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魔法少女ラスカル・ミーナ  作者: 南文堂
第8話 遊園地はファンシーファッション
20/20

遊園地はファンシーファッション

品質には万全を尽くしておりますが、希に体質に合われて呼吸困難になられる方もございますので、集中治療室での読書はお控えください。


前回までのあらすじ

存在自体がトラブルメーカー、皆瀬和久は自分が悪の魔法少女ラスカル☆ミーナである事を隠して白瀬美奈子として生活していた。そして、私利私欲のためにクラスメイトをマニア垂涎のスクール水着娘に変身させるが、ファンシー・リリーの活躍によって、妨害され、あえなく撤退した。

さて、今回、ラスカル☆ミーナはどんな騒ぎを起こすのやら……

(本編とは若干異なる点もございますので、前作をお読みになられることをお勧めいたします)

 広い室内にぽつんと置かれた事務机の上は綺麗に整理され、机の上には、マル秘と書かれた一冊のレポートと正義の魔法少女協力組合の支部長、柊陽介(ひいらぎ ようすけ)の両肘が乗っているだけであった。

 陽介は身じろぎもせずに、ある人物がやってくるのを待っていた。彼は提出されたレポートを読んで、すぐに会議を開き、満場一致で採決し、あとは作戦を実行するのみであった。が、その作戦を実行できる唯一の人物で、その人物を待っていたのであった。

 軽やかなノックの音が室内に響いて、陽介が入室を許可すると真っ黒なローブにつばの広い三角帽子を被った女性が扉を開けて入ってきた。

「すまないな。急に呼びたてて、マコちゃん」

 陽介は伏せていた目を上げて微笑んで彼女を迎えた。

「気にしないで。私はここの顧問だし、愛する陽ちゃんのためだもの」

 柊真琴(ひいらぎ まこと)は少し目深に被った帽子のつばを指で押し上げて、年齢不詳の愛らしい笑顔を見せた。そして、彼の座っている机の前にやってくると、指を鳴らして、空中に浮かぶほうきを出現させ、それに腰掛けた。

「まずは、これを読んでくれるかい?」

 そう言って陽介は机の上の唯一の書類を手渡した。書類の表紙にはマル秘マークの横に『正義の魔法少女ファンシー・リリーと悪の魔法少女ラスカル☆ミーナの対戦に関する報告書』と黒のゴシック体で題打たれ、サブタイトルには『何故正義が負ける?! リリー連敗に衝撃の新事実発覚! ウッテンバーガーハイトも負け犬からおさらばさ♪ 必読必勝のマニュアルが今ここに一挙大公開!!』と朱文字のかすれた毛筆で書かれていた。

「ふーん……なるほどねぇ~」

 脅威の速読で読み終えた真琴はレポートを机の上に戻して、少し渋い表情をした。

「やはり無理かね? そう都合よくいくとは思ってはいないが、何とか交渉してみてはくれんかね」

「説得なんかしなくても、こんな面白そうなことなら、ルーちゃんは乗ってくれるでしょうけど……」

 作戦の困難さゆえの表情と解した陽介は説得しようと口を開いたが、真琴の渋い表情のまま、首を振って、否定した。

「何か他に不安要素があるのかね?」

「ええ。この報告書にも書かれているでしょう? 魔法って、精神的な要素が大きいから、どっちに転ぶかわからないわよ」

「しかし、ラスカル☆ミーナが悪の魔法少女らしくない中途半端さがリリーの士気に影響して、実力の3割ほどしか発揮できていないことは事実なのだろう?」

 陽介は魔法に関しては一般人に比べればかなり知っているが、エキスパートの真琴の前では大学教授の前の小学生であった。それでも、部下の報告は信憑性があると考え、真琴に意見した。

「確かにね。よく調べてるわ。リリーの潜在能力を考えれば、今の能力は2割がいいところよ。でも、ミーナの能力を考えると、リリーが10割、実力を出し尽くしても、正直、この作戦の成功率は50%といったところね」

 真琴はミーナの能力をかなり評価している。そのために、リリーの度重なる敗北も、その能力差では仕方ないと納得していた。しかし、真琴はかつて、魔法少女時代に自分よりも能力が上の琉璃香を打ち倒した経験から、勝敗は能力差だけで生じるものではないことをよく知っていた。敗北の経験で獲たものをうまく自分の物にできれば、勝機は生まれる。そう信じていた。だからこそ、この連敗にもリリー続投をさせていたのであった。

「しかし、ウッテンバーガーハイトの報告では、『敗戦を糧にする気配はなし』となっている。このままでは、いつ勝てるか? というより、勝つ可能性すら見出せていない。我々には時間がない。そうだろう?」

 陽介は真琴に負けず、苦渋の表情を浮かべた。真琴もそれを言われると辛かった。リリーのミーナとの対戦記録は悲惨を通り越して、爆笑ものであった。勢い余って、それを原作にビデオまで出すほどに。

「勝つ可能性があるのなら、それに賭けてみたい。すまないが、頼まれてくれないか? マコちゃん」

 土下座でもしかねないほど陽介は懇願した。正義の魔法少女を応援する彼にとっては、ビデオが売れて資金が潤い、協会の運営が楽になるよりも、正義の魔法少女が負け続けることの方が辛かった。

「陽ちゃん……わかったわ。陽ちゃんがそこまで言うんなら、やってみるわ」

 複雑な笑みを浮かべて真琴は承諾し、携帯電話を取り出して、皆瀬琉璃香みなせ・るりかのところに電話した。

 数分後、琉璃香が作戦への協力を快諾した事が陽介に伝えられた。そして、陽介はおもむろに立ち上がると、

「それでは、これより、作戦を発動する。作戦名は『プロジェクトXX(ぺけぺけ)』」

 陽介は声高らかに宣言した。作戦名に何故かエコーがかかっていたし、BGMがかかっていたが、それは些細なことであった。


 昨日から降り続く雨音がショパンの調べを奏でずに、ただ単なる雑音として教室を満たし、時計の秒針がカチコチと正確に時間を刻む音の中、シャープペンシルが紙をつつく不規則な音だけが響き渡っていた。

 湿度を過分に含んだ紙が鉛筆のすべりを悪くし、焦りと苛立ちが教室に蔓延する中、美奈子は確実に紙に文字を記入していた。

 今日は一学期の期末試験の最終日。そして、今はその最終課目の試験真っ最中。試験科目は試験問題担当教員の性格の悪さから最大難関と言われている数学であったが、美奈子は和久だったころから数学に苦手意識はないし、今回はそれに加えて、美奈子になってから手に入れた強力な味方がいたので、多少は自信と余裕があった。

(あっ、これ。恵ちゃんが作ってくれた予想問題にあったのと同じだ)

 美奈子は問題を解きながら、ふと試験直前の勉強会のことを思い出した。――


 庸子の部屋は美奈子の部屋の倍ほどあるのだが、その日はそれでも少し手狭に感じた。

「――でね、これをここに代入すると、簡単に整理できるの」

 恵子はさらさらとノートの上に鉛筆を躍らせて、その代入から式の整理を丁寧に書いていった。

「すごい……恵ちゃんって、今更だけど、すごい」

 美奈子は正直に感心した。要点を抑えたわかりやすい説明で、授業で理解していたつもりの美奈子も思わず、「なるほど!」と納得しどおしだった。

「えへへへ……。そんな事ないよ。美奈ちゃん、わかりがいいもん」

 恵子は美奈子の賛辞に頭に手をのせ、顔を少し紅潮させて笑った。美奈子はここ二ヶ月ほどの付き合いで、彼女が理系課目を満点に近い点数――その他の課目も平均点よりもはるかに上の点数なのだが――であることは知っていたが、普段の風貌からはそんな感じを微塵も感じさせないので、その実力を垣間見るたびに改めて驚きが生まれるのであった。

「これで、試験対策はばっちりね。恵ちゃん、今回は負けないからね」

 ノートを閉じて、参考書をまとめた美穂はビシッと恵子を指差して挑戦状を叩きつけた。

「へへん、返り討ちだよ。今回もサンサンアイスのブルーライムチョコレートチップとバニラレーズンと抹茶のトリプルにトッピングし放題はあたしのものだよー」

 恵子はそれを胸をそらして挑戦を受けた。美穂は文系課目で恵子の理系課目並みの点数を取っており、他の課目も充分に平均点から上であったために、二人の全教科の合計点が大体、同じぐらいになるのであった。そこで、トータル点数が高かったほうがアイスをおごるという勝負が中間試験で行われ、僅差で美穂が恵子に敗れ、アイスをおごったのである。そういうわけで、期末試験は美穂にとってその雪辱戦であった。

「二人とも余裕だなぁ。まあ、あれだけ点数がよかったら、余裕よねぇ」

 美奈子はそれほど成績は悪くは無かったが、試験と聞けば気重になる。不安ばかりが先行して、やる気が空回りして、結局は自分の実力の全部を出し切れずに終わってしまう。

「美奈子ちゃん、こういうのは楽しんだもの勝ちですわ。どうせ、試験をしなくてはならないのなら、それを楽しんだほうが、ずっとマシだと思いますわ」

 庸子はにっこりと美奈子にそう言った。二人ほどではないにしても、成績の良い、特に英語はぶっちぎりのトップ、入学以来100点連続記録継続中の庸子にそう言われても、美奈子の心は暗澹たる気分が大部分閉めていた。

「美奈子、落ち込むな。それが普通なんだから」

 それまで黙って、恵子の作った予想問題の模範解答を必死に理解しようとしていた里美がノートから顔も上げずにそう言い、問題に詰まって、しばらく考え込んでから顔を上げた。

「恵、悪いけど、これ、もう一回説明してくれないかな?」

「ん? どれ? ああ、それね。それは、ちょっとした最初の取っ掛かりがポイントなの。ここのところの引っ掛けに引っ掛からなかったら……」

 里美に呼ばれた恵子は美穂とのじゃれあいを中止して、彼女のそばに座って、嫌がることもなく丁寧に説明をしていった。

「里美って、いつも一生懸命だね」

 美奈子はちょっと感心するように小声で庸子に話し掛けた。

「それが里美ちゃんの持ち味ですもの」

「それに、今回はいつもよりも真剣にならざる得ない理由があるからね」

 そこに美穂が二人の間に顔を入れ、話に加わってきた。

「里美は、試験が終わった週末にする罰ゲーム合同デートでおめかしするのを何としても阻止したいと思ってるの」

 美穂は勉強中の二人には聞こえないように小声で二人に言うと、一瞬だけ表情から感情を消した。

「それがどうして試験勉強と?」

「試験が終わってから週末までに主要教科のテストは返って来るでしょう? その成績を盾に、理事長におめかしを拒否するつもりなのよ」

「おめかしと成績とどういう関連があるの?」

 庸子のもっともな疑問に美奈子も頷いた。

「さあ? だけど、ただ、嫌だというだけじゃ、理事長は納得しないでしょう?」

 美穂もわからないと首を振った。しかし、里美が交渉を持ち込む材料といえば、それぐらいのものである。

「それはそうだけど、成績が上がったことは本人のためなのだから、交渉の余地はないと言われるんじゃないかしら?」

 庸子は不安に少し眉を寄せた。

「でも、何もないよりかはマシということじゃないかな? それに、成績を上げてきた里美に向かって、そんなに薄情な事はしないわよ……と私は思う」

 理事長はちょっと普通じゃない部分がたくさんあるけども、ちゃんとしたところはちゃんとしている……ハズと頼りない確信に支えられて、美奈子は不安を否定した。

「そうね。でも……」

 里美を見つめて庸子は何かを言おうとして、口をつぐんで、物思いに沈んでいた。

「? ヨーコちゃん?」

 美奈子は怪訝に呼びかけ、美穂も不審そうに庸子の顔を見ていた。

「えっ?! ああ……なんでもないですわ」

 庸子は二人にただやさしく笑って応えただけだった。

 ………………


「――10分前」

 美奈子はその声にはっとし、まだ試験中にも関わらず、回想に浸っていた自分の馬鹿さ加減を呪った。

(ああ! ぼーとっして、検算の時間が無くなっちゃった~)

 美奈子は結局、時間ギリギリに最後の問題の解答を終えることができたが、見直しといえば、氏名の欄に『皆瀬 和久』と書いていないかを確認するのがやっとだった。

「はいっ。そこまで! 鉛筆を置いて、一番後ろの席の人は解答用紙を集めて」

 試験官の教師が試験の終了を宣言すると、教室からはかなりの不満と少しの安堵が混じったため息が漏れた。

 解答用紙を教壇の試験官に渡すと試験終了となり、それを待っていたかのように仲のよい友達同士が自然と集まり、テストの答えの確認や、雨が降っているのにも関わらず、どこかへ遊びに行く相談などを始め、教室は先ほどの緊張感で張り詰めた空気が嘘のように華やいだものとなった。

 美奈子たちも恵子の机の周りに集まって、問題の迷ったところを確認していた。

「あっ! そこの不等式、逆と勘違いしてた。変だなーって思ったんだけど、あの先生だから、ありえるって……あーあ、もったいないーっ」

 美穂は痛恨のミスを見つけて、悔しがっていたが、予想では8割以上は取れているので、贅沢な悩みである。

「美奈子ちゃんはどうでした?」

「うん、恵ちゃんのおかげで、そこそこは。でも、途中で試験以外の考え事しちゃって、時間が危なかったよ」

 美奈子は庸子にそう答えて、苦笑を浮かべた。

「考え事? 試験中に考え事なんて……もしかしなくても、週末の事?」

 庸子の言葉に美奈子は頷いた。

「西脇君とのデート、そんなに楽しみなんだ♪ 試験中もボーっとしちゃうぐらい。あたしも楽しみだよ♪ 浩ちゃんとお出かけなんて小学校中学年以来だもん」

 恵子は楽しそうに美奈子を茶化した。

「どうして、西脇君が出てくるの?」

 美奈子は真面目に怪訝な表情で恵子に聞き返し、その場にいた他の四人に困った笑顔を浮かべさせ、彼女の背後でそ知らぬふりを装っているつもりで、周りから見れば必死に聞き耳を立てていることがバレバレな少年の気分を一気に暗くさせた。

「……ある意味、美奈子ちゃんって、魔性の女ね」

 美穂の感想に他の三人も、うんうんと頷いていた。

「?? どういう意味? でも、私の気にしてるのは、理事長先生の事だから」

 美奈子は不満で頬を膨らませながらも、ちらりと里美の方を見た。

「そうだな。絶対、僕に恥ずかしい格好をさせるつもりなんだよ。でも、ボクは絶対にそんな格好しないけど」

 里美が少しぶっきらぼうな口調でそう言いながら、手の平に拳を押し当てた。

「でも、恥ずかしいといっても、名目がデートである以上は、いつもの格好はちょっとまずいと思いますわ」

 スカートを穿いている姿は制服以外で見たことがなく、私服といえば、ジーンズという、健康的ではあるが、女の子らしさから程遠いラインナップが里美のタンスを占領していることは、そこにいた全員が知っていたことであった。

「どんな格好しようと勝手だろ!」

「でも、それでは、ただ単に遊びにいくだけになってしまいますわ」

「そりゃ、ヨーコや美奈子、恵とか美穂みたいにそういう服に抵抗ない奴はいいけど。ボクにとっては拷問なんだ。それに、罰ゲームは男子チームに負けたからで、孝治叔父さんと約束したわけじゃない」

 里美の言葉に美奈子は自分も抵抗あると反論したかったが、話がややこしくなりそうなので、口を挟まずに黙っていた。

「とはいえ、予算を出してくれるスポンサーの意向も少しは買わないと――」

「だから! なんで、そんなやつにお金を出してもらわないといけないんだよ!」

 その里美の反論に美穂は黙って教室にまだ残っていた平田たちを指差した。

「? 平田たちが、どうかしたの?」

 美穂の謎の行動に里美は怪訝な表情を浮かべた。

「今はもう7月よ! 今年になってから6ヶ月も経っているのよ。中学二年男子の無計画な年度計画と、その場しか考えない予算案から、お年玉は既に底をついてることは確実! 財布をズボンの中に入れたまま洗濯しても、ぜんぜん大丈夫♪ な状態よ。そんな状態の男子があたし達をどこに連れて行けるというの? 近所の公園を一日中引き回される羽目になるかもしれないのよ。この炎天下に! 買い物もないのにデパートに入って、ウォータークーラーの水を飲みたい? 小学生みたいに」

 いまどきの小学生でもそんなことはしない。しているのはお小遣いを削られたサラリーマンお父さんぐらいである。

「少し気が利いてても図書館ぐらいかしら? 美術館というのもあるけど、あのメンバーでは、そういう趣味の人はいないわね。めいいっぱい頑張って、映画館の帰りにファーストフードのハンバーガーが二人で一つってところかしら?」

 最後のはある意味、ラブラブであるが、女子全員、相手の男子たちとそんなことはしたいとは思っていない。

「それは、おごらせようとするから――」

「違うわよ。自分の分は自分で出すわよ。あの男子達は、その自分の分が危ういのよ」

 美穂はきっぱり言い切った。

「そんな事はないだろ? いくらなんでも、言い過ぎじゃ……」

 そう言って、何か反論しろと里美が残っていた平田や安田の方を見ると二人とも、背中を向けて窓の外を見ながら、「まだ降りますね」「ほんとだな」などとわざとらしく暢気に天気の話をして、反論しようとはしなかった。

「おわかり?」

 美穂が勝利宣言のようにそう言い、里美はがっくりと肩を落とした。

「ヨーコちゃん、美穂ちゃん……すごい……」

 つい先日まで中学二年男子だった美奈子は男子の財布の中身の現状を正確に推測している二人に畏怖の念を抱いた。

「くっ! みんなして、僕の敵なんだ!」

「あ、里美!」

 美奈子は教室から飛び出して行く里美を追いかけようとしたが、美穂がそれを止めた。

「はーい! あたしがいってきまーす」

 恵子が元気よく立ち上がると、にっこりと笑ってブイサインをして、里美の後を追いかけた。

「どういうこと?」

 状況が飲み込めずに美奈子は少しムッとした。

「理事長に里美が交渉しても、里美、譲歩しないから交渉決裂は目に見えているでしょ?」

「確かに、そうですわね」

「だから、代わりにあたしが理事長と交渉するの。里美には少し譲歩するように、恵ちゃんに説得してもらうのよ。どうかな?」

 美穂は恵子と勉強会の帰りに里美のデートの衣装を出来るだけ普通の格好にしてもらうように理事長に頼もうと相談したことを二人に言って、その計画内容を話した。

「それじゃあ、私たちも……」

 美奈子が腰を上げかけたが、美穂がそれを止めた。

「だめだめ♪ 里美も理事長先生も大勢で説得しに行くと、意固地になっちゃうから、一人の方が成功しやすいと思うの」

 美穂は腰を上げかけた美奈子を制した。

「そうですわね。それに、美穂ちゃんと恵ちゃんなら大丈夫だと思いますわ」

 庸子は神妙な顔で頷いて同意した。

「ヨーコちゃんにそう言ってもらうと、自信が出るわ」

「すごいなぁ。私なんか全然そういうの思いつかなかった……」

「誰でも、得手不得手はありますわ。いいじゃありませんか、美奈子ちゃんはこんなに可愛いんですもの♪」

 庸子は落ち込む美奈この頭を撫でた。

「ううー。なんだか、その言い方だと私って……役立たず?」

「美奈子ちゃんはね。だけど――」

 そして、美穂は美奈子の耳に口を寄せて、

「ミーナは誰にも真似できない特殊技能だけどね」

 と小声で囁いた。

「み、美穂ちゃんっ!」

 その言葉に美奈子は立ち上がって周囲を見渡した。

「大丈夫。誰もいないよ」

 美穂の言う通り、他のクラスメイトは各々、自分達の用事に忙しいらしく、いつのまにか教室に残っているのは美奈子達三人だけであった。

「――お願いだから、心臓に悪いことやめて。ただでさえ、いつもドキドキびくびくしてるんだから……」

 安堵の息に胸をなでおろして、美穂に心底お願いした。

「どれどれ?」

 しかし、美穂はいつの間にか美奈子の後ろに回りこんで、後ろから美奈子の胸に手を回した。

「っ! 美穂ちゃんはすぐに胸を触る! セクハラだよ」

「女同士のスキンシップじゃないの……美奈子ちゃんのケチ。せっかく揉んで大きくしてあげようと思ったのに……」

 悲しげな口調であるが、手は休めていない。

(それなら、美穂ちゃんの胸を揉まなくっちゃ……って、そんなことできるわけないって。女の子の胸を揉むなんて、揉むなんて……)

 美奈子は想像して、顔を真っ赤にした。

「? 美奈子ちゃん、顔が赤いよ。もしかして、……感じちゃった?」

「ばっ、ばかぁ!」

 そう言って腕を振り上げる美奈子から美穂は笑いながら離れて距離を取った。

「美穂ちゃん、このところ、オヤジ度に磨きがかかってますわね」

「キャラが薄いと忘れられるから♪ さて、それじゃあ、理事長先生のところに行ってくるね」

 美穂は自分のカバンを持ってにっこりと笑った。

「頑張ってね」

「……がんばってね」

「里美のためだからね。やれるだけやってみる」

 美穂は明るく手を振りながら教室を出て行った。二人はそれを見送りながら、彼女の成功を願うだけであった。


 理事長の一ノ宮孝治(いちのみや こうじ)は、銀行からの融資や新しい設備の導入の決裁、私立中学理事長会の定例会議の議事録や次の定例会の資料、嘆願書にも似た冷暖房設備の充実への意見書、教師の評定や研修の報告書など、理事長は処理すべき書類を“済み”マークのついた箱に全て移し変えて、一息ついた。

 理事長の仕事ではないことまで混じっているが、自分の学校の事を何も知らないことは彼自身許されない事なので、出来るだけ報告書には目を通し、学校を見守っていた。

 部屋を見渡すと、理事長室は所狭しとクマのぬいぐるみが置いてあり、彼にとってはこれ以上、心和む仕事場はなく、書類を睨んで疲れた目が休まるのを感じていた。朝のうちに煎れておいたコーヒーを魔法瓶からカップに注ぎ、椅子の背もたれに体を預け、湯気の立つ黒い液体の香りを楽しんでから、それを一口すすった。

「今週末か……」

 何気なく見たカレンダーに、これでもかっと言うぐらいに花丸で飾っている日があった。言わずと知れた、里美たちの罰ゲーム合同デートの日である。

 孝治はふと、思い出したかのように引出しから一枚の写真を取り出して、苦笑と微笑の中間の曖昧な笑みを浮かべて写真に写る少女を見つめた。

 写真の日付は去年の一ノ宮中学の入学式の日。正門横の入学桜――どんなに天候不順でも入学式の日である、4月3日には必ず満開になるので、そう呼ばれている――の前で恥ずかしさに顔を真っ赤にしているベリーショートの少女が写っていた。制服がスカートでなければ、少女とわからず、少年と言われる方がしっくりくるほど……はっきり言えば、少年が女装させられているようにしか見えなかった。

 写っている少女の名前は尾崎里美――彼の姪っ子であった。

「ふう……このころに比べれば……か」

 スカートを穿きたくないと駄々をこねて周囲を困らせた入学前の一騒動を思い出して、孝治は苦笑した。そして、今回の事で猛反発している里美の姿を思い出して、苦笑の苦味を増した。

「叔父の心、姪知らず……か」

 里美が聞いていれば、「逆だ。姪の心、叔父知らずだ!」といい返すだろうと思い、孝治はあとはため息をつくしかなかった。

 そのため息に重なるように扉をノックする音が響いた。


 チョコレートでコーティングしているビスケットを思わせる扉は気安く入室する雰囲気を持っているとはいえなかった。しかし、これがたとえ、ごく平凡なアルミサッシであっても、やはり入室しやすい雰囲気ではなかっただろう。生徒にとって職員室や校長室でも気後れするのであるから、理事長室ともなれば尚更だろう。

(緊張しないように、リラックスするようにって、美奈子ちゃんをからかってきたけど……やっぱり、緊張するわね)

 美穂はふと、二人について来て貰った方がよかったかと思ったが、すぐにそんな弱気でどうすると、首を振って、深呼吸をして、気合を入れた。

(よしっ!)

