最終話「恒温の家、五つの鼓動と不滅の勲章」
寒い吹雪の夜が過ぎて、もう十五年もの朝が過ぎた。
窓の外には、かつての「特区」が発展し、今や世界中から商人と職人が集まる巨大なファッションの都となった故郷の街並みが広がっている。
けれど、この家の中に一歩足を踏み入れれば、そこには都の発展も、工場の喧騒さえ入り込めない、濃厚で、少しだけ騒がしすぎる「熱」が満ちていた。
「ねえ、お母様! これ、なあに?」
一番下の末娘――ミアが、書斎の奥から古びた一冊の本を引き摺り出してきた。
ミアが小さな手でページをめくると、中から、色褪せつつも鮮やかな紫色を保った、一枚の押し花がハラリと落ちた。
「……あら。懐かしいわね。それはね、お父様とお母様が昔、氷の山で摘んできた、大切なお守りよ」
私がその花――エターナルバイオレットをそっと指先でなぞると、あの夜の、喉の奥が焼けるような熱さと、セドの逞しい腕の感触が昨日のことのように蘇る。
「ふーん。お守りなのに、なんでこんなにクタクタなの?」
「それはね、……誰かさんの体温が、ちょっと熱すぎたからよ」
背後から、賑やかな足音が近づいてくる。長男のセオ、次男のレオ、長女のリナに次女のアン。
「ミア! またお母様の邪魔してる!」
「セオ兄ちゃんだって、さっきお父様の型紙を汚しただろ!」
「うるせえな!」
五人の子供たちが織りなす不協和音。セドに似て生意気で、でも仕立てに関しては驚くほど繊細な指先を持つ子供たち。
長男のセオは、セド譲りのサファイアの瞳で、既に将来の「王立カッター」を目指して修行中だ。次男のレオは私に似て実用的で、頑丈な作業服を縫うのが得意。双子のリナとアンは、ルネの研究所に入り浸って「爆発する布」なんてものを開発しようとして私を肝を冷やさせている。
「……ねえ、お兄様たち。知ってる?」
長女のリナが、少し大人びた表情で囁いた。
「お父様とお母様のクローゼット、変な服がいっぱい入ってるのよ。あの王都の古い制服とか。たまに夜中、二人がそれを着てこっそり部屋に入っていくの、俺見たことあるぜ。近寄れないくらい熱々なんだよな」
「……やだ、恥ずかしい! お父様たち、いい年して新婚さんみたいなんだから!」
子供たちの内緒話に、私は赤くなりながら苦笑した。
確かに、私たちのクローゼットには捨てられない「思い出」が詰め込まれている。
王都へ乗り込んだ時の、あの「偽装結婚」の制服。氷の国を救った、あの「恒温布のドレス」。
時折、私たちは子供たちが寝静まった後、かつての「戦装束」を身に纏う。
それは単なる感傷ではない。あの頃の、がむしゃらでお互いへの想いだけを糸にして縫い合わせていた、あの「熱」を忘れないための儀式だ。
上の子たちはそんな両親の「夜の儀式」を薄々感づいていて、翌朝の朝食の席でニヤニヤしてくるのが、最近の一番の悩み事だった。
そんな賑やかな午後に、一本の豪華な書簡が届けられた。
金色の雪の結晶が刻まれた封蝋。イリシアーナ姫からの、正式な「招待状」だった。
「……えっ、勲章授与式? 私たちに?」
店から戻ってきたセドが目を丸くした。
「おかしいわ。新しい勲章を貰うような出来事なんて最近は……」
けれど、その疑念は王宮の謁見の間に入った瞬間に氷解した。
「エル!! セド!! 会いたかったわー!!」
王座から駆け下りてきたのは、十五年前と少しも変わらない笑顔のイリシアーナ姫だった。
「姫様! 勲章の授与式だと伺いましたが……」
「そうよ! 『十五年間、一度も破綻せずに最高の服を作り続け、なおかつ五人の世継ぎを育て上げた功績』に対して、特製の勲章を用意させたの!」
隣でアーロン王が呆れたように溜息をつく。
「……要するに、イリシアが君たちに会いたかっただけなのだ。そのためだけに、わざわざ国家予算を割いて勲章を新設した」
姫はただ、私たち「最強の布陣」に会いたかったのだ。そのためだけに、無駄に立派な勲章を用意してしまう。それが彼女なりの、強引で不器用な愛情だった。
会場には、懐かしい顔ぶれが揃っていた。
「相変わらず派手ねぇ、姫様は」
ルネが、白衣のポケットから新しい繊維のサンプルを覗かせながら笑っている。
「俺の歌のネタが増えて助かるよ。タイトルは『勲章を私物化する姫君と、制服を着たがる仕立て屋夫婦』でどうかな?」
バルドが、リュートを弾きながら茶化す。
驚いたことに、この二人は今や「夫婦」として、王立研究所の所長とその広報担当として、公私ともに爆発的な騒動を振り撒いている。
「セド兄様、エル義姉様! おめでとうございます!」
そして、煌びやかな正装に身を包んだリアが、一人の男性の腕を取って現れた。
レオナルド。イリシアーナ姫の従兄弟であり、学生時代に図書委員でリアと出会ったあの青年だ。
「兄様たちがいたから、今の私たちがいます。本当に、尊敬しているんですよ」
レオナルドが、かつての少年の面影を残したまま、爽やかに微笑んだ。
さらに、会場の隅には車椅子を押す老人の姿があった。
「……ふん。……遅かったじゃないか、若造ども」
隠居したガストンさんだ。彼は今、私たちの子供たちに、学校では教えない「裏の仕立て術」を叩き込む、恐ろしい「じいじ」として君臨している。
エルとセド、ルネとバルド、リアとレオナルド、そしてガストンさん。
かつて王都を席巻した面々が、今こうして平和な光の中で再び集結した。
「……ねえ、セド」
私は、授与されたばかりの、雪の結晶とハサミが象られた美しい勲章を見つめ、隣の夫を呼んだ。
「……最高に、心地よいわね。今」
セドが、サファイアのような瞳を細めて、私の手を力強く握った。
「……ああ。わかっている」
その手の熱さは、十五年前の吹雪の夜と、少しも変わっていなかった。
偽装から始まり、嘘を真実に変え、極寒の地で愛を刻み。
気がつけば、私たちの周りには、逃がしたくないほど愛おしい「熱」が、こんなにも溢れている。
クローゼットに眠る古い制服。
書斎で眠る不滅の紫の花。
そこで、今ここで笑い合っている、かけがえのない仲間たちと、五人の子供たち。
そのすべてが、私たちの人生という布地に一針ずつ縫い込まれた、消えることのない最高の勲章なのだ。
「……今夜、帰ったらさ。また、おなじこと,しようぜ」
セドが、式典の真っ最中だというのに、私の耳元で囁いた。
「……バカ。制服、アイロンかけておくわよ」
私は、最高の幸せを噛み締めながら、彼の胸にそっと顔を寄せた。
物語は、ここで一旦の終わりを迎える。
けれど、私たちの「熱」は、これからもずっと。
未来という新しい布地を、温かく、そして美しく縫い続けていくのだ。
不滅の紫の花は、今日も私たちの心の中で、世界で一番幸せな色で咲き誇っていた。




