熱を帯びるもの
残酷描写あります。ご注意ください。
ーー
田んぼの畦道、蝉の鳴き声と、木々の騒めきが空間に響くいつもの日常。その平穏を切り裂いたのは、爆発的な力の痕跡。
体の奥が焼けるように疼く。
甘い匂いがする。抗えない匂いだ。
やっと見つけた。見つけたぞ!!!!!
締まりのない口から涎が溢れる事に気づかぬほどの渇きを収めようと、謎の影が早足に去っていった。
ーー
「ただいま」
色が抜け落ちるように空が静まっていく中、灯りのついた我が家の玄関を潜り抜ける。家の中は、ふんわりと夕飯の香りが充満している。
(今日はカレーかな)
スパイスの香りが、腹の虫を呼び起こし控えめに主張してくる。
帰ってきた俺に気づいた母親が、台所から顔を覗かしていた。
「おかえり、蛍。夕飯になるから準備手伝って!」
「わかった」
返事に満足したのか、目を細めて鍋に向き直る。
準備に取り掛かりながら、今日の出来事がふと蘇った。母さんの背中を思わず見つめる。
今日のことは絶対に、言ってはならない。
この関係を壊したくないから。
ごとり、と皿を置く手に力が入ってしまった。
.
いつも通りの夕食を終え、自室へ籠る。
力が抜けたようにベットに体を放り投げた。体の底から、絞り出すように息が吐き出される。
【気をつけなさい】
天井の一点を見つめる。白綴の忠告に頭を悩ませた。
「気をつけろって、どうやって」
重たい体を起き上がらせ、ズボンのポケットを弄る。手のひらに、こつりと存在を主張しているものを取り出した。目の前に掲げて見てみると、小さな胴に字の書いた紙がびっちり張り付いている。なんて書いてあるかは不明である。
「これが式神、ねぇ」
いかにも胡散臭いとばかりに、睨みを効かせると、突如手のひらに火を落とされたかの如く熱が宿る。
「あっづい゛!!!!!!な、なんだ⁈」
思わず握っていたものを床へ落としてしまった。ころころ…、と音を立てながら、椅子の足にぶつかって止まる。
熱に焼かれた右手を確認すると、特に傷もなく皮膚も無事であるようだ。
恐る恐る床に転がるものへ近づく。手近にあるタオルを手に取り、熱さの根源を再度拾い上げる。が、そこで違和感に気づく。
「?あれ、熱くない…」
先ほどの熱さが嘘のように引け、それは触れる温度になっていた。
「なんだったんだ、今の」
俺の呟きは、静かに空気に吸い込まれていく。目の前の式神は何も答えず、無機質にあるだけだった。
.
翌朝、なんだか落ち着かなくて早くに目が覚めてしまった。昨日の出来事を意識しているからだろうか。俺の体は、迷いなくあの場所に向かうように支度をし始める。
「あら、おはよう。蛍こんな朝からお散歩?」
「母さん…。おはよう。そんなとこ」
俺の起きる前から、台所に立って朝飯を準備する母親。珍しいこともあるのね、と穏やかに笑う。背を向け、すぐに出て行こうとする俺を母は慌てて引き止める。
「ちょっと、何かお腹に入れて行きなさいよ。ほら、」
ラップに包まれたほのかに暖かいおにぎりを渡される。ラップをむいて食べれば、鮭の控えめなしっぱさが広がる。
「ごちそうさま。行ってくるね」
「気をつけて行ってらっしゃい」
その言葉に軽く頷き、家を出た。
.
早朝だからか、茹だる熱さはなく外へ出るには持ってこいの気温だ。これなら祠への坂道も余裕だろう。
祠までは20分くらいだろうか。道は草木が生い茂っているからか、虫や野生動物の痕跡が多々見受けられる。一人、足元を気にかけながら、目的地を急ぐ。
不意に気づく。
俺の足音とは別に、もう一つ足音が聞こえる気がする。
思わず立ち止まる。すると、足音は止まり、鳥の鳴き声が控えめに響くだけ。もう一度歩き始めると、確かにズレた音がする。
もう一度止まってみる。
(……は?ストーカー?)
