第4話『世界を少しだけ幸せにする物語』
出版社へと訪問する人なった今日。
俺はいつものように会社へと向かった。
会社に到着すると入り口前で人が向かいあっているのが見えた。
そのうちの二人は中村と水越で、話している相手は十代から二十代前半の若い女性が二人だった。顔を俯かせて、今のも泣きそうな……いや、泣いていたのだろう。泣きはらしたような跡が見える。
「わかりました。こちらのペンダントはお預かりしておきます。このペンダントをみて悲しい気持ちよりも楽しかった思い出と向き合えるようになったらまたお越しください」
中村の表情はいつも俺に向けられている厳しいものとは違い、優しく微笑んでいた。
それを聞いた女性は泣き出し、顔を抑えた。
傍にいたもう一人の女性が支える。そして礼を言って別れを告げてその場を立ち去って行った。
「おはようございます」
「今日は遅刻しなかったようだな」
優しい微笑みはどこへ行ったのか。いつもの表情に戻っていた。
「さすがに今日は遅刻したら入れてもらえませんよね」
「当たり前だ」
「そのペンダントは預かるんですか?」
中村は手に持っていたペンダントに視線を落とした後、こちらに視線を向けた。
「ほとんどの客は引き取りに来ないがな」
「だから会社の中にたくさん置いてあるんですね」
「そうだ」
そんなことを話しているとにやにやと笑みを浮かべている水越が視界に入った。
「仲良くなっているのね、二人とも」
「気のせいだろ」
一蹴し会社内へと入っていく中村。出かける準備をしてくるから待っていろと言い残していった。
「仲良いかはわからないですけど、あの人思ってたよりは悪い人ではないかなって思います」
「そうね、そうじゃなきゃこの仕事はやっていないもの」
「水越さんはいつからこの仕事のお手伝いを?」
「最初からよ。立ち上げた時から」
水越は建物に取り付けられている看板を見上げた。
そこには二つの会社の看板が並べられている。
「うちの……こっちじゃなくて本業の方ね、うちのお得意様から紹介があってね。こういう仕事をさせたい男がいるから事務所の空きスペースを利用させてくれないかって」
「1階丸ごとですか?」
その言葉に水越は首を横に振った。
「ここの建物は彼が仕事を始めてしばらく経ってから。それこそある程度仕事の依頼が来るようになってからね」
水越が言うには、前の会社を間借りしていた時に遺品を預かっていくうちに水越の会社の事務所内が物で埋まっていくようになっていたらしい。
物を捨てるわけにもいかず、返そうにも依頼したお客は拒否もしくは連絡が取れなくなっていることが多く、会社を移転することを決断。
当時水越の会社も利益が増えて移転を考えていた時期の話だったため、一階は中村の会社二階は水越の会社としてここに建てたという話だった。
「それから仕事を受け続ければ物は増えるし人手も足りなくなるわけで、人を増やそうと思ったわけなの。私もこっちにかかりっきりになるわけにもいかないし」
「それで俺が来たということですね」
「そう、あなたの前にも何人か雇ったことはあったんだけど、誤解を生みやすい人だからこじれてみんな辞めちゃった」
はあ、とため息。中には詐欺だなんて真っ向からぶつかる人もいたとか。
「あなたが良ければこの依頼の後も働いてくれると助かるのだけど」
「あの人から許可得られますかね」
「まあ、なんとかなるんじゃない?」
水越の言葉と同時に中村が建物から出てきた。
水越は中村の姿を見てから歩き出し、自身の事務所へと階段を上がっていった。
「何の話をしていた」
「世間話ですよ」
詮索したそうな視線を向けられたが、構わず俺は中村の所有する自動車へと足を向ける。中村は詮索しても無駄と受け取ったのかため息をつきつつ、横を歩き始めた。
「今日おそらくお前の求めていた答えが見つかる」
「え? それはまだ早いんじゃ」
乗車し、走り出すと中村は言った。
「納得するかどうかは別だがな」
「何か予想がついてます?」
「さてな。お前は心の準備は出来ているか?」
視線を前へ向けたまま、淡々と喋る中村。物語もクライマックスかのような緊張感がある。これが最終局面だぞ、みたいな。
