第3話『想いが漂う部屋』
あれから数日かけてよく本を買いに行った本屋、通学路、今はもうやってない駄菓子屋を営んでいた家。思い当たった場所を巡りながら中村と共に行動した。
毎日、世界を少しだけ幸せにする活動を優先してから会社に向かうため、遅刻の連続でその度にチクチクと冷たい言葉をかけられる。
何日も共に行動していくうちに中村という人のことは少しずつ見えてきたような気がする。この人は俺に対する態度ほど怖い人物ではない。
そもそもこの人を怒らせている原因は俺にあるのだが、それだけではなくこの人は自分を表現することに不器用なのだ。
目いっぱい喜びを表現するということをしない。基本的に落ち着いているように見せている。きっとそれは心の壁なのだろう。
それはさておき、今日はついに俺の家に中村を招待することに成功した。
面接に行った日、さっそく母に内緒で父に伝えたところ、悩ましい表情はしたものの許してくれた。むしろ、お前に寄り添ってやれなくてすまないと謝られてしまった。
俺はそんなことは気にしてはいない。つらかったのはお互い様だ。負担の大きさで言えば父の方が大きいと思う。
そんなこんなで父は仕事に休みを取り、朝から母を連れだして遠出してくれることになった。近くではなくすぐ戻ってきて鉢合わせしないように配慮してくれた。
一戸建ての我が家。俺の部屋と妹の部屋は2階にある。
「いらっしゃいませ。時間はきっちりですね」
「それが普通だ」
嫌味を言いながら玄関に入る中村。俺はその中村を誘導し、2階の妹の部屋へと案内する。
「どうした?」
俺は妹の部屋の前で立ち止まり、ドアノブに手を描けることをためらった。
ここを開ければ亡くなった妹と向き合わなければならない。怖かった。
固まっていると、中村は一言。
「ノックぐらいしたらどうだ?」
「……」
一瞬あっけに取られてしまったが、あとから笑いがこみあげてきた。
途端にその場の空気が和んだ。
「結生―。入るぞー」
俺はそう言ってドアをコンコンとノックした。当然返事などかえっては来ない。
静寂だけが返ってくる。
そのまま俺はドアノブに手をかけて、扉を開いた。
そこに広がっていたのは時間に取り残されたかのように昔の儘の妹の部屋だった。埃っぽくなっていないのは毎日母が掃除しているからだろう。
だけど、そこは幽霊がいるのではないかというぐらいひんやりとした感覚に陥る。
そこまで空間が違うような、何かを感じた。
部屋には机とベッド、本棚には一段を除き、売られている本は置かれていない。本棚に並べられているのは自作の絵本。実際は製本もされてない紙の束で本棚に収まりきらないものは横に積み重ねられている。
一番下の段にだけは絵の描き方や絵本の作り方などの内容のものが並べられていた。
机には当時の教科書が並べられており、その横にランドセルが掛けられていた。
小学生の子どもの部屋がここにはあった。
一通り周囲を確認した中村はこちらに振り向いた。
「本当に良いんだな」
「はい、やっちゃってください。あ、でも物は出来るだけ元の場所に」
「わかっている」
中村は本棚に並べられている紙の束から確認し始めた。
その絵は俺が手渡された本よりもずっと前に描かれたもので、絵はもっと拙かった。
年代ごとに並べられているわけではなかった。
彼女の中で出来が良いものを本棚に並べていたのだと思う。
「死者は何も俺たちには伝えてくれやしない」
沈黙を破ったのは中村の言葉だった。
「でも、こうしてだれかの思い出に触れているとその遺されたものが語りかけてくるように感じる時がある」
「たしかに、ただこの空間にいるだけで何か色々考えちゃいますね」
「そうでも考えなきゃ心が落ち着かないからだろうな」
絵本を見つめながら中村は笑った。
「何も遺すものは物や言葉に限らない」
「気持ち……的な?」
「さてな。だが、言葉ではない何かがそこには漂っている」
