7 side・オリーヴ 【魔王を惹きつけておくために】
意外とあっさり、イドラーバのものを食べるの、許してくれたよね……
あたしはスプーンでスープをすくいながら、考える。
さっきあたしの部屋で何か言ってたけど、よく意味がわからなかった。寂しいならイドラーバのものを食わせるって、何?
まあいい。とにかく、あたしが部屋から出てイドラーバの空気に触れることも、イドラーバの食べ物を食べることも、魔王は禁じないってことが不思議だ。入浴だって、結局はイドラーバの水というかお湯に全身浸かったわけだし、なんとなくこちらに馴染むのに一役買っているような気がする。
さらっておいて閉じこめておくんじゃなく、まるで慣れて欲しいみたい。逃げやすくなるのに、良いの?
「お……お前を」
魔王が何か言いかけて、一度咳払いをしてから言い直した。
「お前をさらいに行ったとき、お、男がいたな。あれは誰だ」
男?
あたしは軽く首を傾げたけれど、すぐに思い出した。
「ああ……あの軍人さん……」
「知り合いか」
「いいえ」
あたしは答えながら、考える。
あたしがフォッティニアからの助けをいまだに期待していることくらい、魔王はわかってるだろうけど、そんなそぶりは見せないようにしよう。弱味を見せるみたいで嫌だ。
「あたし、元々軍人は苦手なので」
意識してそっけなく言う。本当に軍人は嫌いだから、嘘はついていない。魔族だって嫌いだけどね!
「軍人が苦手? なぜだ」
面白そうに、魔王はグラスを揺らす。
「あたしの父が、軍人だったらしくて」
あたしは正直に言う。どうせ、父と思われる男も、大好きな母も、既に亡いのだ。
「母が身ごもったときに、その人は自分の子だと認めず、母を捨てたそうです。だから、軍人は嫌い」
「そうかそうか」
魔王はなぜか、とても機嫌が良さそうだ。
ほんとに、変。魔王は、あたしといて楽しいの?
まあ、それならその方がいいのかな。だって、魔王がもし退屈したら、きっとフォッティニアに戦いに行ってしまう。一番好きなのは戦うことなんだそうだから。
……惹きつけておくことは、できるだろうか。
あたしはふと、そう思った。
どういうわけか、魔王はあたしに近づいてこない割に、あたしを気に入っているらしい。もしあたしがちょっと思わせぶりな態度を取れば、もっと喜んで、戦いになんか行かなくなるんじゃ? そうすれば、フォッティニア人が死ぬこともなくなる……
な、何を考えてるの、あたし。魔王を誘惑しようって?
ちらりと視線を上げる。長い長いテーブルの向こうで、白銀の髪の陰から赤い瞳がこちらを見つめている。
変な汗をかきはじめたあたしは、それをごまかすようにイドラーバの果物に手を伸ばした。元々の形はわからないけど、丸くくり抜かれたそれをスプーンですくって口に運ぶ。口の中に甘い果汁が広がり、さわやかな後味を残して消えた。
「どうだ」
魔王が尋ねてくる。
「……美味しい、です」
あたしは答える。
そして、少しだけ、笑って見せた。
魔王は目を見開き、口も半開きで、そんなあたしをじっと見つめている。な、何よ……
「あの」
あたしはゴクリと唾を飲み込み、意識的に視線を料理に落として続けた。
「また、ここで食事をしても、いいのかしら……。寝台じゃ、食べにくくて」
「もちろ……か、勝手にしろっ」
魔王は勢いよく言った。そして、くわっ、とグラスの葡萄酒を一気に飲み干した。
……言っちゃった。まるで、あたしが魔王と一緒に食事をしたがってるみたいな言葉を……
あたしはこっそりと、ため息をついた。
翌日の朝食は、自分の部屋の寝台の上だった。これはどうやら、イドラーバの王族の習慣らしい。昼食も、洗濯を中断して中庭で食べた。
でも、夕食時にはまた、クリーチィに案内されて食堂に行った。
「お前は、どんな食べ物を好むのだ」
魔王は今日もテーブルの彼方にいて、あまり食べ物を口にすることなく葡萄酒ばかり飲んでいる。
なんて答えよう……
あたしは食事の手を止めて、素早く考える。フォッティニアでしか食べられないようなものを言ってしまうと、魔王はまたフォッティニアで食料を奪ってくるかもしれない。
「あの……魚の味、忘れられないな、なんて……」
「魚」
「ここにきて、最初に出してもらった食事です。あれ、イドラーバで獲れた魚……ですか」
「国境の川で獲れたものだ。ふん……」
魔王はちらりと、側に控えているクリーチィを見た。クリーチィが髭を動かす。何か伝えたらしい。
厨房といえば……。あたしはちょっと辺りを見回した。
「エドラさんは、厨房の料理人さんですよね。あとクリーチィと……あまり、ひと気がないみたいで、あの、他にはいないの?」
「いるが、お前が会う必要はない」
ふん、と鼻を鳴らして、魔王はグラスを傾けた。
あまり印象のいい質問じゃなかったらしいと気づいて、あたしは急いで付け加える。
「いえ、あの、王様って他にもお妃様がいるんじゃないかって。あたしは何番目の花嫁なのかなって……」
「一番に決まっているだろう!」
だん、と魔王がグラスをテーブルに置き、葡萄酒がはねた。
ついビクッとしてしまったけど、言っていることは……何というか、あたしがさらわれた花嫁でさえなければ、喜んでいい内容かもしれない。
でも、あたしの口をついて出たのはこんな言葉だった。
「あっ、服が」
葡萄酒が、魔王のシャツにはねたのだ。
全くもう、白を着てるんだから気をつけなさいよ!
……あっ。その服、ダメにしたらまたフォッティニアから新しいのを奪うつもりなんじゃ……
あたしは急いで言った。
「すぐ脱いで下さいっ」
「な」
魔王が、固まった。
あれ?
「ここで? 我に、すぐ脱げ、と?」
魔王の顔が、じわり、と赤くなる。
ま、まずい……本当に、怒らせちゃった、かも……
「ご、ごめ、なさ、そうじゃ、なくて、すぐに洗おうと……よ、よけいなこと、言っ……」
反射的に立ち上がった拍子に椅子につまずき、足にドレスが絡まる。よろけて転びそうになり、どうにか身体を立て直して顔を上げると──
魔王はいなかった。
「……あれ?」
あたしがキョロキョロしていると、バルコニーの窓から魔王が入ってきた。いつの間に……
魔王はマントを身体に巻き付けるようにしていて、腕を片方出すと、シャツらしき白い布地をテーブルに置いた。
そして、口を開いて何か言おうとしたけど、結局二、三回口をぱくぱくさせただけで、バッ! と身を翻して窓の外へ飛び出していってしまった。
「……バルコニーで脱いでたんだ……早業……」
あたしはテーブルに沿って魔王の座っていた方へ歩き、シャツを手に取るとため息をついた。