「準備なんて出来てたらこの日まで持ち歩いたりしませんよ」
「それもそうだ」
その後はちょっとした話をして、沈黙が続いた。俺も緊張していたからか口を開かず外を眺めていて、中村もその様子を察したのか何も語りかけてこなくなった。
出版社に到着し、中へ入っていく。
受付での受け答えはすべて中村が行っていた。俺は中村に合わせて礼をしたら同じように頭を下げるということをしていた。
そして、応接室①と書かれたプレートが取り付けられた部屋と案内された。
奥にも②③といくつか部屋がある様子だった。
応接室はこぢんまりとしていて、ソファーと机、端には観葉植物が置いてあるだけの部屋だった。壁にはイラストが額縁に入れられて飾られている。
このイラストも出版している本の表紙か何かだろうか。
「お呼びしますのでこちらでお待ちください」と受付の人は扉を閉めて立ち去った。俺は飾られたイラストを見たり、窓から外の様子を窺ったりとウロチョロとしていたが、中村は静かにソファーに腰を下ろしていた。
「あ、こういうときは静かに座った方がいいんですかね」
「さすがにそろそろ来るからこっちにこい」
中村は何かを察したように立ち上がり、俺もその横についた。
座ろうかと思った瞬間に扉をノックする音が響き、開けられる。
「お待たせしました、初めまして青木と申します」
この度は御足労ありがとうございます、と頭を下げつつ、こちらに向かってきた。
物腰は柔らかくふくよかな女性で、服装はオフィスカジュアルといった感じだった。
中村と青木は名刺交換をしたあと、こちらを見た。
「あなたが結生さんのお兄さん、でしょうか」
「はい、和倉和希と言います」
「そうなんですね、この度はー」
青木は深々と頭を下げて、挨拶をした。
全員がソファーに座り、本題に入る。
「お話に入る前に、結生さんの絵本をお見せいただくことは可能でしょうか」
青木は提案し、俺はカバンから絵本を取り出した。
「製本は和希さんが?」
「いえ、渡された時にはこの状態でした」
「そうですか」
懐かしむように製本された部分を触って、眺めていた。
そして絵本を読み始めていたが、俺は沈黙に耐えられず、
「妹とはどのように知り合ったんですか」
「ああ、そうですね。そこからお話した方が良いですよね」
青木は語りだした。
図書館ではどのような本が読まれているのか、子どもたちの好きな絵本はどんなものかなど調査していた時のことだった。
職員から絵本作家を目指している女の子がいるという話を聞いており、どんな子だろうと思っていたところ、妹の方から図書館の職員伝手でコンタクトを取ってきたらしい。
最初は子どもの夢を壊さぬよう当たり障りのないことを伝えていたが、繰り返しているうちに仲良くなり、絵本の相談を受けるようになった。
中には絵本のことだけではなく家族や友達の愚痴も聞いてもらっていたという。
そこまで話したところでちょうど絵本も読み終わり、青木は本を閉じた。
「そんな時に私は賞に応募することを提案したんです」
「賞ですか」
つまりは絵本の賞である。
多くの応募が寄せられており、その賞は未成年向け限定のもので小学生中学生高校生がそれぞれの部門で審査されるものだったという。
「もちろん、たくさんの応募があるわけでしたから受賞出来るかは保証できないとは伝えました」
俺はそこに置かれている本を見つめていた。結論がそこに見えていたような気がする。
「でも結生さんは出してみたい、挑戦してみたいと言ってくださり、私も出来る限りの協力をしました」
どんな内容がいいのかを相談したり、作った絵本を青木に見せてアドバイスをもらったりして、名刺はその時に渡したものだった。
そのアドバイスのひとつに家族や友達に見せて感想をもらう、というものだったということ。妹は、両親は褒めることしかしないからダメと拒否していたらしい。
そうして見せる相手に選んだのが、俺だった。
妹は賞に出す絵本を見てもらって、アドバイスをもらいたかったのだ。
ただそれだけの理由。それは叶わぬ話となってしまった。
妹はこの世から去ってしまった。