言葉には言い合わらせられない感情とでもいうのだろうか。
「もしかして、会社名の由来って」
「そういうことだ」
「なるほどー。漂流する想いかあ」
中村は絵本を手に取り、読み始める。
「ここらの絵本は読んだことあるのか?」
「いつも両親の後でしたが、ありますよ。」
そう、いつも妹が出来上がった絵本を見せる相手は両親でその次に俺だった。両親はどんな絵本でもべた褒めをしていて、その時間はすごく明るい空間だった。
妹の様子はと言うと最初の頃は喜ぶ両親と共に嬉しがっていたが、年齢が上がってくると褒められることよりも絵本を良くするためにどうしたらいいのかの方が聞きたいらしく、両親の誉め言葉に対し、不機嫌になることもあった。
不機嫌になった日には俺の部屋にやってきて、勉強する俺の目の前に絵本を差し出してきた。俺は最初こそ仕方なく受け入れていたが、中学生の頃にもなるとうっとおしくなり、嫌味な指摘を繰り返していた。
すると妹は泣きそうになりながら絵本を自室へと持ち帰って行った。
でも、それで終わる妹ではなかった。
それからも両親に見せた後は俺に見せるルーティンは変わらず、その度に絵本を読まされた。俺が絵本を読んでいる間はずっと俺の部屋の隅で本を読んだり絵を描いたりしていた。
それ以上邪険に扱うことは出来なかった。慕ってくる妹に当たりたくなることもあったが、それをするのは一線を越えたことのような気がして、ただ妹の行いを受け入れた。
「それで悪いところばかり、か。追い出そうとはしなかったのか?」
「追い出した程度で諦めるなら、しつこく見せに来ないでしょう」
「兄妹仲は悪くなかったようだな」
そうですかね、と返したところ中村は視線を上げた。
「きょうだいというのは存外仲が悪いものだ。」
「よくもなかったように思いますけどね」
「それを兄妹仲が良いと言っている。血のつながりはなくとも距離が近すぎれば人の嫌な側面ばかりが目に付く。家族ともなれば他人よりも遠慮がない」
その言葉には重みがあった。実体験を話しているような苦い顔だった。
「それは自分の話ですか」
「兄と姉がいた。どちらも我が身を振り返らないタイプで割を食うのはいつも俺だった」
「なるほど」
中村の兄姉は、人には文句言い続けるが自分の悪いところを指摘されれば感情的になって話にならない人たちだったそうだ。
そういったこともひとつの理由で中村は一足先に一人暮らしを始め、兄姉とも連絡は取り合っていないらしい。両親とだけ、最低限。
「お前の中で一番面白いと思ったのはどれだ」
「面白いもの、ですか?」
別の絵本を取る時に中村は質問をした。
面白いと思った絵本。と言われてもどれもが小学から中学生時代に読んだもので良く憶えてはいない。
「お前も読んでみろ。何か思い出すかもしれないだろ」
そう言って中村一冊俺の手に渡した。
その一冊は他の絵本よりも拙い絵だった。書かれている文字も崩れていて読みにくい。いやもはや
「読めない」
「低学年の字に期待する方がおかしい」
「それはさすがに失礼では」
中村は別の絵本を手に取り、めくっていく。
「読めてるんですか?」
「雰囲気で見てる。わかる必要はない」
そうして俺も絵本に目を落とす。
そこに描かれているのは、人。
人が並んでいる。
思い出して気がする。これは家出した少女があちこちで動物と出会って、それで色んな動物たちと触れ合う物語だ。
当時買ってもらった絵本の影響を受けて真似して描いていた。
今見ると小学生にしては話が整っているというか、真似しているのが丸わかりだ。無理はない。当時は小学校に上がたてなのだ。
むしろ真似して話をつくれたのなら上出来だろう。
俺は当時どんなふうに思ったのだろうか。
俺は当時妹になんて伝えたのだろうか。
思い出せない。
そんなことを考えなら読んでいると最後のページに別の人が書いたと思う文字が記されていた。
「これ」
「やはりお前の字か?」
「そうだと思います」
