第28話 心と心
「......っ、何だこれ、足が――動かねぇ!」
突如、視界が歪んだ。
人だったそのモノ(以下:死縁団)の掌から溢れ出た闇が、黒い渦となって空間を呑み込む。
その中心にいた俺の身体は抗う間もなく引きずり込まれた。
空間が裂ける。
重力も時間も音も、すべてが"ねじれる"感覚。
まるで、空そのものが喰われているような――そんな異常。
「《亜速》――!」
詠唱するが、反応がない。
転移が拒絶される感覚......俺の【空間魔法】が、届かない。
(......空間そのものを扱う俺が弾かれる。絶対的な特性......?)
視界が安定すると、そこには黒と灰が混じった無音の世界だった。
空も地も存在せず、ただ無限に広がる闇だけ。
記憶に刻まれた禁域での銀狼を思い出すが、何かが違う。
――発動時間が長すぎる。
「......あの時と違う。一瞬とは比べ物にならない......」
俺が疑問を抱いた瞬間、背後から声がした。
『ようこそ。ここは俺の絶技の中――言わば"結界"のようなものだ』
振り向くと、そこには死縁団がいた。
人であった時の面影を残しつつも、ゼリーをぐちゃぐちゃにしたような体、言葉にできない不愉快さを残しつつもそれはどこか愉快そうに笑っていた。
『絶技は持つ者によって特性を変える。ただ、効果が同じになることもあり得るのだがな。......俺も、これを発動するのは初めてなんだ』
《つまり、"実験台"ってわけかよ》
『はは、そう捉えても構わん。時間がないんだ、楽しくやろうじゃないか、黒煙』
俺は鼻で笑い、拳を握った。
《ふざけんな......こんな結界、すぐ壊してやるよ!》
即座に《虚障壁》を展開。
周囲に壁を構築し、拳で叩きつける。
「――《虚障衝撃》!」
轟音とともに、衝撃が空間を貫いた......が、壁は割れない。衝撃が"吸い込まれた"ように消えた。
(効かねぇ......!?攻撃も移動も効かねぇならどうすればいいんだ!?)
『無駄だ。この結界は俺の"深淵"。壊すことも、逃げることもできない』
《......なら、壊すための"条件"があるは......ず......だ......》
俺がそう考えた瞬間、意識が急激に沈み込む。
視界がぼやけ、重力が逆流するような感覚。
(......眠気?何で、こんな時に......)
世界が暗転する。
――そして。
――――――――――
『おい、水谷!お前こんな難しい問題解けたのかよ!?すげぇよマジで!』
......水谷。俺の――名前?
「当たり前だろ。俺だって塾でコツ教えてもらってんだから!」
笑っている自分がいる。机の上には教科書。
窓の外には、青空。
そこは"学校"だった。
『水谷ってさ、物事を達観してる感じあるよね。周りが見えてるっていうか、視野が広いっていうか』
「そうか?でも......そう言ってもらえて嬉しいわ」
『昨日水谷とゲームしたんだけどさ、コイツめちゃくちゃうめぇのよ!』
「まぁ俺にかかれば楽勝よ」
教室の笑い声、昼休みの喧騒、友達の笑顔。
全てが"懐かしい"。
全てが――"リアル"だ。
(......何だ、これ。俺は......いつの間に......?)
『水谷くんって優しいしクールだよね』
「え、いや!そんなことないけどな」
照れ笑いを浮かべる自分の声が、まるで他人のように響く。
心臓が高鳴る。懐かしさと違和感が入り混じる。
(違う......こんなはずじゃない。俺は......異世界に......)
だが、その記憶は"霞"のように薄れていく。
周りの声が柔らかく、心地よく、そして――甘い。
「今日の学校、割とおもろいな~。あ、そうだ、次移動教室だしそろそろ準備しなきゃな」
まるで、ずっとここにいたような感覚。
心が、侵されていく。
――――――――――
(はは......しっかり上手くいっているようで安心したよ)
(しかし、ここまでキツイものだとは思っていなかったな......この、"心蝕"というものは......)
血が噴き出す死縁団。
どうやらこの"結界"は、使用者にも代償を強いるらしい。
(はぁ......はぁ......。お前は、その"欲望"に勝たない限り、俺に勝つことは不可能だ)
(だが、俺もまた......スキルの発動が不可能だ。加えて、この痛み――心蝕。......この痛みに耐え続けることは可能であろうか......黒煙)
――――――――――
「......今日は、家でもいっぱい褒められたし、満足!明日は何をやろうかな~」
鏡の前で笑う"俺"。
完璧な日常。完璧な平穏。
それが何よりも甘く、心地よく、そして――偽りであることを、心のどこかで理解していた。
「んーでもなんだろう......何か忘れてることが......」
指先で頬を撫でる。
触れた感触が、一瞬"熱"に変わる。
その瞬間、微かに揺らいだ――"現実"という名の虚像。
「俺......は......」
闇の中で、記憶と現実が少しずつ混ざり始めていた。
やがて、"黒煙"という名が脳裏に響く。
そして、その響きに呼応するように、閉ざされた"深淵"が微かに軋んだ――。




