星と烏と旅の始まり【1】
私の同意を得たことで、クロウは今回の旅の目的地――つまり魔女が住まうというグラシアス山脈について説明し始めた。
彼は拾った小石で地面に簡単な地図を描いていく。なかなか上手い。
「ここがインぺリウム王国の王都で、ここが中央神殿だとする。で、今俺たちが居るのが此処らへん」
そう言って小石でトントンと叩いた位置は、中央神殿から見て南西に位置する森林地帯。
「そして、最終的な目的地であるグラシアス山脈は――此処」
クロウの右手がスルスルと動き、中央神殿より遥か北、隣国との境目の一点を小石が指した。その移動距離を冷静に分析しながら、私はポツリと呟く。
「……遠くない?」
「うん、遠いよ。ここからステラの足なら……軽く一ヶ月は掛かるかな」
さも当然といった様子のクロウだが、私は逆に目を剥く。国内だからと正直甘く見ていたが、これはかなりの長丁場かつ過酷な旅が予想されたからだ。
重ねて言っておくが私はこの三年、ほとんど外に出たことはない。
つまり根本的に体力がない。自他ともに認めるレベルでだ。
暗澹たる気持ちが芽生えかける中、しかし、そこで私はあることを思い出す。
「ね、ねぇ! 此処まで私を連れてきた魔術があるでしょ? あれで移動することは出来ないの?」
一縷の望みをかけた問いだったが、無情にもクロウの首は否定に揺れた。
「あれは師匠の力を借りて造った特別な転移術式だから。申し訳ないけど基本的には徒歩や馬なんかでの移動になると思う」
「うー、そうかぁ……」
思わず項垂れてしまった私に、クロウがどこか慌てたように言葉を重ねる。
「も、もちろん移動には細心の注意を払うし絶対に無茶なことはさせないから安心して欲しい。こまめに休息も取るし出来るだけ野宿じゃなくて宿を取るようにするから……!」
「あ、やっぱり野宿もするんだね」
「あっ……」
しまった、という内心が表情に駄々洩れなクロウに私は思わず吹き出してしまう。薄々気づいていたけれど、クロウはパッと見のクールな印象とは違い、中身はだいぶ可愛らしい感じがする。年上にこう思うのは失礼かもしれないけれど、なんというかこう……人懐っこい犬みたいな。
だから長身で筋肉質なのにあまり威圧的な感じを受けないのかもしれない。
似たような体格のリヴェルタス王子に対しては最初かなり警戒したし、今でも近くに来られると緊張で身体はおそらく強張るだろう。
そう考えると、これはやはり身体に染み付いた過去の記憶によるものなのだろうか?
クロウがかつての知り合いだからこそ、警戒心が薄れる的な?
少なくとも年の近い異性との二人旅、しかも野宿も覚悟しなければならないというのに……私はクロウに対しては何の嫌悪感も湧かなかった。本当に不思議だ。
「……ステラ? ごめん、後出しみたいになって……怒ってる?」
不安そうにこちらを窺うクロウは、飄々としたカラスというよりも主人に叱られた子犬のようで。
私は自然と笑みを零しながら軽く首を横に振った。
「全然怒ってないよ。むしろこっちこそ、ごめんね」
「……? なんでステラが謝るんだ?」
「私、自慢じゃないけど本当に体力がないの。ここ三年間ろくに運動してこなかったし。だから旅してる間はきっとクロウにいっぱい迷惑を掛けちゃうと思う」
それで落ち込んで項垂れたと白状すれば、クロウはその綺麗なオッドアイを両目とも丸くした。まるで豆鉄砲を食らった鳩みたいに。その表情の豊かさにほっこりしていると、私の視線に気づいたクロウが今度は不満げに目を細める。
「ステラはちょっとお人好し過ぎる」
「それはまぁ……これでも聖女ですから?」
「――違う。聖女だからなんかじゃない。ステラだから、だ」
頑ななクロウの態度からは、彼が私を聖女扱いすることへの強い忌避感が滲む。
まぁ聖女になったからこそ私は彼を忘れているのだと思うし、そう考えればクロウの反応も自然なことなのかもしれない。
私はこれ以上気まずくなる前にさっさと話題を変えることにした。
クロウの描いた地図を見下ろすと、指で現在地と言われた森を指す。
