第16話 現実を掴むなら、爪が要るだろ
深夜になって、起動試験の前に玉さんから操作だけ叩き込まれた。
「移動は左スティック。タイヤ切り替えは左上。右スティックは照準系。右上で腕や姿勢の切替。ボタンが各モーションの選択、決定。マニュアルは送った。細部は動かしながら覚えてくれ」
「雑だな」
「眠い。細部まで口で説明する体力がない」
「コマンド。マニュアルを左上に固定」
〈マニュアルを左上に固定表示します。初期表示:目次〉
ARコンタクトの端に、操作マニュアルが開く。
移動、攻撃、回避、上半身操作、腕操作……。
ゲームの画面に似ているのに、項目の一つひとつがやけに重い。
操作はゲームでも、結果と責任は現実。
「ゲームっぽいのに、ゲームより面倒だな」
「これでもゲームに寄せて、かなり省いている」
自分の頭を向けた方向へ、機体のカメラも遅れて追従する。
視点操作をしなくていい分、そこは楽だ。
作業台には、空になった缶コーヒーと、食べかけのおにぎりが一つある。
サーキュレーターの音だけは、昼からずっと同じ調子で回っている。
俺は作業台の横に置かれた椅子に座り、密閉型の操縦用ゴーグルを被る。
手には、有線で繋いだゲームコントローラー。
見慣れた形なのに、そのケーブルの向こうには三メートル超の軍用機がいる。
いつものコントローラーなのに、握った瞬間だけ重さが違う。
「まだ立たせるなよ。まずは膝を引いて、手を床だ。リフトと工具棚には当てるな」
「分かってる」
「起動する」
玉さんが最後のキーを押す。
『有線制御を確認しました。初回起動です。周辺の人は安全距離を取ってください』
「安全距離って、どこまでだよ」
「いいから、ゆっくり動かせ」
〈スリープ解除〉
〈コアAI疎通:未応答エラー〉
〈センサー系AI疎通:正常〉
〈駆動系AI疎通:正常〉
〈武器系AI疎通:正常〉
〈ドローン制御AI疎通:未応答エラー〉
〈開発用:有線制御確認。通信経路6/6 正常〉
〈命令入力:待機中〉
ログは正常。
ゴーグルの黒が、ざらついた灰色へ変わる。
作業灯に照らされた床と、牙っさんの靴先が映る。
「映った」
スリープから起こされた機体が、低く息を吐くみたいに唸る。
最初はファンの回転音だ。
冷却系の音が、一段だけ太くなる。
膝の周りから、薄い白い霧が漏れた。
牙っさんがチェーンを外し、機体から半歩離れる。
「駆動系が起きたら、電源の入った車と同じだ。手ぇ挟むなよ」
「怖いこと言うな」
「……動くぞ」
俺は息を止める。
R2ボタンを押し込む。
次に膝を引き、手をつくコマンド。
押したのは指一本だ。
だが、工場の床を踏み鳴らすのは三メートルの巨体だ。
入力した瞬間に跳ねるゲームキャラじゃない。
関節の奥で駆動音が重なり、ようやく巨体が反応を返す。
牙っさんが機体の横で手を上げ、いつでも油圧ジャッキを差し込める位置に立つ。
BULKの両脚が、床を擦って曲がる。
続いて両手が、ゆっくり床へつく。
床が鳴る。
工場全体が、ほんの少し震える。
その姿勢は、まるで俺たちに頭を下げたみたいに見えた。
「止めろ。そこでキープ」
「キープ」
俺は入力を止めた。
灰色の機体は、両手をつき、上体を前のめりにしたまま止まっている。
「次は立たせるぞ。ゆっくりだ」
「分かってる」
もう一度、R2系のコマンドを入れる。
灰色の巨体が、手で床を支えつつ、折り曲げた両脚に質量を乗せていく。
そこから、ゆっくり立ち上がった。
背中から伸びたケーブルがずるずると床を擦る。
床から伝わる重苦しい震えは、ゲームの擬似的な振動とは、生々しさが全然違う。
「一歩だけ」
左スティックを、わずかに前へ倒す。
機体の脚が、数センチ動いただけで、床が鳴る。