 美穂はビスケットをノックし、湿度の高い廊下に乾いた軽やかな音が響いた。返事が返ってくるまでの、永遠とも思える一瞬の間は、彼女の心臓を否応なく高鳴らせた。

「どうぞ~。あいてるよ」

 幸いにして、比較的早く――それでも美穂には長く感じたが、部屋の中から軽い返事が返ってきて、彼女は、失礼しますと断って、扉を開けた。

「よく遊びに来てくれたね。丁度、退屈していたところなんだよ。お茶でいいかな?」

 理事長とは思えないほどフレンドリーに孝治は美穂を室内に迎え入れた。

「えーと、あの……今日は、別に遊びに来たわけじゃないんで……」

 美穂は構えて入室しただけに孝治のフレンドリーさに戸惑いを隠せずに動揺をあらわにしていた。

「ああ、わかっているが、せっかく来てくれたんだから。それに、お茶のひとつも出さないと監禁罪で捕まってしまうからね」

 孝治は楽しそうに接客用のテーブルにお茶を自分の分と彼女の分を置いてソファーに腰を下ろした。美穂は仕方なく、彼と向かい合うように腰を下ろした。

「あの、理事長先生――」

 美穂が相手のペースに巻き込まれる前に単刀直入に用件に入ろうとした出鼻を、孝治は指を立てて挫いた。

「その理事長先生というのはやめにしよう。美穂ちゃんは私にお願いがある。しかし、それは多分、私が理事長という立場にお願いしに来たわけじゃないだろう? 私自身に交渉に来たのなら、私の名前――孝治と呼んでくれないかな? それに先生なんて呼ばれるほどの人間じゃないからね」

「それじゃあ、えーと……孝治さん。孝治さんの言われるように、今日はお願いがあってきました」

「里美ちゃんの件だね?」

 孝治は苦笑を浮かべた。その苦笑の意味が美穂には正確にはわからなかったが、交渉が難航しそうな事だけはわかった。

「はい。里美、すごく嫌がっているので、今回は控えめにしてほしいんです。お願いしますっ」

 美穂は立ちあがって深々と頭を下げた。

「ふむ。里美ちゃんに頼まれたのかな?」

 孝治は頭を下げた美穂をじっと見ていた。

「いえ、違います! 里美ちゃんは今回、すごく着飾らされるのを嫌がっていて……」

 美穂は少し体を戻し、顔だけ上げて、首を振って否定した。

「見るに見かねて。というわけだね。確かに、今日の分はまだだが、試験の成績はずいぶんとがんばっているようだね。彼女が私の姪っ子と知って、気を回す教師がいるので速報が届くんだよ。まあ、ありがたくも思ってないけど、迷惑じゃないので、そのままにしてるんだけどね」

 孝治は一枚の折りたたんだレポート用紙をポケットから取り出して、中は見せずに美穂に見せてから、ライターで火をつけ、灰皿に落とした。

「だから、お願いします」

 美穂はもう一度頭を下げた。

「成績とデートの衣装に関係がないことは承知の上だけど、数少ない交渉材料だから、できるだけ有効に使いたかった。けど、先に出されてしまった。ここはとにかくお願いするしかない。――って感じだね」

 孝治は膝の上に肘をついて軽くそれにあごを預け、何か楽しむように頭を下げている美穂を見つめていた。

「……」

 海千山千の孝治に対し、美穂はまだ中学二年のひよっ娘。最初から勝負になる交渉ではなかった。美穂は自分ではもう少しやれると思っただけに、結局、何もできない自分に悔しくなった。

「そう悔しがらなくてもいいよ。一応、美穂ちゃんの倍以上は生きているんだから、それぐらい出来ないとね。まあ、座りなさい」

 孝治は美穂に優しく声をかけて、落ち込んでいる美穂をソファーに座らせた。

「確かに、私のすることは少し性急と言えると思う。しかし、里美ちゃんが今のままでいいと思うかい?」

「……服装は個人の自由だと思います。里美が好きな格好をするのが一番いいと思います」

「自由……。確かにね。私がスカート穿こうと、ブラジャーしようと自由だね」

「……そういうことじゃ――」

「すまない。言い過ぎた。なにも、私は里美ちゃんにずっとそんな格好をしてもらいたいわけじゃない。でも、私のいうような服は似合う年齢が限られている。後で後悔するぐらいなら、一度ぐらいはその間に着せてやりたい。すでに、里美ちゃんはかなり上背がある。今がギリギリなんだ。わかるね?」

 孝治の言う事も美穂はわかった。フリルドレスを着て似合う年齢はローティーンまでである。加えて里美の上背を考えると、今でもギリギリどころかオーバーしていると言ってよかった。

「でも、だからといって……その……学園祭の仮装とか舞台やクリスマスパーティーじゃ駄目なんですか? それなら、あたしたちも同じような格好をして、少しは里美が浮かないように出来るし、協力も出来ます」

 普通の時に孝治の言うような格好は普通の少女でも躊躇する。せめて周囲が同じような格好であれば、『赤信号みんなで渡れば』という感覚で着る事も出来るが、単独はかなり恥ずかしい。

「去年、里美ちゃんはクリスマスパーティーの時にキリスト教徒でもないのに教会のミサに逃げ込んだ。学園祭は真っ先に大道具係になって、仮装大会の時は姿をくらました」

 孝治は去年の里美の行動を話した。これではどうする事も出来ない。

「で、でも……」

 美穂は何とか食い下がろうとしたが、何も言葉が出てこない。合気道で祖父にいいようにあしらわれた時よりも情けないやら、悔しいやらで、泣きそうになった。

「……まあ、私も里美ちゃんの服を剥ぎ取って、無理矢理着せるような事は出来ないからね。里美がどうしてもいやだというなら、フリフリドレスはやめて、大人しい目の服にするつもりだよ。これでいいかい?」

 孝治は少しいじめすぎたと軽く頭を下げて、美穂の望む回答を言った。

「は、はい!」

 美穂は泣き顔を喜色に変えて、顔を上げた。最初から交渉などなっていなかったのであった。それを感じて、美穂はかなり恥ずかしくなり、思い上がった自分に内心で赤面していた。


 里美は走るスピードを落として、その惰性で歩いていたが、その惰性も途切れ、丁度そこにあった階段に腰をおろし、膝を抱えて俯いた。

 里美の在籍している陸上部は休みであったが、他のクラブは雨でも校内や体育館を使って活動しているらしく、里美の耳には雨音のほかに、遠くの方から規則正しい掛け声やばたばたと走り回る音、随分と離れているはずの音楽室からも吹奏楽部が鳴らす低音の管楽器の音が聞こえてた。しかし、それらは遠い外国の音のように現実味を持たず、彼女の周りは静寂の空気に包まれていた。

「どうして、女の子は女の子らしい格好しなくちゃならないんだよ……」

 里美は誰もいないそこで疑問を口にした。

「それは、里美ちゃんが、可愛い、からだよ」

 誰もいないはずなのに疑問に答える声がして、里美は顔を上げると、壁に手をついて、体全体で呼吸している恵子がそこに立っていた。

「恵……」

「里美ちゃん、足、速過ぎ」

 恵子は呼吸を整えながら、肺いっぱいに湿気てはいるが新鮮な空気を吸い込んだ。

「何しに来たんだよ」

 里美はあからさまに警戒心を露わにした。

「そんなこと言わないでよ、里美ちゃん」

 恵子は困ったような笑顔をして、里美の横に腰を下ろした。濡れてはいないが、少し冷たいコンクリートの感触がスカート越しに伝わって、走ってきて上気した身体には心地よかった。

「どうせ、恵もボクにひらひらの服を着ろって言うんだろ?」

「あたしね、今回のデートの責任があるの」

 恵子は里美の質問には答えずに、遠くを見ながらそう言った。

「?」

「あたしがもっと泳げていれば、勝てたのに……あたしがみんなの足を引っ張ったし……あの勝負自体、あたしのせいだし……」

 いつもの明るい恵子の声ではなく、少し沈んだ声だった。

「そんな! 恵は悪くない! 恵は頑張ったじゃない。それを言うなら、ボクだって、もっと頑張れたはず。だから、恵のせいじゃない」

 里美は半分腰を浮かしながら、恵子の方を向いて力説した。恵子の頑張りを里美はよく見ていた。運動が得意だが、それだけに練習の、自分の出来ない事を出来るようになる練習の苦しさを知っていた。延々と続く反復練習が自信を、悩み苦しみ試行錯誤した練習が勇気をくれる。スポーツが好きな里美はそれをよく知っていた。

「ありがとう。あたし、泳げるようになって、とっても嬉しいけど、それで里美ちゃんが苦しむ事になったんだったら……」

 しかし、恵子は力なく首を振った。

「だから、恵のせいじゃない。悪いのは……悪いのは孝治叔父さんだ! いまから、怒鳴り込んでくる!」

 悪の元凶を見つけた里美は立ち上がり、拳を固めた。

「ちょ、ちょっと待って!」

 恵子は今にも飛び出していきそうな里美のスカートの裾を握った。

「恵、スカートが脱げる!」

「さ、里美ちゃん。落ち着いてよ。あのね、ひらひらの服はいやでしょ。それなら、普通のスカートとかはどう?」

 恵子は里美のスカートを離さずに彼女を見上げて訊いた。

「普通のスカート?」

 里美は話が突飛な方向に向いているのについていけずに、恵子の問いを思わずオウム返しした。

「うん。あたし達が普段着ているような服。それなら、まだマシじゃない?」

「まあ、マシといえば、マシだけど……」

 里美は渋い顔をした。ひらひらふりふりの服よりもマシだが、彼女にとっては五十歩百歩であった。

「うん、そうだよね。それでね、今、美穂ちゃんが理事長先生にそうしてくれるように掛け合ってるの」

「美穂が?!」

 里美が顔を歪めた。話が見えない苛立ちと、美穂はさっき教室で孝治を擁護していた。その彼女がそんな交渉をすることが不可解でとても理解できなかった。

「あのね、里美ちゃんが嫌がっているのは美穂ちゃんも知っているの。ひらひらの服なんて、あたしたちでも抵抗あるもん。ほんとよ。だから普通の服にしてもらうようにお願いしに行ったの。里美ちゃんがズボンじゃなきゃ嫌だと言うのもわかるけど、またにはちょっとおしゃれするのもいいじゃない。ね? だめ?」

 恵子は子犬のような瞳で里美に哀願した。

「……あ、ああ……えーと、そんな目でお願いなんて卑怯だよ……。そりゃあ、まあ、一回だけなら、着るのもいいけど……ボクがスカートなんか穿いても――着飾っても似合わないし……」

 里美はさっきまで座っていた場所に腰をおろした。

「そんなことないよ! 里美ちゃん、着ないだけで、すっごく、かっこいいんだよ。制服だって、かっこよく着てるじゃない。きっと似合うよ、自信もって」

「だけど……」

「あたしが泳げるようになったんだもん。里美ちゃんがかっこよく着れないわけないよ」

 どういう根拠で繋がっているのかわからなかったが、恵子は自信満々にそう言い切った。

「……うん……こんかいだけ、我慢して着てみるよ」

 里美はなんだかわからないが、恵子の勢いに押されて、首を縦に振った。

「やった! だから、里美ちゃん大好き!」

 恵子は里美に思いっきり抱きついた。里美は苦笑を浮かべていたが、少しだけ嬉しそうだった。


 雨は降り止む気配を見せず、雨水が浸透するタイプのアスファルト舗装もその能力以上の雨水に水溜りを作っていた。黄色い雨合羽に長靴の小さな子供の集団が、わざわざ水溜りの真中をしぶきを上げながら入っていき、はしゃいでいるのを横目に微笑みながら、美奈子と庸子は傘の花と話の華を咲かせて歩いていた。

 しかし、他愛もない会話がふと途切れ、二人の間に嫌な沈黙の時が流れた。

 雨音と足元で跳ねる水の音だけが響く通学路。妙に静かな住宅街。気まずさを加速して、美奈子は何かしゃべらなくちゃと思えば思うほど、何をしゃべればいいかわからなくなっていた。

「美奈子ちゃん……」

 その気まずい沈黙を破ったのは庸子であったが、いつもの快活な調子はどこへというような、雨に消え入りそうなほど不安な声であった。

「なに? ヨーコちゃん」

 美奈子はそれにただならぬ気配を感じながらも、とりあえず気まずさから開放されて、ほっとして返事をした。

「あの……こういうことは、その、あまり、人に言うのはいけないと思うのですけど……」

「うん?」

「だけど、美奈子ちゃんなら、多分、わかってくれると思うのですが……美奈子ちゃん、里美ちゃんのことを好きですか?」

「えっ? うん、好きよ。里美は大切な友達よ」

 美奈子はいきなりの質問に一瞬、怪訝な表情をしたが、笑顔で答えた。

「そう、よかった……。あのね、この話を聞いて、里美ちゃんを変な目で見たり、嫌ったりしないでいてくれます?」

 庸子は美奈子の方に顔を向け、彼女の目を見て真剣に訊いた。

「なに? どういうことか、全然わかんないよ。ヨーコちゃん」

「お願いします」

 庸子は視線を外さずに美奈子に懇願した。

「そんなこと言われても……でも、里美は里美だし、嫌いになったりしないよ」

 美奈子は困りながらもそう言うと、庸子は安心した顔でお礼を言って、決意を固めるように少し深く息を吸って、姿勢を正した。

「……わたくしが里美ちゃんと知り合ったのは、今年の入学式の準備委員会ででした。一年の時は全然、話したこともなくて、顔は知っている程度でしたけど、でも、委員会で話して、すぐに仲良くなりました」

「うん」

 美奈子は女の子同士は少し気が合うとすぐに親友になれることを知っているので、納得した。男の場合はこうもすぐに仲良くはなれないので、美奈子は最初、すぐに受け入れてくれた庸子たちの態度に、かなり戸惑ったが、すぐにそんな戸惑いもなくなった。自分自身も彼女たちを親友と認めていたのだから。

「でも、里美ちゃん、自分のことを『ボク』と言うでしょ? 里美ちゃんは可愛いから、そういうをやめた方が魅力的だと言ったのです。たしか、入学式の二日前、準備委員会ももうすぐ終わりでしたし、次の日になれば、ゆっくりお話する機会も減りますし、それに新学期が始まりますし、言葉遣いを変えるのなら、やっぱり、節目がよいかと思ったので」

「うん」

 いつもの庸子に比べれば、寄り道ばかりして話の進むスピードが遅かったが、美奈子はそんなことは全く気にせずに、庸子をそっと支えるように相槌を打った。

「そしたら……里美ちゃん……」庸子はつばを飲み込んで、息を整え、再び口を開いた「里美ちゃんは、男の子だと言ったんです」

「うん、男の……ええっ!!」

 美奈子はワンテンポずれて驚き、その表情のままの表情で固まっていた。

「はい。そうなんです。里美ちゃんは男の子だったんです」

「で、でも、ほら、水泳の時に、その……『女の子』だったよ。はっきり見たわけじゃないけど、そんなの隠せるような――」

「美奈子ちゃんは、仮性半陰陽ってご存知ですか?」

 うろたえる美奈子に首を振って庸子が言った。

「うっ、ううん、知らない」

「本当は女の子なのに、外見は男の子の身体で生まれてくることなんですって。だけど、その……初潮とかで、本当の性別がわかる……体質みたいなものらしいのです」

「そうなんだ……」

 美奈子は庸子の話す不思議な体質に、おとぎ話が本当の事だと言われたような奇妙な感覚に囚われていた。

「それで、里美ちゃんはその仮性半陰陽だったらしいのです。元々男の子で、中学に上がる前に女の子になったらしいのです」

「そういうこともあるんだ……」

「ええ。わたくしも調べたら、そう言うことが稀ですが、あるそうです」

「……世の中、不思議だね」

 美奈子のように魔法で女の子にされたよりも現実味のある話であった。しかし、現実味があるがゆえに奇妙さは魔法以上に感じていた。

「本当に不思議な事ばかりですわ。でも、魔法少女がいるぐらいですもの」

「あははは……でも、まさか、そんな人が自分の身近にいるなんて、なんだか、不思議な感じがするね」

 美奈子は自分の子とは棚において、正直な感想を漏らした。

「そうですわね。それで、どうしても、自分の事を『ボク』といってしまうそうなんです。今でも、やっぱり、スカートとかは抵抗があるとか。制服は仕方なく着ているらしいですが、私服は知っての通り、ジーンズばかりで、女の子らしいものは、理事長や両親が強引に買ってきたがクローゼットに収まっているらしいですが、着た事はないらしいのです」

「そうなんだ。でも、わかるよ。男だったのに、いきなり女の子しろと言われて、はいそうですかって、そんなのできないよ。うん。すっごくわかる」

 美奈子はしみじみ頷いた。しかし、庸子はかぶりを振って、それには同意しなかった。

「でも、これから女の子として生きていかないといけないのなら、早い内に割り切ってしまったほうがいいと思いますの。だって、里美ちゃんはどこから見たって、女の子ですもの」

「それはそうだけど、でも、今は男女平等だって――」

「言ってる限りは平等じゃないってことですわ。誰も廊下を走らないなら、廊下を走るなって張り紙はしないでしょう? それと同じことですわ。それに男女平等とか言っていても、おじい様も言ってましたけど、そんなに簡単なものじゃないって、やっぱり、女の子らしくないとそれだけで損してしまいますわ。現に、里美ちゃんは損してますもの」

「損?」

「里美ちゃんって、美奈子ちゃんから見て、どう思います?」

「えーと……最初はなんだか……荒っぽい感じがしてたけど、すごく優しいし、意外と言ったら悪いけど、気配りが利いてると思うし、みんなが思うより、女の子らしいと思うけど――」

「そうでしょ! そうですの。里美ちゃんはとっても魅力的なのに、『ボク』とか言ったり、ちょっと言葉や行動が積極的だったり、姿格好が男の子っぽかったりで、男子だけじゃなくて女子も里美ちゃんのそういうところを見ようとしていないのです!」

「う、うん、確かに……」

「だから、今回のデートは里美ちゃんは嫌がってるかもしれませんが、いい転機だと思いますの。理事長みたいにフリフリきゃぴぴっな服装じゃなくても、ちょっとおしゃれすれば、里美ちゃん、上背があるし、運動で鍛えられた均整の取れたプロポーションですもの、モデルさんみたいになるはずですわ。それを見れば、みんなの見る目も少しは変わると思いますの」

 庸子は力一杯主張した。確かに、里美の容姿は可愛いよりもかっこいいであり、庸子の言うようにお洒落すれば、注目を浴びるのも可能性は高いと美奈子は納得した。しかし、

「それはそうかもしれないけど……」

 こればっかりは、着る本人の意志が絶対必要であり、それを本人が納得して着なければ、お仕着せでは似合うものも似合わなくなってしまう。

「里美ちゃんのこれからを思うなら、理事長もきっと、それを思って、そうするのが一番と思いますの」

「……そうなのかな……」

「そうですわ。ですから、わたくしは恵ちゃんが説得したら、里美ちゃんをサポートしようと思ってますの。頑張りますわ」

 庸子は既に暴走気味に拳を握って、傘の裏を見上げていた。

「ヨーコちゃん……」

「だから、美奈子ちゃんも協力してくださいね。今回のデートは、里美ちゃんの魅力をみんなにアピールするデートですの」

「みんなって言っても、私達以外は男子五人だけだよ。9分の1だよ」

 庸子の気迫に押されながらも冷静に意見した。

「それで充分です。五人の里美ちゃんを見る目が変われば、自然とクラスみんなの見る目が変わりますわ。9分の1と、45分の5は数は同じでも重さが違いますわ」

「そんなものかなぁ……」

「それじゃあ、美奈子ちゃん。協力お願いしますね」

 懐疑的な美奈子など視野に入っていない庸子は無理矢理強引に協力を取り付けた。

「え? ……って、よ、ヨーコちゃん!」

 美奈子がたじろいでいる間に、庸子は自分の言いたい事だけを話し終わって、雨に煙る街並みの中へと消えていった。美奈子はただ呆然と彫刻のように立ち尽くしていた。

「どうしよう……どうしていいかわからないよ……里美ちゃんも元男の子だったなんて……」

 一人残された美奈子はそう呟くしかなかった。


「まあ、そんなに落ち込むなよ。確かに、ショックなのはわかるけど、何のアピールもしてないお前もお前なんだから、仕方ないだろ」

 前畑は彰にその日、何度目かの台詞を言いながら、傘についた水滴を軽く振って払い、傘立てに突き刺した。

「そんなんじゃないよ。関係ないよ」

 彰は不快そうに眉をひそめて、喫茶『じぱんぐ』の扉の鐘を鳴らした。

「あらら、彰、どうしたの?」

 カウンターの中からひょっこりと小柄な少女が顔を出して、二人を出迎えた。

「げっ! 由利ネエ」

「げっ、とは随分、ご挨拶じゃない」

 そういいながら、由利は、一度もその正しい使われ方をされたことのない麺棒で彰の頭を軽く叩いた。

「いてぇー! なんで喫茶店にそんなもの置いてあるんだよ」

 彰は頭を抑え、目に涙を溜めながら由利に抗議した。

「いやあ、防犯とか、何かと便利かと思って置いておいたのだけど、今のところ、由利ちゃんが彰君の頭を叩く以外は使われてないねぇ。いいのか悪いのか…… まあ、強盗に入られるよりマシだね。あ、由利ちゃんはね、試験の間、暇という事だから店を手伝ってもらっているのだよ。なぎさ君も遊園地のアルバイトがあるからちょうどよかったんだよ」

 いつのまにか由利の隣にマスターの守部登もりべ・のぼるが立っていた。

「いいのかよ! 受験生だろ! こんな所で油売ってて!」

「いいのよ。あたしを誰だと思ってるの? 学校始まって以来の大天才。加えてスポーツ万能。女子中学生100m記録保持者。連戦連勝人生不敗のミスパーフェクト、橘由利たちばな・ゆり様よ。飲んでよし、打ってよし、買ってよし、三拍子揃ったあたしが受験ごときでオタオタするわけないじゃない」

 由利はない胸を張って、堂々と言い放った。ほとんど事実なのが、恐ろしい事である。

(飲む打つ買うって、激しく違うよ。それにミーナには連戦連ぱ――ごふっ!)

 しかし、そんな由利に突っ込みを入れる小さな声がどこからか聞こえたが、由利が自分の腰に巻いたウエストポーチに肘鉄を手加減無しに打ち下ろすと聞こえなくなった。

「何やってるんだよ?」

「なんでもないわよ。それより、なんて顔してるのよ? まるで不治の病を抱えた病人みたいに深刻な顔しちゃって」

「ほっといてくれよ! 由利ネエには関係ない」

 ぷいっと彰は横を向いて、それ以上話さないと態度で表明した。

「そう言われると聞きたくなるわね。大丈夫! 超がつく天才のあたしが悩みをズビズバっと解決してあげるから。えーと、たしか、前畑君だったわね? 何があったか言いなさい」

 しかし、それで諦めるほど彼女は甘くはなかった。隣にいる少年の方にカウンターを乗り越えるほど身を乗り出して彼に事情を訊こうとした。

「前畑、喋るな!」

 まさか自分以外に詰問するとは思っていなかった彰はあわてて口止めしたが、由利の麺棒で頭を叩かれて沈黙させられた。

「あー、まあ、お医者様でも草津の湯でもというやつです。かくかくしかじかでこれこれこうこうなわけです」

「前畑ぁー」

 彰は何の抵抗もなくあっさり口を割った友人に、叩かれた頭をさすりながら涙目で抗議した。

「おいおい、橘先輩に訊かれて喋るなって言うのは無理だぞ。お前が一番知ってるだろ?」

「うー……」

「なーんだ、また、白瀬さんのこと? うじうじ言ってないで、はっきり告白して玉砕でも何でもしてくればいいじゃない♪」

 由利は唸っている彰に馬鹿らしいとでも言いたげに軽く悩みの解決法を伝授した。前畑もそれには同意見らしく、うんうんと頷いていた。

「それが悩みを解決するものの態度か?」

「馬鹿にしないでよ。ちゃんと根拠があるんだから。前にあたし、その白瀬さんを屋上に呼び出したことがあるのよ。一人で来るように言ったら、本当に一人で来たから度胸あるわね、あの子♪」

「えっ!? それ、いつ?!」

 彰は驚いてカウンターの椅子から腰を浮かせて、由利に迫った。さすがの彼女も少し気圧されて、軽く身体を反らせたが、表情は変えるほどではなかった。

「えーと、……6話のサブタイトル下から改行91段目……“橘先輩とか丹羽さんに呼び出された時も”って上田恵子が言う前に♪」

 由利はどこからともなく、ラスカル☆ミーナ第6話の台本を取り出して、問題の箇所を指差した。

「……ほんとだ、書いてある……って、白瀬さんに何をしたんだよ!」

「あんたが好きだって言うから、彼氏とか、好きな人とかいるかどうか事前調査しただけよ」

「なんてことを! ……で、なんて?」

「今はいないって。嘘はついてないと思うわよ」

 彰は由利の言葉に安堵の息を吐いた。それを見て、由利は、白瀬美奈子に好きな人がいて、それが西脇彰ということを考えない後ろ向きな彼にため息をついて、その続きを言う事にした。

「でもね、ふられる事を怖がって告白もできないような男の子を好きになるとは思えないって言われちゃったわよ。まあ、当然よね。というわけで、告白もできないような彰には脈無し!」

「うっ!」

 彰の眉間を至近距離で指差して、由利は断言した。

「厳しい人だね、橘先輩って」

 隣にいた前畑がなんともいえない苦笑を浮かべて感想を口にした。

「だって、あたしだって嫌だもん。いつか白馬に乗った王女様が自分の事を好いてくれるなんて思っている男なんて」

「うっ……そういうわけじゃ……」

「じゃあ、どういうわけ?」

「……」

「まあ、他の人ならここまでだけど、ほかならぬ彰の事。一肌脱いであげましょう」

「い、いらない! 由利ネエが絡むとうまく行くものも行かなくなる!」

 撃沈していた彰は由利からの救助の申し出をはっきりと瞬時に断った。

「そんなに遠慮しなくても大丈夫! あたしに任せていれば、万事オッケー行け行けゴーゴー」

「勘弁してくれぇ~」

(西脇も不幸だな。まあ、俺も白馬の王女様にはグサッと来たけど、ここは黙っているのが一番……)