「ところで、どうして城からの転移先がこの森だったの? もっと目的地の近くに転移出来ればクロウも楽だったんじゃない?」
こちらの意図を汲んだのだろう。クロウも速やかに話に乗ってきた。
「理由は主に二つある。一つは選べる転移先の中で一番安全度が高いのがこの森だったこと」
「安全? 此処が?」
「そう。魔獣どころかこの森には危険な野生動物がほとんどいない。俺に万が一のことがあっても、転移先が此処ならステラの身に危険が及ぶ可能性が低かった」
「な、なるほど……! じゃあもう一つは?」
そこでクロウは一瞬、目を伏せて、
「神殿の権威が弱くて比較的に手を出しづらい地域だから」
そう淡々と口にした。
しかし痛いほど理解してしまう――クロウが神殿を明確に敵として認識していることを。
「クロウは……神殿が嫌いなの?」
「……そんな生温い言葉では足りないくらいには」
肯定、ということだろう。
私はフィクタ様や神殿の人々の顔を思い浮かべながら、こちらから目を逸らすクロウの顔を眺める。
……実のところ、この森を出てどこかの街に着いたら私はクロウに神殿にも協力して貰うことを提案するつもりだった。フィクタ様は話せば分かってくれる人だし、何より無断かつ長期に亘って神殿を離れることは出来れば避けたい。
それならばいっそ魔女のもとへ向かう許可を正式に貰った上で、神殿のバックアップも受けて旅程を組むのも一つの選択肢なのではないかと。
だが、今この瞬間。
私はその提案が無意味なものだと悟った。
「……悪い。余計なことを言った」
クロウがポツリと謝罪を落とすのに、私はなんとも言えない切なさを覚えた。
彼は私が神殿に好意的なのを知っている。だから不愉快にさせたと思って謝ってくれる。
自分の感情を抜きにして、私を気遣って。けど……私はそんなこと望んでない。
「クロウ」
私はそうするのが当然のようにクロウの右手を掴んだ。
刹那、びくりと肩を震わせたクロウが弾かれるようにこちらを向く。
「謝る必要なんてないの。貴方が神殿を忌み嫌ってても構わない」
「……ステラ、俺は」
「私は貴方と魔女のもとへ行くって約束した。だから、貴方が責任をもって連れて行ってくれればそれでいいの」
反論を封じるように力強く働きかければ、クロウが目を瞬かせる。
そこで私はパッと表情を切り替えてニッコリと笑った。
「とりあえずさ、この森から移動しない? 出来るだけ野宿は避けてくれるんでしょ? それなら私、村でも街でもいいから部屋で寝たいんだけど?」
「う、うん……そう、だね。分かった、すぐ準備する」
私の提案にクロウはコクコクと頷いた。それからどこか照れくさそうに自分の右手へと視線を落とす。――いや、正確には自分の右手を握ったままの私の右手を彼は見ていた。
それに気づいた瞬間、私は慌てて彼の手を解放する。
自分から異性に触れに行くだなんて、なんて大胆なことを……っ!
「ご、ごめんねクロウ……っ! 勝手に触っちゃって――」
「いや、それこそ謝る必要なんてないよ。むしろ嬉しい」
「っ!?」
さらりと告げられた言葉の破壊力に私が色んな意味で顔を赤らめていると、
「……あ、でも左手は出来れば触らない方がいいかな」
不意に彼は自らの左手に目線を走らせる。その不可解な発言に私が首を傾げれば、
「見せたほうが早いか」
そう呟いて、おもむろに左手の手袋を脱ぎ始めた。
そういえば深く意識していなかったが、クロウは何故か左手にだけ手袋を付けている。右手は素手なのに。
だが、その理由はすぐに判明する。
「……あ」
目に飛び込んできたのは、黒鋼色の鈍い光沢。
火柱に炙られるようにしてテラテラと光るその金属製の義手を晒しながら、クロウは穏やかに微笑んだ。
「左側は肩から下がこんな感じなんだ。触ったら硬いし痛いと思うから、出来るだけ俺の右側に居てくれた方が良いかもしれない」
私は何と言っていいか分からず、ただただクロウの左手を見つめ続ける。
途端に、ズキリ、と――どうしてか、酷く胸が痛んだ。




