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第2話『思い出を巡る』

 水越は何枚かの書類を印刷し、俺の前に提示した。

 その内容は業務に必要な情報を開示することに対するお願いや個人情報の取り扱い、契約に関する書類だった。

 難しく書かれているものの水越がひとつひとつ丁寧に読み上げて説明していく。


「これはあくまで協力のお願いであって、強制ではありません。言いたくないこと、言えないことは言わなくても問題ありません」


 人の想いを紐解くにはその人の情報、家族との関係などを明かさなければ推測することも出来ない。

 しかし、個人情報を簡単に流していいものではない。契約書にも協力は要請するが、絶対開示しなければならないものではないと記されている。


「本当にいいんだな」

「はい」


 ソファに座る俺の横に立ち、見下ろす形で見つめる中村。念を押す様に何度も聞いてくる。これは死者の声を聞くものではないし、代弁するものでもないと。

 おそらく今までもそう言ったことを期待し、揉める客もいたのだろう。

 彼はこの仕事のことを「想いの整理を手助けする業務」と言った。気持ちの整理をつけるための工程なのだと。

 いつまでも手放せず、亡くなった人物の想いが込められているのなら捨てることも出来ない。そんな人たちが納得する理由を探し、また前を向けるようにサポートする仕事だと。


「絵本を」


 中村は俺から絵本を受け取り、向かいのソファに座ってパラパラとめくり始めた。視線はそのままにして、


「読んだことは?」

「……一度だけ。でも内容はもう覚えていません」


 妹が一度帰宅し、すぐ家を飛び出して出掛けるそのわずかな間に手渡された絵本。妹が家を後にした時に一度だけ目を通した。妹が返ってくるちょっと前にもう一度読んで適当に感想を言えばいいかと思っていた。その日の夜からの出来事で内容は吹き飛んだ。

 まずは妹の帰りが遅く、捜索が始まり、家の中は騒然となった。それからほどなくして、事故の知らせが届いた。即死だったそうだ。


「妹の……和倉結生さんについて聞く。話せるか?」

「……はい」


 中村は俺が書いた書類から妹の名前を読み上げて、こちらを覗くようにして見た。

 今の俺は酷く辛そうな顔でもしていたのかもしれない。


「まずは調査対象の品は『絵本』でよろしいですね?」


 先程までは雑な対応をしていた中村は口調を変えて、聴取が始まる。

 契約書をひと通り書いた後に手渡された書類には様々な質問事項が並んでいた。

 これを基に質問をしていくらしい。


「年齢とか身長とか、書いてますけど必要なんですか?」

「あるに越したことはない。わからないならわからないでいいし、言わなくても良いと思うならそれも良い」


 中村は一度俺の顔を見て、続けた。


「あくまで推測になるが、身長が低い人物の場合、多くの人が高い位置の物に手が届かないという経験をする。そこから人に頼むのか台を用意して自分で取るのか。それらによって性格の傾向も見えてくる。そういう類の話だ」

「なるほど」


 つまりは人物の情報を引き出すために活用しているというわけだ。

 項目を追うようにして中村は質問を繰り返す。

 妹の性格、交友関係、兄妹仲。


 妹は幼くして絵本作家を夢見る少女だった。図書館の読み聞かせに夢中になり、それから事あるごとに図書館へと足を運んでいた。兄であるという理由だけで妹を図書館に連れていかされたのを覚えている。

 憧れるなりすぐさま家にある紙に絵を描き、自分なりの絵本を作り始めていた。両親はそれを微笑ましく見守っていたが、描く量に家の紙が足りなくなったのを見て紙と一緒に画材も買いそろえていた。


 彼女の性格は明朗快活というのが適しているだろう。明るく振舞って、元気いっぱい。その姿から交友関係も広く、学校で見かけるといつも誰かと共にいたし、いつしか俺とではなく友達と図書館を行くようになっていた。

 と言っても、しばらくすると友達とはいかなくなっていた。図書館には絵本の勉強をするために行っていたため、友達は退屈していたのだろう。

 

