番外編 善きロンロン市民の嗜み 5
「……で、泣きながら戻って来たわけか」
まったく、その通りでございます。
皆で頑張って作った公爵家(あるいは伯爵家)の景色とか、どんどん薄れていって、アーサーたちの姿も消えて。
気がつくと、わたしは鏡の前にいた。
床にぺたっと座りこんでいると、視界にそれは美しい足先が入って来て、なるほど、シルヴェストリは足の先まで美しいんだなと納得した。
でも。
どんなに美しくても、シルヴェストリはシルヴェストリでしかないし。
わたしは……わたしは、ロンロンの皆のことも、大好きで。ラブエタだってプラブだって、皆、好きなんですよ。それぞれに。
推しは!
推しの数だけいるんだ!
……自分でも、なにをいっているのかわからなくなってきた。
すっ、と空気が動いた。
シルヴェストリが、わたしの前に屈み込んだのだ。こよなく美しい膝が見える。膝にのせている手も見える。あっ、これ顔を上げたら超絶美形と至近距離でお見合いする流れですね、知ってる。
知ってるから、顔なんて上げない。
「アリス」
「シルヴェストリ、わたしやっぱり――」
「自分の身体に戻る、なんていわないでくれ」
「――戻った方がいい気がする」
「なぜ?」
戻らないと、消えてしまうからだ。
「間に合うなら、戻らせて。消したくない」
「わたし以外の男も必要なのか?」
「そういう問題じゃない! いなくなっちゃうのと、そういう……恋愛直結思考とは違う」
「違うのか」
「だって、シルヴェストリも見てたでしょう? エリザベス様なんか……あんなに泣いて」
「見ていない」
はい?
あまりのおどろきに、わたしは顔を上げた。そして、超絶美形インパクトをまともに食らった。
……誰ですか、美人は三日見れば慣れるとかほざいた阿呆は。慣れる気配が皆無なんですが! いちいちビビるし知能は落ちるし動悸息切れ目眩、なんということでしょう、わたし今は実体のない魂というよくわからない存在なのに、生命の危機を覚えるクラクラに襲われるわけでございまして。
つまり、シルヴェストリは、命にかかわるレベルの美形であるという実感が積み上がっていくだけで、全然慣れないです!
それはそうと! 今なんて?
「そのことで喧嘩したばかりだろう」
そういえば、そうでした。
もとはといえば、ほかの乙女ゲームの推しについて、シルヴェストリが文句をつけて、わたしが反論したんですよね……だってムカつくじゃないですか。
そりゃ、シルヴェストリは圧倒的な神レベルの美形ですよ?
でも、だからって上から目線であの程度の男とかいう? 人の推しに向かって!
そもそも、シルヴェストリがわたしの妄想世界を覗いてる方が間違いなんですよ。わたしの超絶プライヴェートを勝手に盗み見ておいて文句をつけるとか、筋が悪いにもほどがあるじゃないですか。文句があるなら見るなよ!
なしくずしになってるけど、覗き見していた件に関しては、絶対許さないし、絶対許さないし、絶対に許さないんだからな! 忘れてないぞ!
……という喧嘩がですね。あったんですよね。忘れてました。喧嘩したことは忘れてましたが、覗き見絶許に関しては忘れてません。許さないので。
いやでもしかし。そんな覗き屋の変態魔族が、見なかった、って?
「ほんとに?」
「見たかったが、我慢した」
……見たかったんだ。そこは隠さないんだ?
ちょっと呆れた顔になってしまったに違いないわたしの頬を、シルヴェストリはそっと手でなぞって。
そして、ささやいた。
「だって、君に嫌われたくない」
だから急に殊勝にならないでくださいツボだから!
「わっ……わたしに嫌われようがなにしようが、関係ないでしょう!」
「関係あるに決まっている。……いや、まぁいい。この話はあとにしよう。それで、戻りたいというのは本気なのか?」
「だって、わたしがいないと消えちゃうんですよ……。シルヴェストリにとっては、邪魔なのかもしれないけど」
「そうだな」
即断! しかもそれ、表明しちゃうのかー。
「かもしれないけど! ……でも、わたしの好きなひとたちなんです」
「だがアリス、君がいなくなったら、わたしも死んでしまうのだが」
……はい?
「それは比喩的な意味でですか」
「比喩的な意味でもあるが、実際そうなると思う。君が、わたしを捨ててほかの男……いや、今回は女の方が強いのか? 名前が出たのはエリザベスだったな。女なのか。そうか、君は女性の方がいいのか? それなら、変身してもかまわないが」
シルヴェストリ、一気に脱線し過ぎじゃないですか!?