 変なとばっちりが飛んでこないように前畑はさりげなくカウンターの椅子を一つ横にずれて沈黙していた。

「乗りかかった船、前畑君、あなたの分も面倒見てあげるから、大船に乗ったつもりでいたらいいわよ」

 しかし、それぐらいでは由利の有効射程距離から離脱する事はできなかった。

「え、遠慮します」

 優柔不断の彰があれほどまでにきっぱり断るのだから、ろくなものではないと想像し、前畑もきっぱり遠慮した。

「平気平気。一人面倒見るのも二人見るのも同じだから」

「本当に遠慮します」

「うーん、ということは、メンバーの中にお目当ての子がいるって事ね♪ ねえ、誰?」

 由利は心底楽しそうに前畑に詰め寄った。

「た、橘先輩が聞いても知らないし、面白くもないでしょう」

「そんなことないわよ。女の子はそういう話題は大好きなの。誰?」

「に、西脇! お前の従姉だろ? 何とか言ってくれよ」

 あまりのしつこさに前畑は隣の彼女の従弟に助けを求めた。

「おいおい、由利ネエをどうにかしてくれって言うのは不可能だぞ。それはお前もよく知ってるだろ?」

 しかし、その従弟はさっきの仕返しか、困った顔で肩をすくめただけだった。

「ねえ、誰?」

「かんべんしてくださいよぉ~」


 西脇彰の部屋は程よく散らかっていて男子中学生らしい部屋であった。壁にはロックバンドのポスターが張ってあるが、CDラックにはアイドル系の女性歌手グループのCDもあったりして、きっちりミーハーもしていた。本棚に並んだ本は漫画がほとんどで、ミステリー小説が少し、そして、それよりも少ない参考書が並び、空いたスペースにお菓子のおまけで集めた飛行機が並んでいた。ちなみに、彼はこれを集めるために小遣いとバイト代のほとんどをつぎ込み、おまけつきのお菓子を食べるのを手伝わせた和久に随分と呆れられたのであった。

 そして、その程よく散らかった、さして広くない部屋に一組の男女が向かい合っていた。

「じゃあ、これから『白瀬さんのハートをゲットする作戦』会議を開くわよ」

 女の方が身長の低さをカバーするようにベッドの上に立ちあがり、誰よりも偉そうにして宣言した。

「おー……ぱちぱち……ぱちぱち……」

 胡座をかいて床に座っていた男は明らかにやる気のない拍手で応えた。

「そのやる気のなさは何なのよ! せっかく、あたしが軟弱な彰のためを思って、女心を伝授してあげようって言うのに!」

 不機嫌を一切隠すことなく眉を吊り上げ、彰に怒鳴った。彰にしてみれば、ありがた迷惑もいいところであった。しかし、それを口に出して言うことはない。なにせ、相手は橘由利なのであるから。

 彼女は成績優秀スポーツ万能容姿もかわいいと、普通なら学校のアイドル一直線な設定を持っていたが、彼女の性格がそれらのアドバンテージを全部チャラにして、それどころかハンディキャップまで背負わせていた。とにかく、常人では躊躇することを平気でしてしまう、後先考えないその行動は周囲を恐れさせた。周囲が何かを言う前に自分の道を突き進んでしまっている彼女への抗議反論は無意味に近かった。

「――そういうわけで! 彰のために、今日はスペシャルデラックス特別ゲストを呼んであるから、感謝しなさい!」

 彰が諦めて心の中で嘆いている間も由利は喋りつづけていたらしく、気がついていたときには締めの言葉であった。とりあえず、彼は途中を聞かずに済んだ事と締めの言葉の前に気がついた事を感謝した。

「はいはい、それはありが――って、ゲストぉ?!」

 彰はしぶしぶお礼を言いかけて、由利の発言の意味を理解して、声を引っくり返した。

「じゃあ、呼んでくるから、大人しく待ってなさい」

 由利はドアを開けて部屋の外へ出て行った。

「ちょ、ちょっと待ってくれよ、由利ネエ!」

 彰は慌てて、立ち上がった。彼にしてみれば、ただでさえ情けない話なのに他人にこれ以上知られるのはさすがに勘弁して欲しかった。

 彰は由利の後を追ってドアを開けようとノブへと手を伸ばしたが、それをまわす必要はなかった。ドアは彼が開ける前に勢いよく大きな音を立てて開いた。

「ウジウジ悩んでばっかりで、ウジは湧いても勇気の湧かない、意気地なし、根性なし、甲斐性なしのいじけた中学男子の強い味方! 愛の伝道師♪ またの名を恋のスーパーアドバイザー♪ キューピィーちゃんよりキュートでセクシー、愛と恋の魔法少女、ファンシー・リリー! ハートに弓矢で惨状です♪」

 派手な配色に一昔前のアイドルのようないでたちの少女――ファンシー・リリーが可愛らしい声できつい台詞の口上を言うと決めのポーズを取った。

「リリー、違うよ。『ハートの弓矢で参上です』だよ」

「う、うるさいわね。ちょっと間違っただけでしょう!」

「ちょっとどころか、かなり違う……って、ちょ、ちょっと待った! その肝心のターゲットがいないんだけど……」

 バトンを振り上げ必殺の一撃をお見舞いしようとしていたリリーをウッちゃんは必死で止めて、部屋の中を指差した。

「そんなことでごまかされるとでも――って、本当にいないわね。さては逃げたわね」

 リリーはバトンを振り下ろしながら部屋の中を見回して、舌打ちをした。

「……でも、廊下から入ってきた僕たちに会わずに逃げるには窓からだけど、ここは二階だし、何よりも窓には内側から鍵がかかっているよ」

 バトンで殴られた痕をさすりながらウッちゃんは窓を指差した。彼の言う通り、窓にはしっかりとフックがかかっていた。

「つまり、密室と言うわけね」

「そういうことだね。どこに行ったんだろう?」

「ふふふふ……」

「り、リリー? ……ついに変になっちゃったのか?」

「誰が! 違うわよ! そんなわけあるわけないじゃない」

「ああ、そうだよね。リリーが変になるわけないよね。もともと、変なんだから――むぎゅっ」

「これはあたしへの挑戦! ファンシー・リリーの、この明晰なあたしの頭脳に対する挑戦なのよ」

 リリーはとりあえず、失礼な発言をしたウッちゃんを鷲づかみにしてきっちり報復しつつも、難事件に立ち向かう探偵よろしく天井を見上げて誰もしていない挑戦に応えた。

「……ゲホッ、げほっ……まじで死ぬかと思った……ところで、リリー……挑戦を受けて立つのはいいけど、解決の糸口はあるの?」

 ウッちゃんはなんとかリリーの魔手から逃れると、抗議の視線を向けながらも別の事を口にした。

「ふっ。愚問ね。あたしのスーパーブレインはすでに答えを見つけているわよ」

「え?! それは?」

「それはね――」

「……あー、わるいんだけどさぁ……」

 リリーが何か言おうとした時にどこからともなく声がした。

「あー、まったく、このバカ彰! 解答篇に突入したら、口を挟んじゃいけない事ぐらい知らないの?! あたしがしゃべり終わるまで黙ってなさいよ!」

「いや……その……」

「リリー、お約束をわかってない人なんか放っておいて、答えを聞かせてよ!」

 ウッちゃんがリリーに先を促した。

「そうね。では……犯人の西脇彰は――」

「西脇彰は? どきどき……」

「西脇彰はエスパーだったのよ!」

「……リリー?」

「そこらのスポーツバックを探してみなさい。その中に隠れているはずよ」

「……」

「……」

「あまりにもの名推理に言葉も出ないようね。まあ、仕方ないけど」

「あー、悪いけど、俺はエスパーじゃないんだけど……」

 彰が鼻を押さえながら少し涙目でドアの影から彼女達の前に出てきた。

「うわっ! ど、どこから?!」

「どっからって……いきなりドアを開けられて、その裏に挟まれていたんだけど……」

「……なーんだ、そんなつまんないオチなの。あたしの方が観客をあっと言わせれるわよ。今からでも遅くないから、オチ変えなさい!」

 そう言いながらリリーはスポーツバッグを広げて、彰の方に向けた。

「できるか! そんなこと!」

「融通の利かない子ね。まあ、そんなことはどうでもいいわ。ウッちゃん、もう一度、登場シーンするわよ!」

「えー! またするの?」

「だって、ドアと壁に挟まれていたんじゃ、あたしのセクシーキュートな姿を見れなかったのよ。見せてあげないと、かわいそうじゃない」

「いや、別にかわいそうじゃないって。……しかし、由利ネエ、中三にもなって、そんな格好して恥ずかしくないか?」

 彰は鼻の痛さのためか少々冷めた視線をリリーに浴びせた。

「な! なんで、あたしの正体を!」

「……まあ、なんと言うか、髪の毛の色が変わった以外、顔も身長も性格も由利ネエなんだから、わかるって、他の奴らはどうか知らないけど、由利ネエとは小さいときから付き合いだからな」

 彰は心の中で、仇の顔を忘れるほど耄碌してないと付け加えた。

「血のつながりには魔法の変身も勝てないわけね。まあ、仕方ないわ。特にかわいがった従弟だものね♪」

 しかし、彼の心の声を知ってか知らずか、リリーは納得するように頷いた。

「……えーと……ウッちゃん、だったけ? 魔法少女だと言うことがばれたら罰則とかないの? 動物に変えられるとか、そう言うの」

 彰はむすっとしながら彼女の横にいたマスコットキャラに尋ねた。

「残念ながら、特にないんだ……本当に残念だけど。一応、正義の魔法少女規定第22条『正体隠蔽に関する規則』――正義を行うものとして、その行為は奥ゆかしきものでなければならないものである。したがって、これを行うものは変身をして、正体を隠すものとする。これを破ったものは、その任を解かれるものとする。ただし、この変身変装が偶然など本人の努力の及ばぬことで見破られた場合はこの限りにないものとする――ってね」

「期待したんだけどなぁ」

「期待に添えないんだよね」

 二人はしみじみと落胆した。

「二人とも、なんだかずいぶんね。なんなら、新しく規則作る? そうね……ばれた場合は、大好きな人の性別が変わるとか。あたしは二人とも大好きだから、正体がばれた限りは二人を女の子に変えなくちゃいけないわね~」

 そう言って、リリーはバトンを構えた。

「り、リリー! ぼ、僕らが悪かったよ。それだけはご勘弁を!」

「由利ネエ、悪かった。ごめんなさい」

「まあ、特別に許してあげる」

 二人は平謝りに謝り、リリーもそれを見て満足して鼻を鳴らした。

「さて、それじゃあ、『白瀬美奈子のハートをゲットする恋のドキドキ大作戦』の作戦会議を始めるわよ」

 ネーミングからすでに失敗の匂いが充満している気がしたが、それは言わずに黙っておいた。

「なにはともあれ、告白しないと話にならないわね。それとなく友人関係から……なんて気弱なことを言ってたら、あんたの性格なら、一生お友達決定よ」

「うっ……」

「断られたら気まずいし、これまでみたいに声もかけれなくなる。それなら、このままで……そう思ってるんでしょう」

「ううっ」

「まあ、アマちゃんの彰ならでわね。そんな事で女心をつかめると思ってるの?! 引かば押せ、押せば押せ、押して押して押し倒す! これよ、これ!」

「うううっ……由利ネエはそうされたらどうするんだよ? コロっといっちゃうのかよ?」

「決まってるじゃない。殴り倒すわよ。まあ、あたしにそんな事をしたということで敬意は払ってあげるけど」

「じゃあ、駄目じゃないか!」

「あたしはあたし、白瀬さんは白瀬さん♪ もしかしたら、うまく行くかもしれないじゃない。押しに弱そうだし」

「て、適当だ! そもそも、由利ネエに恋愛経験なんてあるのかよ!」

「うっ。こ、恋の百や二百は経験してるに決まってるじゃないっ。告白されまくって困ってるほどよ!」

「数ヶ月一緒にいるけど、そんな事一度もなかったよ」

「う、うるさいわね! 魔法少女をするために清純可憐でいるために遠ざけてるだけよ!」

「じゃあ、その恋愛経験を聞かせてよ」

「そういうことは人に話すことじゃないのっ! 自分で想像しなさい!」

「できないよ、由利ネエが男子と付き合っている姿なんて」

「まあ、そうだね」

「ああ、もうっ! 不愉快よ。ウッちゃん、帰るわよ」

「ちょ、ちょっと待ってよ、リリー。相談に乗らなくていいの?」

「もう答えは出てるわよ。あとは本人のやる気次第よ!」

「まあ、それはそうだけど……」

「じゃあ、帰るわよ」

 そう言って、普通にドアを開けてリリーは出て行った。魔法少女の退場方法としては、地味すぎて情けないが、リリーの場合、自主的な退場シーンは登場シーンよりも遥かに数が少なく、慣れていないので仕方ない事であった。

「……結局なんだったんだ……でも……確かに、自分で何とかしないとなんともならないんだよな……」

 彰は茫然自失から立ち直って、自分のできることを考えることにしたが、思いつくことは、最近女子の間で何がはやっているかなど、クラスの女子に聞く程度であった。

「やらないよりはましだな」

 そういって、彰はクラスの連絡簿を探すことにした。


 傘を差してはいたが少し風があったせいか吹き込む雨で制服が湿っていた。染み込んだ雨が払えるとは思えないが、里美は手で制服の雨を払い、「ただいま」と言いながらドアを開け、家に入ったが、返事はなく、しんと静まり返っていた。

 下駄箱の上にあるホワイトボードに自分宛てのメッセージが書き込んであるのが見えた。

「おかえりなさい 里美ちゃん♪

 試験 お疲れ様でした

 お買い物に行ってきます

 おやつは冷蔵庫にプリンが入ってますので、食べてね

                        母より」

 里美はそれを読んでから靴を脱ぐと、とりあえず、濡れた制服を脱いでしまいたいので、部屋にカバンを置いてシャワーを浴びることにした。

 シャワーを浴びて、さっぱりとした里美は冷蔵庫の中の良く冷えたプリンを平らげると、特に見たいテレビもないので、漫画でも読もうと自分の部屋へと向かった。

「ふう……」

 自分の部屋の扉を閉めると同時に思わず長いため息を吐き出した自分に気がつき、はっとしたが、苦笑混じりに部屋の電気をつけた。

 尾崎家も、相原庸子のところほどではないにしても一般家庭よりも裕福な部類に入る経済状態で、家も大きく、里美の部屋も庸子の部屋に負けないほど広かった。元々はこの地方の大地主だったらしく、その当時の別宅の一つがこの家だったらしい。もっとも、元々の建物は現代生活には不適応なために里美の父親が小さい時に建てかえられたが。

 その広すぎるといっていい部屋の片隅に置かれている『開かずのクローゼット』が里美の視界の隅に引っ掛かった。

 別に鍵がかかっているわけでも、呪いがかかっているわけでもない。普通に誰でも開けられるクローゼットなのだが、里美が自主的に開けないために『開かずの』になっている。その中には、両親のほかに一ノ宮孝治が彼女にプレゼントした女の子らしい洋服がずらりと並んでいる。ちなみに彼女の成長に合わせて、入れ替えされており、その着られなかった服はバザーや近所の人などに配られ、もったいながられつつ、ありがたがられていた。

「スカートか……」

 Tシャツに薄手のスウェットの下という格好でベッドの縁に腰を下ろし両手を後ろにつき、『開かずのクローゼット』を見つめた。

「……」

――着ないだけで、すっごく、かっこいいんだよ。制服だって、かっこよく着てるじゃない。きっと似合うよ、自信もって――

 不意に恵子の台詞が頭をよぎった。

「……そんなわけ……」

 里美は突然、立ち上がると、クローゼットと反対のドアの方に歩いていき、ドアの鍵をかけた。

 それから、姿見の鏡の布を外し、自分の男前な姿を一瞥してから開かずのクローゼットの取っ手に手をかけて、一回軽く深呼吸をして、観音開きの扉を全開にした。

 里美の目に春のお花畑を思わせる彩色が映り、思わずくじけそうになったが、なんとか踏みとどまって、その中で少しはましと思える服を何着か抜き出してベッドの上に置いた。

「……これは、恵に言われたからじゃないんだ。なんでもチャレンジしないと駄目だと思うから着てみるんだ。自分で考えて、自分の意志で着るんだ」

 里美は呪文のように誰もいない室内に向かってつぶやいた。里美に女の子らしい服装をさせようとしている両親や孝治がこの台詞を聞けば、ある季節の徳島県人よりも踊り狂うだろう。

「まずは……これから……」

 里美は白のブラウスを手に取り、袖を通し、赤のチェックのスカートを穿き、白のハイソックスを履いて、鏡の前に進み出た。

「……だぁー、似合ってないなぁ~」

 里美は照れるように苦笑した。

「やっぱり、美奈子みたいに男子受けする女の子っぽい格好は無理があるか」

 決して似合っていないわけではない。長身で手足が長いので高校生と言っても十分に通用するほど大人っぽい。しかし、ショートヘアが活発そうで、どちらかと言うと健康的な美人という風貌で、お嬢さまっぽいものを期待した里美には自分の姿に違和感があったのであった。

「まあ、ボクは美奈子みたいに女の子っぽくないからな。それじゃあ、今度はこっちに挑戦」

 里美はブラウスとスカートをさっさと脱ぐと、次の服に袖を通した。次は明るい色のワンピースである。デザインはシンプルで少々子供っぽい感じではあったが、それはそれで似合っていたが、里美のもつ格好よさとは少しずれがあり、本人が服にあわせて修正しないので、そのずれはなおさらであった。

「うーん、もう少し、なんだな~」

 里美はその服も脱ぎ、次の服を物色し始めた。それから次から次へと衣装を変え、組み合わせを変え、ひとりファッションの探求を小一時間ほど勤しんでいた。もっとも、最後のほうにはのりのりで鏡の前で少しポーズなどを取ったりして、一人ファッションショーへと変貌していたが。

「里美ちゃん、帰ってるの?」

 絶好調で調子に乗っていた里美はあれだけ嫌がっていたフリルドレスを着て、純真可憐少女を鏡相手に演じているところにノックとともに母親の声が聞こえ、心臓が0コンマ1秒はきっかりと止まった。

「――う、うん。……えっと……ただいま」

 里美は心臓の早まる鼓動を胸に手を当てて押さえつけようと無駄な努力をしながら、なんとか返事をした。

「? 熱でもあるの? かえってきてすぐに部屋に引きこもるなんて……」

 ドア越しであっても明らかに様子のおかしい自分の娘に不信を抱いた母親は心配と不安をない交ぜにしたような声で訊いた。

「な、何でもないよ、お母さん。あたしは元気だけが取り柄だもの。平気、ちょっと、試験……そう! 試験勉強で夜更かししてたから、ちょっと眠かっただけ。もう、大丈夫」

「……そう? それじゃあ、居間にいらっしゃい。アイスティーでも入れるから、試験が終わった乾杯しましょ♪」

 母親の妙に明るい声が聞こえ、ドアの前から離れていく音が聞こえると、里美はなんとか取り繕ったと安堵の息を吐いた。

(なんとかばれずにすんだ。びっくりしたなぁ~。……でも、服をいろいろ着てみるのって、楽しいかもしれない……けど……やっぱり、人前に出るのは恥ずかしいなぁ)

 里美は脱ぎ散らかした服をとりあえず、クローゼットの中に押し込み、いつもの部屋着に着替えて居間に下りていった。

 そのころ、台所でアイスティーを入れていた彼女の母親は鼻歌を歌って上機嫌であった。

(注意もしないのに“あたし”だなんて……あの子もやっと女の子らしくなって、お年頃ね♪ だけど、あの慌てよう……部屋でファッションショーでもしてたのかしら……まさかね、そこまではしてないでしょうけど)

 実はそうだったと知ったら、尾崎家の今晩のメニューが大幅に変更されただろうが、里美はそれを告白するつもりもないし、母親も聞きだすつもりもないので、尾崎家の食卓はいつもの夕食にほぼ決定されたのだった。


 激しく降っていた雨がやっと夕方頃から小雨になり、窓から見える雨粒の軌跡は余程目のいい人間でなければ見えないぐらいになっていた。美奈子はその雨をただ、ぼんやりと眺め続けていた。

 帰ってきても家事当番もないし、宿題もない。する事がないので、読みかけの本でも読もうかとページを開いたが、全然気が乗らない。帰り道で聞いた庸子の話が脳裏にどっしりと腰を下ろしていて、他の事をする気分にもなれず、かといって、その事を考えてもどうしようもない。今の空具合のようにすっきりしない気分であった。

「こういう時に身体を動かせたらいいのに……」

 里美が部活があるかもしれず、美穂が祖父の道場に行く予定で、恵子が父親の病院に付き添いだったのと、庸子の母親が一時帰国するということで、一緒に遊ぶ計画はしなかった。したがって、暇になるのはわかっていたので、一人で泳ぎにでもいこうと思っていたが、この雨ではそれも出来ない。本当は雨が降っても、そうなれば里美の部活が休みになるから、一緒に遊びに誘うという二段構えの計画だった。が、あの話を聞いて、その選択肢は消去され、結局、暇を持て余していた。

「あーあ、里美とフットサルしにいくつもりだったのになぁ……」

 雨を眺めるのも飽きて、ベットの上に座ったまま横に転がった。いつもの五人の他にも友達はいたが、既に彼女らは別の予定を入れていた。それに、ここのところ勉強ばかりだったので、思いっきり身体を動かしたいと言う美奈子の欲求を解消するには、彼女らのストレス解消の方法とは遠く離れていた。そういう意味で、里美は美奈子の一番気の合う友達であると言えた。

「でも、まさか、男の子だったなんて……」

 再び思いを巡らせた。一瞬、自分の事も話して、同じ境遇のものとして苦しみを分かち合う事も考えたが、向こうはこれから一生、女の子で過ごさないといけないのに対し、自分は正義の魔法少女――リリーにさえ負ければ男に戻れるという条件付である。そう考えると、全然境遇は違う。もし、いつか自分が男に戻った時に里美がどう思うか、それを考えると、やっぱり、自分の事は秘密にしておいた方がいいと結論を出したのであった。

 しかし、それでも、こんな特殊な事態に陥っている似た境遇の二人がこんなに近くにいるのに、お互いにそれを話す事ができない。

 美奈子は不満と苛立ちが募り、降り続く雨さえも腹立たしくなり、窓から目をそむけるように寝返りを打った。しかし、そのそむけた目に、猫耳の少女がベッドの縁にかぶりつきで彼女の方を興味深げに見つめているのが写った。

「め、芽衣美ちゃん! い、いたの?!」

 美奈子は驚いて、体を起こした。

「美奈子お姉ちゃん、ノックしたのに返事がないし、呼んでも応えないし、部屋に入っても気がつかないで、一人で寝転がって、ブツブツ言ってるんだもん」

(僕は、入ったら駄目だって止めたんですよ。もし、そのー……いけないことをしてたら、まずいじゃないですか)

 銀鱗のばつの悪そうな声が美奈子の頭の中に響いた。

「やっぱり、美奈子お姉ちゃん、いけないことしてたの?」

 目をきらきらさせた猫耳の少女が期待を込めて美奈子を見つめた。

「そ、そんなことするわけないでしょっ!」

 芽衣美と銀鱗の期待していた事を理解して美奈子は顔を赤く染めて大きな声を出した。

「美奈子お姉ちゃん。そんなに恥ずかしがる事ないよ。あたしのクラスでも、その……してる人いるし、美奈子お姉ちゃんは、中2なんだし……」

 芽衣美はその大きな声に勘違いして、ちょっと恥ずかしそうに美奈子を慰めるように優しく言った。

「め、芽衣美ちゃん!」

(そうです。美奈子様は元は健全な男の子なんですから、尚更です。その……仕方ありません)

「銀鱗まで……だから、してないって!」

「まあ、そういうことにしておきましょう。ね、リン君♪」

(そ、そうですね、芽衣美ちゃん)

 二人で勝手に自己完結して、優しい微笑を美奈子に向けた。

「だぁかぁらぁ~」

 美奈子は情けないことこの上ない声で否定したが、芽衣美の猫耳はその否定を聞き取ってはいなかった。


「――というわけよ。わかった?」

 美奈子は庸子から聞いた話を話して、自分のそれに対する想いを話して、“いけないこと”をしていた疑惑を解いた。

「ふーん、そういうことだったんだ」

 芽衣美は美奈子の話に少し残念そうに納得した。

(すいません。疑ったりして)

 銀鱗が申し訳なさそうに謝っていたが、心なしか残念そうであった。

「いいのよ。誤解が解けたなら。で、芽衣美ちゃん、銀鱗はどう思う?」

「どうって言われても……」

(何がどうなのかが分かりませんよ)

「うーん、確かにそうよね。なんて言うかな……その、私が里美に何かしてあげれる事ってないのかな?」

「女の子らしくなるお手伝いってこと?」

 芽衣美が小首をかしげながら逆に訊き返した。

「そういうことになるかな? でも、今回みたいな事って、なんだか逆効果な気がするの。無理矢理可愛い格好をさせるって、かえって嫌がって、トラウマになるんじゃないかなって」

 クッションを抱きかかえて前後に身体を揺らし落ち着きなく美奈子は自分の感じている不安を話した。

「うーん……そうだね。コスプレでも、本人が乗り気になってると、不思議とそれなりに似合うけど、そうじゃないと、変に見えちゃうことがあるもんね。里美お姉ちゃんが乗り気じゃないのにそういう服着ても、変に見えちゃうかもしれないね」

「やっぱり、そうよね」

 芽衣美の言葉に自分の不安が正しいと保証されたような気がして、身体を乗り出し、うんうんと頷いた。

「だから、コスプレは思いっきりが大事なんだよ、美奈子お姉ちゃん♪」

「……芽衣美ちゃん、今は私のコスプレの話じゃないんだけど……」

「コスプレじゃないけど、美奈子お姉ちゃんも今週末はおめかしするんだよ」

「あっ……」

「……もしかして、忘れてたとか?」

 口に手を当てたまま固まった美奈子に芽衣美は呆れたような視線を向けた。

「そ、そんなことないよ。憶えてるに決まってるじゃない。あはははは……」

 美奈子はとにかく笑って誤魔化したが、忘れていた事は白状するよりも明白であった。

(……美奈子らしいですね)

「だね♪」

「それはともかく! じゃあ、やっぱり、可愛い服着せるのはやめさせた方がいいよね」

「うーん、でも、本人がその気だったら?」

「え? ……でも、嫌がってるのよ」

「そうかな? もしかしたら、そういうポーズかもしれないよ。本当は一度そういう格好をしてみたいけど、なかなか思い切りが出来ないとかだったら?」

「う……それは……」

「本人がその気になれば、里美お姉ちゃんなら、女の子らしい服装も似合うと思うよ」

「それはそう思うけど……可能性低いよ」

 美奈子は少し不安になりながらも自分の知っている里美の性格に賭けた。

(そうですかね? もし、その気がなくても、その気になるかもしれないと思うけど……)

「どういう意味?」

 美奈子は銀鱗の意味深な発言にピクリと反応した。

「あのね、琉璃香さんがね、電話でお薬を作ってくれって頼まれたみたいなの。それで、性格を変えるとか何とか……そういうこと言ってたもん。たぶん、タイミング的に里美お姉ちゃんのじゃないのかな?」

「芽衣美ちゃん! その話、本当?!」

 美奈子は芽衣美の肩を掴んで激しく揺さぶった。

「み、み、美奈子お姉ちゃん、い、痛いよ!」

「あ、ごめん。で、その話は――」

 我に帰って美奈子は芽衣美の肩から手を離して、再び訊いた。

(本当です。僕も聞きました)

「うん、この耳でちゃんと聞いたよ」

 揺さぶられてちょっとふらふらしながらも芽衣美は頭の上の猫耳を指差して美奈子の問いの答えた。それを聞いて美奈子は俯いて芽衣美から顔を隠した。

「…………い」

「美奈子お姉ちゃん?」

「許せない! 薬で人の心を操るなんて、最低っ! 絶対に許せない!」

 美奈子は顔を上げ、眉を釣り上げて怒りの表情を露わにすると、その場に立ち上がって声を荒げた。

「み、美奈子お姉ちゃん……」

(み、美奈子様。じゃ、じゃあ、琉璃香様に直接抗議しに?)

