1話「ヴォルプリエの前夜」前編
私が「結婚」という言葉を覚えたのは、ちょうど2歳の時だ。
まだ故郷の国が魔に堕ちる前、まだ私が魔族の戦士になる前、本格的な剣の稽古を始める前、16年前の春。
長剣を振るい巻藁を斬る父を見て型を学んでいた時、幼き日の私が呟いた言葉がきっかけである。
「かっこいいなぁ、あんな風になりたいなぁ」
師のようになりたい。
そんな意味に捉えられる、剣士としては凡庸でありきたりな言葉。
言葉を聞いた父母も朗らかな顔を変えず、穏やかに私を見ていたのをよく覚えている。
だが、そんな凡庸の呟きの後に続く私の言葉。
その言葉の本当の意味を続けて口にしたその時、父母の表情は一変した。
「あんな風に斬られたら私、きっと凄いことになるんだろうなぁ」
私は剣を振るう父ではなく、斬られる藁の方に憧れていた。
なぜそう思ったのか、なぜそう発言したのかは当の本人ですらもう覚えていないが。
多分その時の私は狂っていたんだと思う。
だって斬られたら痛いし死ぬ。
そして何より、そんな頭のおかしい発言を聞いた他の者はどう思うか。
私はまだ幼くそういった些事に思いを馳せる事が出来なかった、無知であった。
当然、父母も私のそんな狂った言葉を聞いて表情を変える。
「おぉ、流石は私の娘だ、そうかそうかそうだよな! 戦士は勝者でいる時より敗者でいる時の方がずっと多いものな! 戦場では斬る者より斬られる者の方がずっと多い、もうそれが分かっているとは流石! 私に似て根性のある子だ!」
「いやいやこれは貴方みたいな負け犬根性じゃありませんよ、これは眼前の危機に敏い優れた危機察知能力です、貴方じゃなく私に似たんです」
「なんだとぉ……!」
「なんですか? やりますか? いまここで?」
「いや、素晴らしき我が子を褒める方が最優先だ」
「それはそうですね、さぁニーナ、こっちにおいで!」
父母は狂っていた。
私の狂った言葉を肯定し、満面の笑みで私を撫で繰り回したのだ。
私のお父様とお母様は控え目に言って狂っていた。
それも幼き無知ゆえの私と違って、分別ある狂気。
「しかしこうなると嫁の貰い手が心配だな、こんなにいい娘、ラナトゥスの戦士以外じゃとても釣り合わないぞ」
「そうなったら世界中に公募の張り紙を出しましょう、この世で一番強い戦士を集めるために我が子の素晴らしさを発布するのです、そうすればこの子に相応しい相手が見つかるはずですから」
「……君の時も似たような事してたな、義父上が」
「あの時は苦労したわねぇ」
「ニーナにはそんな苦労はさせたくないな、スムーズに相手を見つけて政を任せ、今の君みたいに戦場で敵を殺す事だけに集中してほしいモノだ」
父母のあまりの興奮っぷりに、幼い私ですら少し引いたのをよく覚えている。
そしてそんな事があったからこそ、最後にお母様が呟いた言葉はより一層脳裏に焼き付いていた。
「この子の結婚相手は、一体どんな素敵な相手なのでしょうね?」
母の呟きから16年後、あの日と同じ春。
父母は死に、ラナトゥスの国は滅び、ニーナという本名すら公に名乗る事を禁じられた現在。
私の左手の薬指には冷たい金属の指環ががっしりと食い込み嵌められていた。
愛は無く、温もりも無く、ただ私を縛るためだけに誂えられた偽りの婚約指輪が。
「どうしましたニーナ? ぼーっとして?」
「……なんでもない」
過去の思い出から帰ってくると、私の隣には私と同じ指輪を嵌めた仇敵が、私の国と家族を滅ぼした者達の一人イリス・ブルトゥスが並んで歩いていた。
数か月の旅を経て軋轢は薄れ、互いの間に友情と呼べる感情すら生まれた相手。
しかし関係としては今でも書類の上では婚約者となっているだけで、互いに結婚する気など毛頭ない偽りのパートナーがそこにいた。
ファルシスの国の神器を滅してから半月。
次の呪われた神器を探して西へ西へと歩を進めていた私達は今、キュルトという名の土地を訪れていた。