わたしはうっかり、女性に変身したシルヴェストリを想像した。……凄いものを見れそうな気がするぞ! 美しいのは確実なので、スクショは欲しいです。
……じゃ、なくて!
「そういう意味で、エリザベス様のお名前を出したわけではないです。その恋愛直結思考をなんとかしてください」
ゲーム直結思考のわたしがいうことじゃないけどな!
「恋愛じゃないのか。エリザベスは攻略キャラではなかったか?」
シルヴェストリに攻略キャラって言葉をつかわれるの、なんか嫌……。
「エリザベス様は、天使ですから!」
「人間だと思ったが」
「わたしが天使といったら天使なんですよ!」
「そうか。わかった」
思わず押し切ってしまった。そして、シルヴェストリも押し切られてくれた。……なんてつきあいがいいんだ。
「とにかく、シルヴェストリが死ぬ必要はないと思います」
「魔族は、基本的に、死ぬ必要がない」
不老不死だからですね、わかります!
しかし、と言葉をつづけながら、シルヴェストリは両手でわたしの顔をはさみ、親指で、そっとくちびるをなぞった。
ちょっ……ちょちょちょちょーっと待っ……待って、卒倒する! 魂って卒倒できるのかな!?
「君を失ったら、存在しつづける必要もなくなってしまう。愛を知った魔族など、脆いものだよ」
やめて。そんな儚げな微笑とか、わたしのときめきポイントがふりきれるから!
バトル漫画なら戦闘力計測器が吹き飛ぶシーンだこれ!
「いやいやいや、だってシルヴェストリって、わたし……というか、乙女ゲームにちょっかいかける前も、そのー、長々と生きてきたわけですよね? 出会う前に戻るだけでしょう? 今さら死ぬとかそんな」
「君に出会い、恋に落ちるまでに何年生きて来たか、どんな風だったかなど、もはや、わたしにはなんの意味もない」
どっかの乙女ゲームで採用されてそうな台詞を、いいきったーッ!
いやもう、……そういうことじゃないの! シルヴェストリがどんなにかっこよくても! 問題は、そこじゃない!
「でも、シルヴェストリ。わたしだって、わたしが愛した世界を捨てられない」
「君は自分の心をもぎとって捨てることができるのか? そんなはずはない。君の記憶は、あのゲームと付随する輩も含めて、君のものだよ。消えたりしない」
あ、これアーサー理論の方の「ずっと一緒」だな……。うん、それはたしかにそうなんだろうけど、でも。
わたしは、エリザベス様の泣き顔を思いだす。思いだしてしまう。
「そういうのじゃなくて、ただ、会って話したり……一緒にお茶を飲んだりしたいんです」
「ああ……君は人間だからかな」
「……はい?」
「人という生き物は、共同体に属し、その実感を得たいのだろう。同類と顔を合わせ、話をしたい、という欲求があるのではないか」
ものすごく冷静に分析された!
ついさっきまで、恋愛脳バリッバリの台詞を吐いていたはずなのに。
「わたしはアリスさえいれば満足だが、アリスはそれだけでは駄目なのだな」
「だって、わたし……」
「だがアリス、たしかにわたしはあのキャラクターたちに嫉妬したりもするが、それでも、君の中にかれらがいるからこそ、君に恋してもいるのだ」
「……はい?」
ちょっと複雑過ぎて、わからないです!
