第67話「少しずつ、知っていけばいいんだ」
新乃という名前に反応した知実さん。見たこともないくらいに呆然としている。
五十嵐がそんな知実さんの様子を訝しんで、俺に耳打ちしてくる。
「新乃夢とやら、佐倉氏と知り合いだったのか?」
「いや、あの頃はまだ両親のことでごたごたしてて、知実さんは大学生で俺のこと見てくれてたのは祖父母だったから、夢先生と面識はないはず」
まあ、大学のときにはもう超能力について研究していたらしいけど、大学は普通の大学だったので、一人暮らしして学費を稼ぎながら生活というとても一般的な生活を送っていたはずだ。
知実さんと暮らすようになったのは夢先生が転勤していった後だ。小学校高学年の頃だったと思う。
「知実さん?」
声をかけると、知実さんの顔色は予想以上に悪かった。まるで幽霊でも見たかのような青白い顔に俺も五十嵐も心配した。
俺が何か言おうとするのを遮るように、知実さんが「悪い」と俯いた。
「すまないが、研究室に引きこもらせてもらう。あまり構ってやれなくて申し訳ないな」
「知実さん、大丈夫?」
「咲原」
五十嵐が俺の手首を軽く掴んで引く。振り向くと五十嵐は首を横に振った。踏み込むな、ということだろう。
それから五十嵐が提案する。
「咲原を家に連れていってもいいでしょうか」
「へ?」
俺も突然の提案だったので驚いた。知実さんもぽかんとしている。
五十嵐は続ける。
「咲原に弟を紹介したいんです。関わっていくうちに世話になることがあると思うので」
俺は少し嬉しかった。五十嵐にはいつも頼りっぱなしだから、五十嵐の事情に踏み込めるのが嬉しかったし、聞いていた弟さんに会わせてもらえるのも嬉しかった。何より、五十嵐の家に行くというのは五十嵐の内側を見せてもらえるような気がして。
五十嵐に以前聞いた話だと、五十嵐の家は母子家庭だ。五十嵐のお母さんが女手一つで五十嵐と弟を育てているという。……うーん、やはりパワフルだな、五十嵐の母さん。
知実さんも快く思ったようだ。
「ああ。こちらも世話になっているからな。私は後日行くとして、唯人に挨拶に行ってもらおうか」
「ありがとうございます。では、行ってきますね。──行こう、咲原」
五十嵐に手を引かれて、少し心が穏やかになる。現金だな、とは思いつつ。
知実さんのことは気になるけれど、俺は家から出た。
「それで」
五十嵐の申し出が嬉しかったのは嘘ではない。断じて嘘ではないのだが。
あのタイミングはどう考えたって五十嵐が発言するのは不自然だった。だから、五十嵐に訊いた。
「どういうつもりだ? あんな連れ出し方して」
「……佐倉氏を一度一人にした方がいいと思ったんだ」
家からだいぶ離れたところで、五十嵐は訥々と内心を語り始めた。
「佐倉氏の目……人に語りたくない事情がありそうだった。無理に立ち入ると、こないだの半田みたいなことになりかねん」
半田の名前が出て俺は遠い目をする。
あれは随分前の話のような気がするくらい彼方に放りたい記憶だが、つい先日の出来事だ。俺たちは半田の過去に触れた。その結果、一人の人間が死んで、半田は二重能力者になった。苦い記憶だ。
超感覚派の五十嵐だが、人をよく見た上で自分の勘と照らし合わせて発言するのが五十嵐の思慮深いところだと思う。まあ、本当に勘だけのときもあるけど。一定の信憑性はあるとみて間違いない。
それに、[新乃]という名前が知実さんにとってあまりいい印象の名前でないことは俺にだってわかった。
俺は夕空を見上げてぽつりと呟く。
「長く一緒に暮らしている気がするけど、俺、どうこう言えるほど知実さんのことよく知らないんだなって思った」
独り言は閑静な住宅街の中で溶けていく。
本当に、知らないのだ。思えば、どうして知実さんが世に知れ渡っていない超能力のことを知っていて、研究しているのかさえ知らない。知実さんは祖父母に紹介されたから叔母にはちがいないのだろうけれど、身内に超能力者がいるとか、そういうのではなかった。
気になりはしたが、聞こうとは思わなかった。俺はこの能力を消したい。ただそれだけのために知実さんと一緒にいるのだ。だから、知実さんの理由なんて慮ることもなかった。
不自然なことなんて、いくつもあるのに。例えば、俺を[超能力者だ]という理由だけですぐに受け入れ、保護者になったこと。ただの実験動物に接するにしては愛情深く──うん、たぶん帰宅時のハグとかは愛情深いでいいと思う──接してくれることとか、祖父母に紹介されるまで、お互い面識もなかったのに、よく保護者になったな、とか。
「友人にさえ触れられたくないことはあるんだ。距離感は人それぞれだし、言われなくて知らなかったことを気に病む必要はない。少しずつ、知っていけばいいだけだ。これからな」
だから、と五十嵐は俺を振り向く。
「私のことも少しお前に教える。といってもまあ、大したことじゃないんだが」
五十嵐は少し切なそうに笑った。やけに儚いその笑みにいつもの溌剌さはなく、ともすれば夕焼けの中に消えてしまいそうだ。
そんな様子で五十嵐は告げた。
「弟が、超能力者かもしれないんだ」




