54. 王家のために
「状況が状況でございます。本日の当家との晩餐はひとまず中止と致しましょう」
レイデン・ルーベルンのその声に対し、エメルディアの返事は明らかに一拍遅れていた。
「え、ああ。そうだったな」
今日の晩餐はルーベルン家との会食。それは何日も前から決まっていたことだが、今日になってエメルディアの頭からは消えてしまっていた。
思い出したエメルディアは、会釈をして去り行くレイデンを後ろから呼び止める。
「待ってくれレイデン公。中止にする必要はない。ロザリード嬢もすでに準備しているだろうし。予定通りで構わない」
振り返ったレイデンは再び頭を下げる。
「恐れ入ります」
困った状況だが、レイデンはエメルディアにとって欠かせない忠臣である。約束を違える理由はなかった。
母は欠席することになるだろうが、それくらいは仕方ないだろう。支度をしたエメルディアは、二人の近衛騎士を後ろに付けて晩餐の間に踏み入った。
中に入ると、十人は座ることができそうな長卓にとても食べ切れる量ではないご馳走が隙間なく置かれている。そして三つの椅子が並べられていた。卓を挟む配置で一つと二つ。二つの椅子の後ろには、青い装いの親子が立っていた。
「殿下」
「待たせてすまない。さあ座ろう」
エメルディアがそう言うと王家の従者がそれぞれの椅子を引く。
王太子が先に座るのを認めてから、レイデンが娘の肩に一度手を置いて腰を下ろす。
そして最後に席に着いたのがレイデンの娘ロザリードだった。初めて見る髪の結い方だが、着ているドレスはあの日の舞踏会と同じものだろうか。身につけている宝石の数はルーベルン家にしては控えめだが、多くの令嬢が模倣しようとしているそのドレスの仕立てはやはりロザリードが着るための形に見える。
座ったエメルディアがちらりと見上げると、ロザリードは一瞬微笑んだように見えたがすぐに視線を下に落とし、ドレスを摘んで静かに腰を下ろした。
レイデンはこの会食の席で改めて婚姻を打診するつもりでいた。ベティオル家とベルクレイン家の支持のみでなく、内務卿とも既に話はついており、機は熟したと判断できていた。
だがそれどころではなくなってしまった。
尺取りが杯にワインを注いでいく。その間もエメルディアはレイデンとロザリードに交互に視線を向けて、口角を高く持ち上げる。少人数での会食というのはあまり経験がなく、このような時はいつも母が隣にいた。
決闘裁判以外のことで、エメルディアは差し障りのない話を切り出す。
「噂で聞いた話だが、そなたの息子レイザが王都へ向かっているそうだな」
「ええ、当家の兵士と共に呼び寄せました。と言いましても、王都に滞在させる予定ではないのですが。件の北部クラウセン家の支援部隊として、我が旗主オルソン・ギースを抜擢致しました。レイザはもうすぐ十四歳になりますので、同行させれば良い経験になるかと」
「それは良い考えだ。まだ会ったことはないが、そなたの息子であれば利発な少年なのだろう。ロザリード、君も王都に滞在して長いから、弟に会いたいんじゃないか?」
「ええ殿下。もう一年近く会っておりませんので、とても楽しみですわ」
「羨ましい。うちの弟のようにならなければいいが」
第二王子クロディアの執政会での粗暴な発言を知るレイデンは、エメルディアと苦笑いを合わせる。
他愛もない話で、三人は笑顔を見せ合った。
「中庭の様子を教えてくれないかロザリード。近頃は忙しくて、あちらに行く機会がなかなかないから」
「庭はようやく薔薇が咲き始めましたわ。令嬢達は皆陽射しを避けて談話室に篭りがちだったのですけど、薔薇の香りがまた庭を賑やかにしています」
「薔薇か。白いのも咲いているか?」
「白薔薇?意外ですわ。殿下は赤がお好きかと。白はまだ蕾ばかりでしたけど、きっと明日か明後日には、綺麗に咲き揃うかと存じます。そうなれば私がお届け致しますわ」
その提案に、エメルディアの頬が緩む。白い薔薇はエメルディアではなく、母が好きな花だった。
「先日リリアンが執政会の尺取りをしていて、話はしていていないが元気そうだった」
「ええ、皆健やかですわ。最近は特に仲良くしていて、ヘレネッサと三人で茶会をするのが恒例になってますの」
令嬢達に対して何か特別な制度を設けてはいないが、ロザリードを中心に秩序が構築されていることはエメルディアの耳にも入っていた。
「我が従兄妹セリタとも仲良くしてやってくれないか。王都の経験がなくて、まだあまり馴染めていないようだから」
「ああ、あれは。なんとも前代未聞の衝撃でしたわね」
ロザリードが口元を隠して笑う。
