第60話「その人はその人、君は君、だよ」
倉伊の呼び掛けに五十嵐が顔を上げる。
「あまり、気張らない方がいいよ。その人もう死んでるんでしょ?」
「……まあ、そうだが」
どちらの言い分も一理あるだろう。死んだ人間のことをああだこうだと言ったってどうにもならないし、けれど、痛む傷ほど残るものだ。
どれだけ[もう死んだから忘れろ]と言われても、被害者側に痛みが残る。五十嵐は自分の母親や弟のことを気にしているようだが、五十嵐だって、五十嵐なりに傷ついただろう。だから忘れられないのだ。
「忘れる必要はないよ。ただ一つ、確かなことがある」
倉伊は微笑んだ。
「その人はその人、君は君、だよ」
五十嵐は虚を衝かれたように目を丸くする。
「親なんて僕たち子どもは選べないんだ。それを悔いるのは無意味なことだよ。だったら、今生きている自分自身を大事にしなきゃ」
俺までもがじっと見つめているのに気づいたのだろう。倉伊は照れたようにはにかむ。
「受け売りだけどね」
五十嵐が付け足された言葉に疑問符を浮かべる。
「受け売り……ということは、倉伊の親も、ひどいやつだったのか?」
倉伊が気まずそうに頬を掻く。それでも笑みを絶やさないでいるのは、癖なのだろうか。
「うん、父親がね……母親はその人に騙されて僕を産んだって聞いてる」
「結婚詐欺か何かか?」
「詳しいことは知らないんだ。僕の母親は僕を産んだときに死んじゃったから」
五十嵐も俺もはっとする。踏み込むべきではなかったか。
謝ろうとする俺たちに、倉伊が笑顔のまま言った。
「気にしないで。この話は生まれてからずっとされ続けてきた話だから、慣れてるんだ」
「慣れでどうにかなるってもんでもないだろう」
「母さんは」
その一瞬、倉伊から目が離せなくなった。
「母さんは僕とそっくりな顔をしてるんだって。だから、母さんを慕う人たちに、優しい人たちに僕は育てられた」
──何故か。理由はわかっていた。
一瞬でも目を離したら、倉伊が消えてなくなりそうな気がしたから。それくらい儚い笑み、脆い笑みに見えた。
言葉は五十嵐のものより重く感じられた。別に五十嵐を軽んじているわけではない。ただ、付き合ってまだ日が浅いからか、踏み込んでいない分の重さが倉伊の言葉には乗っていた。
倉伊も色々言われて育ったのだろう。もしかしたら、想像しているよりひどいのかもしれない。優しい人たちに育てられた、というけれど、その優しい人たちも最初から優しかったのだろうか。
慕っていた人物が騙されて身籠った子。慕う人物の子でありながら、憎たらしい人物の子でもある。複雑な心境だっただろう。
「お前、辛くないのか?」
俺は何を当たり前のことを聞いているのだろう。
「とても仲良くやってるから大丈夫だよ」
辛くないわけないだろうに。その人たちだって、倉伊のことは許せても、その男のことは許せないし、倉伊がその男の子であることは変えられない。
その人はその人、自分は自分。
その言葉は受け売りだと倉伊は言った。きっと、自分にも言い聞かせているのだろう。
しん、と沈んだ空気で登校していく。倉伊はこの空気感に気づいているようだが、どうしたものか、と口を閉ざしている。英断だ。この状況では倉伊が何かを言う方が逆効果である。
「それに比べりゃ、俺は随分と恵まれてら」
仕方ないので、俺の身の上話をすることにした。
五十嵐も疑問に思ってくれたようで、問いかけてくる。
「そういえば、咲原は叔母と二人暮らしだったな。両親はどうしたんだ?」
「一応、存命中だよ、たぶん。俺は連絡すら取れないから」
「どういうこと?」
切り出しづらいが、こいつらの身の上ばかり知っては不平等というものだろう。俺は話した。
「俺、能力が発言したときに、両親に[二度と顔を見せるな]って言っちゃったんだ。俺の能力は絶対命令能力だから、二人は出ていったんだよ。それきり一度も会っていない」
「咲原くんの能力って、一分くらいしか効かないんじゃないの?」
「それは時間制限を命令文の中に入れなかった場合だよ。……俺は、取り返しのつかないことを言ってしまったんだ」
何度振り返っても笑える。自分のせいで両親を失うなんて、なんて滑稽なことだろう。
「俺は[二度と]会いたくない、なんて言ってしまったんだ。[二度と]っていうことは[永遠に]と同義だ。……俺は自分で、自分の親を家から追い出したんだよ」
「それって……」
倉伊が何か言おうとするが、言葉を見つけられなかったのだろう、口を閉ざす。
代わりに五十嵐が問いを募った。
「もしかして、お前が佐倉氏と研究をしているのって……能力の消し方か?」
当初の目的というやつを他人から示されると、自分の愚かしさがまじまじとわかってきて笑える。事実、ふっと鼻で笑ってしまった。まあ、自分のことなのでかまわないだろう。
「俺は知実さんほど頭はよくないし、理論を組み立てるとか、難しくてかなわないんだけど。俺の能力そのものが消えたら、あの人たちにかけられた力も解けるんじゃないかって、そう思ってる。あの人たちだけなんだ。俺の能力から解放されてないの」
俺はあの人たちの件がなければ、この能力の特徴に気づくことはなかっただろう。この能力がどれだけ危険かということも、気づけなかっただろう。
「咲原……」
「俺は後悔してるんだ。仕事のことばかり、相手を疑って内心で罵り合うばかりの人たちでも、いないよりゃましなのかなぁって思ってるんだ」
「それは……」
五十嵐の家は母子家庭で大変そうだが、幸せそうだ。いじめに遭っていたという弟くんはあまり幸せを感じられなかったかもしれないけれど、五十嵐の母さんは茶目っ気があって優しい人だ。倉伊も、大変だろうけれど、育ててくれた人は優しいという。
俺は能力があるばっかりに、幼い心のままに悪感情の塊の両親を優しいところとか、親らしいところとか、そういうところに見向きもせずに、追い出してしまった。ちゃんと話せば、わかりあえたかもしれないのに。
「でも、佐倉さんはいい人でしょ?」
倉伊が問いかけてきて、俺はいつまで経っても甥離れができない叔母の姿を思い出し、苦笑した。
最初はかなりぎこちなかった。もっと遠い親戚とかがよかったのに、叔母だなんて。母親の妹だというその人は、変わり者であることで有名だったけれど、両親の一件で人間不信になっていた俺は、血の繋がりが性格に繋がるなんて勘違いをしていたんだ。
「変わり者って紹介されたけど、超能力の研究してるって聞いたときはイカれてると思ったよ。ファンタジー世界じゃあるまいし。でも、俺は実際に超能力が使えたから、笑えなかったけど」
「そういう人が身近にいたのが、お前の幸いかもしれんぞ」
五十嵐の指摘に、まあ確かに、と思う。
知実さんは、あんたが俺を産んだのかっていうくらい親バカ気味なところがあるし。それでも本当の親子ではないから、踏み込めない一線があるのだけれど。
「ま、変わり者だろうが何だろうが、ここまで育ててくれたことに変わりはないか」
「感謝だよ感謝。僕たちまだ子どもなんだからさ」
……ところで。
倉伊の発言に何か引っ掛かるようなものがあった気がしたのだが……
考えようとしたら、もう校門が目と鼻の先で、話は一旦お開きとなった。違和感も次第に忘れてしまった。
何がおかしかったのだろう。




