ってもいないので突っ込まないでおこう。
五十嵐を守りたいのは本当だ。五十嵐は何かと世話を焼いてくれている風になっているが、最近は俺が巻き込んでいる。だから、それで五十嵐が命を落としたりだとか、不幸に見舞われることだけは絶対にさせない。そう誓う。
それが今まで五十嵐に守られてきた分、俺が返せることだと思うから。
時差で名前呼びした恥ずかしさがじわじわくるうちはまだまだ俺も情けないのだが。
「ふふ、よかった。あの子のことを守るって言ってくれる男の子が現れて」
それだけ言うと、五十嵐の母は、てきぱきと果物や茶菓子などを揃えて、居間へ向かった。




