第1話 世界一、履歴書に困る男
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エデン・パレス。
世界最大級のリゾート都市、エデン島。その中心に建つ巨大ホテルの最上層には、一般の宿泊客が立ち入ることのできない区画がある。
島のオーナー、エリオス・パンクラトルの私的な空間だ。
窓の向こうには青い海が広がり、眼下には庭園、プール、整然と並ぶ建物群が見える。
島の至るところで観光客が思い思いの時間を過ごしている。
そんな楽園の主は現在――。
「…………暇だ」
ソファに寝転がっていた。
「暇だなぁ……」
手にはポテトチップス。
目の前の大型モニターには、日本のVTuberによるゲーム配信。
『あっ! ちょっと待って! なんで!? なんでそっちに行くの!?』
「ぶははははっ!」
エリオスは盛大に笑った。
「いや、そりゃそうなるだろ! さっき自分で罠置いたじゃねえか!」
画面の向こうで配信者が絶叫する。
コメント欄も大盛り上がりだ。
『草』
『知ってた』
『完璧なフラグ回収』
『芸術点100点』
「いやぁ、最高だなぁ……」
エリオスはポテトチップスを口に放り込んだ。
世界有数の大富豪。
巨大リゾートのオーナー。
国家規模の事業に関わり、莫大な資金と人材を動かす男。
そんな肩書きを持つ彼の、今日一番の楽しみは、ゲーム配信で盛大に自爆するVTuberを眺めることだった。
「……俺もなんか面白いことしてぇな」
そのとき。
「でしたら、昨日の企画案を採用します?」
背後から声がした。
「ん?」
振り返ると、レイナ・ホイットモアが立っていた。
エデン島の総支配人。
艶やかなダークブラウンの長い髪に、端正なスーツ姿。
落ち着いた雰囲気を纏う彼女は、手にしたタブレットを操作しながらソファへ歩み寄る。
「昨日の企画?」
「はい。島内のスタッフを巻き込んだ大規模かくれんぼ大会です」
「あー! あれか!」
「参加希望者の仮集計もできていますよ」
「仕事早っ!」
「面白そうでしたので」
レイナは微笑んだ。
「ただし、実施するなら通常業務への影響を抑える必要があります。開催区画と参加人数を調整すれば――」
「あー、いや、それもいいんだけどさ」
「はい?」
「なんかもっと、新しいことやりたいんだよな」
「新しいこと、ですか」
「そうそう。今までやったことないような」
レイナは少し考えた。
そして、モニターに目を向ける。
「ああ、そういえば」
「ん?」
「昨日、面白いVTuberの切り抜きを見つけたんです」
「マジ?」
「ええ。雑談配信のはずが、リスナーとの口論から即興の裁判企画に発展していました」
「何それ面白そう!」
「判決は配信者の有罪でした」
「負けてんじゃねえか!」
「しかも裁判長は本人です」
「どういうことだよ!」
レイナは楽しそうに笑った。
「あとでお送りしますね」
「頼むわ!」
二人はしばらくVTuberの話題で盛り上がった。
最近見つけた配信者。
面白かった企画。
予想外のハプニング。
そして、初対面の配信者同士が、コラボを通じて仲良くなっていく様子。
エリオスはふと、モニターを眺めた。
「……いいよなぁ、VTuberって」
「ええ。見ていて飽きませんね」
「知らない奴らが集まって、ゲームしたり、企画やったり、くだらないことで笑ったりさ」
「ふふっ。エリオスがお好きそうな世界ですね」
「だろ?」
少しの沈黙。
そして。
「……よし」
エリオスが身体を起こした。
「俺もVTuber目指すわ」
「…………」
レイナが瞬きをする。
「……なるほど」
「おう!」
「それは楽しそうですね」
「だろ!?」
「では、事務所を探しましょうか」
「…………」
「…………」
「いや、ちょっと待て」
「はい?」
「お前、決断早すぎない?」
「エリオスほどではありませんよ」
「いやいや! 普通もっと驚くだろ!」
「驚いていますよ?」
「どこが!?」
「まさか今日決心されるとは思っていませんでした」
「今日!?」
「はい。いつか言い出すだろうとは思っていましたので」
「マジかよ!」
レイナは小さく笑った。
「それで、個人勢と企業勢、どちらを希望されます?」
「企業勢!」
「即答ですね」
「同期とか欲しいじゃん!」
「なるほど」
「先輩もいて、後輩もできて、コラボとか企画とかさ! 絶対楽しいだろ!」
「確かに。エリオスなら、いろいろな方と交流できそうですね」
「だろ!?」
「では、一般オーディションですね」
「おう!」
レイナはタブレットを操作した。
「ただし、条件があります」
「ん?」
「エデン島のオーナーという立場を利用して、特別扱いを受けることはしない。そういう方針でよろしいですか?」
「当然!」
「では、出資による所属枠の確保もなしですね」
「当たり前だろ! それじゃ面白くねえ!」
「ふふっ。そうおっしゃると思いました」
「俺の実力で受かってやるぜ!」
「ええ。期待しています」
レイナは笑みを浮かべた。
「……落選通知も含めて」
「おい!」
「記念に額装しましょうか」
「受かる前から落とすな!」
「ふふふっ!」
---
それからしばらくして。
二人は日本のVTuber事務所の情報を調べ始めた。
エリオスが気になった事務所の一つが、ステラリンクだった。
「おっ、ここいいじゃん!」
「ステラリンクですね」
「そうそう! ここ、結構好きなんだよ!」
「所属タレントも多いですし、活動の幅も広そうですね」
「いいなぁ。こういうところで同期と馬鹿やりてぇ」
「では、募集条件を確認しましょう」
レイナは画面をスクロールする。
