5話 ~互いの名~
夜気を切り裂いて辿り着いた、光の柱の袂。
少し息を弾ませながら餓狼が見上げたのは、漆黒の夜空にそびえ立つ東京タワーだった。
腕時計の針は、すでに午前二時を回っている。ライトアップの消えたタワーは巨大な鉄の影のようだったが、それが逆に、深夜の東京の空にしっくりと馴染んでいる気がした。
ドクドクと、心臓が高鳴る。
三鷹からの道中、頭の中の声は一度も響かなかった。けれど、自転車を走らせている間に、餓狼の胸の中の期待だけは膨らみ続けていた。ここに行けばこの息の詰まるような日常が変わるかもしれない。
「着いたぞ。……どうすればいいんだ?」
周囲に人の気配はない。深夜のタワーの下、独り言をこぼしても不審がられる心配はなかった。
『下だ』
脳裏に直接、あのチェロのような重低音が返ってきた。
「下にお前がいるのか?」
『お前と呼ぶのはやめろ』
「じゃあ、なんて呼んだらいいんだよ」
『そうだったな……。名乗るのを忘れていた。ワシの名はリイルだ』
「分かったよ、リイル。けど、この時間に東京タワーの地下に入るのは難しい。警備員もいるだろうし、絶対に施錠されているはずだ」
『そんなことはワシの知ったことではない。お前が何とかしろ』
「――餓狼だ」
『ん?』
「人にされて嫌なことは、自分もしたらいけないんだ。だからこれからは、お前じゃなくて『餓狼』って呼んでくれ」
考える間もなく口から出た言葉。言い終わってから怖くなった。怒られるかもしれないと思ったが聞こえてきたのは、吹き出した息の音。
『どうにかして、ワシのいる所まで来い、餓狼』
「やってみる」
あの息の音はどうやら笑い声の一種だったらしい。餓狼は安堵と共に微笑んで、マウンテンバイクを降り、ゆっくりと歩き出した。
只お互いの名前を呼んだだけ、それだけなのになぜかこの声の主を信用してもいいと思ってしまっていた。
会いに行く。
頭の片隅では「犯罪だからやめろ」と言っている自分もいたが、引き返すという選択肢は餓狼の中には無かった。
この厳重に閉ざされているはず建物にどうやって潜り込めばいいのか。考えがまとまる前に歩き出していた。
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