 あまり見せない美奈子の怒りの感情に少しびっくりしながらも銀鱗が彼女に尋ねた。

「……」

 しかし、美奈子は怒りで固めた拳を握ったまま、その問いには沈黙していた。

(ご主人様?)

「ああ、琉璃香さんに文句を言うなんて……出来るわけないよぉ~。そんなことしたら……想像もつかないようなことをされちゃうに決まってる。絶対に!」

 美奈子は風船の空気が抜けるように怒気がしぼみ、その場にしゃがみこんだ。

(そうですね。相手が悪すぎます)

「でも、許せない!」

(じゃあ、抗議)

「そんなこと出来ないよぉ……よし! ここは薬を作るのを妨害しましょう!」

 美奈子は打開策を見つけて、再び活気づいた。

「なんだか……」

(……消極的ですね)

「う、うるさいわね。わざととばれたら、命に関わるんだから、決死の覚悟なのよ。銀鱗、手伝ってもらうわよ」

(え?! ぼ、僕もですか?)

「当たり前でしょう。銀鱗は私の使い魔なのよ。主人の危機には一肌脱ぐのが筋でしょう」

「あたしも一緒?」

「ごめんね、芽衣美ちゃん。協力してね♪」

「……そのかわり、一緒にイベント行ってね。小学生だけだと入れてくれないの」

「うっ……わかった。行くから、協力してね」

「やった♪ で、何すればいいの?」

 こうして、美奈子の『決死の薬製作妨害作戦』が開始された。


 琉璃香は台所に立って、包丁が野菜を刻むリズムにあわせ、歌を歌いながら華麗に夕食の支度をしていた。歌詞の内容は“私の作った料理を食べさせてあげるから、ありがたがって、残さず食べなさい”と、女王様な彼女の歌であるが、琉璃香が歌うと怖いぐらいにはまる。ちなみに、彼女の料理が下手でないことは、美奈子の料理の腕をみてのとおりである。

「琉璃香さん」

 琉璃香の玉ねぎのみじん切りを終了した段階で、美奈子が後ろから声をかけた。

「なに? 美奈子ちゃん。手伝ってくれるの?」

 琉璃香は軽快に体をスウィングしながらノリノリで作っている料理を中断して、エプロンの裾をふわりと広げながらくるりとターンをし、美奈子の方を向いた。包丁の切っ先が美奈子の目の前を通過したが、そんなことは気にしてはいけない。

「え、えーと、芽衣美ちゃんがね、ちょっと風邪ッぽいんだって。だから、風邪薬を調合したいんだけど、調合室、使ってもいい?」

 美奈子はまず、第一関門の調合室に入る許可を取り付けるために考え出した嘘をついた。

「あらあら。それはいけないわね。でも、そんなふうには見えなかったけど?」

「あ、えーと、ほら……頑張りやさんだから。えーと、そう! 芽衣美ちゃんの小学校、明日、休みだから、遊びたかったからじゃないかな?」

 文部科学省のお偉いさんが先週の土曜日に学校訪問にやってきて、明日がその振替休日になっていたことを思い出して、美奈子は嘘の補強をした。

「ふーん、そう。まあ、いいわ。使っていいわよ」

「ありがとう、琉璃香さん!」

 美奈子は無事に第一関門をクリアーした事に心の中で胸をなでおろした。続く、第二関門は、問題の薬を探し出す事、第三関門はそれをどうやって駄目にしてしまうか、第四関門はその言い訳をどうするか、第五関門はそのお仕置きを耐える。難関のハードルが立て続けに並ぶ険しい道のりだが、第一関門がクリアーできなければどうしようもない。

(精神操作系なら、ベースに『サトルピアの蜜』を使ってるはず……そうなら、熟成に時間がかかるから、調合途中の薬ビンを調べれば……)

 美奈子は第二関門をクリアーするための推理を進めながら、台所から出て行こうとした。

「……あ、そうそう、美奈子ちゃん」

 台所を出て行こうとした美奈子を琉璃香がふと何かを思い出して呼び止めた。

「な、なに? 琉璃香さん」

 美奈子は突然呼び止められて、不自然極まりないほど動揺して、台所と廊下の入り口にしがみついた。

「忘れてたけど、今、人に頼まれて、薬調合してるの。調合台の上のビーカーなんだけど、まだ途中なのよ。揮発性が高いから、蓋を取らないでね。まあ、蓋を開けても、特に毒はないから大丈夫だけど、それ駄目にされると原料の『サトルピアの蜜』を切らしてるから、納期に間に合わなくなるから。こぼさないように気をつけてね」

 しかし、琉璃香はそんな様子など全く気にせずに呼び止めた用件を美奈子に伝えた。

「え?」

「聞いてなかったの? 調合台の上のビーカー――」

「う、うん。ちゃんと聞いてた。調合台の上のビーカーね。わかった。触らないようにする。うん、わかった」

 予想外に第2関門をクリアーしてしまった美奈子はあっけに取られてしまったが、何とかそう答えると地下の調合室へと直行した。

 琉璃香はそれを見送ってから、流し台の方に向き直り。

(さてさて♪ 部屋の会話なんて筒抜けなのに、間抜けな娘ね。でも、まあ、上手い具合に勘違いしてくれたわ。真琴に頼まれた薬、どうやって美奈子ちゃんにかがせようかと考えてたけど、手間が省けちゃった♪)

 琉璃香は再び鼻歌を歌いながら料理を再開した。


 皆瀬家は地上二階地下一階の、三フロアーであったが、地下の一階の存在を知っているものは皆瀬家の人間以外では芽衣美ぐらいであった。つまり、秘密の地下室であった。

 地下階は三つの部屋に分けられ、一つは薬草や薬などを保管する薬品倉庫であり、博物学者が狂喜乱舞すること間違い無しの世に知られていない動植物の加工品か、もしくはそのまま生のものが保管されていた。同じく、保管されている薬もその効用を聞けば製薬会社の人間が虚しさに囚われ、放浪の旅に旅立ちそうな代物が揃っていた。もし、皆瀬家が火事で全焼して、この保管倉庫まで燃えてしまったら、近隣100kmの動植物はただではすまないことは確実だろう。もっとも、そこの管理者である琉璃香が、動植物の心配はしなくても、自分の溜め込んだ薬とその材料を灰にするような事はありえないし、そうならない対策もばっちりであったが。

 もう一つは資料室で、そこに修められている薬品に関する資料は学会に発表すればまず間違いなく異端のレッテルを貼られて、100年ぐらい後になって功績を認められる代物ばかりであり、調合表は「○○の薬が出来ればノーベル賞もの」という代物が揃っていた。もちろん、『30歳以上の中年男性を時々、猫耳で10歳程度の少女にする薬』など、どういう用途で使用するのかわけのわからないものも含まれていたが。

 最後の一つは調合室で、様々な調合するための機材が置いてあった。

「いつ来ても、ここって、魔女の秘密の地下室っぽくないわね」

 美奈子は一応、白衣に身を包み、調合表をボードに挟んでこうこうと蛍光灯に照らし出された調合室を見渡した。

 濡れても滑らないようにちゃんと加工され清潔なタイル張りの床に、不燃性の処理のされた黒い机、ちょっと深めの流しがその机の横についており、その横にはガスの元栓が生えていた。まさに学校の理科室であった。違いといえば、そこに備えている機器の類だろう。

 重りを使う天秤もあったが、コンマmg単位まで測定可能な風防つき電子天秤があったり、減圧乾燥機、遠心分離機などが揃っていた。それらの機器は琉璃香の改造が施されており、外見は旧式だが性能的には最新型に遜色ない、あるいはそれを超えているものばかりであった。

「あれが問題の薬ね」

 調合台の上にはビーカーが一つ置かれており、中には無色透明の液体が入っていて、ビーカーの上にはガラス板が載せられ、液体が気化してしまわないようにしていた。しかし、見るからに不安定で「倒してください!」と主張しているかのようにも見えた。

 普通、揮発性の高いものであれば、なるべく揮発しないように空気との接触面積を狭くするように三角フラスコに入れたり、冷蔵庫の中で保存させたり、蓋ももっと密閉性の高そうなもの――例えば、シリコン製のラップなど――を用いて、外されないように対策しておくものだが、琉璃香は、研究者などがよくやってしまう、その実験機器に自分しか触らないことを前提とした独自マニュアルに沿っているため、安全よりも利便性を優先させていた。美奈子もそういうことには慣れているので、不思議にも思わず納得した。

「さて、まずは、風邪薬を調合しなくちゃ」

 美奈子はそう言って、気合を入れると調合表を持って薬品倉庫へと向かった。

 美奈子の作戦は、こうであった。

 調合室に入った表向きの理由は風邪薬を作るためであるから、これを調合しない事にはどうしようもない。風邪薬は真面目に調合する。

 美奈子の作ろうとしている風邪薬は、それを舐めていれば風邪が治るというトローチ型風邪薬で、それの調合の最終段階は、薬を水を張った水槽に垂らして飴玉ぐらいの丸薬にして固め、それを水の中から引き上げて乾燥させ、完成なのである。

 水から引き上げる時に置く場所を確保するのを忘れていて、仕方なくビーカーの蓋にしていたガラス板の上に最初の一つを置いてしまい、二個目からはちゃんとしたトレイに引き上げた。

 そして、乾燥したので、そのガラスの蓋に置いたやつを取ろうとしたら、その薬の原料の中に水飴が混じっているので、完成した飴玉風邪薬は少し粘着力がある。その粘着力でガラスの蓋が上に持ち上がって、慌てて蓋をしようとしたが、粘着力がガラス蓋の重さを支えきれなくなる方が先で、ビーカーの上に落ちたガラス板がビーカーを引っくり返した。もしくはビーカーを割ってしまった。

 結果、琉璃香の作りかけの薬がだめになってしまった。

 これが美奈子の考えた作戦の全貌であった。そして、琉璃香には「粘着力のある事を忘れていた」と言い訳して謝るつもりであった。

 そうこうしている間に美奈子の調合は進み、水槽に薬を垂らすところまでやってきた。

「……ふふふ……今回の薬、出来がいいわ」

 美奈子は水槽に垂らした薬が水の中に落ちて球体になり、ゆっくりと沈んでいく様子を見ながら一人呟いた。薬を調合する時はかなりの集中力を要するために、自然とハイな気分になってしまうものである。美奈子もそういうわけで、ちょっと危ない笑顔を浮かべていた。

「やっぱり魔法の力が上がっているからかな? それとも、いつもより水飴の量を少し多めにしたのがよかったのかな? それとも……私って、もしかして天才?」

 美奈子は椅子から立ち上がって、両手を胸の前で組んでその場で一回転してピタっと止まった、つもりであったが、急に立ち上がった事で立ちくらみを起していたのか、よろけて机に手をついた。

 しかし、それだけで終わらないのが美奈子の美奈子たる所以。その手をついていたところには調合表を挟んだボードが置いてあり、ボードは美奈子の体重をかけられて机の上を美奈子の手を乗せたまま机の上を滑っていく。そして、その先にはお約束のようにビーカー。まさに、彼女は“てんさい”であった。

 ビーカーはその安定した底にボードの鋭い足払いをかけられ、見事に縦に九十度回転して横倒しになり、当然蓋になっていたガラス板は外れ、中の薬品が勢いよく机の上を侵略した。薬品に臭気はほとんどなく、ほんの少し、柑橘系の香りがほんのりするだけで、アルコールのように机を濡らすそばから乾燥していったために、薬品をこぼしたことがホログラフによる幻のようであった。

 美奈子は無害と聞いていても、思わず咄嗟に息を止め、薬品を吸い込むのを防ごうとしたが、それでも少なからず蒸発したその薬品を身体に吸い込んでいた。ほとんど臭気はなくても、さすがは魔女の娘、現役バリバリの悪の魔法少女である。吸い込んだ空気に薬が混じっていることはわかり、咳き込んで肺に吸い込んだ薬品を追い出そうとしながら、緊急時用の室内の空気を強制的に入れ替えるレバーを下げた。

「えほっえほぅ……なんでこうなるのよお!」

 美奈子は自分の計画どおりにならずに目的を達成してしまったことを悔しがり、調合台を叩いた。

「あーあ、なんて言うのよ……あまりにも薬のできよくって思わず小躍りしたら、こけて、ビーカー倒しちゃいました……ああ……これじゃあ、まるっきりドジっ娘じゃない」

 彼女の中では、わざとビーカーの薬をこぼすのと、まったくの不注意でビーカーの薬をこぼすのでは、結果は同じでもその内容に雲泥の差があるらしい。とりあえず、美奈子は風邪薬飴玉を水槽から引き上げて、ビーカーの薬をこぼした報告をするために調合室を重い足取りで後にした。


 美奈子は居間の床に正座させられて、琉璃香のお説教を拝聴させられ、お風呂掃除2ヶ月と炊事洗濯当番2ヶ月間の加重割り当て、そして、来月のお小遣いを半分にカットという厳刑の言い渡しで皆瀬家家庭裁判所1番法廷は閉廷した。

「というものの、困ったわね。マコちゃんに頼まれた薬なのに……まあ、美奈子ちゃんが駄目にしたって言えば、私はいいんだけど」

 琉璃香はかわいく首をかしげてそう言うと、琉璃香に怒られて顔色の悪い美奈子はさらに顔色を悪くした。

「……お願いです、琉璃香様。それだけはどうかご勘弁を……」

 美奈子はほとんどプライドもなく文字通り土下座して頼み込んだ。薬の依頼主が真琴とわかり、すべてが自分の勘違いなことを知り、まったく無意味で無価値な作戦でお説教と厳刑をいただいたのである。これ以上刑が加われば、泣きっ面に蜂ということわざに何か加えてやらなくてはならなくなる。

「そうね、美奈子ちゃんがもっと女の子らしくしてくれたら、考えてあげてもいいわよ。言葉遣いはもう、すっかり女の子だけど、普段の日はズボンが多いし、もっとかわいい格好をしてくれるとうれしいわね。せっかく、飾り甲斐のない男の子からかわいい女の子になったんだから、私たちをもっと楽しませてくれなくっちゃ」

「……どうして、楽しませないといけないのよ」

 美奈子は琉璃香の勝手な言い草にムッとした。

「さーて、真琴の電話番号はーっと……」

 琉璃香は電話帳をめくった。

「ああ、ごめんなさいごめんなさい。違うの。違うんです~。里美ちゃんのところもそうなんだけど、どうしてみんなかわいい格好をさせようとするのか不思議なの」

 美奈子は再びプライドを捨てて琉璃香の裾にしがみついた。

「美奈子。そんなことも知らないのか? それはかわいいからに決まってるじゃないか。女の子は、かわいくなる権利があるのだよ。使う使わないは本人の勝手だが、せっかくある権利を使わない道理はない。和久はかわいい女の子は嫌いか?」

 それまで黙っていた父親の賢治が口を挟んだ。

「え? ……ううん、好きだよ」

 意外な方向からの回答に美奈子は真面目な顔で答えた。

「だろう? じゃあ、美奈子はみんなに好かれたいか?」

「そりゃあ、まあ、嫌われるよりかは、いいと思うけど……」

「それじゃあ、みんなに好かれるかわいい女の子になるのは不思議なことか?」

「そうじゃないけど……そうじゃないけど、だからって、かわいい格好は関係ないんじゃ――」

「美奈子ちゃん。人間見た目なの」

 琉璃香は美奈子の反論を一言で封じた。

「琉璃香さん、あの……なにか、とんでもないこと言ってません?」

 美奈子はあまりの極論に困った顔をした。

「いや、琉璃香さんは正しい。美奈子は料理を作るとき、盛り付けで手を抜くか? どうせ、おなかの中に入ってしまえば一緒って、ごっちゃ混ぜで盛り付けたりするか?」

「そ、そんなことしない……ようにはしてるつもりだけど。できるだけ、彩りとか、少しは考えて盛り付けるようにはしてるつもり」

「どうして?」

「どうしてって……やっぱり、同じ食べるのなら、おいしく食べてほしいから、料理は見た目も――」

「そう、正解だ♪ やっぱり見た目も大事なのだよ。確かに、見た目は悪いけどおいしい料理はある。でも、食べる前に少しためらうだろう? 見た目が悪くて食わず嫌いの人もいる。そう言うことなんだよ、美奈子。人間も同じ。付き合ってみなくちゃ、その人の性格なんて誰もわからない。そうだろ?」

「じゃあ、顔のきれいな人とかスタイルのいい人とかは得なの?」

「得に決まってるじゃない。でも、それだけじゃないでしょ? 服とか髪型とか仕草とか立ち居振舞いなら自分の頑張り次第で何とかなるでしょ?」

「……」

「里美ちゃんは美人よ。スタイルもいい。今のジーパン姿だって格好いいわよ。でも、もっと他にも似合う格好があるし、そう言う格好をすれば、もっと多くの人と仲良くなれるチャンスが増えるわよ。もちろん、美奈子ちゃんも同じ。これでわかった?」

「うん……」

「納得してないって顔ね。でもいいわ。後は自分で感じなさい。――さて、リン君」

 美奈子との話を一段落つけると、琉璃香は銀鱗――芽衣美の方に向き直った。

(は、はいっ。琉璃香様)

 銀鱗は緊張しながら返事した。

「リン君の故郷は『サトルピアの蜜』の名産だったわね」

(はい、そうですけども……)

「芽衣美ちゃん。明日学校お休みよね。ちょっと旅行してみない? 魔法の国に」

「魔法の国? 面白そう! 行く行く!」

 芽衣美は目を輝かせて即答した。

(る、琉璃香様!)

 その言葉に銀鱗は思いっきり慌てた。

「リン君も全使連(全魔法国使い魔連盟)には連絡はしてあるけど、挨拶に行かないといけないのでしょ。ついでに行ってくるといいわ」

(しかしですね、琉璃香様。僕は今、芽衣美ちゃんと――)

「別にいいじゃない。芽衣美ちゃんもOKしたし♪」

(でも、『サトルピアの蜜』でしょう? 当然、……天然ものですよね?)

「もちろん。養殖ものは匂いがあって駄目なのよ」

「リン君、どうかしたの?」

 二人の会話についていけない芽衣美が怪訝な声で銀鱗に事情と状況を訊いた。

(芽衣美ちゃん。『サトルピアの蜜』っていうのはね、その名の通り、『サトルピア』っていう花の蜜なんだけど、それを採りにくるいろんな動物や昆虫がいて危険なんだよ。それにハニーハンターって呼ばれる『サトルピアの蜜』を集める専門業者とやりあわなくちゃならなくって、そっちはもっと危険なんだよ。天然の蜜は高額で取引されるからね)

 銀鱗は何も知らない芽衣美に事の重大さを伝えた。

「わぉ♪ 冒険だね♪」

(芽衣美ちゃん! 芽衣美ちゃんと僕は二心同体なんだよ! 芽衣美ちゃんも行くことになるんだよ!)

「うん、わかってるよ。でも、リン君と一緒なんでしょ? なら安心だよ♪ 守ってくれるんでしょ?」

 しかし、芽衣美は軽くそれを受け止めた。

(うっ……うん、まあ……)

「じゃあ、決まりね」琉璃香はそう言って決定事項にしてしまうと、指を軽く鳴らして、芽衣美を猫耳エプロンドレスの少女に変え、「ご褒美の前渡しでコンバットエプロンドレスを新調しといてあげたわよ。しっかりね」

(これって……すごい……強力な結界が張られてる……これなら並大抵の攻撃は防げる……ありがとうございます)

 おニューのエプロンドレスに銀鱗は興奮した声を出した。

「よくわかんないけど、すごいんだね」

「それじゃあ、時間もないことだし、早速、門を開くわよ。楽しんでらっしゃい♪」

 琉璃香は指先を切り、血を滴らせて魔方陣を書き、口の中で短く呪文を唱えた。呪文に呼応するかのように魔方陣が黒い穴へと姿を変えた。

(「いってきまーす♪」)

 芽衣美と銀鱗は穴に飛び込み姿を消した。

「いっちゃった……大丈夫かな? 芽衣美ちゃん」

「大丈夫でしょう♪ ――あっ! しまった!」

「えっ?! なに? 何か忘れ物?」

「外でやるんだったわ。床に穴あけちゃって……仕方ない。これはマコちゃんに必要経費で請求しておきましょう」

 芽衣美たちが飛び込んだ黒い穴は今だ床にあいており、黒々とした床下の地面をのぞかせていた。


 柊陽介は作戦が開始されれば、後は部下や真琴達が作戦を成功させるべく、粉骨砕身で頑張ってくれているのを見守るしかない自分の立場に苛立ちを感じていた。しかし、無責任に成果を求めて部下達を困惑させるほど愚かでもなく、定期的にされる報告で充分に作戦の進行度合いが手に取るようにわかっていた。それでも、それでもやはり、はやる気持ちと苛立ちはどうしようもないものになっていた。

「陽ちゃん、入っていい?」

 ノックと共にかわいらしい声が扉越しに聞こえた。

「開いてるよ、マコちゃん」

 その声に反応するかのように扉が音も立てずに開き、宙に浮いたほうきに横乗りしてすべるように部屋の中に入ってきた。

「定例報告は明後日だと思ったが?」

 陽介は真琴の来室を怪訝な表情で迎えた。

「多分、やきもきしてるんじゃないかなと思って」

 少女が大人ぶった時ような笑顔を見せて真琴が言うと、陽介は黙って苦笑で応えた。

「ルーちゃんから連絡があったわよ。『ミーナに爆弾をセットしたから、後は精神的なショックでもあれば、暗黒魔法少女完全版の出来上がり♪』ですって」

 真琴はできるだけ感情を出さずに、棒読みの台詞のように報告をした。

「そうか! ふふふふ、ついに、ついになんだな!」

 陽介は椅子から立ち上がり興奮して叫んだ。広い部屋に咆哮がこだまして、感涙をも流しかねない勢いであった。

「でも、どうやって精神的ショックを与えるつもり? 結構、打たれ強いわよ、ミーナは」

「そうだな……そう言えば、彼女らは週末遊園地に行くとか言っていたな。では、その時を狙おう。うちが協賛しているプロジェクトDDチームに協力してもらおう」

 陽介は受話器を取り上げて、ダイヤルを回して何処かに連絡をしだした。真琴を他所に交渉は順調なようで、雑談も交えながら話は弾んでいた。

(それじゃあ、私も準備しておかなくちゃね。万が一に備えて)

 真琴はそれを嬉しいと困ったをブレンドした表情を浮かべながら見守りながら、自分の仕事をすることに覚悟を決めた。


 文字通り、スカイブルーの空が広がり、そこへ白い綿雲がいくつかアクセント程度に浮かぶ、まさに文句のつけようがないいい天気で、うるさいぐらいのセミの声、朝から強い日差しの太陽、時々吹く少しだけ涼やかな風。夏を満喫するセットが揃った絶好のデート日和であった。