「かれらは君の一部だろう? あの不快な片眼鏡男は、おそらく、わたしに逆らうときに扱いやすいキャラクターなのだろうな」
あー……。そういうことか。
魔族、みたいなものを全然信じないキャラだからこそ、シルヴェストリに流されたくないときに出て来るのか。だから毎回、アーサーが迎えに来てくれると……。
アーサーは、わたしの中の「シルヴェストリへの反抗心」みたいなものなのか。
「……そうか」
「そうだよ、アリス。かれらは君の中にいる。そして、君ほどの想像力があれば、会うことだってできるだろう? 思い浮かべて、会話をすることだって」
長いあいだ、わたしは黙っていた。
皆、わたしの中にいる。一緒にいる。でも同時に、二度と会うことはできないのだろう。
そもそも、会うことなんかできない相手だったのだ。かれらはゲームのキャラクターであり、画面越しに眺めることしかできなかった。それが本来の在りかただ。
――これからは、君が、君を愛してやってくれ。
アーサーは、例によって嫌になるほど正しい。わたしの妄想のくせに、わたしよりずっと正しい。
「シルヴェストリの嫌いなアーサーがね」
「あの片眼鏡だな」
「そう。彼が、いったの。これからは、ゲームのキャラにそうさせるのではなく……自分で自分を愛してくれ、って」
シルヴェストリは微笑んだ。
「アリス、それは悪くない考えだが、それだけでは駄目だ」
「どういうこと?」
「これからは、誰よりもまず、わたしが君を愛するということを知っていてほしい」
なんだか、胸がしめつけられるような心地がした。
たぶん、その愛情を受け入れるために、まず、わたしが自分の評価を高める必要がある、という話じゃないかと思うんだけど。
だってわたし、全然、信じられない。なんで、シルヴェストリがわたしを好きだなんていうのか。そう、走馬灯とか自分だけ本物とか、彼の説明は百パーセント信じたのに、その愛情だけを信じられない。
「シルヴェストリ……わたし、で、いいの?」
「むしろ、拒否されるのは困る。そうだな……必要とされたかった、と、君はいったね。誰かに必要とされたかった、と。わたしには理解できないと思ったものだが、そうでもないな」
シルヴェストリは、わたしを抱き寄せた。
相変わらず、彼の身体は冷たかったけれど、それでも、わたしの心にじんわりと満ちるものがあった。魔族からイメージする言葉ではないけど、それはたぶん――愛情だ。
「わたしは君に必要とされたいんだ、アリス。君のすべてを、わたしのものにしたい」
またしても、どこの乙女ゲームで勉強したんだよって台詞を口にして、シルヴェストリはわたしを抱き寄せていた手をゆるめ、その両手でふたたびわたしの顔を挟んだ。
「シルヴェストリ……」
「君はどうやら、自分自身にあまり関心がないようだ。最後に残った記憶の世界で、自分の過去に手が届かなかったのも、君は君に興味がなかったからだろう」
なるほど感しかない。なるほど……たしかに、わたしは、わたしのことなんかどうでもいいって思いがちだ。
どうでもいいから、モブ顔だった。モブ顔なのかーと不満を抱いても、とくに改造しようとはしなかった。
プラブ世界に行ったときの、あのワードローブのやる気のなさも、たぶん、それに由来するのだろう。ああもう、ほんとうに、納得感しかない。
「だが、もうそんなことはいわせない。君は、このわたしに愛を捧げられているのだから」
シルヴェストリの顔がゆっくり近づいて、そっと、くちびるがかさなった。
彼のくちびるは、やはり、ひんやりとしていた。
わたしはもう……血の巡りがよくなり過ぎて、破裂しそうですが!
あまりの恥ずかしさに!
いやいや、これ無理。ていうかさ、ずっと一緒にいるのに、シルヴェストリってば実は初心なんですか、くらいなにもしてこないよね!
これファースト・キスよ……わたし魂だけどさ……魂のファースト・キスっていうと、なんか凄く誤解が生まれそうだけどさ……。
「かれらは君の中にいる。忘れない限り、いつまでも。わたしは君の中にはいない。覗き見することさえ禁じるなら、せめて、ともに生きてくれ。心の中に逃げ込まないで、ここで、わたしと」
覗き見することはもちろん禁じますけどね! あらゆる意味で!
でも……たしかに、心の中に逃げ込むのは卑怯なんだろうな。シルヴェストリを置き去りにして。でも、それももう、今のようにはできなくなるんだろうけど。
「……シルヴェストリが覗き見しないなら、もっと遊びに行けばよかったな」
「君には『理想の乙女ゲームを作らせる』という野望があったじゃないか。いずれ、この世界で作らせればいい。かれらが出てくるゲームをね」
ヴィクトリア朝英国っていう設定を、どう説明するの……。異世界ものになるのかな。異世界だしなぁ。
意図が伝わらなくて、さすがロンロンを超越する、あやしげなロンロンができそう。
「そうね。善きロンロン市民として、頑張ってみる」
むちゃくちゃ思いだして並べ直した資料写真を心に刻んで。きっと、また作ってみせる。あのロンロンを。
そして。
「わたし以外の誰かの心にも、アーサーたちを住まわせてみせる!」
そう誓ったわたしに、シルヴェストリは少し複雑そうな顔をしたのだった。
これで終わりです。
シリーズを書きはじめた頃にぼんやり考えていたエンドに近いものを、今のエンドにあわせる形で書いたらこうなった……みたいな話でした。