第四十七話 イケメンの正しい使い方
「藤本くん!」
矢の如く降り注ぐ数多の視線の中、鈴木は曽良のもとへと駆け寄った。恥ずかしいとか言っている猶予はない。曽良が両手でしっかりと掴む爆弾は、いつ爆発してもおかしくはないのだから。
「あれ」と、当の本人は暢気な様子で振り返る。「殿まで来てくれたの? 外で待っててくれていいのに。なんかブーイングされてるし危ないよ〜」
「いや、危ないのはあなたが両手で抱えている──」
鈴木が言い終わらぬうちに、砺波が動いた。砺波は無言で曽良の両手を払いのけると、
「曽良、面を取りなさい」
にこりと満面の笑みでそう言った。
「へ……?」
曽良が蹴り飛ばされる画しか想像していなかった鈴木は呆気に取られた。
お咎めなし? しかも、砺波の顔には笑顔が浮かんでいる。それも、あまりに素直で愛らしい笑顔だ。砺波とは思えないほどの……。嵐の前の静けさというものなのだろうか。凄まじく不気味で、鈴木はゾッとして固まった。砺波のことを知らなければ、なんて愛に満ちた微笑みを振りまく少女だろうか、と見惚れていたことだろうが。
「なんで、面?」
砺波に顔を向き直し、曽良は不思議そうに小首を傾げた。さすがの曽良でも、ひっかかったようだ。もっともな反応だろう。なぜ、急に面を取れ、と言い出したのか。鈴木にもさっぱり分からない。どうやら、それは和幸も同じらしく、砺波の後ろで訝しそうに眉根を寄せている。
「いいから、取りなさい。取ったら、あんたのバカな勘違いも見逃してあげるわ」
「バカな勘違い? なんのこと……」
「取りましょう、藤本くん! いますぐ、取りましょう!」
鈴木は曽良にしがみつき、必死にゆさぶった。
何を企んでいるのかは知らないが、あの砺波が見逃してくれると言っているのだ。全裸で謝っても済みそうにないものを、面を取るだけで済むというのだ。こんなチャンスは、棚からぼた餅が落ちてくるよりもまれである。
「よく分からないなぁ」
「分からなくていいですから。そもそも、藤本くんの言動のほうがよく分からないんですから。いまさら、細かいことは気にしないでいいですよ!」
「うーん、なんか納得いかないんだけど……」
鈴木の説得のかいあってか、曽良は渋々といった様子で面を外した。
頭に巻いていたタオルも外し、「ふう」とため息ついて、髪を掻き上げる。夕陽に照らされたその横顔のシルエットたるや、なんと絵になることだろうか。すっと通った鼻筋。女性のような長い睫毛。その下で、太陽の陽を浴びて輝く琥珀色の瞳。汗一つ浮かばせず、涼しげな表情を浮かべるその横顔は、あまりに優麗で、どこか儚ささえ漂わせている。妖艶とでもいえばいいのか、色気といったほうがいいのか。剣道着に身を包むその姿は謎めいた美剣士だ。
剣道場に集まる女子生徒たちが、いっせいに息を呑んだ。砺波と恵理を除いて……。
「あんたは剣道には向いてないのよね」砺波は曽良の顔をまじまじと見上げながらつぶやいた。「あんたの唯一の取り柄が隠れちゃうんだから」
「どういう意味さ?」
「せっかく顔だけはいいんだから、もっと活用しろ、てことよ」
「おい、砺波」痺れを切らしたようで、和幸が口を開いた。「なにするつもりなんだ?」
「別に」と、砺波は和幸に視線だけやって、気のない返事をする。「このバカに借りを返すだけよ」
砺波の言う『借り』というのは、ラブレターの一件のこと──ラブレターを盗んだ砺波を曽良がかばったこと──だろうが、その借りをここでどうやって返すつもりなのか。鈴木も、砺波の狙いが分からず困惑するばかりだった。『斉藤』がイケメンだった、と明かしたところで、『借り』と何の関係があるのか。確かに、一瞬にして、剣道場の女性たちは曽良の虜になったようだが、それだけだ。この状況で曽良に得になるようなことなどあるのだろうか。
「これで借りは無しよ、曽良。逃がしてあげる」
いじけたように唇を尖らせて言って、砺波はセーラー服のスカートのポケットから何かを取り出し、高々と掲げた。鈴木はぎょっとしてそれを見上げる。剣道場の照明に照らされたそれは、ただの紙切れのようだった。それで、どうやって『逃がす』というのか──。
そんな鈴木の疑問に答えるかのように、砺波はすうっと大きく息を吸い、
「こいつのメアドと電話番号、今なら先着一名様に差し上げます!」
「え……?」と鈴木と曽良、そしてよっちゃんの声が重なった。和幸はといえば、声も出ない様子であんぐりと口を開けている。
剣道場は時が止まったかのように静まり返った。そんな中、砺波は迷いのない堂々とした面持ちで続けた。
「ちなみに、彼女募集中」
ほんの一瞬、剣道場の空気が揺れたのが鈴木にも分かった。
それはまさに号砲だった。イケメン(フリー)の連絡先を巡る、少女たちの早い者勝ち競争の幕が切って落とされたのだ。
どっと息もつかせぬ勢いで、野次馬に徹していた帝南の女子生徒たちが剣道場の中になだれ込んで来た。猿山のごとく金切り声が響き渡り、あっという間に剣道場は女子生徒たちに埋め尽くされる。辺り一面女子高生。夢のような状況なのかもしれなかったが、実際は「邪魔よ」とどやされ、もみくちゃにされ、長い爪にひっかかれ、いくら思春期真っ盛りでモテない鈴木であっても愉しめたものではない。いつのまにか曽良の姿も見失い、波に呑まれて彷徨う鈴木だったが、その首根っこをむんずと誰かに掴まれた。
「こっちだ」と聞き覚えのある低い声がして、荒れ狂う海の中、釣り上げられるスズキのごとく、鈴木はずるずると後ろに引きずられていった。