 庸子たちは違う場所で一旦集合してから、彰たちが待っている場所へ行く予定であった。

「遅いですわね。美奈子ちゃんが約束の時間5分前に来ないなんて珍しいですわ」

 庸子は腕時計をちらりと見て、美奈子が来るだろう方向を見た。水色の半袖ワンピースで白いセーラー襟のついた服が庸子の落ち着いた雰囲気に合っており、さわやかな朝の日差しに眩しかった。

「里美もね」

 淡い黄色のシンプルなワンピースを着た美穂がベンチに腰を下ろしながら呟いた。スカートはちょっと短めだが、色気と言うよりも活動的なすらりとした脚がみせる健康な魅力が勝っていた。

「来る……よね」

 恵子が心配そうに里美が来る方向を見つめていた。薄いピンクのセーラータイプのシャツに赤いスカーフを結び、下は白いショートのフレアースカートは少し幼く見えるが、愛らしい恵子の容姿に似合っていた。

「二人とも約束を守らないような人ではありませんわ」

 庸子はポシェットの中から携帯電話を取り出して、メッセージが録音されていないかを確かめようとした。電源も切っていないし、マナーモードでもない、ましてや圏外でもないから、電話がかかってくれば気がつくだろうが、それでも確認した。

 サービスセンターの感情のない応答メッセージが、メッセージのないことを告げたので、庸子は携帯を切って、ため息と一緒にポシェットの中にしまった。

「あっ! 美奈子ちゃんが来たよ」

 美穂が長い髪をなびかせて、美奈子が走ってやってくるのを見つけて、大きく手を振った。

 美奈子は少し深い緑で、控えめにレースのあしらっているワンピースを着ており、大人びてもいなければ、子供じみてもいない、ちょうど歳相応な服で、脚はニーソックスを履いているので露出は控えめであった。それでも、スカートの丈が少し短いのか、大きなストライドで走ると、裾が見えそうで見えない微妙なひるがえり方をして、妙に胸を高鳴らせた。髪は少し左にずらして黄色い大きなリボンでまとめたポニーテールにしており、走るたびに大きくなびいて揺れる。美奈子の魅力である『可愛くて活発』ということをよくわかった芽衣美ならではの選択だった。


 美奈子は三人に気がついて、ラストスパートをして、集合場所にゴールインした。

「ご、ごめん。遅くなっちゃって……」

 美奈子は呼吸を整えながら、三人に謝った。

「いえ、集合時間には一分前でセーフですわ。でも、どうされたんです? いつもは余裕を持って、の美奈子ちゃんですのに」

「うん、それが、出掛けに色々あっちゃって……賢治さん――和久君のお父さんが……」

 美奈子は肩からかけたポシェットの中からハンドタオルを取り出して、汗を拭って、やっと一息ついて、苦笑した。

「何かあったの?」

「遊びにいっちゃいけないって、引き止めるの。デートじゃないって言ってるのに、全然信用してくれなくって……」

「あははは、すっかり娘を持つ父親だね。親戚とはいえ、下宿してる美奈子ちゃんを自分の娘並に可愛がっている証拠だよ」

 美穂が笑いながらここにはいない賢治をフォローした。

「そ、そうだね。でも、玄関で手足をじたばたさせて妨害するのはやめて欲しかった……」

 美奈子はため息混じりにそう言うと、三人はその様子を想像して、笑うべきかどうか迷って、なんともいえない表情をした。

「そ、それだけ大事にされてるってことだよ、うん……多分……」

「それでも、もうちょっとは信用してほしいわよ。理事長の孝治さんも、『男子と女子が遊ぶのはいい教育になる』って言ってたんだから、それに、意味はわかんないけど、『女の子を女にするような事があると問題だが、そこまで甲斐性と度胸のあるやつはいないだろうから大丈夫』って、太鼓判押してくれたし――」

「美奈子ちゃん、もしかして、それを賢治さ――和久君のお父さんに言いましたの?」

「うん。あんまり心配するから、安心させてあげようと思って……どうかしたの?」

「……その台詞の後どういう反応をされました?」

「え? その台詞を言ったら、『けだものが目を覚ますのに度胸も甲斐性もいるものか! 美奈子の、美奈子は誰にも渡さん!』って、それはすごい暴れようで、琉璃香さんと芽衣美ちゃんが二人掛かりで押さえつけて、その間に出てきたの」

「……あははは……美奈子ちゃんみたいな娘を持つ父親って、苦労するわね」

 美穂は乾いた笑いを浮かべながら感想を漏らすと、庸子と恵子が腕を組んで目を閉じてしみじみ頷いて、美穂に同意した。

「ええ?! どうしてよ? ねぇ、里美……って、里美は?」

 美奈子は意味がわからず不満で膨れて、里美に訊こうとしたが、いない事に気がついて、三人に訊いた。

 集合時間は既に3分ほど過ぎている。庸子の事だから余裕をみているだろうから、10分ぐらいの遅刻は充分に許容範囲ではあったが、時間にはキッチリしている里美が来ない事に美奈子は不安を感じた。

「電話してみようか?」

 庸子が再びポシェットに手をかけようとしたのとほぼ同時に恵子が里美を発見した。四人は待ちきれずにそちらの方に駆け寄った。

 里美は少し俯きながら、熱射病になったかのように赤い顔で、いつものような快活な歩き方とはかけ離れた自信なさそうな歩き方であった。

「里美ちゃん」

「里美」

 駆け寄ってくる四人に気がついた里美は一瞬、逃げようとしたが、すぐにそれは止めて、四人がくるのを待った。

「すごい! 似合ってるよ!」

 恵子が飛びつくように手を握って、ぴょんぴょん飛び跳ねた。

 里美は薄い水色のサマードレスで肩紐で露出した肩が太陽の光にまぶしかった。長身でスタイルはいい。その上、スポーツで引き締まったお腹が胸を一回りは大きく見せて、同じく鍛えられた脚も色気は充分であった。

「格好いい♪」

 美穂がちょっと羨ましそうに賛辞を送った。

「本当によくお似合いですよ」

 庸子がにっこり笑った。

「里美、すごい似合ってるよ。惚れちゃいそう」

「ありがとう。みんな。美奈子も可愛いよ。男なら、絶対お嫁さんにしたいぐらい」

 里美は照れ笑いを浮かべながら、ちょっとがさつに言った。

「あ、ありがとう……」

 美奈子も里美に誉められて、思わず顔を赤くした。

「こらこら。勝手にプロポーズしない。美奈子ちゃんをお嫁さんにしたいのは私も同じなんだから」

 美穂はそう言って、美奈子を抱き寄せた。

「ちょ、ちょっと、美穂ちゃん!」

「あらあら、困るわね。ライバル多数ですわ。わたくしも狙っているのに」

「ヨーコちゃんまで……」

「美奈ちゃんの取り合いもいいけど、そろそろ行かないと遅れちゃうよ」

 恵子が時計を指差して言うと、すでに10分が過ぎていて、すぐに集合場所に向かっても少し遅れることになる。

「あらあら、大変。急ぎましょう」

 庸子はそう言って、美奈子争奪戦を一時休戦にすると全然急いだふうもなく、集合場所へと移動を始めた。

「ありがとう、恵ちゃん。助かったわ」

 美奈子は恵子にそっと近づいてお礼を言った。

「どーいたしまして。それに、美奈ちゃんはあたしのものなんだから♪」

 恵子は面白そうに笑った。

「恵ちゃんまで……」


 デートにおいて、男は待つものであり、女は待たせるものである。

 中学二年にして、それを実体験をできるのは幸運というか不幸というか、判断が各人分かれるだろうが、待たされている男は暇なものである。

 大人になってタバコを吸うようになれば、こういう時は足元にタバコの吸殻を溜めて、駆け寄ってくる彼女の「待った?」という質問に「いいや、今来たところ」などといいながら、猫の後始末よろしく、吸殻を後ろ足で掻き隠しているものだが、残念ながら、彼らは中学二年で法的に喫煙は禁じられている身の上であった。

「おっそいなぁ~。何やってんだ?」

 加藤がぼやくように呟いた。既に恵子が家を出たことを知っている彼は、彼女らが一旦集合してからここにくることはわかっていたが、待たされるのが我慢できない性格であった。

「あー、もしかして、来ないんじゃねーか?」

 安田は日陰のベンチにだらしなく座って、里美が理事長ともめていたことを暗に言った。

「そんなわけねーよ。あの五人は約束を破るような事はしない」

 前畑がきっぱりと否定した。

「そうだよ。絶対くるよ」

 彰が自分を安心させるように前畑の意見を後押しした。

「生意気な女子達ですが、約束に関しては、相原庸子は信頼に値すると委員長として断言しましょう」

 平田がどこにあるのかわからない自信で断言した。

「まあ、俺はどっちでもいいけど~」

「気のないような振りして、実はあの五人の中に好きな人がいるんじゃないか、安田」

「なに?!」

「だれだよ、教えろよ!」

「いねえって。俺の理想は、年上のナイスバディーなんだよ。ガキんちょになんか興味はねぇ。白瀬は可愛いと思うが、俺の趣味じゃないんだ、ってことで、安心しろ、彰」

「な、なんで、そこで俺の名前が出てくるんだよ!」

「おいおい、まだばれてないと思ってるのか? お前が白瀬さんに好意を通り越して恋してるのなんて、公然の秘密だぜ」

「……」

「今回、白瀬さんは西脇君に占有権があることに協定が結ばれてるのだよ。相原庸子とはいつも学級委員で一緒なので、こんなところまで一緒は勘弁してもらって、井上美穂」

「ちなみに、俺は恵だ」

「尾崎とは相性が悪いからな、俺は相原ってことになってる」

「それで、俺が尾崎さんというわけだ。満足だろ?」

「おまえら……白瀬さんたちの意見は――」

「じゃあ、向こうに選んでもらうか? 選ばれなかったら、ショックだぞ」

「うっ……」

「それに今回は向こうの罰ゲーム。こちらに選択権があってもいいでしょう」

「そういうものか?」

「別に向こうに選んでもらうようにしてもいいが、どうする?」

「………………そのままでいい」

「よし」

「随分と勝手に決めてくれましたわね」

 話がついたところで、平田の背後からいきなり声がした。

「のわっ! あ、相原庸子、いつの間に!」

 驚いて振り返った平田がその声の主の名前を口にした。

「人をバケモノみたいに言わないでよ。私たちが来ても全然気がつかずに話し込んでたくせに」

「なんだよ、そっちが遅れるからだろ」

「女の子にはね、色々と用意や準備があるのよ。せっかちな男は嫌われるわよ」

「遅れてきて、ああ言えばこう言う。口の減らないやつだな」

「減ったら困りますよーだ」

「はいはい。恵ちゃんも加藤君もそれぐらいで止めておいて、さっきのペアで文句はないわ。その代わり、ちゃんとエスコートしてね」

「ヨーコちゃん!」

「まあ、ペアに分けても、まとまって動くんですもの、あんまり関係ないわよ。大丈夫♪」

「……」

「じゃあ、早速、エスコートしてもらいましょうか?」

 デートと言うよりも、女王様と下僕と言った感じだなと全員が思ったが、口には出さずに、恭しく目的地に向かって歩き出した。


 晴れた場合と雨の降った場合で二通りのデートコースを立案して、文句なく晴れたおかげで、雨コースはお蔵入りになり、晴れコースの遊園地へと向かった。ちなみに、雨コースは映画とボーリングという、デートなんだかなんだかという組み合わせであったので、美奈子たちは雨の降らなかったことに感謝した。

 彼らの向かう遊園地は、10年程前にできた遊園地で、季節ごとにイベントやパレードが行われ、この近辺では結構有名で人気があった。実を言うと、相原グループの傘下企業が経営運営していたりして、相原の名前を出せば、フリーパスであったが、当然のように普通の客として入場した。

(男子に恥をかかせるのは悪いですもの。それにこの遊園地を選んだのも、しっかり検討した結果でしょうし)

 距離的にさほど遠くもなく、乗り物も充実しており、広さも充分にあるので混雑してても、歩けないような事はなく、パレードなどのイベントもされているので、既に来ていても充分に楽しめる。大人のカップルもデートコースにするので子供だましも少ない。条件としては申し分ない。相原の関連と知っているかどうかはわからないが、それを知っていたとしても、外すのはもったいないと思ってもおかしくはない。

(まあ、おかげで、こちらは、初めてのデート。美奈子ちゃん編&里美ちゃん編を撮影できるんですけど)

 庸子は既にこの遊園地をデートコースに選んでいる情報は知っていたので、先に手を回して、各所にビデオカメラを設置しておいたのであった。これで、自分の見えない範囲もカバーできる。

「なに、ニヤニヤしてるの、ヨーコちゃん?」

 案内板の前でどれに乗るかなど計画を立てようと立ち止まっている時に一人離れていた庸子の顔を美奈子が覗き込んだ。

「え? あ、なんでもないですわ」

「そう? ……でも、前畑君も役得だね。安田君なんて、すんごく悔しがってるんだよ。ヨーコちゃんだって綺麗なのに贅沢ものね」

 集合場所で男子達は里美のサマードレス姿に時間を止められたのだった。四人の後ろに隠れて出てこない里美をからかい半分に安田が後ろに回りこんで冷やかそうかと思っていたが、硬直した。それを見た他の男子も覗きに行って、同じように硬直した。

 その後、硬直が解けた安田は前畑にパートナーを代わってくれるように頼んだが、前畑がそれを拒絶して一悶着あったのだった。結局は決まりは決まりと言う事で、安田が引き下がったのだった。

「まあ、わたくしは全然気にしてませんわ。それよりも、里美ちゃんがもててることの方が嬉しいですもの」

「あ、そっか。そうだね。でも、里美も前畑君もあんまり話してないみたいだけど、上手くいくかなぁ」

「ええ、でも、雰囲気は悪くないですわ。後はきっかけがあれば――」

「美奈子ちゃーん、ヨーコちゃーん、どれに最初に乗る? やっぱり、コースターよね~」

 美穂の大きな声が二人の会話を中断させた。

「美穂ちゃんてば、こういう所に来ると力の限り遊んじゃうのよね」

 庸子は苦笑を浮かべて美奈子に言うと、美奈子も苦笑で同意して、『どれに最初に乗るか?』会議に参加する事にした。


 遊園地の敷地はちょうど『人』という字のように三叉に分かれていた。入場口のある東側と西側のエリア、その二つが合流する中央部のエリア、退場口のある北側のエリアとなっており、中央部はパレードなどが行われるイベントエリアで、イベントがない時間帯でも大道芸人などが多才な芸を披露して、マスコットキャラクターが愛想を振り撒いている。東側は絶叫マシンなど刺激系が、西側にはメリーゴーランドなど癒し系が、北側にはミラーハウスや3D映画館など体感系のアトラクションが集中していた。

 美奈子達は人気アトラクションの一つ、ジェットコースター『風天の虎Ⅲ』という立ち乗り式のコースターに30分待ちで乗り、1分少々風となったのち、その近くのカフェテラスで休憩していた。

「まったく、男のクセに情けないわね」

 美穂は少し勝ち誇ったように目の前にいる未だに顔色の悪い平田を精神的に見下ろした。

「……人間、だれにでも、得手不得手があるものだ……うぷっ……それに、ジェットコースターに強くても……なんら、得にはならないのだよ、ふははは……」

 テーブルに突っ伏しながら力なく高笑いを上げる平田の姿は滑稽を通り越して哀愁を感じる。

「そうかしら? バランス感覚は結構大事よ。将来、政治家になるんなら、選挙カーの屋根の上で『こわいよー』なんて言ってたら、みっともないし、酔ってちゃ演説もできないわよ」

「うむうぅ! ジェットコースターと選挙カーは違う!」

 いくぶん元気を取り戻した平田が反撃した。

「一緒よ。貧弱な三半規管には三行半みくだりはんでもつけておさらばする事ね♪」

「うぬぬぬ! 私の三半規管は高性能なのだ!」

「そう? じゃあ、もう、復活してるわね。次はコーヒーカップで勝負よ!」

「望むところだ! ほえ面かくなよ、井上美穂!」

 無謀にも平田は美穂の挑戦を受け、ふたたびダウンする事が確約されているのであった。

「平田君と美穂ちゃん、仲いいわね。なんだか意外」

 美奈子は隣の恵子にそっと耳打ちした。美奈子と恵子の相手、彰と加藤は安田を連れて、飲み物を買いに行っているのであった。

「うーん。美穂ちゃんはね、こういう所に来ると燃えるタイプなのよ。だから、よく勘違いされるの」

 恵子は苦笑混じりに美奈子に答えた。

「勘違い?」

「うん。美穂ちゃんって、結構、さっぱりしてて、気兼ねがないじゃない。男の子でも女の子でも分け隔てないと言うか、そんな感じで。だから、男子ともすぐに仲良くなっちゃうの。でもね、美穂ちゃんとしては『遊び友達』として仲良くなってるつもりなんだけど、男子は最初は『遊び友達』でも、途中から『恋愛対象』になっちゃうらしくって……美穂ちゃんって、結構美人だから……」

「そうだね……」

 美奈子も自分が和久であんな風に友達みたいに接してこられたら、最初は友達でも途中で勘違いするかもしれないと身に染みて納得した。

「おかげで、あたしの知ってるだけで、一年の時に男子に5回は告白されたんだよ。もちろん、全部断ったらしいけど」

「うわ~」

「女子の間でも結構、問題になってね。ある女子の好きだった男子が美穂ちゃんを好きになって、美穂ちゃんがその男子をふったからって、一時期、シカト(無視)されてたりしたんだよ」

「それって、完全に逆恨みじゃない!」

「まあまあ、美奈ちゃん、落ち着いてよ。そうだから、あたしみたいに同調しなかった女子もいたし、同調してもすぐに止めた人たちが多かったから……逆にシカトを言い出した人たちの方が孤立しちゃって……」

「自業自得よ、そんなの」

「あたしもそう思う。でも、そうは言っても、放って置けないのが美穂ちゃんだから、美穂ちゃんが謝って仲直りしたんだよ」

「……美穂ちゃんってオトナだね」

「そうだね。でもね、それでついたあだ名が『クィーン・オブ・肩透かし』なんだよ。ねえ、ヨーコちゃん♪」

「え? あ、ええ、そうですわね」

「ヨーコちゃん……なんか、変だよ? ボーとしちゃって……もしかして、熱でもあるの?」

 いつもの打てば響くような返事ではない事に恵子は庸子のおでこに手を当てた。

「いいえ、そんなことはありませんわ。ちょっと考え事をしていただけですの」

「そう? ……なら、いいけど」

 恵子は心配で不安と不満を含みつつ渋々納得して、おでこから手を離した。

 庸子は里美&前畑カップルのテーブルをちらりと見て、ため息をついた。

(恥じらいモード全開の里美ちゃんもよいですが、照れてばっかりでは本当の魅力は伝わりませんわ。……何かアクシデントが欲しいですけど……)

 アクシデントで頭によぎった目の前にいる少女のもう一つの姿を思い浮かべたが、それでは美奈子のデートシーンの撮影ができないので即座に却下した。

「ふぅ……」

 庸子のため息が夏の空に飛んでいった。


 テーブルを挟んで向かい合って座っている二人だが、どこかぎこちなく、両方とも顔を赤くして俯いていた。

「あ、えーと、いい天気ですね」

「そ、そうだね」

「……」

「……」

「きょ、今日は暑くなるってテレビで言ってたらしいよ」

「そう、なんだ……」

「……」

「……」

 その今時の小学生でもいない、天然記念物クラスの初々しい二人を物陰から涙を流しながら見つめている影があった。

「里美ちゃん、らぶりー♪ ひらひらレースの服じゃないのは残念だが、まさに、女の子! これぞ、正しい姿というものだ!」

 もちろん、その影とは一ノ宮中学校理事長、一ノ宮孝治、その人である。

 夏なのにトレンチコートを着て、帽子をかぶって、サングラスをして、マスクまで装着した完全無欠の変態ルックでビデオカメラを構えている。しかも撮影対象が中学生となれば、職務質問と事情聴取されても文句は言えない。

「そういうわけで、ちょっと、お話を聞かせてもらえますか?」

 仮面のようなにこやかな笑顔をした警備員が二人ほど孝治の肩を叩いた。

「私は何も悪い事は――」

 孝治はしまったと思いつつも平静を保ったまま何事もないようにその場を切り抜けようとした。

「それほどお時間は取らせませんので。少し、事務所でお話をお聞かせ願いますか?」

 が、それを許すほど警備員も甘くはなかった。にこやかな笑顔は崩さなかったが、明らかに威圧して、孝治に喋らせる余地を与えなかった。

「……わかった。同行しよう」

 孝治はここで揉め事を起す事は得策ではないと判断して、手早く事情聴取を済ませてしまおうと、サングラスとマスクを外して同行を同意した。

「ご協力感謝いたします」

 警備員は笑顔でそういいながらも、孝治が逃げないように位置取りして油断なく構えて、事務所へと案内した。


「あれって、理事長じゃねーのか?」

 安田がジュースを載せたトレイを持ちながら、首だけ捻って警備員と歩いていくトレンチコートの男を顎で指した。

「まさか! なんで、理事長がこんなところに来るんだよ?」

 彰はちらりとそちらを見てすぐに否定した。

「デートでも監視しにきたのかもしれないぜ」

 安田がそれに対して冗談めかして答えた。

「それなら普通の格好してくるって。あんな格好してたんじゃ、捕まえてくださいって言ってるもんだぜ」

 加藤が笑いながら安田に突っ込んだ。

「そりゃそうだ。しかし、尾崎にはびっくりだな」

「ああ。ありゃ、反則だぜ。前畑のやつ、上手くやったよな。結構策士だぜ」

「策士? って、前畑が?」

「そうだよ。罰ゲームをデートにしたのは前畑だろ? デートでそれぞれカップル分けする案を持ち出したのも前畑。カップル分けの時に理詰めで説得力ある案を出して、割り振りをすすめたのも前畑。ぜーんぶ、自分と尾崎でペアを組みたいために仕組んだんだよ」

「そうか……気がつかなかった。前畑が好きな人って、尾崎さんのことだったんだ」

「まあ、ここまでやられちゃあ、友達として、協力してやらないのは薄情ってものだろ? というわけで、尾崎に前畑のよさをアピールするのを手伝ってやろうぜ」

「もちろん!」

「ついでに、お前のも手伝ってやるぜ、白瀬に気があるんだろ?」

「お、俺は――」

「はいはい。隠さなくたっていいぜ。お前は隠し事ができないやつだからな。気がついてないのは、クラスで白瀬ぐらいじゃないのか?」

「うう……」

「さあ、早く行こうぜ、あまり待たせるとうるさいからな」


 ジュースを飲み終わって、美奈子達は次のアトラクションへと向かって移動しようと席を立ち上がった。

「あ、ごめんなさい。ちょっと、先に行ってていただけます? ――美奈子ちゃん、付き合ってくれます?」

 庸子がそういうと美奈子の手を取った。

「え? ああっ! うん、いいよ」

 美奈子は一瞬、何のことかわからなかったが、すぐに納得して、二人で団体から離れた。

「あれ? ヨーコちゃん。お手洗いはあっちだよ?」

 前を歩く庸子がお手洗いの方向を示す案内板の矢印を無視して直進するのを見て、美奈子が手を取って呼び止めた。

「美奈子ちゃん」

 庸子はその手を引いて、近くの植え込みの生垣で囲まれた芝生に分け入った。

「よ、ヨーコちゃん! すぐそこだから、こんな所で――」

 美奈子はあわくって、庸子を止めようとしたが、逆に怪訝な顔をされた。

「美奈子ちゃん。何を言ってるんですの? 用事はトイレじゃありませんわ。里美ちゃんのことです」

「え? あ! ああ、里美のこと……」

 美奈子はホッと胸をなでおろして安心した。よく考えれば、庸子がそんな事をするなんて思う方がどうかしていると、照れ笑いを浮かべた。

「ええ。里美ちゃんの今日の服装が男子達の度肝を抜いたのは成功ですわ。でも、里美ちゃんはまだ、自信を持ててませんわ」

 庸子はそんな美奈子は全く見ずに、真剣そのもの表情で話に入った。

「そうだね。とっても似合ってるのに、どうしてかな?」

「自分が元男の子だったという引け目があっての事だと思いますわ。そんなことは体質で仕方なかった事ですのに……。第一、本当は女の子で、それまでが間違ってただけ。今は文句無しに女の子なんだから、気にしなければいいと思うのですけど」

 庸子は少し早口でそう言うと、親指の爪を軽く噛んだ。

「うん。そう思うけど、なかなかそう割り切れないよ、ヨーコちゃん。里美は、それまで、男として生きてきた十数年間が全部偽物なんて……なんだか悲しいし……そりゃあ、これから先、女の子として生きていかなくちゃならないのはわかってても……わかってるから、自分で過去の自分を殺しちゃうようで怖いんだ、女の子になるのが……と私は思う。だから、焦っちゃダメなんだと思うよ」

 美奈子は自分に重ねるように里美の心情を代弁した。

「……そうですわね。美奈子ちゃん、ありがとうございます。わたくしとしたことが、ちょっと焦ってましたわ。そうですわね。ゆっくり時間をかけて、自信持ってもらうようにしましょう」