だが、超伝導モーターの関節は不気味なほど滑らかで、音ひとつ立てない。
「L1。タイヤ」
L1ボタンを押す。
かかと側で、カシャンと重いロック音が響いた。
「戻せ。工場の中で走るなよ」
「分かってる」
「次は右手操作。軽く開けて」
R1ボタンを押しながら、他のボタンを軽く入れる。
機体の右手が、開く。
太い指が一本ずつ動き、空気を掴むみたいに広がる。
もう一度、握る。
握るというより、独立したアームが順番に折れ曲がり、強固な万力を形作るような動きだった。
画面の向こうに手がある。
俺の指の動きが、ケーブルを通って、三メートルの金属の指先まで届いていた。
「最後。攻撃モーション。入れたら、完了まで待つ」
牙っさんが、赤い柄の大型パイプレンチを機体の右手に持たせる。
続けて、トラック荷台の補修用だった鉄板を、古タイヤに立てかけて下がる。
「厚みが8mm ある。遠慮はいらねえ。ただし外すな。壁に当てたら俺が泣く」
「急に難易度上げるな」
マニュアルを横目に、十字キーとボタンを順番に押す。
押した瞬間に殴るわけじゃない。
まず右肩が沈み、腰が逃げ、機体全体が殴るための姿勢を作る。
胸の装甲がきしみ、肘が遅れて上がる。
ただ手を振るのとは違う。
力を乗せるために、肩と腰が先に位置を作っている。
腕が振り出しの位置へ入った。
ブンッ、と工場の空気が揺れる。
パイプレンチが、鉄板の中央へ叩き込まれる。
ガンッ!
工場中に音が響き渡る。
鉄板が古タイヤごと跳ね、中央が拳ひとつ分、深くへこむ。
近くの空き缶が、床の上を少し転がる。
これなら、届く。
NPI相手なら、押し切れる。
BULK相手でも、十分に戦える。
「これ、使える」
声が少し上ずる。
ゲームとは違う。
俺の操作が、現実になる。
怖さは、コントローラーごと握り込んだ。
「止めろ。十分だ」
攻撃モーションが終わっても、腕は止まらない。
肩が戻り、肘が畳まれ、勝手に安全な姿勢へ戻っていく。
「俺、戻してないぞ」
「攻撃後は、標準姿勢に戻る」
「体勢が整う前に次を入れてコンボは?」
「今は無理だ。終わるまで待て」
「格ゲーのキャンセルは」
「まだ無理だ」
まだゲームみたいにはいかない。
未完成。
重い。
遅い。
でも、動く。
「名前、つけねえか」
牙っさんが、ふと言った。
「こいつ、もうただの鉄の塊じゃねえだろ。名前がねえと、呼びにくい」
俺は、ゴーグルの中で灰色の手を見ている。
三メートル超の装甲をまとった、俺の手ではない手。
コントローラーのボタンを押すと、そいつの手が開き、閉じる。
感触はない。
けど、画面の中のこれは、何かを掴むための手に見える。
「……かぎ爪」
考えるより先に、声が漏れる。
視界の端に、小さく単語が浮かぶ。
〈かぎ爪:【英】talon――猛禽類の爪〉
「こいつの名前は、タロンだ」
「タロン?」
「サジェストで出てきた。鴉が、現実を掴むなら、爪が要るだろ」
口にしてから、少し恥ずかしくなった。
牙っさんが、油まみれの手で機体の脚をぽんと叩いた。
「鴉のくせに、爪は鉄かよ。似合ってんじゃねえか」
玉さんも、小さくうなずいた。
「いい名前だ。役割が読める」
「急に現実的だな」
「命名と責務がずれているものは、エンジニアには気持ち悪い」
俺はゴーグルを外さなかった。
もうしばらく、この金属の手を見ていたかった。
「よろしくな、タロン」
タロンは答えない。
開いた手の指先だけが、わずかに揺れた。
俺が無意識に、スティックを少し触っていたからだ。
ゴーグルの中で、その小さな揺れだけが返事みたいに見えた。
敵を殴るだけの腕じゃない。
届かない場所へ、俺の代わりに伸びる手だ。
さくらを取り戻すための、爪だ。