生憎俺はまぁまぁガタイのいい男のはずで、色恋もないと記憶しているのだが。
無意識にズボンのポケットの中の式神を握る。
まただ。昨日の夜のような熱さは無いが、カイロぐらいの暖かさは持っていた。
(………早く行こう)
なんとなく、居心地の悪い気味の悪さから逃げ出そうと足を踏み出した、その時。
『おい待て小僧』
「!!」
しゃがれた老人のような声が俺を引き留めた。背筋を舐められるような不快感に眉間に力が入る。意を決して振り返ると、そこには黒いモヤが異物のように浮かんでいた。
「な、なんだあれ…」
『小僧、やっと見つけたぞ』
その言葉と共に、黒のモヤが不自然に蠢くと中から獣の足が出てくる。その全貌を表した時、子供ぐらいはあろうかと言う体格の狼だと気づいた。
『その血をよこせ、ガキ』
『早く殺そうぜ、こんな雑魚』
続けて2匹、モヤから狼が出てくる。にたり、と口の端を引き上げ、粘着力のある涎が溢れていた。
驚きに動けないでいると、いつの間にか、3匹の狼に囲まれてしまった。
(しまった…!)
殴って白綴のところまで走れば逃げ切れる?犬はまだしも、こんな大型の狼なんて無理だな。
嫌な汗が顔を伝う。
狼は楽しい狩が始まるのがそんなに嬉しいのか、ケタケタ嘲笑う。
(気をつけろって、言われたのに…!!)
白綴の言葉が今更になって思い出される。俺は抵抗虚しく食い殺されてしまうのだろうか。
唯一の抵抗とばかりに狼を睨むと、さらに嘲笑は大きくなった。
『おーおー、怖い怖い。早く食い殺さなくては』
『これで俺たちも力を取り戻せるぞ』
じゃり、じゃり、とアスファルトに爪を引っ掛けながら俺の周りをぐるぐると回る。暫くすると、狼たちは身を屈め、獲物を取る姿勢になる。黒いモヤが強くなる。
(…来る!!)
『お前ら!食い殺せェ!!!!』
『『ガルルゥ!!!!!』』
その言葉と共に狼が俺に襲いかかる。もうダメか!!
思わず顔を防ごうとした刹那、辺りを閃光が支配した。
(な、なんだ今度は⁈)
『な、なんだこりゃあ!!眩しい!!!!』
『クソガキ!!式神なんぞ持って嫌がった!!』
「はっ、…式神⁈」
狼の言葉にハッとして、光の源を見上げた。そこには、白い鯉が泳ぐように浮かんでいた。まっさらな鱗が光の粒を撒き散らすような神秘的な光景に、立場を忘れて見入ってしまう。それも束の間、狼の唸り声に現実に引き戻される。
リーダーであろう狼が、憎いとばかりに俺を睨みつける。
『小僧…、許さんぞ!!!お前ら!彼奴の足を食いちぎれ!!!』
式神の光に当てられたのか、目を回していた手下どもがリーダーの声に立ち上がった。そして、俺を仕留めるために駆け出した。
白い鯉は俺を守るように体を泳ぎ回る。光を嫌悪しながらも、狼達はしつこくまとわりついて来る。
俺は全速力で逃げた。坂道も、心臓が破れそうになりながらも駆け上がる。でも、やはり動物の脚力には敵わない。あっさりと、行き先に立ち塞がれ、逃げ道がなくなった。
『隙ありだぜガキィッ!!!!』
「あ゛っ、ぐぅ!!」
鯉が目の前の狼を追い払った途端、がら空きの背中から肩を噛まれてしまった。肉を裂かれる嫌な感触が腕に伝い、喉の奥で呻き声が詰まる。牙が深く食い込み、鉄の匂いが鼻につく。
『おぉ、この血はすげぇ!力が漲る!!』
肩に食らいついた狼が感嘆の声を上げる。
俺は噛まれた肩に手をやり、痛みに悶え苦しむ。
痛い、痛い!!!!白い鯉はしまったとばかりに狼に向かって光を放つ。だが、噛みついた狼は蠅を追っ払うかのようにそれを払い除けた。
「式神!」
鯉は飛ばされて、地面で力無く横たわっている。
『はっ!!そんなお粗末な祓いの力なんぞ効かぬわ!!!おい、お前ら!…ぐぅ、がはっ、!!!!』
狼が、愉快とばかりに高笑いをしているといきなり苦しそうに咽こみ出す。口元から黒い筋のようなものが皮膚の下を走っているのが見えた。
『アニキ!!どうしたんですか!!!!』
リーダーの狼は堪らないとばかりに、地面に倒れ伏した。口からは泡が吹き出し、体は痙攣を始めた。起き上がり、距離をとってその様子を他の狼と共に様子を伺う。
『アニキ!』 『兄者!!』
メキメキメキッ!!