「でも、ある日から来なくなって、私も仕事で忙しくなって図書館に足を運べず、それを知ったのは数か月後でした」
実家の電話番号も家の住所の知らされておらず、図書館の職員から知らされたもののその職員も他の職員から亡くなった話を聞いたのみで、連絡を取ることが叶わなかったそう。
そのことについて、青木から深々と謝罪を受けた。
俺は気にしていないと、告げてもなお頭を下げる青木。
実際妹が亡くなって数か月後ならば来たとしたら母の悲しみがぶり返して、この人にもつらい思いをさせることとなっていただろう。
過去に戻ることは出来ないし、別にこの人が悪いことをしたわけじゃない。
気持ちが落ち着いた今だから冷静に会って話せるということもある。
「この作品に込められた想いなどは聞いていたりしますか?」
切り出したのは中村だった。
「いえ、はっきりと聞いたことはなかったです。でも、テーマやメッセージを考えたらどうかとは提案しました」
その中で「みんなが少しずつ良いことをしたら積み重なって大きな良いことになるんじゃないか」と妹は言った。
それが「世界を少しだけ幸せにする物語」
俺の活動は妹の絵本の影響を無意識的に受けていたのだ。
数年前、何かをしたくなってやり始めた活動。
小さな優しさ。世界を救えるヒーローになんかなれやしないけど、小さな幸せを分けてあげる。
気づけば俺の目から涙がこぼれていた。
「自信がなかったと思います。それまでの彼女の描く絵本は奔放でただ描きたいという思いで描かれたものでした」
はっきりとプロの目線でアドバイスをもらい、おそらく初めてテーマを設けて描いたのだろう、と青木は言った。
「不安の中、否定されたい人なんていない。妹にとってお前は信頼できる兄だったのだろう」
中村は俺に向けてそう言った。
俺はごまかしようがないほど泣いた。号泣だったと思う。
俺はひたすら青木に感謝を述べた。妹の夢を支えてくれてありがとうと。
出版社の建物から出た俺と中村。
「本当に良かったのか?」
俺は中村の方は見ず、空を見上げ続けた。
妹の、和倉結生の絵本は次の賞へと出されることとなった。青木は受賞するとは限らないし、ただ埋もれておしまいかもしれないと言っていたが、それでも良いと伝えた。
埋もれ続けて数年も経っている。ずっと俺が持ち続けているよりは良い。
誰かの目に入って、誰かの心に残るものだったらなお良い。
もし、受賞して出版されることになったら両親にも伝えなければないが、それはその時に考えよう。
「俺はあの絵本が大賞を受賞すると思っていますよ」
「そうか、かもしれないな」
中村は微笑んでそう言った。
その後そのまま会社へと戻り、中村と水越に別れを告げることとなった。
「この度は本当にありがとうございました」
腰を直角に折り、深々と頭を下げた。
「納得はしたか?」
「ええ、本人にしかわからない想いが込められてなくてよかったです」
水越はチラチラと中村に視線を送っている。
この人はまだ諦めていないらしい。
「お金は良い。明日からも会社に来い。仕事をくれてやる」
返事を聞く間もなく中村は会社へと入って行った。
水越は「も~」なんて声を上げて腰に手を当てていた。
俺は思わず笑みをこぼさずにはいられなかった。
***
入社してから数か月。
相変わらず、俺はいつものように世界を少しだけ幸せにする活動を行っている。
「凪、今日も置いとくね」
「おう、あ……もういない」
公園の事務所にいつものように拾ったゴミを置き、横切った交番で警官に挨拶をし、そして会社に到着。
「遅い」
開口一番はその一言。
これから客が来るから失礼のないように、と釘を指す中村。しかし、彼はその前にこっちに来いと手招きをした。
椅子に座る中村の横に立つ水越の姿もあった。
見せられたパソコンの画面には絵本の賞の結果発表が公表されていた。
「こんにちはー」
会社の入り口から声がし、俺はお客さんを出迎える。
死者の声は聞こえない。形見は何も語らない。
残された人は、遺されたものに理由が欲しい。
正解はないのかもしれない。
でも、そこに滞った想いは解消しなくちゃ前を向けないから。
いつか思い出が、遺された想いが悲しいだけのものでないことに気づけるように。