「応募資格、活動可能時間、選考方法……」
「おう」
「それから、自己PRですね」
「余裕余裕!」
「……本当に?」
「おう!」
「では、まず書いてみましょうか」
レイナはノートパソコンをエリオスの前に置いた。
「試しに、応募フォームを想定してみましょう」
「よっしゃ!」
画面に文字が表示される。
【これまでの職歴・活動実績を記入してください】
「…………」
エリオスの指が止まった。
「……レイナ」
「はい?」
「これ、どう書けばいいんだ?」
「そのまま書けばよろしいのでは?」
「そのまま?」
「ええ。嘘をつく必要はありませんから」
「……なるほど」
エリオスはキーボードを叩き始めた。
カタカタカタカタ。
「よし!」
「拝見しますね」
レイナが画面を覗き込む。
そこには、こう書かれていた。
【職歴・活動実績】
世界最大級のリゾート都市を経営しています。
大規模な観光施設、宿泊施設、交通インフラなどを含む事業の経営に携わっています。
事業計画、資金調達、経営判断、交渉、組織運営などの経験があります。
「…………」
「…………」
「……どう?」
レイナは静かに口元を押さえた。
「……ふふっ」
「なんだよ!」
「いえ……間違ってはいないんですけど……」
「だろ?」
「採用担当者の方、困るでしょうね」
「なんで!?」
「VTuberの新人募集に、突然この経歴の方が応募してくるんですよ?」
「……あー」
「しかも33歳の男性です」
「……うん」
「配信経験は?」
「ない!」
「歌の実績は?」
「ない!」
「動画編集は?」
「専門じゃない!」
「経営経験は?」
「めちゃくちゃある!」
「ふふふっ!」
レイナが吹き出した。
「バランスがおかしいんですよ!」
「俺だってそう思うわ!」
二人は声を上げて笑った。
だが、問題はそれだけではなかった。
レイナが次の項目を指差す。
【自己PRを400字以内で記入してください】
「…………」
「…………」
エリオスは腕を組んだ。
「……400字?」
「はい」
「少なくね?」
「一般的な応募書類なら、珍しくない分量ですよ」
「いや、俺の人生400字に収まる?」
「収めるんです」
「無茶言うなぁ!」
「エリオス」
「ん?」
「数万人規模の組織を動かす方が、400字に敗北するおつもりですか?」
「……お前、煽るの上手くなったな」
「エリオスのおかげです」
「くっそぉ……!」
エリオスは再びキーボードに手を置いた。
「よし、見てろよ!」
カタカタカタ。
数分後。
「できた!」
「では、拝見します」
【自己PR】
私は大規模事業の経営経験があり、組織運営、財務管理、交渉、企画立案を得意としています。特に、複数の事業部門を統括し、複雑な課題を解決する能力には自信があります。
「…………」
レイナは画面を見つめた。
「……エリオス」
「ん?」
「これ、経営幹部の中途採用では?」
「…………」
「…………」
「……確かに」
「VTuberになりたい理由が一文字もありません」
「うわ、マジだ!」
「ふふっ!」
エリオスは頭を抱えた。
「いやぁ……難しいな、これ!」
「そうですね。ですが、悪くはありませんよ」
「お?」
「エリオスの強みは伝わります。ただ、審査する側が知りたいのは、経営者として何ができるかだけではありません」
「……なるほど」
「配信者として、何をしたいのか。どんな面白さを届けられるのか。そして、なぜVTuberなのか」
エリオスは少し考えた。
「……それなら簡単だ」
「はい?」
「楽しそうだから」
「…………」
「…………」
レイナが笑った。
「ふふっ。実にエリオスらしいですね」
「だろ?」
「ただ、その一言だけでは審査員に伝わりませんよ」
「……だよなぁ」
「では、そこから考えましょう」
レイナは新しい文書を開いた。
そして、画面の上部に大きく入力する。
【億万長者のVTuberオーディション対策会議】
「……おい」
「はい?」
「なんかタイトルおかしくね?」
「気のせいです」
「絶対面白がってるだろ!」
「ええ、とても」
レイナは満面の笑みを浮かべた。
「だって、世界最大級のリゾートを経営する方が、今、400字の自己PRに頭を抱えているんですよ?」
「……そう言われると面白いな」
「でしょう?」
「よし!」
エリオスはニヤリと笑った。
「じゃあ、徹底的に考えるぞ!」
「ええ。私も本気でお付き合いします」
「まずは自己PR!」
「その次は活動方針ですね」
「おう!」
「それから、自己PR動画の構成も考えましょう」
「いいねぇ!」
「ちなみに、面接で『なぜVTuberになりたいのですか?』と聞かれた場合の回答も必要です」
「楽しそうだから!」
「もう少し膨らませましょう」
「くっそぉ!」
レイナは笑いながら、画面に新しい見出しを追加した。
【課題1:この男を400字で説明する】
その下には、さらに小さく一行。
【難易度:極めて高い】
「おい! 見えてるぞ!」
「ふふふっ!」
こうして、エデン島史上もっとも奇妙な会議が始まった。
議題は、世界規模の事業計画でも、新施設の建設でもない。
たった一人の男が、VTuber事務所のオーディションに合格する方法。
そして、その男にはまだ知らない問題があった。
仮に書類審査を突破できたとしても――。
面接官は、彼の経歴をどこまで信じてくれるのだろうか。
もっとも。
その問題に気づいたとしても、エリオスはきっと笑うだろう。
「それも含めて面白そうじゃん!」
……と。
面白い、続きが気になると思っていただけたら、
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