 庸子は美奈子の優しく寂しい表情に一瞬、心奪われたが、すぐに取り戻し、いつものように落ち着いたゆっくりとはっきりとした口調で結論を出した。

「うん」

「でも……なんだか、美奈子ちゃんも里美ちゃんと同じ境遇じゃないのかな、と錯覚してしまいましたわ」

 それまでの自分の言動に照れながら庸子は美奈子に自分の感じた事を話した。

「えっ?! わ、私は――」

「もちろん、美奈子ちゃんを男の子だなんて思ってませんわ。美奈子ちゃんが男の子だったら、わたくし、女の子、辞めたくなりますもの」

「あははは……ありがとう」

「さあ、みなさんのところに戻りましょう。あまり長いと変に思われますわ」

 庸子と美奈子は手を取って、芝生から出て、他のメンバーが向かっているアトラクションへと急ぎ足で向かった。


 彼女たち二人は気がつかなかったが、密談をしていた芝生の生垣を背にして、一人の少年が呆然として座っていた。

「……うそだろ? ……尾崎さんが男だったなんて……」

 庸子たちのあと、前畑は「それじゃあ、俺も――」とお手洗いに向かう途中、彼女らがトイレとは逆方向へ行くのを見て、気になって後をつけたのであった。

 前畑は衝撃の事実を盗み聞きして、頭の中が混乱して、何がなんだかわからずに、とにかく他のメンバーの待つアトラクションへとふらふらと歩き出した。


 その影が去った後、茂みの一つからひょっこりと頭が生えた。派手な色の髪をした美少女であったが、髪には葉っぱがついているので、美少女度はかなり下がっていた。

「あの娘にそんな隠された過去があったなんて驚きね」

「彰君をサポートするために白瀬さんを尾行していて、とんでもない事を聞いてしまったね。リリー、どうしよう?」

 もう一つ、頭――と言っても葉っぱまみれの白い犬のぬいぐるみのような頭だが――がリリーに尋ねた。

「ウッちゃん、どうするもこうするも、ここはファンシー・リリーの出番でしょう? あたしがやらねば誰がやる?」

 リリーはあたり前の事を聞いたウッちゃんに訊き返した。

「そうよ! あなたがやらねば誰がやるの!」

 しかし、その訊き返した言葉に応じたのはウッちゃんではなかった。リリーとウッちゃんが振り返るとそこにはアリスのウサギが立っていた。

「あたしの背後に立つなんて、何者!」

 リリーは茂みごと――よく見ると、茂みの着ぐるみだったが、振り返りながら身構えた。

「まったく、ブッシュマンを投げ飛ばして、着ぐるみを奪うなんて非常識な娘ね。あれでも、柔道有段者の猛者なのに……。それはそれとして、ブッシュマンショーに穴があいちゃうじゃない。どうしてくれるの? あっ、そうだ! 代わりに出てくれない? あなた運動神経よさそうだし、大丈夫♪」

 そう言うと、ウサギはゆっくりした動作だが、虚をつくようにリリーの手を取った。

「あ、あたしは忙しいのよ! 正義のために行かなくっちゃいけないの!」

 リリーはその手を振り払おうとしたが、逆に関節を極められて、ますます動けなくなった。

「ブッシュマンショーを待ってるちびっこ達はその正義の味方を待ってるのよ♪」

「あたしにもしものことがあったら、ご町内の、地球の平和がどうなるのよ!」

 しかし、リリーが抵抗すればするほど関節を極められていった。関節技が王者の技と呼ばれるのは、その熟練者なら相手を泥沼にはめて、自分の意のままにする事ができるからであった。決して、王族が使っているからではない。

「火薬の量だって、ちゃんと規定値だから安全よ♪ 少なくとも私は」

「そんなの意味が無いー!」

 反論するリリーにアリスのウサギはブッシュマンの頭を被せて、リリーの顔を隠した。

「それじゃあ、行きましょうね~」

 アリスのウサギに拉致されるブッシュマンという奇妙なコンビが遊園地を闊歩したが、遊園地という事で、さほど人目は引かなかったのが、リリーの不幸であろう。

「正義が、正義のお仕事がぁ~」


 芝生広場にレジャーマットを広げて、その中央に、おにぎり、いなり寿司、卵焼き、ミートボール、かしわのから揚げなどを詰め合わせた行楽弁当タッパを複数並べて、その周りに美奈子達は車座になって座っていた。

「何も弁当作ってこなくても、予算もらってるのに」

「いくら、理事長先生が費用を出してくれるって言っても、甘えっぱなしは駄目ですわ。節約できるところは節約しましょう。入場料とフリーパスチケット分だけで充分でしょう?」

 庸子は紙コップにお茶を注いで、そのコップを隣へと渡していった。

「そうそう。他人のお金でデートしようって、男として情けないでしょう?」

 美穂が頷きながら、車座の外側を回りながらお箸を一人一人渡していった。

「それとも、あたし達の作った料理に何か文句があるの?」

 恵子は意地悪そうな笑顔を浮かべて、タッパの蓋を外して、おかずとご飯がバランスよく配置されるように並べ替えていた。

「いや、そういうわけじゃないけど……」

 男子一同は完全に主導権を取られて、小さく萎縮した。確かに、お弁当は少々形の悪いものも混じっているが、軒並み美味しそうであり、美奈子の料理の腕は男子の間でも話題となっているので、こんな機会でもなければ、そうそう口に入るものではない。

「もう、かわいそうだからいじめるのはそれぐらいにしてあげようよ」

 美奈子は手際よく、りんごを切って、うさぎちゃんにして、タッパの蓋の上に並べていた。

「うん……そうだね……」

 里美が小さな声で頷いて、一人一人に取り皿を渡していった。そして、前畑に手渡すところで、一瞬、躊躇った。

 それまでもあまり会話がなかったが、休憩のあとは更に会話がなくなり、前畑は何か考え込むように深く沈んでしまい、他の男子達も盛り立てようとしていたが、それも空回りするばかりであった。

「……はい」

「あ……ありがとう……」

 休憩前までの初々しいぎこちなさではなく、気まずいぎこちなさに変わって、空気が重かった。

(どうしたのかしら? せっかく上手くいきかけていたのに……このままでは、里美ちゃんの自信がますます無くなりますわ。どうしましょう……)

 庸子はそう思いながら美奈子の方を見た。美奈子も同じ思いらしく、二人の目が合って、深刻そうに小さく頷いた。

(とにかく、お昼が終わったら、西脇君に前畑君の落ち込みに何か心当たりがないのか、こっそり訊いてみよう)

 美奈子はそう決めて、できるだけ賑やかに食事をするように笑顔を振り撒いた。

「しかし、お弁当になんでいなり寿司なんだ?」「え? 普通でしょ?」「普通じゃないよ、美奈子ちゃん」「うちじゃ、おにぎりかお稲荷さんだけど……」「変わってるね」「皆瀬もそうだったから、家のしきたりなんじゃないか?」「それって、すごいしきたりだね」「そんなしきたりなんてないわよ」「ただ単に南文堂のキャラだからだったりして」「それって……」「でも、お稲荷さんというのも変わってますが、そのお稲荷さん自体も変わってますわ」「そうそう、俵型じゃなくて三角だもん」「普通三角だよ。狐の好物だから、狐の耳っぽくてかわいいし」「それはそうですが、普通は俵型ですわ」「具も何にも入ってない酢飯じゃないんだね。刻んだにんじんとかしいたけとか入ってる」「うん。うちはごまだけ」「うちは白瀬さんのところと同じだぜ」「うちもですわ」「しかし、いなり寿司でこれだけ話するなんて、なんだか変だな」「仕方ないよ。そういう星のもとに生まれちゃったんだもん♪」「どういう星だ、どういう」「それは言わないのが華♪」「はいはい……おっ、この卵焼き、だし巻きだ」「はいはーい♪ あたしの作ったやつだよ♪」「えっ……って、意外に結構、いけるな」「む~。意外は余計だよ」「ははは、わるいわる……むぐっ。……おい、卵の殻入りだぞ」「え?! ……カルシウムも摂れて、お得♪ ってことに……」「なるか!」「ごめんなさーい」「怒るとせっかくのカルシウム入りが無駄になるわよ」「じゃあ、井上も一つどうだ?」「あー。から揚げが美味しい♪」「そんなことで誤魔化すな」「じゃあ、ブッシュマンショー、すごかったよね」「ええ、本当に。まさか、燃え上がるなんてびっくりですわ。中の人、大丈夫なのかしら?」「ヨーコちゃん、中に人が入ってたら、大変だよ。多分機械だよ」「あ、そうですわね。恥ずかしい」「でも、機械にしてはすごく自然な動きだったもんな。勘違いするのも無理ないよ。それにしても、思い切った事するよな。子供のヒーローショーといって馬鹿にできないな」「なぎさ姉ぇがここでバイトしてるから、あの演出は誰がやったのかチェックしておこう♪」

 などと、会話を弾ませながらお弁当を空にすると、美奈子たちはタッパをまとめて、バスケットの中にしまうと、ゴミを集め、それもバスケットの中に入れ込んだ。

「さて、それじゃあ、このバスケットをロッカーに預けに行ってくるね」

「あたしも行く」

 恵子が片手にもう一つのバケットを持って元気一杯に手を上げた。

「しゃあねぇな。俺も行くよ」

 加藤がそれに面倒くさいと言いたげに立ち上がった。

「あ、俺も付き合うよ」

 それに遅れて彰も立ち上がった。

「それでは、我々は――」

「では、わたくしたちは先に行っておりますわ。ミラーハウスの前で集合しましょう」

 庸子は平田の台詞を横取りして、さっさと仕切ると、美奈子に一瞬目配せした。美奈子もそれに気がついて、目で頷き返した。


 ロッカーに荷物を預けると、美奈子たちは朝の日差しが可愛く思えるほど天頂から地面を強く刺すように降り注ぐ炎天下の広場の石畳へと踏み出した。

「そうだ、西脇君」

「え? な、なに?」

 日差しを楽しむように歩いていた美奈子を日差しより熱い眼差しで嬉しそうに見つめていた彰は突然話し掛けられて、うろたえながら返事をした。

「あのね。前畑君のことだけど……」

「前畑が、なにか?」

「うん、なんだか、いつもらしくないと言うか、テラスで少し休んだ後ぐらいから変だから……」

「気づいてたか」

「あたしも気になってたの。どうしちゃったの?」

「うーん、俺たちもよくわからないんだよ。急に黙り込んでしまって」

「そうだよな。一体、何があったのか、俺たちが聞きたいくらいなんだよ。尾崎とかに何か言われたのかなって。知らないか?」

「コウちゃん、知ってたら、聞かないよ」

「そりゃそうだ」

「でも、あれじゃあ、前畑のやつ、尾崎さんにいいところ見せるどころか、逆効果だよな」

「尾崎さんにいいところ?」

「はっ! しまった!」

「そうなんだ♪ 前畑君は里美ちゃんが好きなんだ♪」

「西脇~。ばらしてどうするんだよ」

「わ、わるい……つい……」

「そっか……もしかしたら、それで緊張して喋れなくなって落ち込んでるのかもしれないね。これはクラスメイトとして、協力しなくっちゃ。ね? 西脇君」

 美奈子はくるりと彰の方に向いて、夏の陽射しより眩しい笑顔を向け、半ば後ろ向きになって軽やかに歩いた。

「う、うん……」

 その仕草の可愛らしさに彰は顔を赤くして、何とか頷いた。

「そうと決まれば、恋のキューピッド大作せっ――きゃっ!」

 美奈子は石畳のわずかな段差に踵を引っ掛けて、バランスを崩して転びそうになった。

「美奈子さん!」

 彰は転びそうになっている美奈子の手を掴んだが、掴むことに必死になりすぎて、体重を支える事を忘れていた。美奈子のトップシークレット、(ミーナの魔法により強制消去)キログラムを支えきれずに一緒になって倒れこんだ。

 ガキッンっ!!

 尻餅をつく音とともに、硬いものがぶつかり合うような音がした。

「美奈ちゃん!」

「西脇!」

 恵子と加藤が駆け寄ると、尻餅をついて、肘をついて半分後ろに寝るように座っているいる美奈子、彼女に覆い被さるように彰が四つん這いになっていた。そして、二人の顔と顔の一部が密着していた。

 あの音は歯が当っての音だったらしく、二人はしばらく、歯を強く打った事で頭の芯まで痺れるように痛かった。が、次第に痛みが落ち着いて現状を認識して、すぐに身体を離した。

「!!」

「ご、ごめん!」

 彰の唇が少し切れて血が出ていた。彼にとってのファーストキスは檸檬の味とはかけ離れた血の味であった。「……」

「……ごめん……」

 彰はどうしていいかわからずに美奈子にとにかく謝った。

「美奈ちゃん、大丈夫?!」

 恵子は、俯いたまま茫然自失している美奈子に駆け寄って、唇についた口紅よりも妖しく紅い血をハンカチで拭き取った。どうやら、それは彰の血らしく、美奈子の方はどこも切らなかった。しかし、彰の血が口の中に入ってきて、彰と同じく美奈子の口の中は血の匂いと味が充満していた。

(私――僕のファーストキス? 西脇……君が? 私、女の子なの? 男の子にキスされるなんて、私……)

 混乱した心が逃げ場所を求めて彷徨いつづけていた。その時に何か心の中に光が差し込み、鼻腔の奥にあの地下室で嗅いだ琉璃香の薬のような柑橘系の香りが広がり、一気に何かがはじけた。

「――美奈ちゃん!」

 何度目かの恵子の呼びかけに美奈子はゆっくりと顔を上げた。

「あ、恵ちゃん。ごめん、こけちゃった」

 語尾にてへっとつけたくなるように美奈子が可愛くそう言うと、何事もなかったかのように立ち上がって、服の埃を払った。

「し、白瀬さん、その……なんていうか……ごめんっ!」

 彰は立ち上がった美奈このところにやって来て腰を90度以上折り曲げて謝った。美奈子はそれを何も言わずにただ眺めていた。

「白瀬、西脇も悪気はなかったんだ、その、許してやってくれ!」

 加藤も一緒になって頭を下げた。

「美奈ちゃん……」

 何を言っていいかわからなくなっている恵子が美奈子にすがるような視線を向けていた。

 美奈子は不意に自然な動作でしゃがみこむと、頭を下げている彰の顔を下から覗き込んだ。そして、そっと肩を押し上げるようにして少し顔を上げさせると、いつの間にか手にしていたラベンダーの香りのするハンカチを切れた唇に優しく押し当てた。

「わざとじゃないんでしょ? それに、私を助けようとしてでしょ? 気にしないで」

 美奈子はにっこり微笑んだ。そして、

「……でも、私の初めてだよ、西脇君が。でも、二回目は私をその気にさせてからしてね♪」

 美奈子は彰の耳元で彼にだけ聞こえる小さな声でささやいて、ちょっと悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「……!」

 彰は驚愕の表情を浮かべた。唇を押さえられていなくても上手く喋る事ができなかっただろう。

「み、美奈ちゃん?」

 恵子は明らかに様子の変な美奈子に戸惑いながら確かめるように呼びかけた。

「なに? 恵ちゃん」

 硬直したままの彰をそのままに美奈子は立ち上がり、余裕の笑みを浮かべた。

「だ、だいじょう……ぶ?」

「うん、大丈夫。それよりも、早くみんなと合流しましょう」

 美奈子はそう言って、まだ硬直している彰の腕に腕を回した。

「あ、あの、し、白瀬さん?」

 腕を回されたほうはうれし困惑で、もう何がなんだかわからなくなっていた。

「いやだわ、彰君。白瀬さんだなんて、他人行儀よ。私のことは美奈子って呼んで♪」

 回した方は更に、恋人よろしく、首を傾けて身を預けるように密着した。彰は腕から伝わる美奈子の胸のふくらみに思考は停止状態で、立って歩いているのが不思議なほどあった。

「……どうしちゃったんだ? 白瀬のやつ」

 歩いていく二人の後姿を呆然と見ながら加藤はつぶやいた。

「頭とか打ったのかな? あんなの美奈ちゃんじゃないよ~」

 恵子は泣きそうな声を出した。

「でも……いいな、あれ……なあ、恵、俺もやってくれないかな?」

 加藤は隣の幼馴染の少女にぼそりとつぶやいた。

「ばかっ!」

 しかし、返事はつれないものであった。


 壁が鏡張りの迷路、ミラーハウスは遊園地でよく見かけるが、この遊園地のものは少し変わっていた。入口と出口が二つずつあり、恋人同士が別々の入口から入って中で出会うと幸せになるという伝説があったりする。それに便乗して、遊園地側も一緒に出てくるカップルはスタッフが記念写真を撮って二人にプレゼントしていたりしているので、そこそこ人気のあるアトラクションとなっていた。

 美奈子は彰に「中で見つけてくれたら、出口でほっぺにキスしてあげる」などと囁いて、彼をどぎまぎさせて、悪戯っぽい笑顔を残してゲートをくぐった。

「ふーん、マジックミラーとかもあって、結構、難易度高い迷路ね。でも、そんな事、暗黒魔法少女の私には全然問題なし♪」

 美奈子は迷路に入ると、入口で渡された迷路の地図を見ながらそう呟くと、正面の鏡に向かって真っ直ぐ歩き出した。鏡の中の彼女がだんだんと近づき、ぶつかる、と思ったその時に鏡の表面が水面のように揺れて、彼女を通過させた。

「楽勝♪」

 美奈子は次の壁もその次の壁も素通りして、迷路の意味などなく真っ直ぐ突き進んでいった。

「あれ? 里美じゃない。――おーい、里美ぃー」

 地図を見ながら黙々と迷路を歩いている里美を見つけて、大きな声を上げて手を振った。里美は美奈子の声に気がついて、顔を上げたが、周囲が鏡に囲まれている彼女には美奈子の姿を見つけられず、あたりをきょろきょろするばかりであった。

「追いついちゃった♪」

 そう言いながら美奈子が鏡から湧き出てきたのをみて、里美はびっくりして悲鳴をあげそうになったが、何とかそれを飲み込んだ。

「美奈子……魔法を使うなんて反則だよ」

「うーん、そうかな? せっかくの力なんだから、使わなくっちゃ、もったいないわよ」

 美奈子は悪びれた様子も無く、平然と答えた。

「なんだかさっきから、美奈子、変だよ。なにかあったのか?」

「べつに」

「でも、別人みたいだって、みんな心配してるよ」

「そう? でも、変って言うけど、これも私だよ。今までの私も私。今の私も私。私は私よ」

「……いいなぁ……あたしも美奈子みたいに自信が持てたら……」

 里美はため息とともに迷路の支柱に体を預けた。

「持てばいいじゃない」

「美奈子はいいわよ。もともとが可愛いから、そういう風に、なんと言うか、小悪魔みたいな感じでも可愛いけど、あたしなんか可愛い格好しても、男女だもん。可愛い格好なんてしたら、変にしか見えないんだもん」

 里美は拗ねるように顔をそむけた。

「そんな事ないわよ。里美は可愛いわよ」

「でも……」

「ほら、鏡を見て!」

 美奈子は里美の両肩を持って鏡の正面に身体を向けさせた。

「すらりと伸びた足、引き締まった足首、愛らしいヒップ、きゅっと締まったウェスト、羨ましい大きさで形もいいバスト、小顔で整った目鼻立ち、特にきりりとした目なんてとっても魅力的♪ 髪だって、黒くてつやがあって綺麗だし。これでどこに不満があるの? これで自信が持てないなんて、女の子達の反感を買うだけよ♪」

 美奈子はそう言うと、指を軽く鳴らした。すると、里美の髪が伸び、ストレートロングになると、服がいつの間にかお嬢様風なものに変わった。

「!? これが、あたし?」

 目の前に移るお嬢様な女の子は髪型と服が違うだけで、何から何まで自分だった。

「髪形変えると、結構変わるでしょ?」

 そう言って、美奈子は再び指を鳴らした。今度はショートヘアーでスーツのような格好いい服。浴衣、振り袖、ゴスロリ、チャイナドレス、セーラー……可愛いから格好いいまで様々な服を着た里美を鏡に映し出した。

「これが……あたし……」

「里美がなりたいと思えば、どんなふうにもなれるの。それが里美が――だれもが持ってる魔法の力よ」

「魔法……」

「そう! だから、自信持ったらいいよ。里美は綺麗だって」

「……」

「私じゃ信用できない?」

「ううん、そんな事ないよ。でも……」

「そうね。やっぱり、身内の贔屓目とか思っちゃうね。――まったく、男子達はこんな可愛い里美に『今日の服、とっても似合ってるよ、マイスイートハニー♪』の一言も言えないなんて、乙女心がわからなすぎるわね! 乙女心がわかるように女の子にしちゃおうかしら?」

「み、美奈子!」

「冗談よ。冗談。でも、そんな事もいえない男子なんてふっちゃえ♪ 里美ちゃんにはもっといい男がいるわよ♪」

「美奈子……ふるもふらないも、付き合ってもないのに……」

「そういう気分の方が楽しいじゃない♪ 世界の男はみんな私に気があるんだって……そうだ、魔法でそういうふうにしちゃおうかしら?」

「み、美奈子!」

「冗談よ。冗談。さて、一緒に出口までいこ♪」

 美奈子は里美の背中を押して、彼女を鏡の前から移動させると、その鏡に向かってウィンクを一つした。

「!」

 その鏡、マジックミラーの向こうにいた前畑がそのウィンクにどきりとしたが、マジックミラーで見えていないはずだと自分を納得させて気持ちを落ち着かせた。

「そうだよな。以前はどうでも、尾崎は尾崎。だよな……」

 前畑は吹っ切れたようにそう小さな声で力強く呟くと、出口に向かって一歩を踏み出した。


 午後のパレードには少し早かったが、美奈子たちは見やすい場所を確保するためにパレードのある広場へと移動した。広場には彼女らと同じことを考えた家族連れやカップルが集まり始めて、混み合いだしていた。美奈子たちもまとまっていると邪魔になるので、カップルごとにある程度、分かれることした。

「ねぇ、彰君。私って、かわいい?」

 美奈子は彰と二人になると、ちょっと上目遣いに彼を見ながら唐突に訊いた。

「も、もちろん、白瀬さんは、か、可愛いと思うよ」

 彰は突然の質問に何か焦ったように答えた。

「思うだけ?」

「か、可愛い。誰がなんと言おうと白瀬さんは可愛いに決まってる」

「ありがと♪ じゃあ、里美は可愛い?」

「え?! あ、えーと……可愛いと思う。でも、白瀬さんの方が――」

「やっぱり、里美も可愛いわよね。でも、前畑君はそう思ってないのかな?」

「? 前畑が? そんなわけないよ」

「そう? でも、好きな人が一生懸命、お洒落してるのに可愛いといってあげないなんて、乙女心がわからなすぎるわ。……もしかして、もっと、可愛い格好じゃないとだめなのかしら?」

「いや、そんなことは……」

「きっとそうね! そうに違いないわ。ふふふ、そんなことなら話は簡単♪」

「あの……白瀬さん?」

「ごめんねー、彰君。ちょっと用事ができちゃった♪」

 美奈子はそう言うと、スキップするかのように軽やかな足取りで彰のそばを離れていってしまった。

「し、白瀬さん!?」

 彰が情けなくも追いかけもせずに呼び止めたが、そんなことで止まるわけもなく、それどころか去っていく途中で、美奈子が振り返り、別れの投げキッスなどしたものだから顔を赤くして硬直していた。そんなことをしている間に美奈子は建物の裏へと姿を消した。

 建物の影に入ると美奈子は鼻歌を歌いながら、景気よく指を鳴らした。

「マイティー・メイ、召還♪」

 呪文も儀式もなしにマイティー・メイこと、銀鱗、芽衣美を強制的に瞬間移動で目の前に呼び出した。

「――あれ? ……み、美奈子おねえちゃん?!」

 部屋で漫画を読んでいた芽衣美はいきなり屋外に転送され、一瞬パニックになったが、見覚えのある人物を見て、何をされたかは理解したが、何故そうされたのかは理解できずに戸惑っていた。

「メイちゃん。ラスカル☆ミーナの出番よ。準備はいい?」

 しかし、そんな戸惑いも全く無視して、美奈子は右手に扇子状のバトンを出現させると、さっさとラスカル☆ミーナに変身してしまった。

「へ? な、なんで? また、変態さんとかが出たの?」

 理由もわからず、芽衣美は目をぱちくりさせた。

「なんでって……理由なんてどうでもいいでしょ。彰くん、からかうのもなんだか飽きたし、退屈だから、ちょっとイベントを起すだけよ。深い意味なんてあとで考えればいいじゃない」

 美奈子はきっぱりと理由でも何でもないことを言い切った。

「み、美奈子お姉ちゃん?」

 普段の言動からかけ離れた回答に芽衣美は明らかに混乱していた。

「うーん……そうね。里美を男子のアイドルにするためってので、どう?」

「どう? って言われても……」

「さあ、納得したなら、さっさと変身よ。時は宇治金時。ボーとしてたら溶けてなくなっちゃうわよ」

(芽衣美ちゃん。今日のミーナ様って……なんだか――)

「――変。だよね?」

 銀鱗と芽衣美はお互いに目の前にいるよく知っている人物と同じ容姿をしているが、別人のような雰囲気を持つ彼女に当惑していた。

「なにやってるの、メイ。里美を男子達のアイドルにするんだから急ぎなさい」

「は、はいっ!」

 芽衣美と銀鱗は美奈子の醸し出す雰囲気に飲まれて、思わず、姿勢を正して返事した。サルピアの蜜採取で磨かれた二人の野性の勘が、逆らっちゃいけないと警鐘を鳴らしていた。