「フラーエンとセリタの脱走劇。跳ね橋を飛び越えるだなんて、真似できる騎士が何人おりましょうか」
「無事戻ったから笑い話だが、本当に危険なことなんだぞ」
「仰る通りですわ。他の脱走者が出ないように、私が目を光らせておきましょう」
頼むぞとエメルディアが言って、また笑いに包まれる。
「他の者達も元気か?まだ王宮には飽きていない?」
エメルディアが冗談らしく尋ねると、ロザリードも笑って答えた。
「とんでもないですわ。マイス・カリッツ嬢とオールトン家のご子息の婚約が決まって、今は祝福に満ちていますし、皆良縁への夢の話ばかりしています」
「騎士達は集まればすぐ揉め事を起こすが、そちらは平和そうだな」
「気位の高い娘ばかりで、まあ私が言えたことではありませんが。皆仲良くやっていますわ。貴族の娘として、慎ましく品位を持って」
晩餐が始まる前までは何を話そうかと考えていたが、それは杞憂だったとエメルディアはワインを呷る。
ロザリードは十七歳だが、まだワインは飲まなかった。
「落ち着かれましたら、薔薇を見にいらしてください。あなたの薔薇なのですから」
落ち着くという言葉の意味は、当然今の騒動の収束のことだが、ロザリードはそれ以上は決闘裁判の話にはしなかった。
「そうだな」
エメルディアはワインの入った杯を手に取る。しかし口をつけずにそれを置き、浅くなったワインの揺れを見つめる。
それまで黙っていたレイデンだったが、目を細めてエメルディアの様子を察した。
「ロザリード、そろそろ眠る時間だろう」
突然そう言われて、ロザリードは驚いた。まだ予定の時間を半分も過ぎていないし、レイデンとエメルディアはまだ一杯目の途中だった。
だがエメルディアが何かを言う前に、ロザリードはすっと立ち上がり、礼をして速やかに退室した。
ロザリードが廊下に出ると、大窓から見える空には星が満ちており、肌寒い風が長い袖を揺らす。
扉の前で控えていた者達の中にルーベルン家の騎士の一人がおり、その男と一瞬目が合う。男はロザリードだけが出てきたことを確認すると、すぐどこかに行ってしまった。
前で待っていた数人の令嬢がロザリードの肩に羽織ものをかける。
ロザリードはどこかに歩いていく男を目で追いながら、自分には知らされていない計画が動いていることを察した。
ロザリードの退室からしばらくして、ジュラン・ルーベルンが重そうな木箱を持って入ってくる。装飾はなく、鍵穴だけがついた箱だった。
エメルディアはそれを見てすぐに理解する。
「私には、買収できる男とは思えない」
ルアン・ロチェスターに対して、示談の申し出を準備しているのだと思ったのだった。
箱を卓の上に置かせて、レイデンがゆっくり頷く。
「私も同じ見解です。殿下」
エメルディアの眉が動いた。
「この箱をあといくつ用意しようが、たとえ城を与えようがやつは受け取りはしないでしょう。試してみる価値くらいはあるかも知れませんが」
ルアンの覚悟は恐らく並のものではない。大広間での王家への挑戦から、それは誰もが察することができるほど明確だった。
「ならそれは一体」
レイデンは即答する。
「神殿でございます」
エメルディアは一瞬目と口を開き、部屋をちらちらと見渡してからレイデンに顔を近づけた。
「やめるんだレイデン公。そなたの助言はいつも正しいし、私は今正に妙案を欲している。だが誓って、神々を冒涜する気はない」
「いかにも、これは冒涜です。そして殿下にそのようなことをさせるつもりはありません。これが当家の忠誠でごさいます。神殿へ行くのは私一人でいい。私が一人で、大神官とただ話をする。それによって罰が下されようとも、私一人の問題なのです」
「罰はそうであっても、名誉は?汚名はルーベルン家全員が、ロザリードも背負うことになる」
「すでに失われている名誉です」
「何故そこまで」
「我がルーベルン家は、アーレベインの戦いに加わりませんでした」
「そのことか。それはもういい。誰が何と言おうと、そなたは王国のために立派に尽くしてくれている」
「感激の至りにございます。何事もなく、いつかあなたの戴冠を見られればよいのですが、困難はこれからも押し寄せるでしょう。より激しさを増しながら」
エメルディアの声は囁きに感情を乗せたようだったが、レイデンは終始落ち着いた口調だった。
「行かせてください殿下。うまくいけばこの件はこれで終わり、ルアンは気狂いとして扱われすぐに王都を去るでしょう」
エメルディアは深く息を吸う。
「やはりダメだ。もし話がつかなかったら」
「火炙りでしょうな」
レイデンは勢いよくワインを喉に流し込んだ。
「王家のために。これがルーベルン家の忠誠です」