ファルシスでは岩と砂ばかりの光景がいつまでも続いていたが、ここではそんなものは影も形も無い。
私達の眼前には海を臨む穏やかな草原と丘陵地帯がどこまでもどこまでも続いていた。
「まぁ、気が抜けるのも分かりますけどね、今回は神器探しじゃなくてただの寄り道で来てるわけですし」
「その寄り道で半月も歩かされてるからなぁ」
「ですが必要な事ですよ、国家の一大事に勇者マティアスの名が必要とされているんですから」
「国家の一大事、ねぇ……」
私達の歩く丘陵地帯キュルトは、正確には国ではない。
国を形成するために必要な三大要素、主権、領土、国民のうちの主権……すなわち統治制度が存在していないからだ。
領民のほとんどが定住せず居住地を定期的に変える遊牧民、それに加えてはぐれ者の半人半魔が逃げるように流れついてそのまま定住している程度の土地で、各々が小さなコミュニティを形成する事はあっても地方全体の統治に消極的。
種族の異なる住人同士が互いに干渉しあわないよう細々と暮らす土地、それがキュルトという地方の実態であった。
「各々好き勝手やってる土地なだけなのに、国とはなぁ」
「そうですよ、そうだったんですよこれまでは! でもこれから違います! バラバラだった者が団結し国が一つ新たに誕生するんです! これはとても素晴らしい事ですよ!」
そう、それが元凶であった。
今まで誰も統治してこなかったそんな地方に国家が誕生する。
私達が半月も歩かされている原因がそれであった。
主権を他国に認めてもらうため貴族の賓客を集め宴席を開く、などという些末事こそ私達の足が棒になっている原因なのだ。
ブルトゥス家の次期当主イリスとその婚約者、魔王討伐の英雄マティアス……の振りをしている私も、その賓客の一人。
「……だったらさぁ、迎えの馬でも寄越せばいいだろうよ、なんで徒歩なんだ私達」
「あぁ、不機嫌な様子だったのはそういう事ですか、仕方ないでしょう、砂漠から出てしばらく私達また道に迷って行方不明だったんですから」
「知ってるよ! 分かってるよ! 理解はするよ! けどさぁ! だとしてもさぁ! なんつーかさぁ! 文句の一つも言いたくなるだろ!」
「過ぎた事を言っても仕方ないですよ、それよりほら、そんな事を言っていたらもう会場が見えてきましたよ! ほらほら!」
前を歩いていたイリスが、唐突に何かを見つけはしゃぎだした。
なだらかな登りが続く穏やかな丘陵地帯、後ろを歩く私の視界にはまだ「それ」は映らないが、上り坂の先から聞こえてくる人々の騒々しい声で、先の光景の予測がつく。
草原に響いているのは、鹿鳴、鵲瑞、或いは嬉怡、さまざまに表現される喜び歌う声。
そして共に広がるはどこか浮足立って、どこか危うい、フリージアの花に似た甘い匂い。
酒の席とは少し違う雰囲気が、春の風と共に坂の上から届いている。
「新たな国が異種族同士の結婚式から始まるなんて、なんだかロマンティックですよね! ね! ね!?」
「なんでそんなテンション高いんだよお前」
「だって結婚式ですよ結婚式! それもいがみ合う敵対貴族同士の結婚! それによる和平! 新国家の樹立! そこにロマンを感じない事などあろうか!? いや、ない!」
「あっはい、そっすか……」
はしゃぐイリスに手を引かれ坂を上った先。
海を望む草原の高台には真っ白で大きな教会が、色とりどりに咲き誇る薔薇の花の中心に建つ結婚式場が青空の元に聳え立っていた。
「いやぁ、やっぱり憧れますねぇ結婚式、私もこの仕事が終わればいつか将来……」
私のような者には一生縁のないであろう場所がそこにあった。
戦場とは真逆の祝いの場。
地獄では無く天国を望む者達が征くべき場所。
「ま、今日は宴席に参加するだけですし、まったり行きましょうニーナ!」
「……そうだな」
誰もが幸せを祈るそんな場所、戦いとは無縁の寄り道のはずのその場所、結婚式場。
しかしそんな場所が今回。
私達が魔王の呪いと戦う場所となるのであった。