 メイが変身するのを見て、満足そうに薄く笑うと、ミーナは再び指を鳴らして、近くのメルヘンチックな建物の屋根の上に瞬間移動した。そして、息を大きく吸い込むと、

「アッテンション ぷりーず♪ 誰もがみんな知っている。綺麗で、可愛く、格好いい。ちょっと小悪魔なところもあるけれど、そんなのみんな許しちゃう。みんなの憧れ、前代未聞空前絶後の掟破りの暗黒魔法少女、ラスカル☆ミーナ。退屈だから、参上です♪」

 普段なら絶対に言わない登場の口上を堂々とポーズまでつけてミーナはやってのけ、目の前の広場の通行人の視線を一身に集めた。


 突如として、中世欧州風のとんがり屋根の上に現れた少女は、高らかに声を上げ、派手に登場し、人々の注目を集めた。

 少女は暗黒魔法少女と名乗っていた。そして、それを証明するかのように、黒い光沢のある生地で身体にぴったりとしたデザインの服を着て、黒い革のロングブーツを履き、肘まである長手袋をはめ、頭には羽飾りつきの帽子をかぶり、紅い飾り紐のついた白銀に輝く扇子状のバトンを手に持っており、悪の魔法少女をファッションで主張していた。

 それに加えて、注目を浴びても、それがさも当然とした落ち着きはらった態度。さらには、彼女の脇にかしこまって控えた猫耳メイドのマイティー・メイが付き従っている。その態度も暗黒魔法少女の風格充分。充分すぎておつりが来そうなほどであった。

 彼女は夏の昼下がりの陽射しに金髪をきらめかせ、その笑みを含んだ口元はこれから起す事を想像して愉快になったものなのか、人々に悪い予感を呼び起こさせた。そして、彼女はどこから湧いてくるのかわからない無尽蔵の自信が溢れ出る瞳で、そんな不安におののく人々を悠然と見下ろしていた。

「ら、ラスカル☆ミーナ?」

 過去に何度か遭遇したことの彰たちは、その雰囲気の違いに明らかに戸惑った。

「ほんとにラスカル☆ミーナ……なのね……やっぱり、本格的におかしいよ」

 そして、その正体を知る庸子たちは更に驚いたが、ある意味納得した。

「そこのあなた♪」

 人の思惑など、これっぽっちも考えずに自分の道を行くが如く、ミーナはバトンで前畑を指した。彼女のその動作に魔法でもかかっていたかのように前畑と里美の周囲から人が引き、スポットライトを浴びたように二人が人込みの中に浮き上がった。

「せっかく、彼女が可愛くお洒落をしてきたのに、全然反応しないなんて、乙女心はズタボロよ」

「!」

 ミーナの台詞に前畑は、ミラーハウスの中で決心はしたが、いざ、彼女を目の前にするとやっぱり言えなくなって、いままで言わずじまいでいた事を突かれて、はっとした。

「うふふふ♪ 照れて恥ずかしくて言えないんでしょ? 意気地なしさん♪ でもでも、だいじょーぶ♪ 私にまっかせなさい♪ そこの彼女がもーっと可愛くなれば、恥ずかしさなんて吹き飛んで、本能のままに可愛いって言えるようになるわよ♪ もっとも、言葉を通り越して行動で物言うかもしれないけど、そんなの些細な事で全然オッケー♪」

 人差し指を立てて左右に振ってウィンクした。

「全然オッケーじゃないって、それ」

「それじゃあ、そのためのスペシャルゲストを招待しておいたから、皆さん拍手ぅ~」

 美穂の突込みを完全に無視して、ミーナは扇子バトンで正面の花壇を指し示した。

 ミーナが指した花壇の色とりどりの花の中から二人の男が立ち上がった。それまでしゃがんでいたのだろうが、派手な衣装が迷彩になって誰も気がつかなかったらしい。立ち上がった拍子に少しふらついたのは、ずっと炎天下でしゃがんでいたことによる軽い熱射病と立ちくらみのためだろう。

「あ、あれは!」

 広場の群衆の一人が声を上げた。

「G馬県を中心として、関東の各所萌えスポットに遠征して、ロリータファッションで地元萌え集団を次々と撃破し、連戦連勝の勢いで関東制覇を目指す集団、プロジェクト・ドールドレス。略してプロジェクトDD!」

「しかも、あの右側のは主催者である、ファッションコーディネーター、略してFCの高橋涼介! その隣は、プロジェクトDDのトップデザイナーの一人、パワーでどんな年齢にもロリータファッションを似合わせようとする、ファッションデザイナー、略してFDの高橋啓介!」

「二人あわして、ロリータ高橋兄弟! ついにこの遊園地にもやってきたのか……」

 群集から丁寧な説明があり、どよめきが広がった。ちなみに、詳細な説明をしたのは彼らのサクラであることは、この際どうでもいい事であった。

「さあ、ロリータ兄弟! 尾崎里美を可愛いブリフリロリータファッションに着替えさしてあげなさい♪」

(なんだか話が違うぞ、兄貴。これじゃあ、俺たちがしもべみたいじゃないか)

(俺もよくわからん。こっちはタイミングを見計らって登場しようと隠れてたのに、それも予定調和にされるなんて……柊さんの話と全然イメージが違う)

 ロリータ兄弟は、ミーナこと美奈子に精神的圧力をかけるために花壇に隠れていたのだが、あっさりと段取りをめちゃくちゃにされて当惑して、小声で二人相談していた。

「何をごちゃごちゃ言ってるの! 早くしないと広場の少女を成金趣味おばさんに変えるわよ」

「そ、それだけはやめてくれ!」

 ミーナの脅しにロリータ兄弟は屈服した。彼らにとって、キンキンギラギラなあのファッションは嫌いを通り越して弱点となっていたのであった。

「それなら、さあ、ロリータ兄弟! みんなを可愛いブリフリロリータファッションに着替えさしてあげなさい♪」

「了解しました。ミーナ様!」

 ロリータ兄弟が群集の中に踊り出て、里美の方へと駆け出そうとしたその足元に光の矢が突き刺さって、地面を溶かした。

「だ、誰だ!」

 ロリータ兄弟は洒落にならない攻撃に溶けたレンガが放つ熱とは関係無しの汗を流して、攻撃してきたものを探した。

 しかし、探す必要はなかった。大音量で世界一有名なテーマパークのマスコットキャラクターイメージソングが流れ、そのスピーカーのある屋根の上に少女と犬が仁王立ちに立っていた。

 少女は頭に円盤状の黒い耳をつけて、映像化すると版権のうるさいのもなんのその、小説だから一切お構いなしにコスプレしていた。

「唯一の成功、魅せられて、果敢に夢見る大人たち。そんなオトナの作った落園、遊園地! だけども現実、普通の人は、不況不況と言うばかり! 夢見る暇もあまり無し! 夢見る場所で夢を見れないその分を、フリフリドレスで埋めるなんて、全然、なんにもわかっていない。そんな寂しいあなたの心と、この場所を、満たしてあげるわ、私の愛で。プリティービューティー、愛と正義と元気回復の魔法少女、ファンシー・リリー! 参上です♪」

「……リリー、その口上、会社更生法申請したテーマパーク活性化用の流用だよ……」

 悦に入ってポーズを極めているリリーの隣でポツリとウッちゃんが呟いた。

「黙ってればわからないのに、なんで言うのよ!」

 リリーはスナップの利いた裏拳をウッちゃんの鼻面に叩き込み、悶絶させた。

「あははは、漫才の腕あげたわね。面白かったわよ、リリー。で、今日も私のやられに来たの? ご苦労様ね」

 オチがついたところで、ミーナが笑い声を上げて二人の漫才の間に割り込んだ。

「なんですって! ミーナ! 今日という今日は、絶対に倒してやるんだから!」

「いつもそういうけど、いつになったら倒してくれるのかしら? もう、いい加減、あなたにも飽きたし、そろそろ完全にやっつけちゃって、敵役改編の時期かしら?」

 ミーナは余裕たっぷりで、扇状のバトンを口元に当てて笑った。

「ワンクールは13話というのが決まりなんだから、勝手は許さないぞ! しかも、敵じゃない。正義の魔法少女だ、これでも一応!」

 ウッちゃんがそんなミーナに抗議した。

「これでも一応は、余計よ!」

「あら、そう? でも、あなた達の相手をしてる暇は無いの。今は里美ちゃんをプリティーローリーな少女にして、前畑君を危ない趣味に目覚めさせるところなんだから♪」

「そんな事はさせないわよ! これ以上、ロリコン度の高い人間が増えたら、芸能界が小学生だらけになっちゃうじゃない!」

「今でも似たようなものじゃない♪」

「うっ……義務教育も済んでないの子供に所得が負けてるお父さんは立つ瀬無しなのよ! だいたい、本人が嫌がってるのに無理矢理ロリータファッションを着せるなんて、このあたしが許さない!」

「なにっ?! お前にどんな権限があるというんだ! お前もロリータファッションのくせに、ロリータファッションの良さがわからないなんて、ロリータファッションをしている奴の風上にもおけない奴だ!」

 リリーの台詞に反応したのはミーナではなく、ロリータ兄弟の弟、啓介の方だった。

「ファッションリーダーのあたしが風上にいなくて、どうするの! あんたたちなんて風下にも置けないわよ」

「女の子は可愛い格好をする義務があるのだ。女の子が可愛い格好をする事で、人々の心が安らいで世界平和へと繋がるのだ。ロリータファッションはその最たるものなのだ。ロリータファッションの正義の味方ならそれぐらいわかっていろ」

 涼介も啓介に助太刀した。

「女の子なら誰でも可愛い格好するのが当たり前と思ってるのは、男子の勝手な幻想よ! 着るのは結構勇気いるものなんだから! それに、ロリータファッションなんて、服自体は可愛いけど、それを着て可愛くなれるのは、ごく限られた人――あたしみたいに選ばれた人だけなのよ。身体のラインにメリハリがあるとシュルエットが崩れて可愛くなくなるのよ!」

「お嬢さんは何もわかっていないね。ファッションには、段階があって、最初はモデルのよさでみせるもの。金に糸目をつけなければ、誰でも結構簡単にできる。次にデザインでみせるもの。センスを磨き、作りこむ事である程度はできる。しかし、街角最萌えにはそれを超えるもう一つの何かがあるのだ。その何かはおぼろげながら私は掴んでいるのだ。それを証明するためのプロジェクトDD。似合うか似合わないかは、見てから言ってもらいたい」

 涼介が静かだが、はっきりと強い意思をこめてリリーに反論した。

「くっ……雑魚キャラのやられキャラのクセに言ってくれるわね。……だいたい、そこの前畑君!」

 リリーはそう言って、里美の横の前畑を指差した。

「お、俺?」

 意表をつかれた前畑は目を丸くして、自分を指差した。

「そうよ! あなたが尾崎里美さんが元男の子だったからって、いつまでもぐじぐじと悩んでるから、こんなことになるのよ! 彼女をプリティーローリーな少女にされたいの? そういう趣味じゃないなら、びしっとしなさい。びしっと!」

「あっ……」

 前畑と庸子がまずいという表情で里美の方を見た。

「元男の子?! あたしが?」

 今度は里美が目を丸くした。

「そうよ。そこの相原庸子さんと白瀬美奈子さんが話しているのをこの高性能リリー・イヤーでしっかり聞いたんだから間違い無し! 元男の子なんて、今が女の子なら全然問題なし! 女の子である事はリリー・スキャン・アイで保証つき♪ 里美さん、女の子の自分に自信もって!」

 ちなみに何をスキャンしたかは秘密である。

「えーと……」

 状況と事情が飲み込めない里美は困惑したまま、何をいうべきか言葉を捜していた。

「里美ちゃん、ごめんなさい。美奈子ちゃんに話してしまったの。それを聞かれたみたいなの。わたくしの不注意でしたわ。ほんとうにごめんなさい」

「里美ちゃん、そうだったんだ……しらなかった……」

「里美、そうなの?」

「ち、違うわよ! なんで、あたしが男の子なのよ! あたしはこれでも一応、生まれてからずーっと女だよ!」

 周囲に寄ってきた彼女の友達にリリーの言葉を完全否定した。

「へ?!」

 リリーとミーナ、それに庸子がそろって固まった。

「でも、里美ちゃん、里美ちゃんと初めて一緒になった入学式準備委員会で……」

 庸子が何とか自力で硬直を解凍して里美に尋ねた。

「準備委員会? ……ああ! もしかして、アレ?」

「そうですわ。入学式の二日前に里美ちゃんが仰った事ですわ」

「……ヨーコ。入学式の二日前って、何月何日?」

「えーと……」

「入学式が4月3日だから、4月1日だね」

「そう! 4月1日と言えば?」

「あ……」

「そういうこと。エイプリルフール。でも、ヨーコらしくもない。そんな嘘を信じるなんて」

「里美ちゃんがあまりにも迫真の演技するものですから……」

「里美って、女優の才能があるのよ。なんでも一所懸命だから演技が演技じゃなくなるのよね。未来の名監督がそれは保証するわ。だから、ヨーコちゃんが騙されたのも無理はないわよ」

 美穂が苦笑を浮かべながら断言した。

「里美ちゃん、ごめんなさい……」

 しかし、庸子は穴があったら入りたいほど、小さくなって里美に謝った。

「ううん。あたしも嘘ついたんだから、こっちこそ、ごめん。それと、そこまで考えててくれて、ありがとう」

「里美ちゃん……」

「ねえ、それはそれでいいんだけど、なんだか、あの二人が暴走してるんだけど……」

 恵子が申し訳なさそうに二人の友情を暖めるあいだに割って入った。

 恵子の言葉に状況を思い出して、辺りを見ると広場にいる人間の大半が老若男女も関係なくフリルのついたドレスを着せられていた。広場を埋めるピンクの洪水に目がちかちかしそうであった。

「すげーぜ、兄貴! 一瞬にして着替えさせられるぜ!」

 啓介が指先から怪光線を放ち、広場で逃げ惑う人を次々とドレスに着替えさせていた。

「ああ、そうだな。今までなら、クロロフォルムで眠らせて着替えさしていたからな」

 涼介は目からビームを放って、服を着替えさせている。広場はまさにパニック状態であった。

「おっと! 忘れてた。このすばらしい能力を下さったミーナ様の最初の命令――啓介! あの女の子を飛びっきりのロリータファッションにしてやれ!」

 ロリータ兄弟の一人、涼介が当初の目的を思い出して、里美を指差した。

「了解だ、兄貴!」

 そして、怪光線の一条が里美の方に飛んできた。

「!」

 突然のことで虚を突かれた里美は目を固く閉じて、体を硬くしてしまった。しかし、彼女と光線の間に一人の人影が割って入った。

「前畑君!」

 里美は目の前にピンクのフリルがついたドレスに身をまとい、ロングヘアーのかつらにフリルカチューシャまでつけて、小脇に熊のぬいぐるみまで抱えている。

「だいじょうぶか?」

「うん……ありがとう、前畑君」

「あ、いや、当然のことをしたまでだから……」

 里美は顔を真っ赤にして俯いてお礼を言った。傍目にはフリルドレスを着た変態の男の子がサマードレスを着たかっこいい女の子を押し倒しているという変な構図だが、二人にとってはそんなことはどうでもよかった。

 しかし、そんな二人の蜜月をゆっくり見守っているほど、ロリータ兄弟は甘くなかった。再び、里美をロリータファッションに変えるべく、今度は合体攻撃をするつもりか、手を組んで妖しい踊りを踊っていた。

「待ちなさい! このあたしを無視するなんて、言語道断よ!」

 急展開に完全に置いていかれていたリリーが復活して、ロリータ兄弟の前に立ちふさがった。

「ついて来れない方が悪いんだよ。まあ、もっとも、俺たちはいつも限界ギリギリで飛ばしてるからな。ついて来れなくても恥じゃないぜ」

 啓介が馬鹿にしたようにリリーを笑った。

「ぬーっ! 雑魚のクセに! ――ウッちゃん! 新技、いくわよ!」

 リリーはウッちゃんにそう言うとバトンを構えた。ウッちゃんは「OK♪」と答えると、横でなにやら電話をかけている。そうこうしているうちに、リリーのバトンがほのかに光を放ち、その光が徐々に強くなってきた。

「いけー! 新魔法『出銭世界』!!!」

 リリーの気合とともにその光はバトンを離れ、ロリータ兄弟二人に一直線に向かって飛んでいった。まったく油断していた二人はあっけなく、その光の直撃を受け光に包まれた。

「ぐぉぉぉ! ……って、なんともないぞ。単なるこけおどしか?」

「所詮、我々を止められるものなどいないということだ。さあ、時間の無駄だ。続けるぞ、啓介」

「了解だ、兄貴」

 二人が再び、ロリータファッションを蔓延すべく指先から怪光線、目からビームを放ったが、その光線を浴びた人々はそれまでのようなフリルのふんだんに使ったドレスではなく、世界的に有名なキャラクターがでかでかと描かれたTシャツや、そのキャラクターを模したバッグやアクセサリーなどがついたものに変わっていた。

「どういうことだ! これでは我々の野望が!」

「どうする、兄貴!」

 啓介が涼介を頼るように叫んだ。

「くっ! 俺たちの能力を変更したようだな。しかし、これはこれでアレンジできなくもない」

 涼介が歯噛みして顔をしかめたが、これで諦めるほど芯は弱くなかった。

「わかったよ、兄貴――って、なんだ、お前たちは!」

 涼介の言葉に応答した啓介は、いつの間にか黒服の外人たちに周りを取り囲まれた事に気がつき、たじろいだ。

「アナタタチ、勝手ニ、ワガ社ノきゃらくたー使ッタ。使用料払ウコト、勧メル。払ワナケレバ、訴エル。OK?」

「なんだと?!」

 反論しようとした啓介の目の前に英語でなにやらびっちりと書かれた書類を突きつけられた。下のほうにドルマークに続く数字が書かれてあった。

「一十百千万……じょうだんじゃねぇ! そんな金払えるか!」

 中小企業のかかえる負債額な金額に啓介が怒鳴った。しかし、黒服たちは二人を前後左右から拘束した。

「放せっ! このやろう!」

「我々の野望が! 私たちをああいう風にしたのは、あのおかしな格好をした――」

 二人の叫びが黒服の間から聞こえて、何か蛙が潰れたような音とともに静かになり、黒服たちは二人を連れて広場を去っていった。

「うってんばーがーはいと殿。通報感謝スル」

 二人が連れ去られてしばらくすると、変身魔法の影響が消えた。そして、その後、あの二人を見たものはいなかった。

「さあ、これであなたの手下はいなくなったわよ! ミーナ! 降参するなら今のうちよ! 今、謝るんなら半額セールで、半殺しで許してあげるわ」

 リリーは魔法が成功して得意満面にミーナにバトンを向けた。

「ふふん♪ そうはうまくいくかしら?」

 ミーナは扇子のバトンを軽く開いて、口元を隠し、不敵な笑みを浮かべた。

「くっ! ミーナ、今回はいつになく、悪役じみてるわね。やっと本性を現したのね。そうこなくっちゃ! ウッちゃん、行くわよ!」

「OK、リリー! 一般人の避難は終了したし、結界も張った! 思う存分、やっつけよう!」

「わかってる! まずは、『ジェットコースター落とし』!」

 リリーはジェットコースターの車両をミーナの上に落下させたが、ミーナは難なくそれを避けた。

「やっぱり、そんなんじゃダメね」

 リリーは魔法の力をバトンに込めてそれから赤い光を放たせると、スピーカーから飛び降りて、一気にミーナとの間合いを詰めた。

(ミーナ様、リリーはマジです! 効率無視で魔法力を凝縮して近距離で攻撃するつもりです!)

 銀鱗はミーナにいつになく真剣に忠告した。リリーの気合がいつもより高く、彼の予想ではいつもの三倍は威力がありそうであった。

「ん~。それじゃあ、ほいっ♪」

 ミーナはその忠告に緊迫感もなく応えて、気合も何もない掛け声とともにバトンを軽く振った。

「うぺっ?!」

 その瞬間、リリーが急に不自然な体勢で転んで、地面を水平に落下するかのように転がった。力のこもったバトンがリリーの転がるたびに地面をえぐり、その破片がリリーに襲い掛かり、見た目かなり痛そうであった。

「だぁ! あんなのよ!」

 水平の落下がとまって、ぼろぼろになりながら立ち上がったリリーがわけもわからない事態に怒鳴った。

「リリー! 危険だよ! 今のはミーナの魔法だよ!」

 ウッちゃんはリリーのそばにやってきて、かなりあせりながら、リリーのダメージを回復した。

「なんですって! 卑劣にもまた小手先の技を使ってきたのね!」

 ウッちゃんの説明に憤って、バトンを意味もなくぐるぐると回して、再びバトンを赤く光らせた。

「リリー、待って!」

 ウッちゃんの制止など耳に届かずリリーは再びミーナに突進した。

「学習能力がないのね♪ ほれっ♪」

 ミーナは今度はリリーに向かって、光の玉を放り投げた。

「そんなゆっくりなのに当たるわけ――ぶへっ!」

 リリーはその光の玉をよけたが、ホーミングミサイルよろしくリリーを自動追尾して、彼女に着弾し、内包していたエネルギーを一気に開放した。まばゆいばかりの閃光を放ち、熱が空気を膨張させ、それが爆音となり、周囲に破壊を撒き散らした。

 普通なら消し炭になっているだろう攻撃だが、リリーも腐っても魔法少女。かなりぼろぼろであったが、なんとか倒れずにその場に踏みとどまった。

「へー。すごいじゃない。よく立ってられるわね。ちょっとは見直しちゃった♪」

 ミーナが馬鹿にするように感心して見せた。

「ミーナのクセに、あの態度! 許せない! ――ウッちゃん! 何なのよ、あれは! 全然、いつもと違うじゃないの!」

 ミーナへの矛先を自分の使い魔に向けた。

「僕だってわからないよ。プロジェクトXXというのが発動しているらしいけど、詳しくは教えてくれないんだ! その影響かもしれない! とにかく、ここは一時引き上げるんだ!」

「正義が悪に背中を見せるわけにはいかないのよ!」

「リリー! ミーナが最初に使った魔法は、威力はしょうもなくても、魔法でもトップクラスの重力干渉。それを触媒も魔法陣もなしにやったんだよ! リリーが食らった魔法だって、空間重複核融合。それを自動追尾させたんだよ! つまり、制御能力なら真琴様に匹敵する力なんだ!」

「っ! そ、それでもよ!」

 真琴の名前が出てきてさすがにリリーは青くなった。

「リリー……リリーは正義の魔法少女の中の魔法少女だよ。リリーの使い魔だったことを誇りに思うよ」

 ウッちゃんはリリーの覚悟に感銘を受け、諦めに似た優しい笑顔を浮かべた。その笑顔が、リリーから少しだけ遠くなった。

「ウッちゃん……って、なに逃げようとしてるのよ! こういう時は、自分が犠牲になって玉砕して、青空に笑顔できめっ♪ というのが王道でしょう!」

 後ろへ下がっていくウッちゃんをリリーは胸倉を掴んで引き戻した。

「確かに王道だけど、王道で死にたくない!」

「ごちゃごちゃ言わない! 使い魔の契約は『死して屍拾うものなし』でしょうが! 潔く花咲かしてきなさい!」

 リリーはウッちゃんを軽く上に放り投げた。

 そして、ノックの要領でリリーはウッちゃんをミーナの方にかっ飛ばした。

「いやだぁ~!!」

 悲鳴とともに飛んでいくウッちゃんをリリーは後ろから追って、ミーナに突進した。リリーとウッちゃんの二段攻撃である。ウッちゃんを避けるか受けるかしてできた隙にリリーが打撃を与える作戦であった。

「うぐぐぐーーっ」

 ミーナはバトンに両手を添えて特攻ウッちゃんを受け止めた。衝突するエネルギーが、一撃必殺の力を秘めながら不謹慎なほど美しい輝きを放っていた。

「ミーナ! 覚悟!」

 リリーが上空から最上段に振り上げたバトンを手に現れ、とどめの一撃を打ちつけようとしていた。両手の塞がっているミーナには防ぎようが無い。

「きゃあぁぁぁ! まさか、この私がやられる……なーんてね♪」

 ミーナはあっさり、バトンに添えていた手を離し、振り下ろされるリリーのバトンを人差し指と中指で挟んで止めた。

「?!」

 一体何が起こったのか理解できないリリーとウッちゃんは次の瞬間にはミーナのハリセンで吹き飛ばされて、地面に転がっていた。

「あの程度で私を倒そうなんて、甘い甘い♪ 季節限定甘口イチゴスパゲティーよりも甘いわよ♪」

 ミーナは人差し指を立てて左右に振って、可愛くウィンクした。

「やっぱり、遊園地なら、遊園地ならではの技を使わないとね♪ それ♪ 必殺『大観覧車だいかんらんぐるま』っ」

 ミーナの言葉とともに遊園地の観覧車が軸から外れて、リリーたちのいる広場の方へと転がりだした。

「リリー! 早く逃げないと!」

「そうしたいのはやまやまだけど、足が動かないのよ!」

「リリー! ミーナの髪で足が地面に縫い付けられてるよ」

「いつの間に?! そうとわかれば……って、何で切れないのよ! この前は簡単に切れたのに!」

「早くしなくちゃ、ぺちゃんこだよ! さっきの攻撃で防御力下がってるんだから!」

「わかってるわよ、そんなこと!」

「魔法を集中して切るんだよ。……だから、制御の練習をしようって言ってたんだよ。リリーは僕の言う事を聞かないんだから!」

「生きて帰れたら、練習するわよ! だから、手伝いなさいよ!」

「言われなくても手伝ってるよ。でも、何でこんなに硬いんだよ」

 二人がじたばたやっているうちに観覧車は目の前に迫ってきて、ゴンドラ部分が今まさに踏み潰そうとしていた。


 万事休すと思ったその時、轟音とともに大観覧車が勝手に崩壊して止まった。もっとも、止まったはいいが、崩壊した残骸にリリーとウッちゃんが飲み込まれたので、彼女らにとっては踏み潰されるか押し潰されるかの違いでしかなかったが。