汚い字をしている。当時は俺も小学生だった。
そこに書かれていたのは、
「よくかけているとおもいます」
「もっと何かないのか」
「小学生に無理言わないでください」
ただ一文そう綴られていた。下には俺の名前が書かれてある。どう見ても俺の文字だった。
少し思い出してきた。直接聞かれて答えるのに苦労したから最後のページに書いておくからと言い聞かせていたんだ。
それはそれで何を書けばいいのかあれこれ悩んで出てこないからとりあえず褒めるようなことを書いていたような気がする。
「他のも読んでみろ」
言われるがままに俺は他の絵本も手に取る。
絵本の内容よりも最後にかかれた自分の感想の方が気になってしまって、最後のページから読んでしまう始末。
そこにはここが良かった、ここの顔が面白かった、ここがこうだったら面白いと思うなど年齢が上がるにつれて褒めるよりも自分の意見を通そうとしているのが見え隠れしていた。それに思わず苦笑いしてしまう。
編集者気取りというのはこのことだろう。
本棚から取り出した絵本を読み終え、本棚に戻すころには中村は本棚横の積み重ねられていたものを読んでいた。
「まだ読むんですか?」
「嫌ならやめる」
「まあ時間もあるからいいですけど」
正直思い出に浸りすぎて自分の恥ずかしい部分すら思い出してしまい、居心地が悪くなっている。
「これには何も書かれていないな」
「それは高学年の頃のやつですかね。絵が上手くなってる」
俺が感想を書かなくなったのはいつからだっただろうか。書かなくなったのはきっとめんどくさくなったからだろう。
中村の手に取った絵本にはボツと書かれていた。
中村が読んでいた絵本から一枚の小さな紙がひらりと落ちた。拾い上げるとそれは名刺のようだった。
表面をみるとそこに書いてあったのは出版社の名前だった。
「大手出版社だな。例の人物かもしれない」
「小さい会社ってわけじゃないから潰れてるってこともなさそうですね」
俺は拾い上げた名刺を中村に見せた。そこには青木志桜里という名前が書かれていた。当然会社名も連絡先でもある電話番号も記されている。
妹が名刺をもらっていたとして、それから数年と経っている。この人が出版社にいるとも限らない。
そうこう考えているうちに中村はスマホを取り出し、電話をかけ始める。
その行動の早さには驚かされる。何か情報を得るのに躊躇いというものを感じられない。
中村は電話をかけた後、丁寧に自分の身元と要件、青木という人に取次ぎをお願いしていた。その際に和倉結生の名前も出して、どのような用事かを伝えていた。
その後、青木という人が出た後は当然怪しまれていたようで、あれこれと弁明していた。数年前どの程度の関係だったか知らないが、亡くなった和倉結生の名前を出して知らない人物が電話かけてきたら誰だって怪しむだろう。
しばらく話した後、中村は俺にスマホを差し出してきた。
「出ろ」
「はい」
スマホを耳にあてて、俺は返事をする。
「お電話変わりました、和倉です」
『和倉和希さんで間違いないでしょうか?』
「間違いないです」
『私は青木と申します。数年前、結生さんとは図書館で知り合いまして、絵本制作について相談に乗っていました。和倉和希さんは結生さんから受け取った絵本について知りたいということですよね』
俺は「はい」と返事をした。
『私も一度お会いしてみたいと思っておりました』
青木という人は絵本制作している妹と出会い、出版社からの目線で簡単なアドバイスをしていたという。図書館で会うだけの関係だったため、妹が亡くなったことを知ったのは数か月経ってからだったらしい。
家の場所も知らず、挨拶に行こうも行けない状態だったのだそうだ。
名前と絵本作家を目指しているということしか知らない間柄だったのだから仕方ない話だろう。
俺は青木と言う人に会ってみることにした。それを中村に伝えて、スケジュールについてはそちらに任せた。後日3人で会うことになった。