 小学生になった頃には、親に親戚に友達に「自分の夢は絵本作家になることです」と伝えて回っていた。その夢を馬鹿にする人はいないこともなかったが、その真剣さにすぐ離れていった。


 絵画教室に通って絵の勉強を本格的に始め、親から聞いた話だが、図書館で絵本の読み聞かせもやっていたらしい。

 妹はまっすぐ夢に向かって走り続けて、邁進し続けていた。

 夢だけにまっすぐだったわけではない。友達との付き合いも蔑ろにすることなく、放課後や休日に遊びに行くことも珍しくなかった。器用に生きていた。


 自分から見た妹のことを話した。中村はただ相槌を打ちながらパソコンに打ち込んでいる。


「すごい妹さんだったのね」

「お前はどう思っていたんだ? その妹のこと」


 俺は妹が妬ましかった。器用に何でも出来て、周りとも上手くやって、両親にも褒められて。夢に向かって進み続けるしっかり者の妹ばかりを褒めていた両親。俺は少し嫉妬していた。俺にはそういう夢も目標もなかった。

いや、妹の姿が眩しかっただけかもしれない。

 彼女を見るたびに絵は上手くなり、交友関係も広がり、自分がダメな人間であるかのように感じる時もあった。

 亡くなる直前頃には妹に対し、冷たく反応することも多かったと記憶している。それでも妹はよく俺の部屋に入り浸り、本を読んだり絵を描いたりしていた。

 妹のことが嫌いなわけではないから追い出しはしなかった。

 妹は俺のことどう思っていたのだろう。


 そんな話をしていると、水越が立ち上がった。


「ごめんなさい、これから別件があるので外します」

「……」


 俺に向かって一礼する横で拗ねた子どものように水越を見つめるその視線は鋭かった。

 水越の方はまったく気にせずと言った様子でそのまま立ち去っていった。

 残されたのは不愛想な男と自分。


 急に居心地が悪いような気がしてきた。


「それで……えーっと」

「ちょうどいい。場所を移動する」

「どこへ?」


 中村は立ち上がり、壁に掛けてあった車のキーを取った。


「思い出の場所巡り」

「思い出の場所巡り、ですか」


 思わず復唱してしまった。

 扉の前で立ち止まり、振り返ってまだ座りっぱなしの俺を見つめた。

 その目は早くしろと言っているようで慌てて立ち上がった。


 建物を出ると戸締りするからと先に車のもとへ行くように告げられた。

 告げられた駐車場には数台の車が停められており、だれの車だろうかと考えたが水越の事務所が階段を上がった先にあるのだと思い至った。

 すぐさま中村が合流し、誘導されるがままに乗車した。


「で、具体的にどこに行くんですか」

「家については両親とも相談した方が良いだろう」

「それはー……そうっすね」


 中村が言っているのは妹の部屋を調べたいという話だろう。中村を呼ぶのならば母はともかく父には許可を取る必要があるだろう。

 母の許可は下りないだろうし、見ず知らずの男が入るというのならば精神的にも良くないだろう。

 時間を見て父にも相談しよう。


「だから図書館に行くことにした」

「了解です」


 それから走行中、中村は喋ることが無く、車内は沈黙が続いた。

 俺はしびれを切らし、


「中村さんはどうしてこの仕事をしてるんですか?」

「……」


 一瞬だけこちらに目を向けて、また前を向きなおした。


「聞いちゃマズかった感じですか?」

「いや、よく聞かれる。大した話じゃない」

「もしかして、中村さんも遺品を渡されたとか。……図星?」


 あからさまな間があった。その表情には当てられたと書いてある。案外わかりやすいタイプなのかもしれない。


「そうだ。古くからの友人が俺宛に手紙と木彫りの指を遺していった」

「手紙と指輪、ですか」

「自殺だった。手紙には俺に対する感謝と謝罪が書かれていた」


 誰かが亡くなっているというのは想像できたことである。しかし、自殺だったというのは予想外で息をのんだ。


「だが、指輪のことは一切触れられてはいなかった」

「前から木彫りで何か作られていたとか?」

「少なくとも俺は知らなかった。渡されて初めて知った。ご両親も本人が作ったこと以外知らないと言っていた」


 赤信号で止まった際にネックレスにしてある木彫りの指輪をちらりと見せてくれた。


「調べてみたが、結局何を想って俺に渡したのかはわからないままだ。死者の声が聞こえないことは俺がよく理解している」

「……」

「この仕事を始めたのは、自分自身が納得する理由を探しているからだ。答えのない問いをずっと考えている」

 