手下どもがリーダーを囲い声をかける中、何かが軋む音がした。その音は目の前で倒れている狼からだ。皮膚の下に何か蠢いているのでは無いかと言うほどに形を変える。そして、その蠢く何かはついに皮膚を貫く。無数の肉の触手は天高く聳えたかと思えば、その身を分つかのようにヒビが入り崩れていった。
(何が起きているんだ…)
元の狼の体も呼応するかのように、ヒビが入り砂のように崩れた。その光景に、手下の狼と俺は呆然とその光景を見つめる。
長い時間が経ったような感覚がする。自我を取り戻したのは俺が1番だった。肩を庇いながら後退ると、その音で手下の狼がこちらに向き直った。
『ガキィ……、兄貴を殺しやがって!!!』
『絶対に殺してやる!!!!!』
やはり逃がしてはくれないか。
2匹の狼は、怨念を体に宿し俺めがけて走り出した。
この怪我では逃げられない、最後の抵抗に地面に跳ねている鯉を必死に鷲掴んだ。
その時、ぬるりとした感覚があった。
血濡れの手で、触ってしまった。
次の瞬間、紙の裂けるような音が重なった。
びり、びり、と何枚も何枚も紙が破れるような音が空間に満ちていく。
鯉の体が軋むように震え、輪郭が崩れていく。
形が――変わる。
長く伸びた紙の束が絡み合い、うねり、ひとつの形を成していく。
それは巨大な蛇にも、龍にも似た異形。
俺を襲わんとする狼の爪は、届くことはなかった。その巨体が、異形によって喰われたからだ。血飛沫をあげ、狼だったものがぼとりと落ちる。
『り、龍……、??』
尾を股下に挟み、体を震わせるもう1匹の狼。そのつぶやきを最後に、頭を齧られてしまった。
【キェェェエエエ!!】
草木を地面を揺らすほどの轟音を竜が放つ。耳を塞ぎ、体を丸める俺を空から見下ろす顔にゾッとした。
顔にはいくつもの目玉があり、俺を見下ろした。
認識されている。
その考えを肯定するかのように、真っ逆さまに俺めがけてその体をうねらせる。
あわや接触、と思いきや、なぜかその身は俺の頭上数センチ上を通り抜け地面へ墜落した。
まるで、何かに引き止められたかのように。
地面と激突した龍は金属を擦り合わせたような不快な音を立てながら、黒く燃え上がり、体を構築する紙が次第に煤になり消え失せていく。数分しないうちに全ての紙が空に上り、最後に残ったのは先ほどの白い鯉。その鯉も、白い煙を立てて消えてしまった。
先ほどの喧騒が嘘のように、辺は静寂を取り戻す。蝉が鳴き始め、
穏やかに風が吹く。目の前は血の海というのに、ここだけが切り取られたかのような歪な感覚になった。
「なにが、起きたんだよ、本当に…」
理解するより早く、事が終わってしまった先ほどの事件。
気づけば式神が狼を食い殺していた。
血に染まる手を無意識に見つめる。
呆然とする。自分が殺してしまった、という自責の念が心臓を押しつぶす。腹の底は冷えて、うまく呼吸もできなかった。
ただ一つだけ、確かな事がある。
ーー俺の血は、存在を歪めてしまうということ。