「なんとか間に合ったようね」

 黒のローブにつば広の黒いとんがり帽子を被った女性が、空中を滑るように飛ぶほうきを着陸させて、広場に降り立った。

「あらあれ♪ 真琴お姉さま。おひさしぶりっ♪」

 ミーナは笑顔で挨拶した。

「お久しぶり。だけど、随分と、うちの魔法少女を可愛がってくれてるようね」

 真琴はニコリともせずに少々真面目な表情で観覧車だった残骸を横目で見た。

「あら? 止めを刺したのは真琴お姉さまよ」

「どっちも同じよ。少々、おイタが過ぎるみたいだから、お仕置きしないとね」

 真琴はそう言うと、ほうきを羽根のような飾りのついた赤と白のスプライト模様の短いステッキに変化させ、それを天に掲げた。

「メタモルウィング!」

 真琴の言葉にステッキが反応して、周囲にきらきら光る光の微粒子が漂い、風景を曖昧にし、赤と白のリボンが伸び、それがらせん状に彼女を包み込んだ。そして、再びリボンがステッキに収束すると、そこに現れたのはリリーと似た明るい色合いの派手な服を着た、若くて可愛いが、少女というには少し歳が行き過ぎてる気もしないでもない“少女”が立っていた。

「人に夢売る遊園地! そんな夢あるこの場所で、悪が勝つなんて、天と読者が許しても、この私が許しはしない! おイタの過ぎる悪い子ちゃんにお仕置きするため、現役復帰の再登場! ウィング・マコ! ここに推参!」

 ビシッとポーズをきめるマコ。さすがに年季が入ってるだけあって、なかなか堂に入っている。

「あらら。もう若くないんだから、無理して出てこなくてもいいのに。ほーんと、ご苦労様♪」

「まだ胸の小さいあなたに負けるつもりは無いわよ。さあ、覚悟なさい。出でよ、『アイアンタイガー』っ!」

 マコの言葉に反応して、観覧車の残骸が寄り集まって、虎の輪郭を作り出した。そして、その虎がそのあぎとを光らせて咆哮を上げた。

「くっ!」

 咆哮とともにミーナの衣装がそこかしらに裂け目ができ、露出した肌にもいく筋か紅い線が走った。頬についた紅い線からじんわりと血が滴り、彼女がそれに指を当てて拭き取る頃には怪我は治っていたが、表情は少しさっきほど余裕はなかった。

「咆哮とともに極薄の金属リボンを放つなんて、やってくれるわね。さすがは、史上最高の正義の魔法少女といわれただけのことはあるわね」

「誉めてくれても、許しはしないわよ。せいぜい、やりすぎた自分を反省する事ね」

 マコは腕組みをして冷たく言い放った。彼女が喋り終わると同時に虎が再び咆哮を上げた。

「ちっ!」

 ミーナはバトンを扇子状に広げて煽った。その風を受けて咆哮の中の金属リボンは紙をくしゃくしゃに丸めたようなものに変わり、地面に転がった。

「……(風で絡め取るなんてなんて娘なのよ)!」

 いくら軽いとは言え、不規則で高速なリボンを風で絡めとるのは不可能であるから、広範囲に風の力を倍加する何かをしたのはわかったが、それが何かは一瞬過ぎて、マコにもわからなかった。

「今度はこっちから行くわよ! 『壊押圏かいおうけん』♪」

 ミーナは扇子をハリセンに一瞬で変えると、何も無い空間に振り下げた。それと同時に、鉄の虎が地面に轟音を立てて膝をついた。その後も何かに押し潰されるのを耐えるように全身に力を入れていた。

「重力制御!」

 マコはその原因と先ほどの答えを知って、思わず叫んだ。

「ご名答♪ 100Gで潰れないなんて、丈夫な虎ね。さすがは、虎ね。倒すには、やっぱり200Gはいるかしら?」

 そう言って、ミーナはハリセンをもう一振りした。虎は自分の体重に押し潰されて、虎の敷物と化した。

「虎は死して皮を残す。さあ、正義の魔法少女は何を残してくれるのかしら? 『地竜遁ちりゅうとん』っ」

 ミーナがハリセンを地面に打ち付けると、地面がゴジラの背びれのように盛り上がり、それがマコの方に向かって突き進んだ。マコはそれを軽く地面を蹴って、空中に逃れた。

「地面に接触する空間を圧縮する技なんて足の遅い技、喰らうまでのんびり待ってるほど、お人好しじゃないのよ」

 しかし、ミーナもそれは承知の上だったらしく、バトンをライフルのように構えると高圧縮した魔法弾を空中のマコの向かって十数発放った。格闘戦で相手がヘタに飛び上がれば、そこを狙うのは定石である。だが、それは人対人の場合であり、魔法少女対魔法少女ではその定石は必ずしも定石で無かった。

「舐められたものね! バトルウィング!」

 マコは苦笑混じりに背中に純白に輝く羽根を出現させて、重力にあらがってその身を空中に留めた。落下を予測して放ったミーナの魔法弾は彼女の足元を虚しく通り過ぎた。

「13種の羽根を操る魔法少女――ウィング・マコの名に偽りはないのよ。『ニードルウィングショット』!」

 マコは背中の羽根で大きくはばたくと、光のシャワーがミーナに向かって降り注いだ。ミーナは最初はそれを受けようとしたが、背筋に粟立つ何かに横っ飛びに跳んでそれを避けた。

 ミーナが立ち上がると先ほどまで居た地面が無残に抉れて塵と化した地面だったものが緩やかな空気の流れで霧散した。

「ニードルショット……なるほどね。貫通力のある極小魔法弾を無数に発射する。防ぐのは大変だわ」

 防御不能の攻撃にミーナも少し渋い顔をして上空を仰ぎ見た。

「そういうこと、覚悟しなさい。『ニードルウィングショット』!」

 マコは現役時代の得意な必殺技を惜しげもなく撃ち放った。そこかしらの地面が抉れ、広場は穴だらけになり、地上を走り避けるミーナの行動範囲を少なからず、限定していた。

「やっぱり、空中対地上じゃ不利ね。――ルクシオン!」

 ミーナの言葉とともに彼女の目の前に飛行ほうきが出現した。かなり年季の入った代物だが、よく手入れされているらしく、柄は鈍い光沢を放っていた。

「ワシを呼びつけるとは何奴じゃ! ワシをルクシオンと知っての無礼――むぎゅっ!」

 出現した飛行ほうきが文句を言っているのを全く無視して、ミーナはその柄を踏みつけた。

「お仕事よ。お風呂の薪になりたくなかったら、しっかり働きなさい」

「おお! この高圧的な足の裏の感触は琉璃香様に勝るとも劣らぬお方! もっと、踏んでくださいませ、女王様!」

「働き次第よ。さあ、あの空中で我が物顔の魔法少女に地面の味を味合わせてあげるのよ!」

「御意!」

 ミーナは踏みつけた足をそのままに、ルクシオンの上にサーフィンするように立って乗った。

「ルクシオン?! そんなものまで…… 『ニードルウィングショット』!」

 ミーナが何を呼び出したかを知って、眉をひそめたマコは、とにかく動きの止まった彼女に必殺の一撃を放ったが、一瞬遅く、既に彼女はその場にいなかった。マコは勘に任せて、上体をお辞儀するかのように曲げた。次の瞬間、マコの羽根が淡雪のように溶けて消え、そのため重力に引かれて少し高度を落としたが、すぐに羽根は再生され、再び、高度を取り戻した。

「無軌道光速攻撃……ルーちゃんにしかできないと思ったけど……全く洒落にならないわね! 一体なんなのよ、あの娘は!」

 かつてのライバルが使った必殺攻撃に防御結界を張って、距離を取った。


「メイちゃん! 一体どういうことですの?」

 庸子は戦闘区域から強制避難されたが、一緒に退避していたマイティー・メイを見つけて、説明を求めた。

「あ、ヨーコお姉ちゃん!」

「悪の魔法少女らしいけど、ミーナちゃんらしくないわよ。何かあったの? 不幸な身の上に自棄になったとか?」

「えーとね、あのね、実は、かくかくしかじかで、琉璃香さんの薬をかいじゃって……その薬をかいで、精神的ショックな事があると性格がそれまで抑えられてたものが解放されて、変わっちゃうんだって。それで、あんな風になっちゃったみたいなの」

「美奈子の奴! まったく、おせっかいなんだから!」

 里美が原因が自分にあることを知り、拳で手の平を打った。

「でも、よかった! 頭打って、変になっちゃったかと思ったよ。それで、どうすれば治るの? 解毒薬は?」

 美穂がメイに迫ったが、メイは困ったような顔をした。

(ミーナ様が魔法力を使いきれば……多分、元に戻ると思うんですけど……)

 銀鱗がメイに代わって質問に答えた。

「使い切るって……ありえるの?」

(通常はありません。今回、僕たちも魔法の国へ帰って修行したおかげでレベルが上がっちゃったから、尚更……)

「じゃ、じゃあ、あのまま?! そんなのいやだよぉ~。あんな美奈ちゃん、美奈ちゃんじゃないよ~」

「何とかなりませんの?」

(魔法力が暴走したり、使いきらないようにストッパーの役目を果たしているアイテムがあるから、それが壊れれば、あるいは……でも、並みの攻撃では壊れたりしませんから……)

「望み薄……か」

「そんな事になるってことは、ミーナちゃんはぼろぼろに負ける以外はないってことなのね」

(そういうことです)

 全員はため息をついた。ミーナがぼろぼろに負けるというのは想像できなかった。今も、新手の――ある意味、最強の敵と互角の勝負を繰り広げていたから、尚更であった。


「苦戦してるわね」

 何回か攻防を繰り返して、お互いに決め手がないままに、何度目かの仕切りなおしになった時に、不意にマコに声をかけるものが現れた。

「ルーちゃん! あれは本当にミーナなの? 別人もいいところよ! もしかして、別人じゃないの?」

 声をかけてきた琉璃香にマコは文句を言った。正直、この事態は予測はしていたが、ここまでやられるとは予測範囲外であった。

「あれが本来のミーナよ。天才暗黒魔法少女、プリンセス・ルリーの愛娘、二代目暗黒魔法少女、ラスカル☆ミーナよ♪」

 琉璃香は楽しそうに愚痴に答えた。

「なら、実力的にはあなたの全盛期並じゃない。いままで、手を抜いてたの?」

「あの娘は自分に自信がないから魔法の力がいつもは制限されてるのよ。無意識の手抜きね」

「いつもって、あれで?」

「まあ、私の後継者だからね♪ で、手伝ってほしい?」

「誰が――私一人で充分よ。邪魔しないでね」

「わかったわよ。楽しませてもらうわ♪ ほら、来たわよ♪」

 琉璃香が指差す方向にミーナが姿を現し、何か技を仕掛けた。

 マコも琉璃香もその場をすぐに離れるとほぼ同時に地表がマグマの海に変わり、熱せられた空気が強烈な上昇気流を生んでミニ台風を作りだした。

「『マイクロブラックホール落とし』まで……まったく、ほんとにルーちゃんにそっくりね!」

 マコが烈風の中、姿勢を制御しながら眉を顰めた。

 衛星やらスペースデブリやらをかき集め、強制的に重力崩壊させてマイクロブラックホールを作り出し、それを亜光速で落下させる。マイクロブラックホールが目標物に命中すると速度が落ち、亜光速で時間が引き延ばされていたそれは一瞬の内に寿命を迎え、蒸発し、その時に恐ろしいまでの熱量を発生する。避ける以外は防御不能の技であった。

「さすがに、こんな大技は喰らわないわね♪」

 ミーナはバトンに雷をまとわせ、雷の鞭を作り、マコに向かって振るった。マコは襲い掛かる雷の竜を華麗に避け、直後に背後の建物が弾けて崩れた。

「結構、威力ありそうね」

「誉めてくれてありがとう。存分に召し上がれ♪」

 ミーナは優雅に笑って再び、鞭を振るった。途中で二手に分かれて、マコを左右から挟み撃ちにしようとしていた。

「でも、私のよりも威力は落ちるけどね♪」

 マコは手にしたバトンに光をまとわせると光の剣とし、左右の雷の鞭を軽く切り裂いて消滅させた。

「さすが♪ というわけね」

 ミーナは鞭をマコと同じように剣のように短くして、撃ちかかった。二人のバトンがぶつかり合い、閃光を散らした。お互いに場所を入れ替えながら打ち合いをしているので大技は使えないが、それだけにバトンの剣に一撃必殺の威力を込め打ちつけた。


「このままじゃ埒があかないわね。――『ソードウィング』!」

 何度目か切り結んだマコは背中の翼を刃物のような鋭利なものに変えると、不意をついてミーナにトップスピードで突進した。

 虚を突かれたミーナはそれを何とか避けたものの、頭の帽子がすっぱりと切れ、髪を留めていた飾りが壊れ、長い髪が周囲に渦巻く暴風の中に泳いだ。

「ちっ!」

 マコは自分のとんでもない失敗に舌打ちして、ミーナの次の攻撃に備え、バトンを両手で構えて防御に専念した。

 それまででも充分に驚異だった攻撃が更に威力を増し、マコの魔法物質でできたバトンに軋みをあげるさせ、それをへし折るかと思うほど強烈な打撃が加えられた。マコは堪らず、十数メートルほど後退した。

「あーあ、リミッター壊して、どうすんのよ、マコちゃん」

 琉璃香が呆れたように苦笑を浮かべた。

「うふふふふ、なんだかとっても、いい感じ♪ 力がみなぎってくる♪」

 ミーナは周囲の空間が歪むほどの力を放出しながら、恍惚の表情を浮かべた。

 ミーナはマコにさらに攻撃を加え、防御の上からでもダメージを与え、彼女を追い詰めていった。

「さすがは年取っても、伝説になってる魔法少女ね。随分と頑張るじゃない。でも、そろそろ、終わりにしましょう♪」

 ミーナは終結を宣言すると、バトンを振り上げた。バトンから伸びる雷の剣は刃渡り千数百キロメートルに達した。もし月から地球を見ている関西人がいたら、その情景を「つまようじとタコヤキみたいや」と呟いた事だろう。

「それじゃあ、ばいばい♪」

 ミーナは別れの挨拶とともにバトンを振り下ろした。

「っ!」

 ぱちっ!

 大打撃を予想して身を硬くしたマコを襲ったのは、軽い静電気だけであった。

「あれ?」

 何が起きたのかと、マコが目を開けてミーナを見るとバトンを振り下ろした姿勢のまま、気を失っていた。もう、先ほどまでの空間をゆがめるほどの魔力はどこにもなく、それどころか一般人ほども魔力は感じられなかった。

「……どうやら魔法力を使いきったようね。ふふふふ、作戦通ーり! これを狙ってたのよ」

「あいかわらず、いきあたりばったりだね、マコちゃんは」

「いいじゃない! 勝てば官軍よ!」

 マコがそう言っていると、ミーナの乗るルクシオンが高度を下げはじめた。ルクシオンクラスの飛行ほうきになると並みの魔法力では飛ぶことは無理らしく、それまでの魔力の貯蓄でかろうじて浮いていただけであった。

「……『パワーウィング』っ」

 マコは羽根を展開させて、その羽根でミーナを左右から包むようにつかんだ。

「う、ううん……」

 羽根につかまれてミーナは意識を取り戻した。

「気がついたみたいね」

「ほえ? なんで、真琴お姉さまが? あれ? いつの間にか変身してるし……。えーと、たしか、西脇君と話しながら歩いてて、転んで……どうなったのかしら?」

 ミーナは可愛く小首を傾げて考えたが、記憶がすっぽりと抜け落ちていた。

「あとでラスカル☆ミーナ8巻のビデオでも見ることね。何はともあれ、やりすぎたお仕置きはしなくちゃね♪」

 しかし、マコにはそんな事はどうでもいい事であった。

「へ? っ! ぐ、ぐるじぃ~!」

 包んでいた羽根がミーナを締め上げた。すでに魔法の使えないミーナは単なる不幸な女の子にしか過ぎず、抵抗する術もなく、苦痛に顔を歪めるだけであった。

 ザシュッ!

 突然、ミーナを締め上げているマコの羽根が何者かによって切断された。羽根から解放されたミーナが溶岩の海に落下する前に、何者かが彼女を小脇に抱えて助け出した。しかし、マコにはそんな事ができる人間は一人しか該当がなく、その名を叫んだ。

「ルーちゃん!」

 彼女の予想通り、ミーナを助けたのは、ほうきの上に先ほどのミーナと同じように立って乗っている琉璃香であった。

 しかし、彼女の服装は、ラスカル☆ミーナに似た黒い光沢のある体のラインがわかるものに変わっており、手にはカモメの翼のように楕円の断面で、全体的に緩やかな曲線を描いたシンプルなデザインのバトンが握られていた。小脇にはミーナを抱えていた。

「面倒くさいから、前略っ! 元祖暗黒魔法少女、プリンセス・ルリー、お久しぶりに登場よ♪」

「ミーナを助けるのね……やっぱり、何だかんだ言っても、自分の子だものね」

「別にそういうわけじゃないけど、お仕置きするのは保護者の務めですもの。そんな特権、他人に譲るなんてもったいない♪」

「……でも、今回ばかりは、譲ってもらうわよ。大丈夫。命までは取らないでおいてあげる」

「真琴お姉さまもなんだかすごく怒ってるし、私はどうなってもいいから譲って、琉璃香さん。私のせいで、琉璃香さんまで真琴お姉さまと戦うことになるなんて、私、耐えられない」

 脇に抱えられたミーナは涙目で訴えた。

「ミーナ……」

「琉璃香さん……」

 空の上で感動のドラマが……

「って、その手には乗らないわよ。正義の魔法少女である、ウィング・マコに敗北して、呪いが解けるのを狙っていたんでしょうけど、そうは問屋が卸しませんよ♪」

 展開されなかった。

「……気づいてたか、やっぱり……」

 ミーナはがっくりと項垂れた。珍しく咄嗟にナイスアイデアを思いついたが、相手が悪かった。

「ということで、どうする?」

 ルリーはマコに勝ち誇ったような笑顔を見せた。

「……仕方ないわね。今日はあなたに任せるわ。たっぷり、お仕置きしてあげてね」

 マコは苦渋に満ちた表情で、そう言うと背中を向けた。

「おっけ~♪」

 マコはリザレクションウィングで壊れた遊園地を元通りに修復して、変身を解いていつもの黒いローブとつば広のとんがり帽子に戻ると、さっさと、その場を後にした。

「いやぁ! 行かないで! 諦めないで!」

 ミーナは琉璃香のお仕置きを想像して、彼女の腕の中でじたばたしたが、無駄な抵抗であった。


 戦闘区域に張られていた結界が解除されて、庸子たちは美奈子の身を案じて、広場に真っ先に駆け戻った。そして、そこで目にしたものは――

「あーん、ごめんなさい。ごめんなさい。もうしません。もうしないから!」

 琉璃香の膝の上に押さえつけられて、幼子のようにお尻を叩かれているミーナの姿であった。かなり叩かれているらしく、叩かれているお尻は赤くはれていた。

「男子がまだ戻ってこないのが、不幸中の幸いですわね」

 庸子はいとも情けないミーナの姿に苦笑を浮かべて感想を漏らした。

「あら? 庸子ちゃんたち。心配してきてくれたの? 悪いわね、いつも迷惑かけて」

 琉璃香が叩く手を止めずに庸子達に笑顔で挨拶した。

「いえ、こちらこそ、いつも美奈子ちゃんにはよくしてもらってます……あの……そろそろ、許してあげてくれませんか?」

「あらあら、美奈子ちゃんはいいお友達を持ったわね。それじゃあ、その友情に免じて、お仕置きを少し軽くしてあげる♪」

 そう言って、琉璃香は笑いながら指を弾くと襖を出現させ、それを開いて暗闇の中に美奈子を放り込んで素早く閉じた。

「お仕置きは押入れに閉じ込めるのが定番よね♪」

 琉璃香はそう言って庸子達に軽くウィンクした。

「いやー! なにぃ、これー?! ぬ、ぬるぬるするものが――う、うなぎぃ?!」

 美奈子の叫び声が襖の向こうから聞こえた。

「十万匹のウナギプールよ。ウナギは穴に入り込む習性があるから、ウナギなんかに奪われないように気をつけるのよ」

「い、いやぁ~! そ、そんなとこ! い、いやぁぁぁぁぁぁぁーーーーん……」

「……美奈子ちゃん、しばらくウナギは食べれないかもしれませんわね」

 遊園地側はこの騒ぎのために、怪我人などは出なかったが入園者全てに入場料金の払い戻しをし、かなりの損害を被ったが、この戦いの記録映像を利用してアトラクションにして、その迫力に人気を博し、売上を増大させたらしいが、それはまた、別の話である。

 こうして、『スーパー魔法少女大戦inフェア・リバティーランド』は終結した。


 その後、戻ってきた男子達とデートを続けたが、半ば放心状態の美奈子は役立たずなので、芽衣美が変身して、美奈子の代わりを務め、彰を翻弄する事になったが、それはまた別の話であった。

 色々あったが、なんとかデートも終わりに近づき、最後に大観覧車にカップルで分かれて乗ることになった。

 ゴンドラが高度を上げると沈みかける夕日に照らされる街並みが眼下に広がり、遠く海まで見えるような錯覚まで感じさせた。

「……尾崎さん」

 頂上近くまで沈黙していた前畑が意を決したように口を開いた。

「うん……なに? 前畑君」

「あー、なんというか、こういうのは恥ずかしいな。それで、恥ずかしいついでに言っちゃうけど、俺、尾崎さんのこと……」

 前畑は真剣そのものの眼差しで里美を見つめて、のどの渇きを少しでもましにするために、つばを飲み込んで間をおいた。

「うん……」

「俺、尾崎さんの……」

「……」

「尾崎さんのその服、すっごく似合ってると思う。きれいだと思うっ」

 全身全霊を傾けて前畑はそれだけ言うと、やり遂げたという充足感で満足げな顔に気恥ずかしさの照れが混ざり、なんとも言えない顔をしていた。

「あ、ありがとう……前畑君」


「ああ、もう。意気地なしですわね」

 それをキッチリ盗聴していた庸子は不満そうにつぶやいた。

「まあ、へたれな前畑君にしてはよくやったんじゃない?」

 美穂が庸子をなだめるように声をかけた。

「これからに期待しよ♪」

 恵子が嬉しそうにそう言うと、他の二人も頷いた。



 観覧車の残骸に埋もれたまま忘れ去られていたリリーとウッちゃんは、不自然な姿勢でアイアンタイガーの一部になってたり、200Gの重力を体験したり、ニードルショットでぼろぼろにされたり、溶岩に焼かれたりして、これでもかというぐらい戦闘に巻き込まれて、最後のマコのリザレクションウィングでなんとか生きてはいたが、半死半生で正義の魔法少女協力組合の病院のベッドで包帯ミイラにされて二人仲良く転がっていた。

「……リリー、生きてる?」

「なんとか。そっちは?」

「おかげさまで」

「それにしても、あと少しで勝てるところだったのにっ!」

「……。そうだ! リリー! 生きてたら、訓練するって――」

「ぐーぐー」

「寝たふりしたって、だめだよ! もうすぐ夏休みだから、山に篭って特訓だ!」

「いやだ! 山で特訓といったら、途中で山を降りれないように片方の眉を剃るんでしょ? そんなの絶対嫌だからね!」

「あ、それもいいかも♪」

「嫌だって言ってるでしょ!」

 リリーはウッちゃんのベッドに蹴りを入れた。ウッちゃんも負けじとベッドを蹴り返し、テコンドー並みの足技の応酬が繰り広げられたのであった。

 この後、それだけ元気があるなら入院の必要なしと病院を追い出されてしまった。

 彼女らがラスカル☆ミーナに勝利する日は来るのか? 包帯ミイラのまま退院するリリーの後姿を見ながら、協力組合の医師は不安に思うのであった。


 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 魔法少女ラスカル☆ミーナは、この第8話をもってひとまず終了です。

 「え? こんな半端なところで?」とお思いになられる方も多いでしょう。私もそう思います。第9話を期待されていた方、本当にごめんなさい。

 小説というものを初めて書き始めて、一年の間に書いたこのシリーズ。今読み返すと、随所に技術的につたなかったり、構成をミスっていたりしているのが目に付きました。しかし、勢いだけは私の作品の中で群を抜いていると思います。

 なので、今書くとそのギャップがすごいことになりそうで、書けそうにないというのが、恥ずかしい話、本音です。

 でも、いつか、この話をちゃんと構成しなおして、勢いを殺さずに書き直し、ミーナたちのけじめまで書いてみたいと考えております。わがままなお願いですが、そのときにまた読んでくださることを願っております。

 それでは、また、お会いしましょう。

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