 第一印象はとても厳しい人に見えた男は、人一倍悲しみに暮れていた人物だった。語る中村は刺々しくも弱々しくも感じられる。


「この仕事をするにつれて、人は正解が欲しいんじゃない。自分が納得する何かを求めていることに気づいた」

「自分が納得する理由」


 中村は頷く。


「だからこの仕事は」

「死者を代弁するものではない」

「そういうことだ。わからないというのは人の不安を誘う。正解ではなくとも自分の納得する何かがあれば落ち着ける」

「何かわかる気がします」


 図書館に到着すると、中村は話をさっさと切り上げ、荷物を手に降車した。

 続くように車を降り、図書館の建物を見上げた。


 図書館にはしばらく来ていない。無意識のうちに妹との思い出を避けていたのかもしれない。久々に訪れた図書館は大きく変わっていないように感じられた。


「行くぞ」

「はい」


 中村に声をかけられ、後を追う。

 図書館の中に入るとロビーが広がっている。そこは基本的に同じなものの細かい内装や物の配置が異なっており、すべてが元のままではないのを実感させられた。


「妹は本を読みに来ていたんだよな」

「はい、来るたびまっすぐ絵本コーナーに向かってました」


 いつも前のめりに進む妹の背中を追い、絵本コーナーに訪れていた。両親のように自分の読みたい本を取りに行くこともせず、妹が目の届く範囲にいる位置で窓の外や本を読む人を眺めていた。

 妹から目を離すのが不安だったのだ。でもずっと絵本を読み漁るがために自分も手に取り読むこともあった。


「思い出したことがあれば、遠慮なく言ってくれ」 


 中村はそう言って絵本コーナーへと足を向けた。後を追って、絵本コーナーに足を踏み入れると聞こえてくる読み聞かせをしている声。

 絵本の読み聞かせをしているようだった。

 中村は子どもでも取れるような高さになった絵本の棚を見下ろしながら、歩き続ける。


「妹は読み聞かせもしていたんだったな」

「話に聞いていただけですが、やっていたみたいです」

「そうか」


 中村は目線を絵本に向けたまま、返事をした。

 一通り見終わった頃には読み聞かせも終わって、子どもたちが散り散りになり、少々賑やかになった。

 すると、中村は読み聞かせをしていた女性に声をかけ始める。

 名刺を取り出し、自分はどういうものなのか、どういう理由で来たのかと丁寧に説明していた。


「もしかして和希くん?」

「和倉和希です。その節はどうも」

「久しぶりねえ」


 中村の話を聞いた女性はこちらを見るなり、泣きそうな顔で何度も下げていた。

 場所を移し、ロビーの一角で妹の話を聞くことになった。


「結生さんは読み聞かせをしていたという話ですが、どのような経緯で?」


 話を切り出したのは中村からだった。


「結生ちゃんは小さい頃から図書館に訪れては絵本を読んでいて、みんなに絵本作家になる!って夢を語っていたんです。そのことは和希くんも知っているわよね?」


 「ええ」と頷く。


「結生ちゃんも大きくなってからも図書館に来て、絵本を読みあさって、いつからか他の子どもの相手もするようになっていたんです」


 妹は絵本を読むだけに留まらず、図書館に来ていた他の子どもにも目をかけて、色々話したり、絵本を勧めていたりしていたようだ。


「その様子を見て、私が提案したんです。読み聞かせやってみない?って」


 その言葉に妹は喜んで引き受けたそうだ。最初こそ噛んだり読み間違えたり多かったが、何度もやるうちに慣れていったという。

 回数を重ねるごとに子どもとも仲良くなって、読み聞かせに来る人数も増えていたのだとか。

 盛り上がりすぎて注意されることもあったらしい。


「こちらの絵本はご存じですか?」

 

 中村は俺を一瞥し、妹の描いた絵本を差し出した。

 女性は驚いた表情をして、


「懐かしい…結生ちゃんの絵本ですよね。いや、この本は知らないです」

「そうですか。懐かしいと言われますと、結生さんの絵本はお読みになったことがおありでしょうか?」

「ええ、何度か。色んな絵を描いてきては、皆に見せていました」


 手にとっては、思い出を振り返るように一枚一枚丁寧にめくっていく。

 その本はアルバムのように見えた。

 

「面白くないとか小さな子に言われてムキになっていたわね」

「……」


 静かに読み続けて、懐かしさに浸るように笑みをこぼす女性。


「実は、この絵本が和希さんに手渡した絵本なんです」

「そう…。きっと和希君に読んでもらいたかったんでしょうね」

「俺に?」


 中村が会話を進めるものだから俺は口を挟むことはせず、聞くだけに留めていたが、思わず言葉を発した。

 その様子にゆっくりと頷いた。


「だって、結生ちゃんいつもは和希くんに見せるの躊躇っていたもの」

「それはどういう」


 女性は絵本を読み終えて、返してきた。


「結生ちゃん、よく言っていたわ。いつも悪いところばかり言ってくるって。だから見せたくないって」

「……」

「でも、この絵本はよく描けている。いつもはもっと奔放で自由だったのに、この絵本はすごく考えて描いたんだなってのがわかる」


 女性は俺の目を見て、微笑んでいる。その笑みは懐かしく感じる。昔妹の付き添いでやってきた時もこの笑顔で迎え入れられた。しわが増えて、もうおばあちゃんにもなるだろうに変わらないような印象を受ける。


「つまり、悪いところを直したかった?」

「私の考えでは、そうなんじゃないかって思います。ご両親よりも図書館のみんなよりも真っ先に和希くんに見せたのは、いつもよりも気合を入れて描いたものだったからじゃないかしら」


 中村は女性の考えに「なるほど」と頷いた。

 悪いところを指摘していたわけではない。あの時は嫌がらせのつもりで否定していただけだ。良し悪しなんて俺にはわかってはいない。

 そういえば、と女性は話をつづけた。


「……いつだったか、結生ちゃんと仲良くしていた方がいましたね。確か出版社の方で、よく結生ちゃんの相談を受けていました」

「出版社……というと絵本出されているところとか?」

「そうだと思います。詳しくは私も知らないんですが、誰か知っている人は今日来てない……かな」


 女性は建物の奥の方へと視線を向けて、今日来ている職員の顔を思い出すようにそう言った。

 その後からは俺と女性の昔の思い出話を中心に少し話をした。

 話していると懐かしさのあまり、女性が涙することもあった。


「お忙しい中お時間いただきありがとうございます」


 話が尽きてきた頃、中村は立ち上がって一礼した。


「いえ、こちらこそ結生ちゃんの話が出来て良かったです。和希くんとも久々にお会い出来ましたし」


 再度礼をし、中村と俺はその場を後にした。

 建物から出ると呟くように中村は言う。


「良い絵本を作る必要があった。絵本の出版社……」

「何かわかりました?」

「……いや、確証はない」


 そのまま車へと向かい、扉を開ける前に中村はこちらを見た。


「今日はここまでだな」

「家についてはなんとかします」

「無理強いはしない」

「いや、今日の中村さんを見ていたら、俺もなんとかしたいなって。自分のことだし」


 ちょっと照れくさくなって、頭をかきつつごまかした。


「明日からの都合は?悪い日はあるか?」

「いや、自分無職なんで」

「……そうだったな」


 俺の言葉に鼻で笑った。この人が笑う姿をようやく拝めた気がする。


「じゃあ、明日別の場所を巡るぞ」

「わかりました」


 車に乗り込み、帰る途中どこへと向かうのか相談しながら会社へと向かった。

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